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不動明王の霊地、「葛川明王院」②北嶺回峰行の祖相応和尚開創1000年以上同じ場所に建つ「相応和尚が不動明王さまを安置されてから、この地は山林修行の道場として著名であったそうです。そのことを私たちに伝えているのがこちらの本堂になります。」「現在の本堂は、正徳5年(1715)に建立された建物になります。実は平成17年から平成23年にかけて修理が行われたのですが、その際1000年以上昔に伐採された材木が多く再利用されていることが判明したのです。さらに、本堂や庵室という建物の基壇周辺の発掘調
天台声明の根本道場「来迎院」7この資料から伝教大師が15歳の時に近江の国分寺で出家得度し、18歳の時には国が認可した得度の認可書が出ていることがわかります。それを逆算していくと、伝教大師の生年月日が766年ということがわかります。これまでの『叡山大師伝』を基とした生年は767年なので、1年違うことになります。最近では、『伝教大師度縁案並僧綱牒』が正しいのではないかという説が学会で非常に中心的な話になっています。ただ、火災での焼失などを考えると、こうした国宝を一寺院で管理することの難しさも感じ
天台声明の根本道場「来迎院」6三尊は「過去・現在・未来」と本来は住む世界が違いますので、応永33年の大火以前は別の本堂に安置されていました。火災を逃れた現世を司る薬師如来様、来世を司る阿弥陀如様、過去を司る釈迦如来様が、ひとつの本堂に安置してあるというのが、現在の来迎院の特徴になっています。」近年になって来迎院では、大きな発見が相次ぎ話題になりました。昭和35年(1955年)に国宝に指定された『伝教大師度縁案並僧綱牒』は、伝教大師最澄が得度した後に、受戒されたことを示す公文書が、来迎院の
🥇法隆寺(金堂・五重塔)|奈良重みの種類:時間の重み7世紀建立、現存する世界最古級の木造建築素朴なのに圧倒的な存在感「古さ」そのものが価値➡️静かに立ってるだけで勝ってる🥈東大寺大仏殿|奈良重みの種類:スケールの重み世界最大級の木造建築視界を埋め尽くす巨大空間建物が“威圧してくる”タイプ➡️人間が小さくなる体験🥉金峯山寺蔵王堂|奈良重みの種類:信仰の重み日本最大級の木造堂修験道の総本山山岳信仰の中心としての迫力➡️宗教施設というより“結界”⭐唐
天台声明の根本道場「来迎院」2このお寺を再興した聖応大師良忍は、愛知県のご出身で、13歳で比叡山延暦寺に上り、実の兄である良賀阿闇梨という大変優秀な学僧に従い比叡山の教えを学びました。しかし、良忍上人は23歳の若さで比叡山を下山し、大原に隠棲されたと言われています。当初、良忍は勝林院に入り修行しました。勝林院は大原では一番古いお寺で1000年以上の歴史があります。そして、修行の後、晩年38歳にこの来迎院を再興しました。当時、比叡山では声明の流派が7つに分かれていて、良忍は比叡山での修行
天台声明の根本道場「来迎院」1京都大原の地は、別名魚山とも呼ばれ、来迎院を創建したと伝えられている慈覚大師円仁が中国の五台山で修行した峰の名が魚山だったことに由来します。慈覚大師円仁は本格的な天台密教を延暦寺にもたらしましたが、お経独特の節回しで唱える声明(しょうみょう)もまた日本に伝えました。この声明を大原の地で発展させたのが、隠棲していた修行僧たちでした。中でも聖応大師良忍は、延暦寺を離れ平安時代末期の天仁2年(1109年)、大原の地にある来迎院を再興。声明の根本道場として、7つあっ
■【老いぼれコンサルタントのひとり言】2月11日◆人生100年の時代をいかに過ごすか◇延暦寺に行かれたことはありますか?◇江戸時代のコンビニ◇経営四字熟語「名論卓説」■【けふのつぶやき】◆人生100年の時代をいかに過ごすか2021年に施行された「改正高年齢者雇用安定法」では、70歳まで働けるようにすることが企業の努力義務となっています。60歳の人が守りの姿勢から会社にしがみつこうとする気持ちはよくわかります。特に学校を卒業し、20代からずっと同じ会社で
