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東海道の旅、京都三条大橋をスタートして、二日目のその5です。2023年8月18日(金)15:58亀山宿出ました。巡見道和田一里塚跡和田道標中冨田一里塚跡女人堤防碑東海道案内図国道1号線の手前で一旦道が途切れるので、その為の道案内です。16:57庄野宿に入ります。高札場跡本陣跡脇本陣跡
1か月前御宿印めぐりで石薬師宿の次に、庄野宿へ行ってきました庄野宿は、東海道五十三次の45番目の宿場です。この電話も置いてありました◆庄野宿資料館◆入館料:無料見学:10時~16時休館日:月曜日、火曜日、第3水曜日(ただし、月曜日のみ休日の場合は開館)年末年始開館カレンダー庄野宿資料館は、庄野宿に残る膨大な宿場関係資料の活用と旧小林家(市指定文化財)の保存を進めるため、主屋の一部を創建当時の姿に復元して、平成10年に開館しました。庄野宿は東海道五十三
東海道で結ぶ御宿場印めぐり|一般社団法人静岡県信用金庫協会静岡県内の東海道の宿場町を巡った証にもなる「御宿場印」販売場所をご紹介します。印を集めながら宿場町やその周辺を楽しく旅して、新しい魅力を再発見してみませんか。shizuoka-shinkin-kyoukai.or.jp
東海道五十三次。それは、江戸時代、日本橋から滋賀県大津まで設けられた53の宿場町。ここ鈴鹿には45番目の宿場町がありました。加佐登駅と椿大神社を走るバス路線上で、電車との時間合わせもあり、急遽、散策することに。庄野宿寛永元年(1624)に設置された、旅籠15軒という小規模な宿場町です。五十三次の中で最後に設置された宿場でした。庄野白雨東海道五十三次と言えば、歌川広重。その作品の中でも最高傑作のひとつと言われる"庄野白雨"の舞台が、ここ庄野宿。
前回【1日目-⑧】關宿~亀山宿『《ミニベロで行く》東海道五拾三次【1日目-⑧】關宿~亀山宿』前回【1日目-⑦】阪之下宿~關宿『《ミニベロで行く》東海道五拾三次【1日目-⑦】阪之下宿~関宿』前回【1日目-⑥】鈴鹿峠〜阪之下宿『《ミニベロで行…ameblo.jp亀山宿江戸口跡を左折して、国道306号・栄町交差点を平面交差して少し下っていくと、左に1604年(慶長9年)築造、和田一里塚(104里)が復元されています。復元とはいえ土塁まである一里塚は当時を思
日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、という事で書き始めた旅歩きの記事。東海道五十三次としては16日目になります。2014年9月16日今回の3泊4日の最終日、宿泊したビジネスホテルから再び前日の汲河原町交差点まで戻り再スタート。汲河原町交差点から少し歩いて行くと”従是東神戸領”と書かれた石柱がある。兵庫県の「神戸」は”こうべ”と読むが、ここでの「神戸」の読み方は”かんべ”と読む。この辺りが当時の領境だったみ
日本橋から京都の三条大橋までの東海道五十三次を踏破した思い出を忘れないために、、、という事で書き始めた旅歩きの記事。東海道五十三次としては15日目になります。2014年9月15日石薬師宿を示す案内碑から少し歩くと石薬師宿の本陣跡がある。昔のまま残る小澤本陣跡東海道石薬師宿は元和二年(一六一六)幕命によって設立され宿の名は当時有名であった石薬師寺からとった。大名の泊る宿を本陣といい、小沢家がこれを勤めた。屋敷は現在より広かったようである。残る文
先日、JR関西線の加佐登駅から亀山駅間、旧東海道を歩いてきました。まずは、JR亀山駅で、関西本線の名古屋行普通列車に乗車。車両は、313系電車の4両編成、2番ホームからの発車です。2駅先の加佐登駅で下車したのですが、加佐登駅の旧称は高宮駅。関西鉄道が、高宮駅を加佐登駅と改称したのは、1903年2月1日です*。かつてこの辺りは、鈴鹿郡高宮村で、1889年、津賀村・広瀬村と合併、高津瀬村になりました。同年に出版された、野崎左文・洲崎栄芳『日
