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くれえばん様が取材に来ていただき、くれえばん11月号に掲載していただきました。ありがとうございました🙏🏻見ていただいた多くの方々からご連絡をいただきました。ありがとうございます🙇🏻♂️#ヒロボールパーク#野球塾#野球教室#呉市#呉#広#呉市広#広商店街#野球#ベースボール#ボールパーカーズ#野球を始めるならヒロボールパーク#野球は楽しい#金本浩司#広ワールドジュニア#白岳中学校#広高校#中央大学#シダックス#アメリカ独立リーグ#くれえばん#高校
家で企画会議をしている。日々をお経を書いてます。おえっまあに汚い
この投稿をInstagramで見るピッチャーを目指している小中学生にオススメのドリルがあります👍一番力を入れないといけないところで一番力が出せないのは残念ですからね〜🤫地面の力を利用して、溜めた力は投げる方向に発揮するコツを掴んだ塾生の成長はスゴイものがあります‼️ボールパーカーズ、成長中です👏お気軽にお問い合わせください🙇♂️https://hiroballpark.amebaownd.com/ヒロボールパーク(@hiroballpark)がシェアした投稿-2020年A
いよいよ第100回全国高校野球選手権広島大会が開幕しました❗豪雨被害で大変な思いをされた方々ばかりだと思いますが、開幕した以上、3年生には思い出に残る好ゲームを期待しています❗そして、ヒロボールパークの卒塾生も活躍してくれる事でしょう‼そこで、私が高校3年生だった27年前、1991年夏の新聞📰を...。甲子園行きたかったなぁ~🏟
私も現役時代、何本かホームランを打ったことがあります。小学生の頃は、外野手の間を抜けるランニングホームランを打ちましたが...。高校時代、ライトのフェンスを越えるホームランを打った自分の打席を思い出してみると、1アウトランナー三塁だったので、ライトに犠牲フライを打とうと考えて打席に入り、思いっきりライトへフライを狙ったらフェンスを越えてホームランになりました。外野のフェンスを超えるホームランは、ゴロを転がそうとか、内野手の間を抜こうと考えて打席に入っていては、打てるものではないと私は思って
卒塾生の応援。春季広島県高校野球大会準々決勝広-広島新庄
昨日まで行われていた広島県高校野球秋季大会で我が母校がベスト4に入りました。この大会は、来春の選抜甲子園大会への切符を懸けた熱い戦いが続いていました。我が母校は、工大高、近大福山、高陽東、尾道と強豪校を次々と破って勝ち上がりましたが、準決勝の西条農、3位決定戦の広陵には惜しくも敗退し、初の中国大会出場は叶いませんでした。私も高陽東戦、広陵戦の2試合観戦しましたが、強豪校相手に臆することなく戦った後輩たちを誇りに思います。思い出せば、私が高校3年生の春季大会準々決勝でサヨナラ負けを喫し、あ
經濟レポート2013年12月17日号で紹介していただきました。經濟レポート様、有り難うございました。
くれえばん2013年5月号で紹介していただきました。くれえばん様、有り難うございました。
(2009年2月、デイリースポーツより)
(98年秋、月刊くれえばんより)
(98年6月、TheTribune-Democrat,Johnstown,Pa.より)
(96年、シダックス応援ガイドブックより)
(96年、ワールドベースボールウィークインジャパン公式パンフレットより)
(96年、グランドスラムより)
(96年春、月刊くれえばんより)
(大学4年秋、東都スポーツより)
(大学1年夏、読売新聞より)
私の高校時代のキャプテンである友人・船田興起氏。高校時代、夏の県大会直前の抽選会で発言したビッグマウス。翌日の新聞でそうそうたる強豪校の主将の中、広陵と対戦したかったと・・・広商を怒らせた男だ。高校時代、二塁手だった船田。試合中、別にピンチでもないのにマウンドに来ては、どうでもいい話をしてポジションに戻っていた。まあここでは書けない様な会話も多々あるが・・・卒業後は、私と同じく東京の大学に進学し、その後はアメリカにいた。東京でも何度か遊び、リーグ戦も応援に来てくれた
私の幼なじみである友人・松田孝行氏。愛称は、タカちゃん。小、中、高と同じ学校だったが高校2年生のたった1年だけ同じクラスになったことがある。タカちゃんは野球部ではなく、中学、高校ともにサッカー部の主将でありエースストライカーであった。卒業後は、阪南大でもサッカーを続けた。(写真は高校3年冬、タカちゃんの自宅にて)小学校の頃はよく遊んで、小、中、高校は一緒に登校していた。そんなタカちゃん、私が渡米前、家を購入したからご飯を食べようと自宅に招待してくれた。しかし、
私の高校時代の1学年後輩・渡辺隆志氏。愛称は、ナベ。高校時代は主将・4番・捕手として活躍し、私と同じ東都リーグでプレーする事を目指し、関東のある大学を受験し続けたが叶わなかった。結局、地元の大学に進学したが野球部に入部せず、在学中は、母校・広高校のコーチをしていた。(写真は大学4年、神宮球場にて)ナベとは高校時代に出会ったが、中学校から彼の名前は知っていた。彼の中学校は強くて、そのチームでエース・4番という事で地元では有名だった。しかし私が知っていたのは、実力の方ではな
私の親友・土岡大介氏。愛称は、ツッチン。高校時代の同級生であり、父親同士も同じ高校で同級生、しかも教諭同士という間柄。そういう関係から仲良くなり、今では親友である。実は、彼は野球部ではなくバレーボール部の主将・エース。日体大でもバレーボールを続けたため、東京でもよく遊んだ。さらに大学院に進んだため6年間私と一緒に東京にいた。彼が東京にいるというだけで心強かった。(写真は高校3年夏、体育祭)彼との思い出は多々あり、お互い励ましあいながら切磋琢磨した
(高校3年冬、月刊くれえばんより)
(高校3年夏、朝日新聞より)(高校3年夏、中国新聞より)
(高校3年夏、朝日新聞より)
(高校3年夏、読売新聞より)
(高校3年夏、毎日新聞より)
(高校3年夏、スポーツニッポンより)
(高校3年夏、デイリースポーツより)