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ここは・・大変申し訳ないのですがGoogleマップに以前あった表示が無くなってしまって、、場所をロストしました。塩山軌道跡は葡萄畑にポンと出るので、それをたどっていけばきっと隧道に当たることでしょうあ、でも私が行った時も隧道への道はGoogleマップのストビューになかったので。。フルーツラインの出口近くだった、大きな橋の袂にバイクをおきましたわほら、私用心深いから、ちゃんと停車位置を撮影してる、えらい!ここはストビュー範囲内です。謎の出っ張りによりバイクは余裕で置けます三塩
4月1日(水)、曇り。奈良旅行2日目です。6時半から母屋に移動して朝食です。これが宿泊していた別館です。朝食前に昨夜はよく見れなかった民宿外観を見学。これが門です。門越しに母屋。母屋昨夜夕食をいただいた座敷で朝食をいただきます。今日から残り4日をかけて奈良県を反時計回りに一周します。五條市まず国道169号を南下、国道370号、国道168号と進み、五條市に入りました。昔この地は大阪、奈良、和歌山、三重などからの主要な五本
試作品として作ったF3サイズで背景に研ぎを入れた薮椿スマホでも露出と背景幕と光源でソコソコ本物の色に近づけることがーGPTのアドバイスでわかった!もうGPT無いと無理まだ無料範囲無いですが、そろそろ有料版に移行しようかしら数年前まで老朽化で閉鎖されていた「旧大日影トンネル(明治35年)」が昨年補修工事が完了したので行ってまいりました去年まではこんな近場に400Xを出すことがなかったのに寄る年並みは恐ろしい。。。東坑口から入りました、無料駐車場完備川を見下ろ
豊後高田市(ぶんごたかだし)1月24日(土)晴れ、旅行7日目です。昨夜も利用したホテル併設のレストランで6時からビュッフェ朝食です。宿泊に付いてくる無料朝食なので変わったものはありませんが、大分名物の鶏天がありました。夜が明けた7時過ぎにホテルAZ大分豊後高田店をチェックアウト。豊後高田市は昭和レトロな街並みが観光の目玉です。郵便ポストは現役ですが、収集は1日1回のみ。本当に昭和から残っている看板は少なく、後から昭和レトロ風に作った感じのも
おはようございます今日もご訪問ありがとうございます🙇♂️世間は三連休なのに、昨日は月曜日の資料が完成しないので、午後から出社したオッサン😥出社する電車内で、ウトウトしていたら、隣に座ろうとしたオバチャンが、オッサンの腕にデカイ尻をおろしてくる暴挙に、飛び起こされたり、歩いている時も、ビックリするほどの肘打ちを喰らったりと、なんかついて無い😓まぁ〜こんな日もあるわなだって、何やっても上手くいく日だってあるモンねぇ〜😆いちいち、イライラ💢するのも感情の無駄遣いだわ休日出勤は意外に好
撮影日2025.12.13撮影場所JR西日本呉線天応駅付近先日たまたま見つけた呉線の廃トンネルです。今回のものは違いますが、呉の辺りは海軍~自衛隊関連で廃線が有りそうで興味深いです。(一枚目)・天応駅の手前、呉ポートピア駅寄りに二つ並んでトンネルが有りました。左側は現在の路線、右側は廃線です。廃トンネルの方は埋められずに残っていました。呉線は1970年に電化されましたが、その際に旧トンネルは役目を終えました。旧トンネルはレンガ積みで時代を感じますが、新ト
都留市(つるし)大月市の深城ダムを後にし、大月市街はスルー、再び昨夜の宿泊地である都留市に来ました。都留市に戻って来たのはリニアモーターカーの見学センターを見るためです。どうしても見たいほどではないですが、時間に余裕があれば行こうと思っていた施設です。山梨県立リニア見学センター山梨県都留市にある、山梨県立リニア見学センターのサイトです。アクセス、最新情報、リニアについて紹介しています。www.linear-museum.pref.yamanashi.jpこ
