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肥後人吉城からブーンと九州を北上縦断、豊後・大分県日田へ。江戸時代の私塾、広瀬淡窓が主宰した咸宜園へ。文化14年(1817)開塾から明治30(1897)年まで続き、その間、門弟5000人を数えたという。広く塾跡地が保存されていた。建物は、右手の淡窓ら歴代塾主が利用した居宅・秋風庵、左手の淡窓の書斎・遠思楼が残る。咸宜とは、「みなことごとく」という意味で、学歴・年齢・身分に関係なく誰もが塾生になれ、みな平等に学問を受けたという。しかし毎月!の試験はきびしかったらしい、ムムム。
こんばんは、mmm(まーママ)です。11月12日(日)大分県日田市で、「日田天領まつり」の見学。夜の、千年あかり。17時を過ぎて、あかりに灯がともされ始めました。まだ外が明るいから、うまく写真撮れないね。薫長酒造のあかり。こちらも。長福寺夜のかぐや姫。中城川沿い。長蛇の列が出来ていた、こちらのお店でおやつ買います。鳥市本店
こんばんは、mmm(まーママ)です。11月12日(日)日田天領まつりを見学に、大分県日田市へ。夜の千年あかりの前に、豆田の町を散策します。花月川では、準備中。薫長酒造を見学。寅さん柄のラベル。天領もちで、おやつを購入。ほかほかのよもぎ餅、美味しかったよ。日本丸館を通りかかったら、ちょうど、餅まき始まりました。拾っちゃった。商店街を歩いて行きます。
自分のご先祖様のことを学ぶために。また、自分の学びのためにも。日田に行きたかった。日田には、何度も出かける。別に観光旅行ではない。行くところは同じところだ。咸宜園。長福寺・・長生園に。そして広瀬淡窓生家へ行く。特に広瀬淡窓の生家は、絶対に行きたいと思っていた。改装中の看板を見て営業再開を心待ちしてた。そして、今年の春に営業再開したことを知り。ちょうど連休だったので・・ホテルを予約した。観覧料を払い、自分は広瀬家の家族の絆とそして、広瀬淡窓が育んだ
味のあるタイトルです。その意味するところは、35ページに出てきますが、もう一度出てきます。【ネタバレします】本書は、広瀬淡窓の弟、正確には八男の広瀬旭荘(きょくそう)の物語です。葉室先生は、広瀬淡窓を主人公にした「霖雨」も書いていますので、本書は、その「兄弟小説」ともいえましょう。広瀬旭荘は、1807年に生まれた実在の人物で、1863年に57歳で死去するまで、多くの漢詩を残した詩人であります。旭荘は、淡窓が開いた私塾・咸宜園(かんぎえん)を23歳の若さで継ぎ、
(誤字脱字乱文乱筆をご容赦)豊後・日田街道(司馬遼太郎「街道をゆく」)道はすべて山中である。途中、ほとんどが杉山である。先生と植林された杉山の風景というのは、東山魁夷が好む画題だが、日本特有の景色でもあるであろう。山が激しく傾斜して道路へ落ち込んでいる。その斜面はすべて杉であり、道路からさらに谷へ落ち込んでいる斜面も過ぎである。その谷向も杉がぎっしり取れつして黒緑の壮大な面を作っている。これほど日本中に杉の需要があるのかと心配になるほど、杉で埋められた山谷が続いている。司馬遼太郎
シャイン🌈です😊私の自己紹介です『はじめまして、シャインです』はじめまして、シャイン🌈と申します別のアカウントで、乳がんサバイバーとしてブログを書いていましたが、最近糸掛曼荼羅にはまって、趣味のブログに変更しましたはじ…ameblo.jp彩雲の美しい朝日を見て、気分ルンルンのシャイン🌈です今日は、悪子ちゃんの知人の絵を見に、悪子ちゃんと豆田へ行きましたその前に豆田を散策しながら、ランチです道を歩いていると、可愛いお花たちが目に止まり、あっちでパシャリ、こっちでパシャリと写しまくりまし
