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熊野には「那智四十八滝」と言われるように多くの滝がある。中でも那智の大滝は日本一で、その落差はじつに133m。日光の「華厳の滝」の97mを上回る名瀑だ。和歌山生まれで、寺社仏閣巡りが好きな私だが、今日まで熊野大社に参拝した頃はない。いつでも行けるとたかをくくっていたからであろうか。気付けばこの歳である。しかしいよいよ明後日参拝する事になった。また熊野は「死の国」とか「日本の異界」とか「根の国」と言われてきた場所でもある。ここに来れば亡くなった人に会えるとの言い伝えがある。
伝統仏教を学ぼうとすれば、仏教の全体像をわかる必要がある。ということで、今回、吉村先生のオンライン講座が始まった。全4回の1回目をすぎたところで、その中心となるナーガールジュナの「宝行王正論」瓜生津隆真訳現代人が伝統仏教を学ぶ最適なテキストらしい。釈尊の対機説法から教えの全体像が示されている。大乗経典認めない派が有力な中、大乗仏教を説くナーガールジュナが凄すぎるw日本仏教から、伝統仏教を知る機会などない。もう過去の廃仏毀釈(西洋の仏教解釈)から離れて、伝統仏教の上に各宗派
男体山入口崖場ガレ場?なの忘れてました💦😅廃仏毀釈の名残ですね明治政府の政策の遺産ですよね😉良い意味でも悪い意味でも??って思った方(良い意味:国民は素直に国の言う事を真に受ける悪い意味:勘違いでも1度その流になると止まらない)それを後世に教えてくれる遺産ですよね御神体山頂に鎮座しますどの方向に向いてんですかね?書いててふと思いました吉方位か鬼門か?北か東?では無いな霞ヶ浦が展望方向やから南?京都向き?かな?展望台下の涌くには方
所沢には「いも神社」なるものがある。なんだろうと訪ねてみる。走りやすい夜を行くと、着くのは朝になる。16時まで時間があるので…行ってみると神楽殿を有する「神明社」がある。いくつも末社を併設しているところから、明治の神社統合の痕なのかなぁ〜と眺めているとさつまいもを前に祠がある。その祠が「芋神社」。飢饉を救ってくれた芋が神になっている…これが本来のこの島々の人々の神の姿なのかも…。埼玉県所沢市中富の「神明社」内にある「いも神社」の狛犬さん、その2-浮き世で三昧・狛犬三昧1月以来半年
下方五社とは、駿河国富士郡下方庄(富士市)にある浅間神社五社の総称であり、その統括を役を果たしたのが、明治の廃仏毀釈により、廃寺となった東泉院で、門扉をくぐると・・・寺の面影はなく、整備された公園に、ぽつんと蔵が残されています。東泉院の宝蔵であり、その歴史の記録が展示されています。現在の東泉院跡地は、吉原公園として整備されていてます。今は富士市民の憩いの地・・・ゆっくりと時間が流れる場所です・・・・
今の寺に勤めはじめてから15年以上になる。入った当初は明治時代の建物だった。地盤は安定している。そのため関東大震災を耐えることができたようだ。近くに米国の施設がある。「だから東京大空襲の被害を免れることができた」総代さんが教えて下さった。もちろん、その都度手入れはしているはずだ。しかし、100年となれば老朽は仕方がない。入寺してから数年で、お堂と庫裏を建替えることとなった。(仏像の修繕もこの折りに)建築中はお寺で儀式は行えない。
今日、ニュースチェックしていたら、こんな記事を見…そして複雑な心境となった。「今後、現状に即して考えていきたい」神社の地震被害3700件超復旧にむけて県の支援は?“政教分離”もコミュニティ施設の側面どうみる富山コメント2件3/19(火)19:34配信能登半島地震の影響で、富山県氷見市や富山市など県内560か所の神社で、灯篭や鳥居など3700件を超える被害が確認されていることが神社庁の調査でわかりました。宗教法人にあたる神社は「政教分離」の観点などから、復旧に対する公的支援を
日本の宗教史に於ける神仏習合から神仏分離そして廃仏毀釈を知らなければ仏教とは何か?神道とは何か?ここを理解するためにはこれらを深掘りする必要があると思った現在進行形の神社仏閣はどさくさ紛れの遺物そんな違和感が各地回っていて感じていた。そこを理解しなければ、正しい祈願などできないのではないかと思うまたひとつ何かわかれば書いていく(˙ᒡ̱˙®)ひとつひとつ信仰の呪縛を解き放ち正しい信仰のかたちが見つかればこの世界も変わるのではないか封印された日本の信仰この封印を解か