なんだかんだと歩けずじまいで、そろそろ月一回の東海道ノルマに行かないと、と…なんとか今週、時間が取れて。いざ、庄野へ。さあ、ここからです。庄野宿のか街並み。従是東神戸領暗くてよく見えませんが、こちらの内容です。川辺の街はどこも水害に苦しめられていたんですね。これが女人堤防。中冨田の一里塚跡。従是西亀山領。こんな小さい道標もうれしい。現在の和泉橋。こちらで迂回します。ののぼり道道標。埋まりすぎやろ〜こういうのよくありますが。旧和泉橋の親柱。最近、二宮尊徳さん
無事?検診を終え、今週は東海道四日市から庄野へ。検診は相変わらずの体重と腹回りでした。まあ、大きく成長していないだけよしとするか。ここからスタートです。ここのたい焼きは天然物らしいです。やっぱりこの時間、開いてないか〜シブい店看板。やってませんでしたが…日永神社。スルーしようと思ってましたが、追分にあった東海道最古の道標があるとのこと。大神宮いせおいわけ京山田1656年です。かろうじて読み取れます。日永一里塚跡。建物と建物の間に肩身狭く設置されてます。街道の名
■2022年3月5日昨日の夜、寝落ちして11時45分にふと起きる。完全に、明日の昼の11時45分と勘違い。目覚ましスマホが充電切れになっていたことも勘違いに拍車をかける。アラーム鳴らなかったと。部屋のカーテンを開ければ済んだ話。チェックアウト時間過ぎてるな、とかは思ったけど、昼時間との思い込みに変化無し。今日は早く出て早く庄野宿に着きたかったのに、とか思いながら、歯も磨かずにリュックに荷物を無造作に詰め込んで、準備して出発。あー、今日の旅館のチェックイン、間に合わないと
「庄野宿」の街並みです。あまり宿場町というイメージはありませんでした。昔風の建物も何軒かありましたが、保存されているというより「残っている」という感じの建物でした。庄野宿西の入口標柱から約2分、左手に本日3カ所目の川俣神社がありました。鳥居をくぐり拝殿の右手に「スダジイ」の大木がありました。高さ11m、地上の幹回り約5m、樹齢約300年の巨木です。「川俣神社」から約2分、左手の床屋のくるくる回る看板の横に「郷会所跡」の看板が
「地福寺」から旧東海道に戻り5分弱歩くと、左手の道路わきに半分埋まった道標がありました。「右のぼ***」まで読めますが、多分「能褒野(のぼの)神社」への道標だと思います。向かい合うような形でも言う一つの道標があり、読みにくいですが「左のぼ***」と刻まれているようでした。道標のすぐ先のY字路を左に進み2分強、前方に安楽川(鈴鹿川の支流)の堤防が見えてきて、左に公民館がありました。その玄関わきに幅1m、高さ1.5m程度の「いずみばし」と刻まれた石がありました。これはこれか
やっと東海道歩きに行けました。前回は伊勢路の庄野宿の手前の駅、加佐登をゴールにしたので、今回はこの加佐登駅がスタート。加佐登駅は、広重のこの浮世絵の舞台は加佐登駅周辺らしいのですが、工場が多くて面影はゼロでした。ほどなく庄野宿に到着。連子格子(れんじこうし)が美しい家並みが続きます。資料館は無料、昔のお姉さんの詳しい説明も無料😆庄野宿資料館庄野宿資料館|資料館・記念館庄野宿資料館のご紹介suzuka-bunka.jp綱吉時代の高札が現存していて(写真NG)、ニカワを混ぜた墨で
(11)【東海道五十三次の旅】自転車で行く東京→大阪の旅《四日市宿→坂下宿》東海道の旅第7日2020年10月7日東海道の旅第7日東京から大阪まで、新型コロナウイルス感染対策を徹底しながら、自転車での旅を決行しました。ルートには国道1号ではなく、江戸時代の東海道を採用しています。江戸時代の旅を感じること、明治時代の鉄道とそれ以前の交通を比べることもテーマのひとつとしました。なお、分かりやすいように「東海道五十三次」のタイトルを設定していますが、京都到着後、残り4つの宿場を通過した、大坂