こんにちは。サイキックチャネラーキュアサロンマナです。キュアサロンマナとは?キュア:治す、治療する、癒すサロン:部屋を意味する言葉マナ:超自然的または神の力、奇跡の力奇跡の力で、あなたの心と体を癒します今後のイベント一覧です。詳細はツアー名をクリックしてね。イベント一覧(若干修正有るかも)2月8日(日)薬師さん縁日比叡山延暦寺月参りツアー2月16日(月)宮島厳島神社・大願寺初詣ツアー
葉上照澄大阿闍梨の息吹⑥無住からの復興が進む常住寺を訪ねる引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」永宗幸信師三千佛堂「こちらが本堂移築百年記念事業として建立された『三千佛堂』です。さっそく中へどうぞ。」三方の壁面に仏様が立ち並び、入った瞬間から圧巻の空間です。「三千の仏様の前ですべての名前が含まれたお経を唱えながら祈りを繰り返す、『三千仏礼拝行』という行があります。元々は1日3000回を1週間繰り返すという行でしたが、現在は3日に分けて行われます。実際に3000体の仏
葉上照澄大阿闍梨の息吹⑤無住からの復興が進む常住寺を訪ねる引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」「仏教用語で「会通(えつう)」という言葉があります。ある解釈が人に通じるかどうか、整合性があるかということです。切り倒されてしまう木にはストーリーが宿っています。それが人に伝わり、通じているから別の形となって新たなつながりを生んでいくのです。私が皆さんにお伝えしたいのは、学んだことや出会い、つながりを、その先にどうつなげていくかを考えて実践していくことが大切ということです。学生の
葉上照澄大阿闍梨の息吹④無住からの復興が進む常住寺を訪ねる引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」再整備が進む本堂をご案内いただきます。「本堂には良質なケヤキが使われています。入母屋造本瓦葺で大棟の両端には菊の紋章のある鬼瓦、斗洪間の中備に鶴・亀などの彫刻を入れた墓股があり、正面中央の墓股には、池田家の裏紋と呼ばれる竜胆の彫刻が入っています。これらを見ると、かつては岡山城内で藩主の庇護のもとにあって大切にされていたことがわかります。」「まだ修復が十分ではなく隙間風が入り込むこと
葉上照澄大阿闍梨の息吹③無住からの復興が進む常住寺を訪ねる常住寺本堂引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」「さらに、荒れていた周辺や護摩が焚けるお堂も整備しました。護摩壇は地域の方の手づくりです。移転するうちに文化財はすべて博物館に渡していたという経緯がありましたので、新しい仏様を入手してご本尊としてお祀りしました。毎月6日に護摩を焚くことにして、少しずつお寺としての形を取り戻していきました。開眼の際は、比叡山から上原行照大阿闇梨をお迎えして護摩を焚いていただきました。その
葉上照澄大阿闍梨の息吹②無住からの復興が進む常住寺を訪ねる葉上照澄大阿闍梨引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」永宗師がまず取り組んだのが、葉上師の功績を称える顕彰碑の建立です。「建立について比叡山の葉上照澄大阿閣梨顕彰碑大僧正・阿闇梨の方々にも協力を仰ぎました。私一人の思い付きや一人の力でお寺を復興していけるわけではありません。より多くの人の想いを集め、力を合わせたいと考えたからです。裏側にご協力いただいた皆様のお名前を残しています。」「顕彰碑の表面に刻む文章について
本編のホームページでは毎月、TOPの写真を更新しています。今月の表紙の写真を紹介します:ホームページの表紙ですhttp://cf916626.cloudfree.jp/index.html写真は、2019年2月に訪れた、京都・美山の重伝建地区の写真です。こちらは英語版のホームページの写真です:http://cf916626.cloudfree.jp/HandE_Japan/HandE_Japan.htmlこちらも、2019年に訪れた比叡山延暦寺の浄土院と北野天満宮です。
