ブログ記事34件
前回からの続き(10月21日のこと)です六波羅蜜寺を後にして、建仁寺まで戻り、そこから気になっていた場所へ向かいました場所的には祇園甲部歌舞練場の東側(裏側?)になります崇徳天皇御廟住所・京都市東山区祇園町南側HP・白峯神宮崇徳天皇御廟所|スポーツの守護神白峯神宮shiraminejingu.or.jp駐車場・なし戸は閉ざされているので、そこからお参りすることしか出来ません駒札御由緒崇徳上皇(75代)は、平安時代の末、保元の乱(西暦1156)により讃岐の国へ御配流
奥殿陣屋(おくどのじんや)・・愛知県岡崎市奥殿町雑谷下10番地持統上皇が命名されたと伝わる花ぞの山(村積山)の麓、徳川氏の発祥地である松平郷にも近く、徳川の親藩・奥殿藩(1万6千石)の歴史と文化を伝えている。※陣屋・・江戸時代の小さな藩の藩主や代官、郡代の居所のこと。奥殿藩の初代・大給松平真次(おぎゅうまつだいらさねつぐ)は、徳川秀忠の家臣となり、大坂夏の陣で活躍したのち三河に所領三千石を与えられ,四代・松平乗真(まつだいらのりざね)の代に奥殿藩が誕生した。※当時は表御殿、書院、藩主
二年ぶりに。定光寺公園です。紅葉がちょうど良い感じで、駐車場もいっぱい。そのわりに園内にはあまり人がいなかった見やすくて良かったんですけどね。赤が眩しい池のほとり。ベンチに座ってポーズ近くにあるお寺を拝観。私の指が映り込んでますなwお寺へは結構な階段を上ります。黄色いもみじが綺麗ゼイゼイいいなが
こんにちは。サイキックチャネラーキュアサロンマナです。キュアサロンマナとは?キュア:治す、治療する、癒すサロン:部屋を意味する言葉マナ:超自然的または神の力、奇跡の力奇跡の力で、あなたの心と体を癒します金沢のお客様と、富士山本宮浅間神社&久能山東照宮リトリートを開催致しました。久能山東照宮参拝の続きです。本殿横を抜けて、ご神廟へと進んでいます。竹で編んだ装飾品。コレもライトアップの材料?神
昨日8/10は岡崎の奥座敷奥殿陣屋へ。ひまわり畑を眺めます。ひまわり畑夏を感じに来ました!天に向かって伸びるひまわり青い空に黄色いひまわり大きなひまわり次から次へとひまわりジンヤ(陣屋)の植え込みとひまわり上から眺めす。お花畑で他の花も眺めます。マリーゴールドオレンジ色と黄色アップでスウェーデン風コロニーガーデン何だろう?あくまでも花を主役に何だろう
鎌倉市材木座4-3ブロック内、実相寺。日蓮の直弟子の1人“日昭”の廟所なのだが…“鎌倉殿の13人”で、“我が家”の坪倉由幸さん演じる“工藤祐経”の邸宅跡地とも言われている。読んで旅する鎌倉時代(講談社文庫)[高田崇史]楽天市場737円まっぷる鎌倉mini(’21)江の島(まっぷるマガジン)楽天市場990円執権北条氏と鎌倉幕府(講談社学術文庫)[細川重男]楽天市場1,100円[書籍のメール便同梱は2冊まで]/鎌倉殿を歩く一一
愛知県瀬戸市の山間部にある定光寺に行きました。臨済宗妙心寺派の寺院で桜と紅葉の名所らしいのですが、今の時期は人影もありません。ご本堂で線香をあげてお参りをしたあと、尾張徳川家藩祖徳川義直公(家康公第九子)の廟所に向かいました。拝観料100円を入り口で投入して石畳の参道を歩いていたら、なんだか日光東照宮にある家康公廟所の参道と雰囲気が似てるなあと思ったりしました。獅子の門、竜の門、焼香殿などとすべての建物が重要文化財なので覆い屋で保護されていました。廟所なので写真は控え
※2021年11月18日訪問※かつての大年寺跡を廻っていた【土塁】比較的良好な状態で残されているのが、東部の土塁ですかなり低くなってしまっていますが、はっきりと土塁を確認出来ますねかつての大年寺跡の敷地部分には【黄檗宗大年寺】と書かれた石材が建てられています現在は大年寺山の麓に建てられている大年寺さんですが、山頂部分の大年寺跡も大年寺さんが管理されているのかもしれませんねという事で、大年寺の跡を散策して来ました令和3年2月に起きた地震の影響で伊達氏の廟所の一つである【無尽灯廟】は
