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5月2日金曜日この日は2022年8月11日に探訪した羽幌線の廃線跡を再度巡って来ました。前回巡った際は、草木が茫々と生えており廃線跡を巡るには条件が悪すぎる時期でしたが、今回はまだそれほど草木が伸びていない5月初旬という事もあり、前回見落とした場所や、草木に阻まれ撮影が難しかったものを撮れたりしたため、写真は今回撮影したものと過去に撮影したものとを混在させ記事を追加する形としましたので、一部重複する箇所があります。留萌-幌延間を結んでいた羽幌線は昭和2年に建設が始まり、途中戦争による工事中
今回、写真少なめで4枚しかありません。旧中山駅の観光案内板ですが、和気で「中山」が付いた有名な場所は「中山サーキット」行ったことはないですが、ここからさほど離れてないみたいです。旧中山駅全景記念碑的駅名標次は「旧清水駅」に停車します。m(__)m
こんばんは。正月に廃線跡を追いました。2代目大工の三島です。お正月のある日。今日は岐阜駅周辺の散策。歩くのは私と電車好き長男とオマケの長女。そして私の母。やや珍しい組み合わせ。母は昔この辺りに住んでいたのです。目的は古い線路の跡探し。その昔にあった工場専用のヤツ。流通の要が鉄道だった時代。大きな工場は自社まで線路を整備していました。いわゆる引き込み線というヤツ。ソレがこの辺りに通っていたのです。ココに通した会社は専売公社とニチボー。専売公社は現在のJT(日本たばこ
8月13日の第4部は大畑線の廃線跡巡りの続きです。正津川駅跡を見た後、線路沿いの小道を行くと正津川に突き当たり、そこに架かる橋梁を見る事ができました。正津川-川代正津川橋梁廃線跡が真っすぐに伸びていました。正津川-川代川代駅跡にもホームが残っていて、ミラーの支柱と電信柱が残っていました。ホーム跡は地元の方の生活道路になっているようです。川代駅跡出戸川を渡る橋梁も残っていました。川代-陸奥関根出戸川橋梁陸奥関根駅跡にもホームが残っており、ホーム跡には木が生い茂っていて、廃止
8月13日日曜日の第3部は大間線の遺構巡りの続きです。水路を跨ぐ箇所に遺構があったので、車を近くに停めて見上げると、トンネルの坑口が見えたので近くまで行ってみる事にしました。下風呂-桑畑下風呂第二隧道大川尻沢に架かるコンクリート橋の先は家屋が建っていて建設が中止になってからの年月を感じます。下回りを覗くと大した風化も無く綺麗な状態が保たれている様に見えました。焼山沢に架かるコンクリート橋梁も残っていました。渡って対岸に行ってみようかとも思いましたが、先の草むらに入るのも難儀に
8月13日日曜日の第2部です。南部縦貫鉄道の車庫を見学した後は、十和田観光電鉄の七百駅跡に行って来ました。現役時代は十和田観光電鉄線内では唯一の交換可能駅で、車両基地も併設していました。その車両庫は現在七百鉄道記念館となっておりコロナ禍前は年2回ほど一般公開されていたようです。車庫内には電気機関車や東急から購入したモハ3603、自社発注のモハ3401が静態保存されているとの事で、覗いてみたかったです。十和田観光電鉄七百駅十和田観光電鉄線内で残っている遺構は七百駅だけだったので、一気に北
8月13日日曜日青森遠征3日目です。この日も朝から雨模様で、時折強く降ったり小降りになったりでしたが、めげずに廃線跡巡りをして来ました。この日は初めに南部縦貫鉄道が乗り入れていた野辺地駅へ向かいました。跨線橋の中央付近から南部縦貫鉄道のホームへ繋がる通路が延びていた様です。青い森鉄道野辺地駅ちょうど列車がやって来る時間だったので、無理矢理ですが撮ってみました。JR東日本のE721系に準じた仕様の703系がやって来ました。青い森鉄道703系569M野辺地川を渡る橋梁の橋台跡が
8月12日土曜日青森遠征2日目です。朝からどんよりとしていて今にも雨が降り出しそうな天気の中、弘南鉄道の石川駅にやって来ました。弘南鉄道と奥羽本線が近接していて、少々の移動で両方ともに撮れるかと来てみましたが、駅がやけにひっそりとしているのと、いつまで経っても電車がやって来ないので調べてみると8月6日に発生した大鰐と宿川原駅間で起きた脱線事故により弘南鉄道は運休中でした。弘南鉄道石川駅終点の大鰐駅に来てみると、リンゴをラッピングした7000系が留置されていました。7030系703