葉上照澄大阿闍梨の息吹①無住からの復興が進む常住寺を訪ねる葉上照澄大阿闍梨引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」江戸時代に岡山藩主池田家の祈祷寺として、岡山城内に創建。その後、和気町などに場を移し、1919(大正8)年に現在の地に移築された金剛山常住寺。一時期、無住状態となり荒廃してしまったお寺を復興させるべく、多くの方々が携わるプロジェクトが進行しています。天台宗岡山教区宗務所長であり、代表役員代務者として常住寺の復興に尽力されている永宗幸信師にお話を伺いました。「元々
不思議な寺金剛定寺と酒井雄哉⑥多くの仏像たちが大寺院であったことを物語る古刹「金剛定寺」を訪ねる引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」金剛定寺住職野條叡茂師摩壇があり、ここで護摩を焚きます。天皇陛下が即位される際に神様を迎える儀式があるそうなのですが、その時に用いられる穀物等は護摩に用いられるものと同じだそうです。それらはバラモン教の儀式からきたものだそうです。」「ちなみに護摩壇にある錫杖は、千日回峰行を2度満行なされた酒井雄哉大阿闇梨が実際に使用されていたものにな
不思議な寺金剛定寺と酒井雄哉⑤多くの仏像たちが大寺院であったことを物語る古刹「金剛定寺」を訪ねる引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」金剛定寺住職野條叡茂師「聖観音菩薩立像は9世紀に造られた仏像です。滋賀県の湖北にも観音菩薩が多く残されているのですが、そこに伝来する観音像とは作風が異なっており、奈良の方から運んできたか、もしくは奈良の仏師がこちらに来て造立したのではないかといわれております。平安時代前期の像で、顔の表情には密教的な要素が含まれております。頭の宝冠や持
不思議な寺金剛定寺と酒井雄哉④多くの仏像たちが大寺院であったことを物語る古刹「金剛定寺」を訪ねる引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」金剛定寺住職野條叡茂師「皆さんに注目していただきたいのが、ご本尊さまの台座の下。台座の部分に目を見開いている生き物がいませんか?おそらく獅子か邪鬼だと思いますが、ギョロっとした大きな目でご本尊さまをお守りしているのかもしれませんね。」金剛定寺には、国の文化財に指定されている仏像が4躯伝えられています。それが不動明王及び二童子像と聖観
不思議な寺金剛定寺と酒井雄哉③多くの仏像たちが大寺院であったことを物語る古刹「金剛定寺」を訪ねる引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」金剛定寺住職野條叡茂師「文字で記された直接的な史料は伝えられていませんが、仏さまや建物の遺構などから間接的に中世以前の金剛定寺の信仰の歴史が感じ取れるかと思います。直接的に金剛定寺の歴史を体感できるのは、江戸時代になってからになります。」現在境内に建つ建物は江戸時代や近代に整備された建物であるとご住職は語ります。「現在の金剛定寺の本堂
不思議な寺金剛定寺と酒井雄哉②多くの仏像たちが大寺院であったことを物語る古刹「金剛定寺」を訪ねる引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」金剛定寺住職野條叡茂師椿井文書をもとにした金剛定寺の縁起では、聖徳太子によって創建されたとされています。残念ながらこの記述の詳細は不明ですが、金剛定寺に飛鳥時代の遺構や仏さまが確認されていないことから、もう少し後に創建されたのかもしれないと考えています。実際、金剛定寺が伽藍を構える「中山」の地からは、建物の礎石や多数のお地蔵さまなど、中世
■■【今日の写真】京都・比叡山延暦寺東堂エリア萬拝堂東塔エリア〒520-0116滋賀県大津市坂本本町4220http://hieizan.or.jp/比叡山というと、「最澄」「延暦寺」「根本中堂」というありきたりの言葉を思い浮かべます。百人一首で有名な慈円は、「世の中に山てふ山は多かれど、山とは比叡の御山(みやま)をぞいふ」と比叡山を詠んでいます。比叡山延暦寺は、「世界の平和や平安を祈る寺院」として、遍く知られています。昔から、仏僧を目指す人が一度は修行に訪れる地でも