11月6日、木曜日。天候晴れ。旅行中恒例の5時半起床後、6時から朝食をいただきました。宿泊費8,250円を現金払いしてチェックアウト。「8,800円」と言われて予約時に聞いていた料金と違う旨を伝えたところ、おそらく旅行サイト経由と直予約の2種類の料金があるため請求間違いをされた感じ?でした。私は電話で直予約したので安い料金でしたが、支払い前におよその額を頭に入れておいてよかったです。6時半に旅館を出発。ありがとうございました。大月市(おおつ
探索日2018/08/18切り替えは1961年1月31日の電化時城山トンネルが新トンネルへ移行した1967年の複線化時には川側にもう一つトンネルが掘られ、現在の形が完成さらに古い時代には、トンネルを経由しない旧々線が存在した白石川氾濫時の被害を防ぐため、山側へ移設したとのこと一度目の切り替えは日本鉄道時代の1889年(明治22年)※下り線はまだない旧線は、現行下り線(右の線)とほぼ同位置を走っていた左は下り線城山トンネル青森駅方口旧線は右の空間へ続く
撮影日2025/02/23旧槻坂トンネルから続く旧兵庫県道5号この先で現行道と合流する旧トンネルへ続く旧県道左が旧県道、右が現行槻坂トンネル東口槻坂トンネル東口左上、車の停まってるとこが旧県道、右は姫新線槻坂トンネル東口姫新線は旧県道をくぐっている廃道状態の旧県道舗装路のはずやけど、枯葉で埋まっている旧槻坂トンネル東(姫路市方)口所在地は兵庫県姫路市西脇竣功は1954もしくは1955年らしい槻坂隧道コンクリートで完
探索日2018/08/17東日本大震災の被害による線路移設切り替えは2015年5月30日旧野蒜駅駅舎駅周辺は震災復興メモリアルパークになっている旧駅舎といっても1996年築なので新しい訪問時は東松島市震災復興伝承館になっていた震災前は奥松島観光情報センターがあった上の青いシールのところまで浸水ホームは当時のまま存置されている折れた支柱駅名板もゆがんでいる旧野蒜駅から続く廃線跡踏切跡ここはレー
新潟県とグンマー帝国の国境を繋ぐ、国道17号の三国峠。標高1244mに位置するこの場所に、ある廃トンネルがあるという。午前10時頃、辺りは少し霧がかっており、得も言われぬ雰囲気を醸し出していた。急カーブを抜けた先、国土交通省の事務所が見えてくる。そしてそのさらに先、二つ並んだ大穴。左が現道、右が旧道。どちらも橋からトンネルへという構造だ。こう比較して見ると、なんだか人類滅亡前と後のような、漠然とした不気味さを感じる。右に位置する三国トンネルが旧道化したのは2023年。今から2年前と比較
KL号を4ヶ月間走らせていなかったので用足しついでに調子見で116km程。始動に苦労するも、その後は好調。まだ夏気温それでもやはり秋は到来してるな秋桜満開稲刈りも始まり久し振りに昭和初期の橋残念ながら廃橋扱いになっていた新しいトンネル完成間近馴染みのルートがまた一つ消える山沿い道の宿命だね仮設橋歩行用として残して欲しいな絶景が撮れると思うのよね新緑の水没林や紅葉とかダム湖の水少なし湖底に沈んだ国鉄時代のトンネル現るひまわり畑に立ち寄りKL号のトコトコ走
奈良県と和歌山県の県境近くにJR和歌山線、唯一のトンネルであった廃トンネル、真土トンネルが有ります。明治31年(1898年)の開業時から老朽化の為、廃止となった昭和26年(1951年)まで使用されました。凝った煉瓦造りで、重厚な感じがします。廃止から70年以上たっていますが、状態わ良いようですね。トンネルの手前も真夏なのに背の低い雑草しか生えていないのは、手入れがされているからのようですね。8月撮影。