鈴鹿市に入り、旧道の坂を下りてくると、国道1号線を隔てて、1978年創業の「名物とんてき來來憲」のデッカイ看板旧東海道は道の向こう側なので、渡りたいんだけど、横断歩道が無い名物とんてき來來憲|創業1978年元祖とんてき|鈴鹿市とんてきといえば來來憲!当店は創業以来、素材と味にこだわった「元祖の味」のとんてきを提供しています。こだわりのとんてきは地元のお客様をはじめ、県外からのお客様にもご好評をいただいております。また、当店で一緒に働くスタッフの募集も行っています。アルバイトを探している学生
・・・さあここからは、次の宿に・・・・・・ここから、庄野宿になるようです・・・・・・すると、左手に神社が見えてきました・・・・・・なんとここにも川俣神社・・・3つ目です・・・・・・・・・ただ、この境内には樹齢300年といわれるスダジイの樹がデー―ンと・・・・・・幹回りが立派!・・・・・・街道に戻ります・・・・・・この先の集会所の玄関先に、新し目の石柱・・・・・・右手の石柱は・・・本陣跡碑・・・・・・通り過ぎてしまったが、手前数十メートルの理容室の側面には・・・・・・少し先には
MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』44~46宿目のまとめ。【44~46宿目】2021年02月05日(金)放送旅の内容:●四日市宿→石薬師宿→庄野宿→亀山宿→おまけ▲たまには役に立つ?!くっすん■名物は江戸時代のインスタント食品?!★めっちゃアホな取り壊し?!スタートは三重県四日市市・『日永の追分』。目標地点は三重県亀
元々はバイクブログだったのよ😓今日24日は、北風に変わりまして、寒さを感じる季節になってきましたねえそれはさておき、わがキャノピーちゃんこの写真は使い回し(今年7月)今月中ごろ、バッテリーがご臨終ネットを探したけど規格が合うか不安で、外したバッテリーを持って南海部品へ行ったり、ホームセンターに行ったり南海では14000円くらいしてたけど、某ホムセンで同じ大きさ、容量で、12980円のバッテリーを見つけ新調しました!キャノピーのバッテリーって高いねえ
CJ関西本線河曲駅(CJ14)←加佐登駅(CJ15)→井田川駅(CJ16)2020年8月30日(日)に訪問した、CJ関西本線加佐登駅の画像をUPします。単式ホーム1面と島式ホーム1面の、合計2面3線の地上駅で、無人駅です。庄野宿と、加佐登神社・鈴鹿中学校・高等学校の最寄り駅です。加佐登駅の駅名標です。駅ナンバーは、「CJ15」です。加佐登駅の鳥居型駅名標です。以上です。CJ関西本線河曲駅(CJ14)←加佐登駅(CJ15)→井田川駅(CJ16)
9月12日(土)今日は雨の確率は低そうな午前中に自宅周辺を少しだけ走ってきました。🚴♂️朝起きた時は陽がさしていましたが走っている間、ずっとこんな感じでした。今にも降り出しそうな黒い雲でしたが雨雲レーダー見ても降っている様子は無く実際降られませんでした。適当に走って旧東海道の庄野宿へ。庄野宿資料館庄野宿案内板走れないよりマシですが距離的に物足りない朝のちょこっとライドでした。昼からの方が天気が良かったという皮肉な1日でした。では、・・・
いつも応援ありがとうございます。2020年8月29日の伊賀から亀山までの続きです。2020年8月30日7:50今日は亀山駅からスタートです。亀山宿東海道五十三次46番目、京都から8番目の宿場。亀山城の城下町でもあった。前回2005年の「東海道自転車ぶらり旅」では寄れなかった石薬師と庄野へ向かいます。旧道を関西本線沿いに進み、やがて国道1号線に出ます。今日も強い陽射しです。その陽射しを浴びながら国道を黙々と進みます。汲河原町交差点で斜め左の旧道へ入ります。庄