不思議な寺金剛定寺と酒井雄哉①多くの仏像たちが大寺院であったことを物語る古刹「金剛定寺」を訪ねる引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」滋賀県日野町に位置する金剛定寺は、多数の堂塔伽藍を誇る大寺院であったと伝えられている古刹です。時代の流れと共に失われてしまったお寺の記憶もありますが、お寺のご本尊にふさわしい仏さまが多数守り伝えられています。その仏さまたちのお姿は、私たちに金剛定寺の往時の隆盛を感じさせるとともに、金剛定寺が古くから栄え信仰されてきた絶えることのない祈りの繋がり
仲座俗人と僧侶、僧侶と仏様を結ぶ...伝承を支える担い手「仲座」⑧完比叡山延暦寺腸分仲座滋賀院門跡事務長岩崎惠哲様「仲座」の世代交代について努力されていることはありますか世代交代できるもんだったらやってみろ!(笑)世代交代は必要だとみんなさんおっしゃいますが、それは他人事だから言うんです。「もうそろそろ世代交代ですね」って言われたらさみしいもんですよ。もういらないって言われていることと同じですから。さみしいもんですけれど、必要だとも思います。でも、俺を倒して乗り越え
仲座俗人と僧侶、僧侶と仏様を結ぶ...伝承を支える担い手「仲座」⑦滋賀院門跡比叡山延暦寺腸分仲座滋賀院門跡事務長岩崎惠哲様「仲座」という比叡山延暦寺独自の役目の伝承を支える担い手としての思いや、使命感をお聞かせください我々は原則的に下働きですし、存在としては表に出ない日陰の仕事ばかりですが、長い間、仕事をしていると「法要はお前たちがいなかったらできない。なくてはならない存在だ」と言ってもらえるのが、誠にありがたいです。若い頃は、仏さまに対してもそうですし、「仲座」に対
仲座俗人と僧侶、僧侶と仏様を結ぶ...伝承を支える担い手「仲座」⑥比叡山延暦寺腸分仲座滋賀院門跡事務長岩崎惠哲様「仲座」の仕事は、すべて師匠からの口伝なんでしょうか。マニュアルのようなものはありますか先ほど申したように、私たちはすべての法要の記録をとります。先輩たちが残した記録が山のように残っていますので、最近それをすべてパソコンに取り込み、マニュアル化しようと思っています。しかし、年によって法要の仕方が少しずつ変わるんですね。基本的には一緒なんですが、順序が逆になった
仲座俗人と僧侶、僧侶と仏様を結ぶ...伝承を支える担い手「仲座」⑤比叡山延暦寺腸分仲座滋賀院門跡事務長岩崎惠哲様「仲座」に携わるきっかけとは私どもは、天台座主の弟子になるんですけども、僧侶になるためのいろんな儀式はなに一つ受けておりません。実際に「仲座」の仕事をしていくうえでは、師匠にあたる方からいろんなことを教えてもらうことになります。「仲座」になるためには、見込んだ人間を自分の弟子にし、仕事を教えていくという、職人みたいなものなんですね。私が「仲座」に携わるきっか
仲座俗人と僧侶、僧侶と仏様を結ぶ...伝承を支える担い手「仲座」④比叡山延暦寺腸分仲座滋賀院門跡事務長岩崎惠哲様滋賀院門跡についてお話をいただけますでしょうか滋賀院門跡は400年以上前にできたんですが、1571年に信長の焼き討ちで、すべてが灰になってしまいました。その時に大きな力を出されたのが、天海大僧正と言われる方です。この方は会津の出で、明智光秀の生まれ変わりではないかと言われています。あまり素性が分らない方でしたけれども、徳川幕府に入り、家康、秀忠、家光という3代
仲座俗人と僧侶、僧侶と仏様を結ぶ...伝承を支える担い手「仲座」③比叡山延暦寺腸分仲座滋賀院門跡事務長岩崎惠哲様法要以外の職務とは、どのようなことをされるのでしょうか比叡山延暦寺は、昔は生産活動をしておりませんので、その代わりに荘園(貴族や寺院の私有地)を与えられていました。お山に登られて、琵琶湖をご覧になると平野部が大きく開けているのがわかると思います。それを江州(近江)平野というのですが、そこから見える限りのところは、比叡山延暦寺の荘園であったと言われています。そ