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前回のW鉱山まとめ観光化、待ったなし
7/8(土)にBSフジで放送する『タイプライターズ~物書きの世界~』をご紹介。■『タイプライターズ~物書きの世界~』作家としての顔を持つ又吉直樹さん(ピース)と加藤シゲアキさん(NEWS)が、作家をゲストに招き、その知られざる素顔や執筆の裏側を探求していく番組としてスタート。前MCの又吉直樹さんは昨年3月で番組を卒業、加藤シゲアキさんの単独MC番組になりました。地上波(フジテレビ)は、年4回の季刊放送、BSフジは、毎月第1土曜日の16:00〜16:55に放送。(※今
ジギタリスからの香住丼スペシャルをいただいたのち向かったのは兵庫県民のよく知る竹野海岸…の内陸部中竹野地区わたくし兵庫県民ですが初めての訪問ですこの鉱山跡について情報はあまりなく現在はキャンプ場になってるそのキャンプ場が2023年3月で閉業されたとの情報ありキャンプ大流行の今閉業?理由は知らんがなら誰もいないよねちょっと覗いてこようかなということで現着しました市の施設だったのかなそこかしこにこれ
地元の廃鉱山へ友人達と遊びに行った夜中「お掛けになった番号は現在使われておりません」のループで目が覚めた。番号が手入力されてる。番号から場所調べたら足尾銅山近くの廃村…地元の廃鉱山は、当時多くの技術者や坑夫を足尾銅山から来てもらってた…これどういう現象⁈ご存知の方、教えてーーー!!!!
写真多め、あまりに美しかったもので明治時代に鉱物、物資、燃料を扱っていた港です。難工事のため五年の歳月と愛知から職人を呼んでやっと完成しました。コンクリの大元?の様な「たたき工法」で造られています。寂しい場所にこんな感じでたくさん残っています。砂利道を進むと入り口にチェーンが張ってありますが帰らないように小さい文字で「ご自由に見学してください」とあります。バイクは露天鉱石置き場手前に置きました。(工事作業小屋と自販機があったのでここまでは車が入れると思った)どこまで入
旅の写真を整理していて「そういえば秋田の海側行ってないんだよな〜」と、Googleマップを見始めたら。。リストが貯まってしまいました。旅欲の亡者。バイクか私が壊れるまで止まらないのかも。旧御料局佐渡支庁&旧鉱山事務所本館(明治22年)ただいま長期リニューアル中〜魔改造しないでね、また来るよ。ここからは鉱山の廃活です看板が無い施設もある、インクラインですうっすいコンクリ橋が怖い〜溶けてる部分も見えます。浮遊選鉱場に向かって伸びています。左の赤煉瓦は発電室棟ま
連日35度、雫石通過時ですら33度で死にそう。一週間予報が30度を超えなかったので出発したのですが、派手な裏切りに絶望です。この旅で一番長時間滞在してるのは「イオンフードコート」wwイオンいっぱいある、イオン様様じゃよ、死ぬわ。以前も記事にした大仁金山に再びお散歩しにきました。虫や雑草が面倒なので晩秋の探索です、今回は深く入ってみました。発見が多かったので写真多め。金山への道へは無縁仏の石がたくさんあります、文字は読めません。一つ新しいものが「大仁金山監視員
昨日ブログの紳士な読者さんに西湘PAで話しかけていただきました特徴のない400Xでのお声がけは初めてで、感想など聞けて本当に嬉しかったです。「単身で400X乗ってる女性」は一度も見たことがないので、確実に私ですね。停車時の取り回しは相変わらず生まれたての小鹿ですが、エンジンかかっている間はセロー並みに前後すり抜け大丈夫になりました、湘南育ちのバイク乗りはみんなそうですけどね。。。住民用道路ください、行儀が悪くなる一方です。あ、西湘バイパス、GW明けまで通れまーす!日立