○英彦山参道の最も上、奉幣殿のすぐ下に、広瀬淡窓の詩碑と杉田久女の句碑とが存在する。杉田久女の句碑については、すでに、次のブログで、案内済みである。・テーマ「豊国」」:ブログ『谺して山ほととぎすほしいまゝ』谺して山ほととぎすほしいまゝ|古代文化研究所:第2室(ameblo.jp)○英彦山には、豊前坊高住神社前にも、杉田久女の句碑が存在する。・テーマ「豊国」」:ブログ『橡の実のつぶて颪や豊前坊』橡の実のつぶて颪や豊前坊|古代文化研究所:第2室(ameblo.j
○2022年12月11日に、英彦山参道を登った。午前中に、英彦山スロープカー花駅まで参道を歩き、午後は、花駅から上を登った。途中の茶店前の案内板に、銅の鳥居まで0,4㎞とあり、奉幣殿まで0,3㎞とあった。それくらいの距離なのであろう。○午後の最初の部分は、前回、ブログ『再び、英彦山参道へ』と題して、曼殊院(まんじゅいん)跡や了乗(りょうじょうぼう)坊などを案内した。今回は、その続きになる。○了乗坊の向かいに存在するのが大本坊跡になる。そこには真新しい建物が建っているのが見える。もっとも、風景
廣瀬淡窓「自新録」から「人の賢不肖は学と無学とに在らず、我れ友をとるや未だ嘗て此を以て限りと為さず。人の難に急ぐ者の如き固より論を待たず。言、信ある者、剛にして能く断ずる者、世事に老けたる者、一芸に長ずる者、皆我が益友なり。但だ無学の人、我輩を忌嫌すること一に蛇蝎の如し。親近せんと欲するも而も得べからず。是れ我が憂なり。」淡窓先生は、この中で嫉妬心の強い人間とは付き合わないことと諭していらっしゃいます。「嫉妬心深き者は内争を生じ易し。興に交を結ぶべからず。又興に事を
シャイン🌈です😊私の自己紹介です『はじめまして、シャインです』はじめまして、シャイン🌈と申します別のアカウントで、乳がんサバイバーとしてブログを書いていましたが、最近糸掛曼荼羅にはまって、趣味のブログに変更しましたはじ…ameblo.jp今日は郵便局に行く用事があり、うちのご近所に日田郵便局があるのですが、豆田のお稲荷さんにお参りしたかったので、豆田の郵便局へレッツラゴ〜です豆田は、観光客が結構いましたが、聞こえて来る言葉が全て外国語アジア系がほとんどでしたよ韓国語は聞かなかったので
明けましておめでとう御座います㊗️今年も宜しくお願い致します🙇♀️いつもより遅く起きてお正月の準備を☝️朝のご挨拶と新年のご挨拶を家族で行い子供達には、お年玉を渡しました😊まだ、お年玉の意味が解らない感じかな😅おせちの前でお屠蘇で乾杯🍻今年も美味しそうなおせちが、たくさん😊正月三ヶ日は、料理を作りません☝️私は、昨日お客様のお店で買ったお寿司と刺身が有れば、幸せです😊日ごろ、食べれないので☝️子供達は、テンション高くて楽しんでいます☝️おせちの後は、年賀状を見て、お
シャイン🌈です😊私の自己紹介です『はじめまして、シャインです』はじめまして、シャイン🌈と申します別のアカウントで、乳がんサバイバーとしてブログを書いていましたが、最近糸掛曼荼羅にはまって、趣味のブログに変更しましたはじ…ameblo.jp11月末だというのに、25.1度で夏日の大分県日田市です寒くなる前に、大掃除の窓拭きは終わらせたいと思い、今日も窓拭きをしていましたが、暑い暑い汗をかきかき、終わらせました後は家の中の大掃除なので、寒くても大丈夫ですそして今日は、一粒万倍日、神吉日
