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八咫烏神社(熊野速玉大社境内末社)紀伊国牟婁郡和歌山県新宮市新宮1(熊野速玉大社のP有)■祭神建角身命熊野速玉大社の境内末社。一の鳥居を潜ってしばらく進むと向かって右手に、同じく末社手力男神社と並んで鎮座します。◎かつては「丹鶴山麓」に古くから末社として奉祀されていたと伝わります。「丹鶴山麓」とは東方400~500m辺りにあった、新宮市街を東西に分断する南北に連なる丘陵地帯のこと。ちょうど「蓬莱山」を御神体とする阿須賀神社との中間辺り。ほとんどが掘削され、現在は北端に新宮城跡
ご訪問くださってありがとうございます。神様チャネラーぽこですぽこのプロフィールはこちらから新月🌑の貴船神社、九頭竜大社参拝も終えて思ったより早く予定終わりこのまま帰るのもなぁ、と思い、行きに見かけた気になるあの神社へ行ってみようと車を走らせますこちらの続き『新月の神社参拝④九頭竜大社でおもてなし⁉️』ご訪問くださってありがとうございます。神様チャネラーぽこですぽこのプロフィールはこちらから新月🌑の貴船神社、九頭竜大社参拝ブログ。酷暑の九頭竜大社で9回回るお…ameblo.jpその
33-3.【福井県】岡太神社(おかもとじんじゃ)御祭神:建角身命国挟槌尊大己貴命鎮座地:福井県越前市粟田部町19-3福井県2社目は岡太神社です。正面の拝殿で参拝です高台に本殿もありましたので登ります!拝殿から左手に進みます♪本殿の左右には貴船神社と成す須波阿須疑神社があります。「当地の水害を煩慮なされて水路をお穿ちになり、九頭竜・足羽・日野の三川を開かれた。このとき、建角身命・国挟槌尊・大己貴命の三柱をこの地に奉祀されて、岡太神社と号して祈誓し賜うたという。」福
八咫烏神社(那智勝浦町八尺鏡野)紀伊国牟婁郡和歌山県那智勝浦町八尺鏡野(詳細住所不明、写真右隣に少しだけ見える建物が「八尺鏡野294」)■祭神建角身命「那智山」等を源流とする「太田川」下流の小さな集落、那智勝浦町「八尺鏡野(やたがの)」に鎮座する社。「八尺鏡野」は181人64世帯の過疎地(令和二年国勢調査データ)。◎当初についての資料は見当たらず詳細は不明。明治六年に下里神社に合祀されるも、現在は復社したと伝わっています。ネット情報等では、八咫烏(建角身命)の神武東征軍先導に留
浦上には鹽竈神社がある。(↓グーグルマップの投稿より)ご祭神:天鈿女命(天受売命)配祀:市杵島姫命,事代主命すごく大事にされてる神社だと感じた。玉置仙久は・・・自・遊・学・生ラボ「ざわん」NPLlaboratory「TheOne」でガイドしてます民泊ざわんはうすのオーナーでもあります。下里にも沢山の神社がある。また、ここには下里古墳もある。前方後円墳。国指定史跡。玉置仙久のホームページは↓こちらから〜十津川〜自・遊・学・生研究所「ざ
ようこそお立ち寄り下さいましたありがとうございます😊今回の夏越大祓は別格マイ神社⛩️春日大社さんに最重要祓詞の書写を納め祈願致しましたすでに式は終わっていますがお蔭様なのか何もかもが清々しい感じです余計なのが祓われたんでしょうか…1年で最もコンディションが良い状態ですこの後7月はマイ神社の千葉神社⛩️さんで三宝守護特別祈願祭や別格マイ神社⛩️の宗像大社さんの大祓式とスケジュールは続きます😊最近になって仕事や一般的なこと以外の目標を祈願する様になりました崇高な理想
以前、竹内睦泰さんが行っていたツアーで、明かした口伝より覚え書きを残しておきましょう。建角身命(タケツノミのミコト)とは、八咫烏の事ですが、この奥様は誰かと言いますと玉依姫です。そして玉依姫は、神武天皇の母親で、古事記では夫はウガヤフキアエズ命です。つまり玉依姫の夫は2人いて、1人がウガヤフキアエズ命、もう1人が賀茂武角身命(カモタケツノミのミコト)と言うこととなります。(『古事記の宇宙』竹内睦泰著より)で、子どもの1人が神武天皇で、もう1人は賀茂別雷大神(カモワケイカヅチオオカミ)です