なんちゃって東海道五十三次⑫からの続きです…東海道五十三次アプリの記録🚶♂️93日目(8月3日)🚶♂️4376歩👣庄野宿(45番目の宿場)に到達\(^-^)/(しょうの三重県鈴鹿市)亀山宿まであと11511歩👣旦那さんが在宅勤務のこの日、朝6時過ぎから歩きました🚶♂️40分コースを行けば、次の宿場(庄野宿)まで行けると思ったのですが、途中何度かアプリがストップしていて…😅結局、歩数を稼ぐ為、家の近くを歩き、なんとか宿場に到着しました🙆♀️神社の狛犬に手を当てて
今日は岡崎市まで走ろうと思ってましたが、会社の同僚と飲んでて朝早く動けなかったので、近場の三重県へ行くことにしました。このステッカーが欲しくて来ましたが、帰ってバイクに貼ろうとしたら、粘着が弱く貼れませんでした。(´・ω・`)ステッカーを買ってから次は鈴鹿方面に走って庄野宿資料館に来ました。もう宿場町の面影は無くこの商家のみ残っています。庄野宿は東海道五十三次の45番目の宿場町です。無料で見学出来ます、そしてここに高札がありました。高札の写真は撮影禁止でし
今回は、四日市宿と石薬師宿の中間にある采女(うねめ)から、目に付いたものをご紹介します。このあたりは人家も少なく、桑名から四日市にかけてのように、気が付く対象もぐっと減ってしまい、亀山宿までの間、歩いているときはとくに退屈でした。しかし、何もない田んぼや川べりを唱歌でも口ずさみながら歩いている方が、江戸時代の旅に近いような気がしました。自動車整備工場の壁に大型カヌー。アイキャッチ用のオブジェにしては大きすぎるような。水害に悩まされる可能性もない台地上ですし、その種の同好会をやっている様
井田川駅から自転車で走っていくと趣のある公民館に出会いました。三重県鈴鹿市の和泉公民館でした。自転車で橋を渡ってしばらくする、旧東海道・四十五番目の宿場町である庄野宿に到着しました。今日はあまりココに時間がさけないのでサラリと見て次の目的地へと向かうのでした。
6月3日(水)今日は、久しぶりに有給休暇を取得しての平日ライドをしてきました。最近こんな本を買いました。表紙にも採用されている東海道五十三次の47番目の宿場町、関宿まで行くことにしました。関宿は、過去に何回も行っていますが古い町並みに魅力を覚え自宅から自走で走る定番のコースになってます。石薬師宿を越えて石薬師の一里塚石薬師は、母校の小学校があり中学校への通学路でもあって懐かしさを感じます。庄野宿中富田一里塚東海道近くの井田川駅和田一里塚亀山城趾亀山宿野村一里塚名阪国道の
ほぼ毎日自宅から西へ東へ南に歩いてますが今日は、北を歩きましたわ(笑)自宅から近鉄鈴鹿線の踏切を越えて鼎屋です。蒲郡の画家ひろはまかずとし先生の絵が有ります先生とは、ここの場所で会いシンガーソングライターの野本直美さんや喫茶ばんとまいむの真野幹雄さんともここで会いましたね。もう20年以上の話ですが、昨日のようです。向かいには美味しいお寿司が有ります🍣関白支店大きなくすのきが見えてきた。母校です。二宮金次郎像も健在だ。何十年ぶりに見たかも懐かしいこの辺も友
先年、偶然目にした古い京街道絵図、浪花の浦からボチボチ歩き始めた京街道も東海道の海道歩きとなった。海道亀山宿~四日市宿4月9日鈴鹿越えを後日に回しにして・・仕事は昼飯までとして、堺~天王寺~奈良~木津~加茂=関西本線=亀山駅に移動。お城を見ながら街道歩きの起点を決めて宿探し。1712加茂駅乗り換え1718笠置駅満開の桜1847亀山城の夜桜0838亀山城、京口門跡を東に向けて歩き始めると町屋造りの家並みが続く。各戸には「みたにや跡」「いせや跡」などの案内
一昨年から歩き始めた「東海道五十三次ウォーク」もいよいよ最終盤。今月の3連休、桜の満開宣言が出た東京~セントレア経由で四日市へ。穏やかな春の陽気の中、1月の終点「四日市宿」からマスク着用でリスタート!(笑)しばらくは車道と歩道の区別が無い細い路地のような道。しかも交通量が多くて、前方を塞がれる事もしばしば。なかなかペースが上がりません。そしてお伊勢参りの道「伊勢参宮道」との分岐「日永の追分」で小休止。この先は国道1号線と付かず離れず距離を稼ぎ、四日市名物トンテキ