ブログ記事14件
皆さん、こんばんは。ブログを久しぶりに更新します。今回は先週の土曜日の事を書いています。土曜日は朝早く起床し、自宅近くの大宮で午前中はボウリング場でダーツを2時間やってました。マイダーツを持っているので、今回も持参してやってましたが隣の若いお客さんは友人同士で楽しんでました。その後、大宮のメイドカフェHoneyHoneyでランチを食べて過ごしました。HoneyHoney公式HPHoneyHoney大宮店はお客様が地元の方が9割を占めるほど地域に密着したメイドカフェなのです
レトロな洋館の小さな廃病院掃除され、郵便物も未だに届くようで郵便物入れの箱が設置されてた鉢植えもあり、きちんと管理されてる模様お隣は旧病棟なのかなぁ〜洋館より古そう屋根は瓦で完全木造割れた窓から中を覗いたけど、特に面白いものはなく階段の上には巨大な蜂の巣横から確認すると本当に蜂の巣がデカイ床もスカスカあれじゃ、蜂の巣駆除も大変だ〜裏に廻ってみるよ横病院の真裏同じ敷地に3棟あるんだね〜奥が洋館のような廃医院手前右が木造の旧病棟?右はなんだろ?ご自宅とかかな?木造
「憧れの廃集落①」はこちら廃講堂に佇むMIMIZU耳を澄ませば、当時のざわめきが聞こえてきそうダイナマイトの箱を見てビビったなんで講堂の入り口に?ときめきが止まらない❤︎まさにここは夢の国〜!昭和48年3月に閉鎖された鉱山診療所にお邪魔したここは内科、外科、歯科の三科があったそうだ。もともと薬瓶が好きなのもあり、大興奮鼻血もんう、う美し過ぎるッッ!まだ中身が入ってる…劇毒物も中にはあるだろ
廃墟つながりのブロ友さん。ruins-riderさんとトキミチさんのブログに廃村や土蔵で見つけた写真をupした記事がありました。http://blogs.yahoo.co.jp/ruinsrider/37916012.htmlhttp://blogs.yahoo.co.jp/haikyo1010/12169271.html負けじと私も何かないかと数千枚の写真を探していると出てきました。↑の写真。某廃病院に残された1枚の写真。きっと、ここの病院で
情報を得たのは昨日。出発したのが昨晩の23時。常磐道を抜け、首都高を駆け抜け、中央道へ。午前1時には談合坂SAに着いて仮眠。2時間仮眠をとって3時。辺りは濃い霧に包まれていました。廃墟探索にはバッチリの条件かな(^^)v目的地は山梨県某所。今日の探索は、1998年に廃院となり、そのまま放置されている個人の産婦人科医院です。低い雲のせいもあって、4時では真っ暗でした。廃墟といっても、一応、見付かると面倒なので写真を撮るにもフラッ
(^^)旧晴嵐荘病院と看護学校を見て、外に出たら、夜が明けていました。やっぱり、太陽の明かりは、ありがたい。写真看護学校を外から写してみました。写真看護学校(奥左)と晴嵐病院(手前右)写真新らしい看護学校(廃校になりました)写真奥が古い看護学校手前が新しい看護学校女子像・・・ムチムチしてます・・・^_^;写真講堂新しい看護学校も見たかったのですが、なぜか、厳重に施錠されていました。しかも、新しいカギ。こんなところに入って
(^^)写真旧国立療養所晴嵐荘病院附属準看護学校の玄関写真下駄箱便所写真教務室図書室写真1Fから2Fにあがる階段の窓写真第一教室写真教室内部写真薬品庫つづく・・・
(^^)当時の結核は、診断も治療も放射線に頼るところが大きかったです。その様な理由から、この結核を専門的に治療、研究していたゆえの機材も非常に多く残されています。余談ですが、結核病棟の事を、TB病棟と言うのか一般的です。読み方は、「テーベー」ドイツ式です。TBとは、良くご存知のツベルクリンから。写真放射線科受付写真記録用35mmカメラオリンパス製写真シャープの機械。現像液の温度管理用でしょうか。たぶん^_^;写真「はい。こ
(^^)寒くなってきましたね。草木は枯れ、虫やヘビもいなくなりました。という訳で、近くの廃墟病院を散歩してきました(^^)ここは現在、国立病院機構茨城東病院といいます。昭和10年に除役結核軍人療養施設として村松晴嵐荘が出来ました。あわせて付属看護婦養成所も併設されました。その後、結核専門施設として近年に至っています。あのオウム真理教の林郁夫が勤務していた事でも知られています。ここが出来た当時は、結核は治ら
(^^)vさて、さらに上のフロアに行きましょう。3F、4Fは病室とペインクリニック、温泉療法、リハビリ、食堂などがあった様です。しかし、現在は荒れ放題で、ゴミなどが散乱していました。特に写真に残そうと思うものもなく早々に降りました。写真パンフレットに載っていた3F受付。たぶん、通院で温泉療法やリハビリを受ける為のものだったのでしょう。写真↑の場所を撮ってみました。やはり、落書きや破壊を受け、荒れ放題といった感じです。写真奇跡的に残っ
(^^)v写真1Fレントゲン室です。装置類は全て撤去されていました。片隅のサニタリーにはバリウム、発泡剤、キシロカインゼリー、注腸器具等が残されています。写真レントゲン室脇の現像室です。現像液、停止液、定着液の廃液が残されています。酢酸の臭いが凄い・・・(>_<)1Fは、受付、薬局、診察室、処置室、レントゲン室がありました。まぁ、普通のつくりですね。それでは、2Fに行ってみますか。写真パンフレットにあったナースステーシ
(^^)v久々に廃墟探索に行ってきました!(^^)!草木が枯れ、虫やヘビがいなくなると、安心して探検できます^_^;今回は、廃墟界で有名な東洋診療所を見てきました。高速使って家から1時間ちょっと。まぁ、手頃な距離です。有名なだけあって、かなりの荒れ様です。ガラス類は割られ、入り口もオープンのまま。あちこちに、スプレーで落書き。こうゆうのは、日本全国共通ですね・・・(>_<)この有り様ですから、期待はずれの感も否めませんが、せっか
(^^)今日も暖かい日でした。でも、これ程まで気温が高いと異常気象ですよね(>_<)まぁ、それはおいといて、午後からちょっと出掛けてきました。潰れた病院を見に^_^;別に買い取って開業するとかじゃないです^_^;単なる廃墟として。行った先は2箇所。埼玉県北川辺町と茨城県八千代町。高速使って1時間くらいでしょうか。北川辺のクリニックは初めて行きました。利根川の側にあります。この立地では、患者来ないだろうなぁ・・・外観