那智大社は、熊野古道の中にある。巨木に囲まれた坂道を登って行く。YouTubehttps://youtu.be/TjHchOTDEMw熊野那智大社喘ぎながら登る。古代に多くの貴人が上った坂だ。土産物屋の前から階段を登る。熊野那智大社の拝殿があった。八咫烏神社があった。神武天皇を道案内した3本足の烏だ。巨木の中を巡る、体内巡りがあった。古来に多くの貴人が参拝した那智大社だ。八咫烏は人間だった、賀茂建角身命だ。熊野古道の中にあった。
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー八咫烏アジスキタカヒコ根(建角見)の父は誰か?17Cひじかたすいげつつづき帝皇日嗣には書かれているという。八咫烏=アジスキタカヒコネ=タケツノミであると。そうであれば、タケツノミが迦毛大御神のはず。なぜ御祖に?神の名には尊称や役職名などの別称が多い。<出雲>大名持オオナモチ王神門臣家と
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー八咫烏とは誰か?16C-3ひじかたすいげつつづき帝皇日嗣には書かれているという。八咫烏はタケツノミであると。そうであれば、タケツノミが賀茂大神のはず。なぜ御祖に?神の名には尊称や役職名などの別称が多い。古来天皇は神であった。世襲名役職役職名別名本名スメラミコト天
『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー八咫烏とは誰か?15C-2ひじかたすいげつつづき帝皇日嗣には書かれているという。八咫烏はタケツノミであると。神の名には尊称や役職名などの別称が多い。古来天皇は神であった。天皇という名称は役職名である。賀茂大神も役職名である。teiouhituginihakouarurashii.役職名尊称別称
Ⅳ徳川慶喜公伝徳川慶喜も渋沢栄一もすごいが、今日は鴨!ひじかたすいげつ一橋天領。いまの岡山県井原市とNHKは言ったが、ほんとうは「鴨」。八咫烏であった。神武天皇を助けたのも「鴨」。「鴨」は「賀茂」。「賀茂別雷」は「賀茂大御神」。「賀茂別」だから母方が「賀茂」。母方の祖父が「建角身」。彼がほんとうの「八咫烏」。「賀茂」は「神(カモ)」。「鴨川」は「神川(カモガワ)」。「神川」は「上川(かみかわ)」。
ほんとうの・このくにのかたちはじめに番外カモノオオミカミはタケツノミノミコトか?ひじかたすいげつ記紀を信じる人は、大国主の子が建角身命と事代主であると。そして、建角身命が長男で、次男は事代主と。さらに、建角身命が賀茂大御神と。またさらに、建角身命と神武天皇は異父兄弟とも。上賀茂には盛砂が二つ。上に松葉が。その話は、明治政府が作ったのか?いや、上賀茂はもっと古い。神武陵は明治政府が作ったが。もっと古いが、どちらにせよここまでの話には矛盾が。神武天皇は事代
■拝殿拝殿背後には石段。小高い丘に本殿が鎮座しています。■瑞垣・門■本殿門の連子窓より見た本殿正面。祭神:建角身命文政年間(1818-31)石造小祠より木造春日造に改修。賀茂御祖神社(京都・下鴨社)により再興。■旧本殿本殿左脇の石造小詞。
■二ノ鳥居二ノ鳥居の真正面が伊那佐山。■手水舎■歌碑■狛犬■拝殿■八咫烏像拝殿脇の社殿。■橿原神宮遥拝所
奈良県宇陀市榛原高塚に鎮座する八咫烏[やたがらす]神社。延喜式神名帳の式内小社。■一ノ鳥居■社号標■葵橋■禊川現在は用水路程度。■定書■社務所授与所。■参籠所■造営記念碑1936年(昭和11年)竣工。■第二次造営碑■第三次御造営碑■第四次御造営碑1996年(平成8年)建立。■第五次御造営碑2016年
ほんとうのこのくにのかたちはじめに番外5おおたたねこおおたたねひこひじかたすいげつオオタタネコ太田タネヒコ。ここでも紹介している「出雲王国とヤマト政権」によれば、古代史ブログの「八咫烏」にも書いたように、出雲向富登美とみトビ・・・・・・トビから連想して、モノノベたちから八咫烏と呼ばれたのはオオタタネコこと太田タネヒコ。そして、そう呼ばれた第一次東征のあったのは、フトニ孝霊天皇クニクル孝元天皇の時代。