以前花粉症デビューかもと書きましたが、鼻と目の痒みは三日で収まりました、花粉症じゃなかった・・コロ奈ワクチンでもなにも起こらず、風邪、インフルにもならない。私の外的要因による丈夫さは半端じゃないらしい。心臓は2割サボっているので、マスクしての長い会話辛いけどね(笑日鉱記念館・・JX金属グループの歴史や工業の資料館です。門を入ってすぐ坑道バイクと坑道の写真はなかなか撮れませんので嬉しいです。駐車場へ向かう道沿いもかっこいいガーター橋と・・小さい穴、なんだろ。
最近バイクで良い出会いが多くて、あたしゃ幸せもんだよbyちびまるこちゃん安いプライドが捨てられません、セロ美ですよ。てゆーかそれしか無いwよくも今日も私の欲望しかないブログへようこそ、なんか役に立ってるんでしょうか?「今日はセロ美さんのおかげで腹筋が6つに割れて彼女ができて一千万円もうかりました」などのご愛用者様のコメントをおまちしております。南牧村に廃坑山があるので行ってきました。青梅から埼玉へ入ります。ちふれ化粧品工場の所の斜面にヤギが数頭いて除草作業してま
廃鉱山跡へたまらんねこの風景《*≧∀≦》コンクリートの塊だけど古代の神殿みたい車で行けて一人で散策しても安全という嬉しい場所なので何度なく訪れている落書きとかあるのが残念だけどな~2015年と、最近まで稼働していた鉱山廃集落も近くに残る
12月5日、日曜日鹿児島を巡る旅3日目、最終日です06:30頃ベットから這い出す夜明けの時間だ!当たり前だが、北の端の北海道と本土最南端の鹿児島では日の出の時間が違う気がする朝風呂に入って目を覚ました後は昨日と同じ朝食会場おかずは同じだったが主食を朝カレーとみそ汁に変えてみた食べ過ぎなので控えないとね!バスに乗り、九州自動車道を走り島津家が所有していた金山に向かう今日の案内役は、島津興業、尚古集成館館長の松尾千歳さんこの方、大学の卒
10月3日少し早いですが赤井川に紅葉ツーリングに行って来ました~🍂天高く、秋のツーリングって感じだね~ナビを最短距離で設定したら面白い道を案内する普段走らない道は新しい発見が出来るね第一目的は、花川の了恵寺北海道大学の先生が書いた本でこの寺の境内には奉安殿が移築されて保存されている、と書いて有った前回、近くまで来て見逃したので、再挑戦境内にバイクを止め見回すが見つからず…仕事で出て来た寺の関係者に聞いてみるが「そんなものは無い…」って💦
コメント欄が、だんだん大喜利みたくなってて嬉しい限り。小学生レベルのダジャレもあるのですが、、これが読むと「ふふ、低レベル」って思うのに自分ではひとっつも、、ヒトカケラも思いつかない!!!(T_T)「ダジャレ幼稚園」があったら入りたい、セロ美です。車道は廃墟までここから登ります。途中崖下を覗くと、、古い荷揚げ用の何かがあった。やっぱ廃は真冬に限りますね、登っても汗かかないどころか温まって嬉しくなる。素晴らしい景色!独り占め。白い息を履きながら、廃墟
【聖域(せいいき)】・F6号(縦41.0cm×横31.8cm)・油彩,キャンバス・制作年2021年この夕陽に照らされオレンジ色に染まる森は私が日本で一番好きな廃墟を孕んでいる。太平洋戦争末期の昭和19年、其処は廃墟となる。そして終戦以後、約76年かけて草木は大きな森となり広大な敷地に点在する廃墟群は少しずつ呑み込まれていった。正直私は、何故ここまでこの場所に惹かれるのかを説明することが出来ない。しかし、こんなに巨大な廃墟がいつまでたっても取り壊される事も文化
こんにちは。今回は急ピッチで進めているレゴシティ作りです。今回はPart2,3をやっていきます!今回は道路作りで必要な歩道の建設をし、そのあとに地下の廃鉱山を作っていく予定です。建設前はこんな感じです。ここにタイルブロックを敷き詰めます。今回は、濃い赤、砂漠の色よりちょっと濃い色、薄い水色を使います。このように敷き詰めました。個人的になんか海外のような雰囲気に見えてきました。銀行を1列奥に移動させました。木を作っていきます。今回は緑の切り株みたいな丸いものと四角いものを使って2