今日は静岡県藤枝市の古墳をアップします↑藤枝市岡部村良にある曹洞宗大仲寺、こちらの駐車場に車を停めさせて頂きました↑大仲寺の東側、墓地の一角にあるのが薬師堂古墳、西側より。近くにもう1基の古墳があったようですが、消滅しています。場所はこちら:34.919837,138.268387↑南東側より、横穴式石室があります↑玄室の一部が残っているようです。残存の長さ1.4メートル、幅1.2メートル、高さ1.8メートル。高さが1.8メートルと
【8/122日目③】はい。お次は感仙殿です。ここは二代目藩主の伊達忠宗公の霊屋だそうです。こちらも瑞宝殿に引けを取らないくらい綺麗です。が、紆余曲折あるみたい。明治に入って、廃仏毀釈で本殿以外取り払われたり…第二次大戦で焼失してしまったり…結局、昭和60年に再建されたそうな。もうね、ほんと、色も綺麗なんですよ。こういうのも維持していくのが大変なんですよね。ところで、こんな表示がありました。またまた~江戸時代とか戦国時代に、スケート靴はないでし
久しぶりに神社仏閣の記事になります😅今日は初庚申今年初めての庚申でございます日枝神社や猿田彦神社には行けませぬが、地元近くにある庚申塔を訪ね歩きました庚申と帝釈天については清瀧寺様のブログに詳細があります↓やっと太陽☀が顔を出したので、庚申塔巡りをして来ました大きな神社仏閣ではなく、辻や町の境目にある庚申塔にお詣りします昭和38年の銘私と同い年だわぁ〜北向き庚申塔元禄16年(1703年)建立御縁日だからかお堂が開堂されていました宝蔵寺入口の庚申塔正徳元年(1711年)建
東神奈川駅から線路沿いを西方向に歩き道路から高い位置にある線路越しから見えた屋根を目印にしてたどり着いた場所は現在の浦島観音堂のある浄土宗慶雲寺さんです。このあたりには電車の線路を挟んで南北にお寺があってその1つのお寺様がこの浄土宗慶雲寺さんになります。こちらの慶雲寺さんは江戸末期から明治時代初頭の頃まで江戸時代末期の横浜開港に際しフランス領事館として供用されていた
NHKの番組で、国立博物館(東博)で中尊寺金色堂が3Dで再現されているというので、上野までお出かけ。以前、nyasperは、平泉で2度見ているけれど、金色堂の内部が暗かったので仏像は、よく見えなかった。今回は、中央壇に安置されている仏像11体(国宝)もお出ましということ。3D映像は、確かに一見の価値ありだったけれど、平日にも関わらず黒い頭を沢山見ることが出来た。気を取り直して、法隆寺館もついでに立ち寄る。この法隆寺館は、明治初期の廃仏毀釈から仏像などを守るために法隆寺より皇室に寄贈された
こんにちは。瑠璃色の世界へようこそRinkoです。1月に、奈良県桜井市にあります大神神社と長谷寺へ行ってきました。この日は寒波で、雪がパラパラたまたまこの日に奈良に行くことになったのですが、何度も、「早く帰った方がいいかも…」と思いました。でも、雪の合間に陽が射していたので大神神社を満喫、長谷寺へ向かうときも、晴れていたので行くことにしました。長谷寺での参拝が終わった後は、「さあ、早く大阪へ帰ろう早く帰らねば…。」
菅沼と中禅寺湖の景色秩父の札所巡りを終えて、一部は2回3回と訪れている寺もある。ある日、ふと坂東札所巡りもやってみようかと思い付いた。坂東は範囲が広いのでずっと躊躇していたのであった。が、心の整理をする為に始めてみようと決心した。平成8年の10月から始めたのだったが翌年の6月に18番札所の立木観音にドライブがてら愛犬を連れて出掛けてゆく。東北自動車道は混むので関越道で沼田から回ってゆく事にした。途中、菅沼で休憩をしたので一枚スケッチした。その後、中禅寺へ
末法とは?またまた、ググってみた。Wikipediaより、引用。末法思想(まっぽうしそう)とは、釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、とする歴史観のことである[1]。末法の世は必ず来るらしい。それをできる限り遅らせる事が、私達にできる事だと、吉村先生が語っていた。え?でも待てよ、
参拝日2024年1月31日(水)岡崎市に用があったので、小雨の中、三河別院に行ってきました。真宗大谷派(東本願寺)の三河の別院になります。駐車場はとても広く学校の運動場みたいです。山門です。駐車場の端の方に見事に梅が咲いていました。山門を入って左手に手水舎。水は出ていませんでした。山門の近くには鐘楼。立派な本堂です。大きな石碑にこのお寺の由来が書かれています。三河の真宗大谷派の歴史が書かれているので、
立山権現(たてやまごんげん)立山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神である。