高角神社(高見山山頂)(たかすみじんじゃ)大和国吉野郡奈良県吉野郡東吉野村平野241(登拝、アクセス記事は→こちら)■延喜式神名帳(宇陀郡)高角神社二座鍬靫の論社■祭神高見明神標高1248.4mの「高見山」山頂に鎮座する社。大和国吉野郡(現在の東吉野村)と伊勢国飯高郡(現在の三重県松阪市飯高町舟戸)の境に山頂があります。◎創建由緒等については諸説あり、それは社名の訓み方やご祭神、式内社比定に関しても及びます。◎「神社覈録」は当社を式内社高角神社二座に宛てていま
ここは奈良県宇陀市にある八咫烏神社。スマホナビにてスマートに到着。日暮れ前だったので、社務所、手水、拝殿、本殿と先を急ぐ。ご祭神はヤタガラスとされる建角身命(下鴨神社のご祭神)なので双葉葵。もちろん神武東征にて道案内で活躍したヤタガラスもキャラ化されている。キョロちゃんではない、ヤタガラスなのだ。決してキョロちゃんではない。狛犬「奉納されてるお酒の銘柄も見て帰ってね!」狛犬「あと、ブサカワってゆうな!」
2018.8.11は「神武天皇〜即位までの物語」に行ってきました(*´꒳`*)橿原宮があったとされる橿原神宮は行ったことがあるので、八咫烏(やたがらす)神社からスタートです。天照大神(あまてらすおおみかみ)が、地上を統治させるために遣わした天孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曾孫である神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)。この人(?)が高千穂から北九州、瀬戸内海を経由して大阪湾に上陸、生駒山を越えようとして長髄彦(ながすねひこ)に抵抗されて大敗。海路で熊野に回り、熊野の山々を越
山城の國賀茂の社山城國風土記に曰はく、賀茂の社、賀茂と稱すは、日向の曾の峯に天降りましし神、賀茂の建角身の命、神倭石余比古の御前に立ちまして、大倭の葛木山の峯に宿りまし、そこよりやや〱に遷りて、山代の國の岡田の賀茂に至り給ひ、山代河のまにま下りまし、葛野河と賀茂河と會ふ所に至りまし、賀茂河を見はるかして言り給ひしく「狭く小かれども石川の淸川なり」と宣り給ひき。仍りて名づけて石川の瀬見の小川といひき。その川より上りまして久我の國の北の山基に定りましき。その時より名づけて
こちらは、那智大社の境内に祭られておりました『御縣彦社(みあがたひこしゃ)』です。ご祭神は、建角身命(タケツヌミノミコト)、です。この神様は、京都の下鴨神社に祀られておられます神様と同じ神様です。八咫烏(ヤタカラス)は、健角身命(タケツヌミノミコト)が化身されたお姿との事で、御縣彦社(みあがたひこひゃ)は八咫烏(ヤタカラス)を祭る神社でもあります。そしてまた、八咫烏(ヤタカラス)は太陽の化身でもあるとも言われている様です。そして、境内ではこんな可愛い八咫烏(ヤタカラス)たちを見つけて
昨日、夜から今朝まで雨の奈良偶然通過経路でお邪魔した奈良八咫烏神社この界隈、鳥居額縁は、このような石素材が多かったです境内の砂利は、濡れるとオレンジと言うか何とも言えない色味になるのですとてもアジのあるお顔ですねご祀神は、建角身命こと八咫烏大神賀茂建角身命、阿遅鉏高日子根神、阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神など奈良にも八咫烏神多し奥へ行く度に空気感が変わる神聖な聖域拝殿を見上げると上に奥宮がありましたこの階段、上がることも可能なのですが
八咫烏神社/奈良県宇陀市御祭神/建角身命(八咫烏)山の中腹に達本殿。手入れの行き届いたシンプルで堂々とした佇まいでした。木々に囲まれ、様々な鳥が鳴くしずかな場所です。※神武天皇が熊野から大和に攻め入る時に道案内をした八咫烏。勝利に導く神様として、サッカー日本代表のシンボルマークとしても有名です。この神社の鳥居から望むのは伊那佐山。山の麓にひっそりと佇む、とても気持ちのいい神社でした。