↑↑↑たくさんのクリックをいただきありがとうございます!(^^)!2021年5月8日(土)の記録です。鉄階段の終点の右側の広場に、トロッコ跡と坑口等を発見したところまでをお伝えしました。では左手奥へ進むのですが、実はもうここで引き返そうと、一旦鉄階段を降り始めたのです。しかしなぜか気になって、やはり行くだけ行っておかないと、あとで後悔することになるかも・・・という思いで念のため進んでみた、という次第!それが
廃鉱山の坑道。怖いもの見たさというか、とても興味をそそられるのですが。この方たち凄いですね。僕なんか怖くて入れないですよ。絶対無理。見てみたいけど。https://m.youtube.com/watch?v=cOlJDNpdAF0泥の濁流になっていく坑道!No108-2Abandonedmineexploration今回の探検地は銅を採掘していた鉱山跡No108案件・2作目埋もれた坑口は小さく、大鉱山の坑道とは程遠い外観であった。しかし、入坑後にはその大きさに驚く。まさかの
自身が撮影した色々な『廃』の姿を見返しているとその背景等が思い起こされます。その性質上、廃墟になった理由等についてはどの物件も大抵寂しげな話がついて回りますが、歴史の1ページとして見ていくと興味深い事実もありいつも大変勉強になります。大正12年の関東大震災で崩壊した二代目観音崎灯台の一部。現在も神奈川県三浦半島、観音崎公園海岸にてその姿を見ることが出来る。【観音崎灯台】日本初の洋式灯台。現存する灯台は大正14年に再建されたコンクリート製の三代目で有料見学が可能。(入
SL置いて山歩きです。服装は、コミネのハーフジャケット+インナー付、ジーパン、中華SWATナンチャッテブーツ。あと、オフロード用の膝パットもそのまま付けて行きました(転んだ時に役に立つかも・・・)あと手には軍手。まずは登山道探しから・・・突当りからそのまま伸びてるんだろうとまずは推測・・・(因みに地図は無し(^^;)うーん・・・道らしきものは見えないが・・・(;´・ω・)とりあえず、ちょっと行ってみる・・・足場が・・・危うい・・・掴まる木とかないと、とても立っていら
きょ・今日も廃鉱。。。遠野旅で検索されて、「遠野周辺は廃ばかり」と思われたらどうしよう。。最初の女子旅用の書き込みはなんじゃったんだろう?行ったカフェまで廃にする、凄腕廃ハンターセロ美です(紹介すると廃業されるので、もうあんましないようしてる)橋野鉄鉱山って看板を見つけたので県35号を進むが、通行止めで行けーず。後で調べたら炉の石しかないみたいで行かないでよかった。国283を太平洋に向かって走ります。途中の山中で見つけた泉?池?観光名所になっていい美レベルですが、
こんばんわ、情緒不安定セロ美ですよ。まじセロー依存じゃった、やばい、アドレスでは賄えない。レンタルバイクを調べるも高額すぎてアホらしく新車を買いに行った、が、納車が1月とかもうね。。買っても結局シクシクが増長されるだけでした。。中古買えばよかったんかな。。。八幡平の豊潤な水を見て、アスピーテラインを登り始めます。ここ、明治百年記念水車がある公園です、、が、「臭っ!」獣臭凄い。どんぐり林の中にあるので最初警戒しましたが、なんと水が臭・・・。鉱山からの処理水だわ。。化学臭ではな
↑↑↑どれかクリックしていただけると元気が出ますw!(^^)!今日は朝から晴れましたが、暑い1日でした。普段は夏でも涼しい太平洋側の八戸市でも、今日の最高気温が35.5度と、通常より10度程度高くなりましたね~さて今夜は青森県某市泊なんですが、宿泊場所の選定を誤りましたね~予め予約していくと、予定が早くなったり遅くなったりしたとき、柔軟に対応できなくなるのが困りますな。昨日まで順調すぎたおかげで、今日は時間を持て余し