※2021年11月18日訪問※かつての大年寺は周囲をぐるりと【土塁】によって囲まれていたようです時代の流れと共に、土塁も風化し低くなってしまっていると思われますが、現在でもその跡を見る事が出来ますね基礎部が石垣になっている箇所が有りますが、当時の遺構なのか後世の改変による物かは不明ですこの辺りの石積は、後世の物でしょうね▲陸奥国・両足山大年寺跡東部土塁跡▲に続く
※2021年11月18日訪問※惣門から長い長い石段を登り、山頂の平場部分を左に曲がり、野草園方面へと向かいます江戸時代の絵図によると、大年寺の南側には【三門】が建てられていたようですが、現在では遺構は見られず、駐車場になっていました▲陸奥国・両足山大年寺跡南西部~北西部土塁跡▲に続く
※2021年11月18日訪問※惣門を抜けると、かつて大年寺が建てられていた標高120mの大年寺山の山頂まで伸びる【石段】が現れます約255段と言われている石段を、息を切らしながら登って行きますがやはりつらい…※近くの中学校の運動部は、この石段を使って足腰を鍛える為のトレーニングすると聞いた事があります※振り返って下を見てみると、惣門が遥か彼方に小さく見えていますねもう少して山頂という所まで登って来ました山頂の手前側には平場が有り、もしかすると参拝施設などが建てられていたのかもしれませ
<2021年3月30日>足の向くまま気の向くままの放浪ドライブで訪れた福島県会津若松市。開園前の「御薬園」から、次に訪ねたのは「葦名家廟所」です。市内から少し外れた住宅街の中にあり、小さな看板が出ていました。道路から住宅街の中へ。石柱に「旧會津藩主葦名家廟所」と刻まれています。住宅街の中、というよりは廟所の周りに住宅が建ち並んだ結果、道路から100mほど中へ入った一角が廟所でした。鉄柵の中に墓石があります。墓石の周りをひと廻り。振り返ると、道路からの導入路
※2021年12月23日訪問※本堂の向かって左手の茂みの中には、とても趣の有る建造物が建てられていますこちらの建物は【三光殿】と呼ばれる建物で、▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼養雲寺の境内には三光堂と呼ばれる旧霊屋があり内部に厨子が納められています。第4代藩主伊達宗倫の正室の厨子と伝えられる。規模が小さく工法稍々簡略化されているが、覚乗寺高台院霊屋の厨子と同じ形式で精巧な工法、彩色の美といい桃山式の面影をもつ秀作である。三光堂は宝形造、銅板葺、桁行2間、梁間2間、正面
※2021年12月23日訪問※山門をくぐり、境内を進んでいくと表れるのが、【中門】と呼ばれる門です中門については、案内板などは特に見当たりませんでしたが、こちらも重厚で美しい門ですよね門扉には伊達家の門の一つである《九曜紋》の飾り金具があしらわれていますね✨寺池城の城門を移築したと伝わる【山門】と比べると、こちらの【中門】は、もう少し時代が下ってからの建造物に思われますが、屋根の緑青の輝きを見ると、時代の変遷を感じる事ができますね✨そして、中門をくぐった先に建てられているのが、養雲寺さ
※2021年12月23日訪問※養雲寺さんを訪れてまず目に飛び込んで来るのが、とても立派で武骨な【山門】ですこの山門は、かつての寺池城の城門を移築したと伝わり、《登米市指定文化財》にも指定されています門の脇には標柱が建てられていました▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼楼門形式の山門である。伊達初代藩主宗直公の手によって、養雲寺が岩手県水沢から移築される以前この地にあった寺(太白山永明寺といい現在は中田町大泉に移って長承寺の前身となったもの)の山門と伝えられ、正面の扁額もそ
※2021年12月23日訪問※宮城県登米市登米町の【太白山養雲寺】さんを訪れました▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼養雲寺の創建は長享2年(1488)に白石宗長が開基となり長禄寺(福島県須賀川市)三代目住職麟慶純和尚を招いて開山したのが始まりとされます。白石氏は当時白石城(宮城県白石市)を居城として白石周辺を支配していましたが、伊達家に随行するようになります。白石氏は、天正14年(1586)に二本松(福島県二本松市)、天正19年(1591)に水沢(岩手県奥州市水沢区)、慶