探索日2018/08/15湯田ダム建設にともなう線路移設切り替えは1962年12月1日横黒線は現在の北上線、陸中川尻駅はほっとゆだ駅民家左が廃線跡奥へ続く旧線林の切れ目がそれを示している旧川尻トンネル和賀仙人駅方口レンガ/石積みではなくコンクリートバリケードがあったようやけど崩壊している木製やトタン/金網の封鎖なら、年月が経てば侵入できる可能性があるここも10年ほど前なら入れなかったかもな昔は車で入ってこれたんやな
探索日2018/08/15湯田ダム建設にともなう線路移設切り替えは1962年12月1日横黒線は現在の北上線、陸中川尻駅はほっとゆだ駅前編でも取り上げたスノーシェッド(落石覆い?)写真中央を左右に走る旧線の跡橋梁跡橋台が残る橋台につながる築堤右端は本内トンネル和賀仙人駅方口本内トンネル陸中川尻駅方口この一年後、あそこに到達トンネル内には横穴があって、出口には小さい滝が流れている左、崖が途切れているとこがそう滝が見
探索日2018/08/14釜石線の西側部分の前身は、岩手軽便鉄道という私鉄国有化後の改軌時に、一部区間でルート変更が行われた切り替えは1943年9月20日写真上部付近が宮守駅方新旧線分岐点旧線は撮影地点下へのびてくる旧線は右の跨線橋枠の位置を通過していた橋は1947年架設なので、軽便時代にはなかったこのレンガは旧跨線橋の橋台か?現在線は右の林の中を走っていた現在線むこう沿いが廃線跡宮守トンネルを抜け出すキハ110系気動車右奥に旧トンネ
探索日2018/08/14釜石線の西側部分の前身は、岩手軽便鉄道という私鉄国有化後の改軌時に、一部区間でルート変更が行われた切り替えは1943年9月20日あそこが柏木平駅方新旧線分岐点岩手軽便鉄道時代の線はここへのびてくる奥へ続く旧線左は現行鱒沢トンネル柏木平駅方口右は軽便時代の鱒沢トンネルたぶん鱒沢隧道と書いてあるトンネル内より柏木平駅方面を見る入ってきたほうを見る中央左にこうもり団体様
こんばんは。トンネル探検をしてきました。2代目大工の三島です。今日は子どもたちとお出かけ。向かったのは白鳥町。そこに住む友人に合う用事があるのです。でもいつも通りに寄り道だらけ。最初に行ったのはココ。門原(かどはら)トンネル。手掘りの荒々しい岩肌。ちゃんと説明板もありました。できたのは1917年。第一次世界大戦中ですね。川幅が狭い峡谷。険しい崖のため超危険。転落事故が絶えなかったそう。そんなわけで2年間に及ぶ大工事。車も通れる大きなトンネル。飛騨地方の夜明けと
【1】より続く。それではいよいよ、旧隧道にごたいめーん。無骨な感じのコンクリポータルだが、あるべきものはしっかりと設えられているね~。そう、扁額!右書きも力強い筆致で、「七曲隧道」。左端に刻まれた揮毫者は、「廣島縣知事大原博夫書」。調べてみたら大原氏、1951(昭和26)年1月から1962(昭和37)年4月まで(ほぼ)三期にわたって県知事を務めていたようで、当然ながら隧道の完成もこの間のどこか、ということになる。
探索日2018/05/03切り替えは1975年10月13日の電化時今宿トンネルが新トンネルへ移行したあそこが大石田駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる上写真位置から袖崎駅方面を見る左は現在線今宿トンネル大石田駅方口旧線は現行今宿トンネル右へ続く路盤跡旧線はここを走っていた道路のむこうは最上川この奥に旧トンネルが眠っている旧今宿トンネル大石田駅方口レールを組んだスノーシェッドが接続する坑門前から大石田駅方面