↑↑↑どれかクリックしていただけると元気が出ますw!(^^)!昨日は大変残念なことを知ってしまった。それは今回のメインの一つ、「カローラ山荘」が解体されてしまったということを知ったからだ。カローラ山荘のことは以前からよく知っていて、いつかは行ってみたいと思っていた超有名「廃」物件であります。場所は八戸市の郊外で、前日にでももう一度場所だけ調べりゃいいか・・・程度に思っていたのです、そして昨夜NETをググっていたら衝撃の
取材日時2008年9月10日コメント・2008年超長期廃墟探索ローラー作戦もいよいよ最終ステージである「九州ラウンド」に突入した。今回の物件はその記念すべき第一発目となる、しかも超有名物件の「志免炭鉱竪坑櫓」だ。しかし、この物件を見ることは出来ても触れる事が出来ない、内部に入る事も出来ないし、今回は周囲を区画整理するための工事が大々的に展開されていて、さらに接近する事が不可能となっていた。モチロンこれだけでは物足りないので、近所にある資料館に足を運び、志免炭鉱について色々と調べてみた
取材日時2008年9月8日コメント・まず単刀直入に感想を述べさせてもらうと、正直かなりがっかりした。これがあの世界遺産なのかと思うと足を運んできた事のバカバカしさで落ち込みそうになったほどだ。この程度の規模で登録が可能ならば、軍艦島や足尾銅山なども簡単に出来てしまうのではないかという程度の印象しかなかった。とにかく、遺物が余りにも少ないのだ。あるのは遺構にもならないかつての精錬所跡や、銀山最大の目玉とされるがただの横穴としか思えない龍源寺間歩。これのどこが世界遺産たる条件を満たして
取材日時2008年9月7日コメント・最初はこの鉱山に行く予定はなかった。しかし、軍艦島が縁で知り合ったバイク乗りでもあり、廃墟好きでもあるK5さんが軍艦島帰りに立ち寄った話を聞き、俺はその名前を元にネットで調べてみたのだが、あまり既出している情報も少なく、内部の様子を詳しく公開している廃墟サイトが見つからなかったのも、ますます俺の探究心好奇心をくすぐる要因となった。国道からさほど入らない辺りで、携帯が簡単に圏外になり、山道を分け入って行った先で道路は崩落の為に通行止めとなり、車を置いて
取材日時2008年9月5日コメント・軍艦島の事についてmixiで日記に書いたところ、それを見てコメントを下さったK5さんというバイク乗りの方から頂いた情報を元に探索した。自分はどちらかと言うと廃屋やラブホのようなジメジメした廃墟よりは、工場や鉱山といった大規模な廃墟が好みで、遠征に出かける時などは、小さな廃屋があっても立ち寄る事はないが、大規模物件があれば少々距離を走る事になっても、探索に費やす時間を惜しまない。今、関西~中国地方の鉱山にも取り壊しの波が押し寄せているのは周知のとおり。
今年最後の探索ということで、吾野近辺の案件2つを探索してきました。┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈1件目は名栗の白岩鉱山から吾野までを結んでいたとされる索道の支柱を捜索しました。倒壊した支柱については複数探索記録があり自分自身も1度探索していましたが、探索後に発見した戦前の鉄鋼生産を支えた奥武蔵山中の貨物索道:白岩-吾野間索道による石灰石輸送の調査報告書という資料の中に自立した支柱の写真が記載されておりネット上にはこの支柱に関する写真もなかったためこちらをメインに探索しました。それ
ハッピーな事が重なったので勢いがなければ書けない事を書いてみました。https://www.instagram.com/p/B5c3dpbABQR/?igshid=1biwfbo4zsol5