【問題】兵庫県姫路市の書写山にある圓教寺にはある大名家の廟所があるが、それは次のうちどの家か?【選択肢】本多家小寺家赤松家細川家【正解】本多家【解説】圓教寺には、姫路城の城主であった本多家の墓所があり、廟屋5棟(県指定文化財)と本多忠刻らの墓碑が並ぶ。圓教寺には、他に榊原家や松平家の墓所もある。
10月23日(土)「天明4年飾東郡妻鹿村での出来事」その2その1では天明3年(1783)、心光寺の住職が妻鹿村(現姫路市飾磨区妻鹿)にて官兵衛の父・職隆公の墓所を発見し福岡藩に報告。天明4年(1784)福岡藩主であった黒田斉隆公の藩命により墓所のあった場所に玉垣など巡らし、立派な御廟所を造営されました。工事は、福岡から海路運んだ石燈籠、石垣、玉垣などで3か月かかっています。現在の御廟所職隆公五輪塔平成30年(
2014年4月23日九州旅行2日目は大分駅からです。朝の大分駅日出行の電車で西大分駅に移動します。西大分駅西大分駅から徒歩6~7分で見佛山西厳院浄土寺に着きます近づくと三重塔が見えてきます。八角三重塔です。異形の三重塔です。納骨堂として使われています。建立は平成25年と新しい塔です。山門この寺には松平忠直の廟所があるようです。松平忠直は徳川家康の孫で、2代秀忠に気に入られ越前75万石を相続し秀忠の娘勝姫を正
前回からの続きです(令和2年11月1日のことになります)龍吟庵から出て、境内をウロウロしてて、前にも一度向かって断念したとこへ行ってみることにしました法堂の奥に坂道がありますその入り口には、このような石碑月輪殿下兼実公本墓坂をテクテク上がって行くと山門があります最勝金剛院住所・伏見区深草車阪町5御本尊阿弥陀如来東福寺内なのに、東山区でなく伏見区ということに調べていて驚きましたそしてこちらは九条家の墓を管理するために再興されたという東福寺の特別由緒寺院ということです真っ直
※2020年7月5日訪問※墓所の一番奥まった場所には、岩出山伊達家初代領主【伊達宗泰の墓】が建てられています▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼慶長7年(1602年)、仙台藩初代藩主・伊達政宗の四男として伏見屋敷にて誕生。幼名は愛松丸(よしまつまる)。慶長8年(1603年)8月、仙台城の完成に伴い政宗が岩出山城から居城を移すと、同年11月、愛松丸に岩出山城と知行3000石(家臣の俸禄は本藩からの直接支給)が与えられ、傅役の山岡が城代を務めた。慶長19年(1614年)2月7日、仙
伝兵衛のぶらり街歩きシリーズ・番外編「柏原八幡宮~織田家廟所」~JR柏原駅周辺歴史散歩②~福知山線柏原駅周辺散歩の後編です。まずは、「柏原八幡宮」を目指します。道の先に、大きな樹木が見えてきました。このケヤキは、幹径六m、樹高二十二m。推定樹齢が、なんと千年!その根の一本が、幅八mの奥村川をまたいで、自然の橋を形成しているので「木の根橋」。兵庫県天然記念物に指定されています。その向こうに見える建物は、旧柏原町役場。木の根橋の向かい側に、「織田神社」があります。前編で訪れた「建勲
※2020年5月5日訪問※【宮床伊達家廟所】から山道を戻り、今度は【↑伊達宗房墓所】の標柱の通り、山の奥へと向かいます標柱から5分程登ると平場が現れ、案内版が設置されていました【伊達宗房公について】と書かれた案内板です樹木の影がかかってしまい、ちょっと見づらい写真になってしまいましたね▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼宮床館主初代宗房は、仙台藩二代忠宗の八男で政宗の孫に当る。母は側室小笹(山戸土佐の娘)で、正保三年(1646)青葉城に生まれた。四才で田手高実の嫡女に配され
※2020年5月5日訪問※山道を登って行くと、少し開けた平場に案内板を発見【宮床伊達家廟所について】と書かれた案内板です案内板の解説を読んで驚いたのが、『宮床伊達家廟所は(中略)一種の砦を形づくっている』という一文案内版の真ん中に【宮床伊達家墓地見取図】と書かれた見取図が書かれていますが、たしかに廟所に至る参道が屈折し、枡型を形成しているのが見て取れますでは実際に廟所に向かってみましょうまず、参道の両脇に【石垣】が現れました山城の門の跡のようにも見える石垣確かに砦の入口のよう