探索日2018/05/03切り替えは1975年9月17日の複線化時五つのトンネルが廃止、四つの新トンネルが掘られた後編は金堀トンネル付近、およびその南の曲線緩和区間道になっている廃線跡奥へ続く旧線跡旧金堀トンネルが見える舟形駅方面を見る撮影地点が廃線跡左は現在線滝の沢トンネル芦沢駅方口現在線を701系5500番台が走る新旧金堀トンネル舟形駅方口旧金堀トンネル舟形駅方口長さは59.5mここもモルタ
探索日2018/05/03切り替えは1975年9月17日の複線化時五つのトンネルが廃止、四つの新トンネルが掘られた中編は猿羽根第一トンネル/瀧ノ澤トンネル付近旧猿羽根第一トンネル舟形駅方口長さ138.6mバラストが残る旧猿羽根第一トンネル芦沢駅方口レールを組んだスノーシェッドが接続していた築堤上を進む瀧ノ澤トンネルに接続する落雪覆い瀧ノ澤ト
探索日2018/05/03切り替えは1975年9月17日の複線化時五つのトンネルが廃止、四つの新トンネルが掘られた前編は猿羽根第三/猿羽根第二トンネル付近この先が舟形駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる旧線は写真左へ進む右は現在線猿羽根第二トンネル舟形駅方口この道が廃線跡猿羽根第三トンネル舟形駅方口長さは263.7m激湿気で、ストロボ光らせるとこんなんなってしまう猿羽根
探索日2018/05/02切り替えは1966年11月岩崖トンネルを放棄、新たに岩瀬トンネルが掘られた複線化は1968年9月29日、電化は1975年10月13日この先が及位駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる旧線は擁壁沿いを走っていた路盤跡ここにあった落石覆いは新線切り替え時に撤去されたのか消えている左の道が廃線跡右は現在線第一雄勝川橋りょう現在線を701系電車が通過あそこを電車が走ることはもうない擁壁跡中央部は切り取られ
探索日2018/05/02切り替えは1963年11月2日第三及位トンネルが新トンネルへ移行した①②区間は電化時の切り替えやけど、ここは旧トンネル変状によるもの電化は1975年10月13日あそこが大滝駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる左は現行第三及位トンネル大滝駅方口旧線はあの右へ続く現行トンネルは110m旧トンネルはこれより短い新旧第三及位トンネル旧第三及位トンネル大滝駅方口坑門前から大滝駅方面を見る幸い、
探索日2018/05/02切り替えは1975年10月13日の電化時第二及位トンネルが新トンネルへ移行した新線と並走する旧線跡新旧第二及位トンネル大滝駅方口現行トンネル銘板旧第二及位トンネル大滝駅方口吹き付けられたコンクリートもかなり剥落しているレールを組んだ落石覆い(スノーシェッド?)が接続している旧第二及位トンネル及位駅方口手前は残雪覆いは劣化して消えている
探索日2018/05/02切り替えは1975年10月13日の電化時第一及位トンネルが新トンネルへ移行したあそこが大滝駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる踏切跡築堤が残る築堤上切り取られた築堤道は旧線時代にはなかった奥へ続く旧線左は現在線第一及位トンネル大滝駅方口旧第一及位トンネル大滝駅方口坑門前から大滝駅方面を見るこのトンネルもレンガの剥落が進んでいる福島駅から183.5
探索日2018/05/02切り替えは1975年10月13日の電化時左右にのびる旧線築堤築堤上左に現在線国鉄の境界標切通しに入っていく標識跡廃線跡歩きはこの季節に限る夏や秋ならこんなとこ絶対歩けん冬は雪積もってるし旧権現山トンネル釜淵駅方口下にむかって広がっていくタイプの壁柱坑門前から釜淵駅方面を見るレンガの剥落が顕著劣化は現役時から始まっていたようで、コンクリートが吹き付けられ