日高本線廃線跡巡りの第五部です。全長116kmに及ぶ鵡川-様似間にあった24駅を巡り、途中にある橋梁にも立ち寄っている間に、だいぶ日も落ちて来ました。日高幌別駅は西幌別市街地に位置し、まるでドライブインの様なトイレ・駐車場付きの「レストビレッジシンザン」(簡易郵便局、レストランもあります)の奥に、1面1線のホームがありました。この駅もかつては島式ホーム1面2線と側線を有する、列車交換が可能な駅でした。この時点ですでに18時過ぎ。日が長い時期で良かったと思いながら先を急ぎました。日高幌別
6月24日の日高本線廃線跡巡りの第四部です。思った以上に長くなりましたが、鵡川-様似間には24もの駅があり、橋梁の数もまた多いいため第五部まで行きます。さて、本桐駅を出ると鳧舞川(けりまいかわ)を渡ります。橋梁名は不明ですが、鉄道省と書かれた銘板が取り付けてありました。れ、本桐-荻伏鳧舞川橋梁荻伏駅は有人駅時代の駅舎を撤去し有蓋緩急車を改造した貨車駅舎です。正面出入口にアルミサッシの扉が設置されていると共に、横からの出入りも可能な構造でした。2011年に簡易委託を廃止し完全無人化するまで
6月24日の日高本線廃線跡巡り第三部は静内駅からです。静内駅は厩舎をイメージした鉄骨造一部2階建てに2001年改築されたもので、廃駅後も駅舎内では現在も立ち食いそば屋が営業していました。静内駅静内駅の海側の道を線路沿いに進むと、古川を渡る橋梁が見えて来ました。ゆったりとした流れのためか、川面に橋の姿がくっきりと映っていました。静内-東静内古川橋梁さらに進むと、全長355mのガーター橋の静内橋梁が現れました。橋の袂から橋梁の上を見ると錆びついたレールがまっすぐに伸びていました。静
日高本線廃線跡巡りの第2部です。第2部のスタートは清畠駅です。ここの駅舎も豊郷駅と同じ待合室だけの駅舎です。駅名を外した跡がなんだか物悲しいです。ホームは雑草に覆われ始めていました。清畠駅清畠と厚賀の間にある賀張川橋梁。清畠-厚賀賀張川橋梁厚賀駅はアーチ状の木製窓のある木製板張りの外壁を有する駅舎で、駅入口上に掲げられた駅銘板は一枚板に駅名が彫刻されたものでした。厚賀駅厚別川を渡る厚別川橋梁は撮影地として有名でした。夕日に染まった空をバックに厚別川橋梁を走る列車を撮ってみたか
東京都港湾局専用線の廃線跡を散策しました。まずは、越中島貨物駅(旧.越中島駅)の引き上げ線からスタート。草むして、線路も錆びていますが、50mほど手前の線路までは光沢があり、いちおう現役です。(2023.8.23越中島貨物駅構内引き上げ線)引き上げ線の終端部にコンクリート製の車止めがありますが、この先に東京都港湾局専用線(1989年全廃)の線路が続いていました。越中島貨物駅構内の引き上げ線の終端部から公道を隔てて専用線の廃線跡が残っています。かつては、随所に廃線跡がありましたが、再
15日までお盆休みで久々に連休だったのですが、あいにく電波が悪い場所にばかりいたので、ブログの新規記事がアップできず、申し訳ありませんでした。(※ということは、期間中にアップされた記事は、事前に仕込んでいたことがバレバレですね・・・苦笑)この日は山の秘密基地に行った後、実家のある、うきは市を走っていた筑後軌道の廃線跡を散策しました。筑後軌道は、福岡県久留米市から大分県日田市を結んでいた鉄道でしたが、ほぼ競合する形で国鉄久大本線が開通したことから、昭和4年に補償金を得て廃止となりました。
東京二十三区内にもいくつかの鉄道廃線跡があり、都電を除けばほとんどが貨物線だからあまり一般的には馴染みがないのだが(近隣住民を除く)、今日はその中の一つの北王子貨物線の廃線跡へ。2014年に廃止と割と最近まで使われていた線であり距離も短く、家からも近いからお手頃の場所だから。北王子線の正式な起点は田端であり、そこから王子駅北1km弱の辺りまでは東北本線と並走していたので、実質的にはその分岐点から先の引き込み線のような1kmに満たない区間。かつて存在した日本製紙の倉庫に製紙を運搬する目的に使