※2020年5月5日訪問※宮城県黒川郡大和町宮床の【大義山覚照寺】さんを訪れました▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼寛文6年(1666年)伊達政宗公の孫、宗房公が生母のために創立。はじめは慶雲寺と称していたものをその子吉村公(五代藩主)が覚照寺と改称しました。境内には、宮床伊達氏塁代の墓があり、伊達家御廟として親しまれております。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲仙台市中心部から北東に位置する『大和町宮床地区』仙台市泉区の根白石から国道457号を北上し、宮床ダムを
※2020年4月17日訪問※山形県天童市の【帰敬山三宝寺】さんを拝観させて頂きました三宝寺さんは、織田宗家の菩提寺です織田宗家は、あの天下人・織田信長の次男・信雄に始まる家柄で、信長以降の嫡流である、信忠→秀信の死後は、信長の次男・信雄の家系が織田宗家として扱われたようです信雄の四男・信良が織田宗家を継ぎ、その後織田宗家は、上野国小幡↓出羽国高畠↓出羽国天童と移封し、最終的には天童の地で明治維新を迎えたんですね▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼天保元年(1830)
前回からの続きですが、今回は予告してたように墓所のことなんで、そういうのが苦手な方は今回は止めておいてください(..)兵庫県立柏原高等学校方向へ向かい、高校からだと東方面へ向かいますすると道沿いに看板があります織田家廟所住所・兵庫県丹波市柏原町東奥332民家の間の先に門が見えていますその見えていた門の入り口には解説板こちらは元々織田家菩提寺の徳源寺の境内だったそうですそして弔われているのは移封されて来た織田家でした門をくぐると階段があり上に上がるとこんな感じこの画像は左手
※2020年2月5日訪問※崇福寺さんの本堂裏手に祀られている【織田信長・信忠父子廟】です▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼信長、信忠父子の廟所は本堂裏にあり、墓の高さは139cm、巾39cm、厚さ30cm、位牌形の石碑で縦に両分して、父子の法名を左右に並べて刻んである。総見院殿贈一品大相圀泰岩大居士覚霊(信長)大雲院殿三品羽林高岩大禅定門神儀(信忠)▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲すぐ隣には位牌を納めた【位牌堂】が建てられています▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
韓服の本場であるソウルのメイクアップフォトの店舗に行きたい事に加えて、ソウルの古宮を見たいと言う事で、2019年12月27日から12月29日まで2019年12月のソウルへの旅行と題して韓国のソウルに旅行に出掛けていました。その行程の一つとしてオプショナルツアーで宗廟を見物したと言う事で記事を書かせて頂きます。今回の旅行はおひとり様での旅行ですが、海外旅行ですので現地でレンタカーを借りての行動は無い状態で公共交通機関とオプショナルツアーの送迎車のみを利用しての旅行ですので参考になればと言う
岐阜市長良福光にあります臨済宗妙心寺派神護山崇福寺には、織田信長・信忠父子の廟所があります。こちらも初めて訪れました。ここから徒歩7分の場所に住んでいたこともあるし信長のお墓があることも知っていたし、お寺の前の道路は人生で何度も何度も通っているのに、興味と縁が繋がらなければたどりつけないものですね。良く手入れされた参道を通って門をくぐると、見事な枯山水の庭園があり、奥の建物に拝観受付があります。受付をしたのですが、ちょうど法事の読経が始まったので外に出て先に中庭と廟所を見