飛瀧権現(ひろうごんげん)那智の滝は神でもあり仏でもあり、そのため那智の滝は「飛瀧権現(ひろうごんげん)」と呼ばれた。権現とは仏が仮に神の姿で現われたということで、那智の滝を飛瀧権現と呼ぶのは、那智の滝が神であり仏であるということである。ただ、明治の神仏分離により「飛瀧権現」は「飛瀧神社」に変わったという。
飯縄権現(いづなごんげん、いいづなごんげん)信濃国上水内郡(現:長野県)の飯縄山(飯綱山)に対する山岳信仰が発祥と考えられる神仏習合の神である。
箱根権現(はこねごんげん)箱根山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神である。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、箱根権現社(現・箱根神社)・箱根山金剛王院東福寺で祀られた。箱根大権現、箱根三所権現とも呼ばれた。
白峯大権現(しらみねだいごんげん)日本八天狗の一狗である権現様。別名は相模坊。
白山権現(はくさんごんげん)白山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神である。白山大権現、白山妙理権現とも呼ばれた。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、全国の白山権現社で祀られた。
智明権現(ちみょうごんげん)大山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、地蔵菩薩を本地仏とする。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、伯耆国角磐山大山寺から勧請されて全国の智明権現社で祀られた。智明大権現、大智明権現、大智明大権現、大山智明大権現、大仙智明大権現ともいう。
蔵王権現(ざおうごんげん)日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊である。正式名称は金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、または金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)。インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。「金剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王という意。権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという。
石動権現(いするぎごんげん)能登国石動山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神である。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、石動山天平寺から勧請されて全国の石動社で祀られた。
石鎚大権現(いしづちだいごんげん)石鎚信仰の母体、関西第一の高峰霊峰石鎚山(1982メートル)は、飛鳥時代(685年)に、役の行者(役小角・えんのおづぬ)によって開山された。その後、寂仙菩薩(じゃくせんぼさつ)が石鎚蔵王大権現(いしづちざおうだいごんげん)と称えて深く信仰。山路を開き、登拝者を導き、常住社(じょうじゅうしゃ・今の中之宮成就社)を創立するに至った。
石尊権現(せきそんごんげん)大山の山岳信仰と修験道的な信仰が融合した神仏習合の神である。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、相模国雨降山大山寺から勧請されて全国の石尊社で祀られた。石尊大権現、大山石尊大権現ともいう。
清瀧権現(せいりゅうごんげんまたはせいりょうごんげん)京都市伏見区所在の真言宗醍醐派総本山、醍醐寺の守護女神。清瀧大権現とも呼称され、清滝権現とも書く(「瀧」は「滝」の旧字)。
秋葉権現(あきはごんげん)秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神である。火防の霊験で広く知られ、近世期に全国に分社が勧請され秋葉講と呼ばれる講社が結成された。また、明治2年12月に相次いだ東京の大火の後に政府が建立した鎮火社(霊的な火災予防施設)においては、本来祀られていた神格を無視し民衆が秋葉権現を信仰した。その結果、周囲に置かれた延焼防止のための火除地が「秋葉ノ原」と呼ばれ、後に秋葉原という地名が誕生することになる。