この日は四月に行った高千穂鉄道廃線駅跡巡りで日之影町の槙峰駅跡から延岡市方面には駅跡が無いのかと思っていたけど良く調べたら駅跡らしいとこがあったので暇ついでに(笑)行って来ました朝の天気が怪しくて車で🚗行って来ました(^_^)v日田市を抜けて松原ダムに来たらえ〜と言う程水位が下がってた対岸から見た方が水位がわかるかな?上流に架かってる橋から撮りましたダム側上流側何時もなら溜まっている筈なのに😅松原ダムからの産山村へうぶやま牧場でトイレタイムしてたら昔からあった
学生時代に乗りつぶしに来て以来の西寒川支線です。寒川駅の西側行き止まりの側線。これが西寒川支線の跡です。車止めの北側はレールは剥がされていますが、線路跡が残っています。寒川駅北側の踏切からの寒川駅遠望。右側の空地が廃線跡。同じ踏切の北側遠望。左側の空地が廃線跡。廃線跡は相模線に沿って残っていますが、しばらく北へ進むと、廃線跡は徐々に西側へ離れていきます。寒川神社一の鳥居前の踏切前で、相模線と別れます。一の鳥居前踏切前から、廃線跡は緑道として残されています。気持ちの良い緑道が続
こんにちは、まさまさです。本日もご訪問頂きましてありがとうございます。今日も引き続き4月17日〜18日で行った徳島旅行についてのご紹介Part7です。南小松島駅から徒歩10分。小松島港の交差点まできました。ここは、かつて1985年3月14日まで「小松島線」という路線があったところです。廃線跡の一部はSL公園とされ、今でも保存車両が残って、子供達の遊び場として日々を送っています。小松島駅跡地に立てられた、小松島駅。向きは45度変わっていると思います。しかし保存してくれるだけ、ありがたいで
11月1日。西武安比奈線の廃線跡巡りの続きです。ガーダー橋から先は、畑へ続く道を行ったり来たりしながらレールを探す。杭がある場所がドラマのロケ地として開放されていた場所か…わからなくなってきたので後日再訪へ。ここから先に続く道が見つからない。草に覆われ、終着駅跡へ行くのにさんざん道に迷っていた。他の人が書いている八瀬大橋をくぐってみたものの、年月が経過していたり草に覆われていては先へ進めない。Googleマップを起動し、回り道をしながらようやく終着駅跡を見つけることができた。ここ
11月1日。西武安比奈線の廃線跡巡りからの続きです。ここのレールは少しハッキリしている?枕木は見えないけど、レールはしっかり残っている。これは…鉄道に関するものだろうか。またまた踏切。草に覆われ、殆ど見えないレール。用水路にかかるレールその2。僅かながらに残る枕木。ところどころに顔をだしている。萌える立ち入り禁止を避けながら、途切れ途切れになったレールを追い続ける。不思議な冒険始まる〜誰も踏み込むことができない森の中に昔から住んでる〜すみません。トトロの主題歌が頭か
11月1日。西武安比奈線の廃線跡巡りの続きです。写真が多いので何回かに分けて書きますが、お付き合いくださいませ。国道を渡ったところの廃線跡。踏切跡は萌えます辛うじてレールが見える状態。廃線跡といっても線路内は立ち入り禁止なので、線路沿いに迂回しながら歩を進めていく。ちょうどお昼時でお腹が空いたな〜と思ったところで、和菓子屋さん(川野屋さん)を発見それも廃線跡の隣なんて嬉しい組み合わせ早速焼き団子を購入し、廃線跡を眺めながらいただきますお団子を食べて元気になったら、また歩いて
今年、2020年5月GW後の廃線が予定されていた札沼線(非電化区間)。新型コロナウィルス感染症の拡大を避ける目的から、実質的な営業運転を4月下旬に早め、その後廃線になりました。廃線直後の5月下旬に訪れた際の記録です。1週間前と同じくHD15便に搭乗、機材はJA613AとシートをリニューアルしたB68:25、RWY34Rより離陸、駐機場は航空機が多く、T1北側のSPOTは3列縦列駐機も見られました。新飛行ルートで近くなったスカイツリー8:49、朝日連峰越しに新潟県の粟島8:
いつも読んでいただきありがとうございます。前回の続きです。これは気象告知板を模して作られた溝あり注意の看板です。気象告知板とは、現在ほど列車無線の技術が発達していなかった時、この先の区間の天気について機関士や運転士、車掌などに知らせるためにホームに吊り下げられていた看板です。悪天候の中でも通過列車にも分かるように、色によって最低限の情報が分かるようにもなっていたようです。赤は風の気象告知、青は雨の気象告知、緑は雪の気象告知、橙はその他(濃霧など)の気象告知となっていました。
日本製紙専用線の次は東芝の専用線です。東芝の工場の専用線は、地図上にはありますが、既に撤去されています。工場の東側にある専用線の出口であろう、門ですその先は新幹線の築堤沿いに専用線であろう痕跡があります一方で旭化成の専用線は富士駅の東側の踏切から分岐していますちょうどこの部分から、右手へ延びていたようです。その先に築堤があり、その上にはレールが残っていますただ雨模様で、築堤までの草むらをかき分けることができず、遠望で断念しました築堤から10分強歩くと、工場横に駐車場的
現在も富士駅発着の貨物があり、EF210が入換作業にいそしんでいますその富士駅の一番南に日本製紙の専用線があります。しかし使用されなくなって久しく、自然に還りつつあります。廃線跡が駐車場になるケースはよくありますが、レールも剥がさずに駐車場になっています駐車場の先には踏切が残っていました。手動式だったようです。小さな橋梁も残っています右の空地は工場の跡、線路は左の草の中ですJR東海の変電所がありますが、その横を専用線が通ってました。陸橋の下に専用線があったであろう、空地が残っ
いつも読んでいただきありがとうございます。前回の続きです。この風景だけを見ると、北海道と言われても分かりませんね。関金温泉を通り、廃線跡方面をめぐります。少し歩いて、線路跡に行きます。廃線跡です。線路は残っており、歩くことが出来ます。これは食肉加工場です。ソーセージ作り体験なども出来るようです。いかにもホーム跡のように見えます。車両の侵入は出来ません。この看板は実際に鉄道会社で使われているものを模して造られ
続きです。折戸駅跡を過ぎると、遊歩道はバス通りの隣に続きます。反対側の歩道はいたって普通の歩道なので、この辺りはバス通り沿いに線路があったものと思われます。ちょうど遊歩道の案内図がありました。遊歩道はほぼ廃線跡に作られています途中から、また遊歩道として復活しますが、ずぐにまたバス通り沿いに進みます海側は倉庫群が並んでいますそんな途中にも境界杭は残っていました。遊歩道は途中で途切れます。倉庫群の間の道路とも空地ともつかない場所が、線路跡のようですその空き地?は左にある、下水処理場でふ
一之江境川親水公園にいきなり線路がありました。傍にある看板によると、城東電気軌道の今井線の遺構でした。今井街道沿いに荒川東岸から、新中川を渡った今井まで走っていたようです。今井街道には、往時をしのばせるタイルがありました。この城東電車は、今井街道を走っていたのではなく、街道沿いに単線の専用軌道であったようで、今も今井街道沿いに、その跡が路地として残ってます。単線なので、路地にぴったりの幅です一之江通りを越えても、この路地は今井街道と並行して伸びていますでも昭和27年に廃止にな
東側に続き、西側編です銚子駅西側のガードです。南側に橋台の跡があります。総武本線に沿って敷設されていた、ヒゲタ醤油工場への専用側線の跡のようです。銚子駅の西側に電留線がありますその南側に、廃線跡の茂みがあります。踏切も専用側線の部分が残っていて、工場への入り口もありました
銚子駅の東側から北へ延びていた貨物線を辿ります。銚子駅東側の踏切から駅を遠望。銚子電鉄デハ2000が見えます。その踏切から外川方面へ見ますと、先へ続くのが銚子電鉄線。左へ曲がっているのが貨物線跡です。従って、この踏切は実はJR管轄で、正式には銚子電鉄はこのポイントから先となっています。また右側のヤマサ醤油工場にも、引込線の跡らしい空地が広がっています。踏切から先は、見事に廃線跡を転用しました感が満載の駐車場です。その後、廃線跡は道路に転用されていて、北の方、すなわち銚子新港の