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まちの自転車店リコはん。我が彩花から1分の所におますねん。店主はんがとても親切で誠実ですねん。今のわての購入先だす。空気入れとメンテナンスもお願いしましてん。これからは、バイク移動を減らしますねん。経費節約でおます。まちの自転車店リコはん。今日もありがとうね。
大阪メトロ谷町線の駒川中野駅から程近い庚申街道に残る「はりみち」「でんしゃのりば」と刻まれた道標。「はりみち」は、平安時代からの歴史を持つと言われており「針中野」の地名の由来ともなっている「中野鍼灸院」への道筋を「でんしゃのりば」は、阪堺電車平野線の「中野」停留所への道筋を示しています。この道標は、平野線が開業した1914(大正3)年に中野停留所から鍼灸院までの角辻に7本建てられたそうで現在は、2本が“歴史の証人”として残っています。
営業前にまちの自転車店リコはんに行きましてん。空気入れと自転車のメンテナンスですねん。オーナーがとても素敵なお人で親切なんですわ。これで安心して乗れますわ。ありがとう。
八十九爺(やそくジイ)の漫画!デジタル×スピリチュアル=なんじゃそりゃ⁈2それがわかれば霊能者!前回のお話はこちら『デジタル×スピリチュアル=なんじゃそりゃ⁈1』八十九爺(やそくジィ)の漫画!連載スタート!デジタル×スピリチュアル=なんじゃそりゃ⁈1写真もデジタルやもんね。私が普段感じている霊的な存在…ameblo.jp私の中の勝手な分類として「霊能者」とは、霊的存在を自分の都合で呼び出せる存在、という規定になっています。その
むとうの家北田辺6近くの掲示板で見ました庚申街道歴史的なまみなみ景観など地域の特性を活かし、魅力ある居住の形成を図る「大阪HOPEゾーン」の一環として建てられた大阪市HOPE(ほーぷ)ゾーン事業※各地区の補助事業は終了しています。大阪市HOPEゾーン事業HOPE(ほーぷ)ゾーン事業は、歴史的・文化的な雰囲気やまちなみなどに恵まれた地域を、本市の居住地イメージを高めるモデルゾーン(HOPEゾーン)として位置付け、市民のみなさん..www.city.osaka.lg.jp魅力ある居住
四天王寺からの、庚申街道の続きです。(撮影日は2022年6月10日でした)JRの天王寺駅で撮影した関西本線の201系です。JR天王寺駅から見た庚申街道の跨線橋です。2006年8月に撮影した大阪環状線の103系と庚申街道の跨線橋です。2008年9月に撮影した大阪環状線の201系(スカイブルー)と庚申街道の跨線橋です。あべのハルカスと「新宿ごちそうビル」です。「新宿」というのは、この地にあった旅館名を引き継いだもので、1940年の旅館開業当初、天王寺界隈は郊外鉄道が多く集
我が彩花のお客様の自転車屋はん。まちの自転車店リコはん。こちらで自転車を買いましてん。この10間程雨が降らん限り1日50キロ走ってますねん。お尻が痛いねん。それでね、サドルの交換に行きましてん。クッションのある柔らかいやつ。これで少しは楽になるかもね。リコはんありがとう!
まちの自転車店リコはん。今日は、自転車の購入ですねん。生活苦でガソリン代がおまへん。それでね、自転車を買って節約生活でおますわ。もう一つメリットがおますねん。今、テニスコートが使えまへん。運動不足。トレーニングを兼ねての自転車運動。ちゃうちゃう、お金が無いから自転車操業でおますわ。自転車で走り回ってダイエットしますわ。
宝塚市のYKさんの庚申街道取材記の後編です。昭和町駅(または文の里駅)近くの阪南町にある日本キリスト教団・南大阪教会の敷地の南端に建っている、童謡「サッちゃん」の歌碑です。(教会付属の南大阪幼稚園の歌碑の説明文)芥川賞作家の故阪田寛夫氏の詩と従兄の作曲家大中恩氏の作曲によって生まれたものです。幼年時代の阪田寛夫氏が南大阪幼稚園の第二期生であったとき、その一年上のクラスにいた「サッちゃん」と呼ばれていた女の子への親しい思いを、後に詩のかたちにしました。(管理人)←「管理人」とは、鉄道で行く
宝塚市のYKさんから、大阪市阿倍野区(ほか)の庚申街道の取材記録をお借りしましたので、2編に分けてご紹介します。阪和線の車内から撮ったシャープ本社(右)とシャープ田辺ビル(左)です。シャープ田辺ビルにはシャープの子会社とシャープの本社機能の一部が入っているようです。(管理人)上記は2015年当時の情報です。その後、再開発によりシャープ本社は取り壊されました。シャープ田辺ビルも再開発される予定です。連続立体交差事業とは無関係だったため、高架にならずに、昔のままの姿で残っている阪和線杉本町駅
今日は、近鉄大阪阿部野橋駅付近の庚申街道の現状を確認してきました。1977年に竣工した連続立体交差事業が実施されるまでは、このあたりに南大阪の町々と四天王寺庚申堂を結ぶ庚申街道の踏切道がありました。庚申街道が地下道になっていることは以前から知っていたものの、今日初めて、地下道になっている庚申街道を歩きました。地下道の南側にある庚申街道歴碑です。庚申街道の一部ですが、見た目は普通の地下街です。(休日のため人は少な目です)北側の出入口です。「庚申口」と明記されています。大阪市、近鉄および庚