町名日田キャッチフレーズ咸宜園、天領、重要伝統的建造物群保存地区(商家町)、近世日本の教育遺産群(日本遺産認定)所在地大分県日田市豆田町最寄駅JR久大本線日田彦山線日田駅訪問2020年6月江戸時代末期は天領で近隣17万石を支配したそうです。現在は歴史の町、水郷の町、温泉の町として有名。幕末頃について書かれた本に『咸宜園(かんぎえん)』がよくでていて、ずっと気になっていました。教育方法が面白かった、学生数が日本一だった、大村益次郎も卒業生だとか。日田は古くから交通の要衝で江
昨日も参政党のYouTubeを見ました。大分県での街頭演説もあり、関心があって見ました。参政党は1議席は確実で、できれば5議席は欲しいようです。しかし新党としては1議席でも大変で、その5倍となるとこれは奇跡に近いです。訴えてることにはすごく納得します。とくに目新しいとことばかりでなく、日頃から自分が思っていることに近いです。とくに大分駅前での第一声は良かったです。福沢諭吉の「学問のすすめ」の解説をし、学ぶことの大切さを強調してました。もちろん大分ということもありましたが、参政党のやっているこ
新緑まぶしい季節の出来事↑新緑…?金立サービスエリアのメロンパンです(^q^)↑今回の目的地福岡県田川郡添田町(そえだまち)「この鳥居より手前(写真だと奥)の山域が彦山、先(写真手前)が英彦山と呼ばれる」と聞きましたがホントですか?↑車で進むとどっしり英彦山神宮にやって来ました☆ビックリです鳥居がとても大きくて…!↑その青銅製鳥居の裏の黄色いまる●…メロンパンじゃないよね↑すごく楽しみうわぁΣ(°o°)道の先が見えない!?↑参道には至るところに色んな物(お店も
昨日のd拙ブログの続き。またまたご了解などえずにここに紹介させていただく。申し訳ありません。奥様の故郷鹿児島に住みつつ多くの書を紹介されているフーさんのブログ。最近のブロブで紹介された福山隆著「陸軍中野学校」のなかに、以下のような文章があった。『その55「陸軍中野学校」の教え(福山隆)を読む』福山隆著「陸軍中野学校」の教え(DIRECT,2021)を読んでいます。著者は、陸上自衛隊もと陸将。大韓民国防衛駐在官をつとめた。韓国で防衛駐在官として勤務…ameblo.jp「第1章
雨の中でしたが、計画してたバスツアーへ。それほど風も雨も強くなく、帰る頃には晴れ渡り🤣美味しい料理と可愛らしいお雛様に心も体も元気に⤴️⤴️⤴️
葉室麟さんの「雨と詩人と落花と」を読みました。葉室さんは残念ながら2017年12月に逝去しています。この本は2018年3月31日に出版されています。愛を見つめ、いつくしむ心を描き続けた巨星・葉室麟の深き到達点!孤高の儒者・漢詩人と彼を支えた妻。江戸末期、時代の奔流に生きた至高の夫婦愛。天領の豊後肥田、私塾咸宜園の塾主である広瀬旭荘は二度目の妻・松子を迎えた。剛直で激情にかられ、暴力をふるうこともある旭荘。しかし、心優しき詩人である彼の本質を松子は理解し、支え続けた。だが、江戸で松子
シャイン🌈です😊今朝、目が覚めたらなんだか寒いカーテンを開けたら、霜がしっかり降りてました母も「朝方寒くて、お父さんがストーブ焚いてたよ」と。スマホで温度を見てみたら、なんと−5℃昨日の予報は−1℃だったので、かなりの誤差ですね〜ニュースでは、北海道の大雪が出てましたから、寒いくらいでブーブー言えませんね〜今日は開運日の巳の日なので、神社にお参りしなきゃと、まずは町内の神社に行きました⛩う〜、寒そう街路樹の下に、水仙を発見そして、アレルギー検査をしに皮膚科へ行きましたすると
三浦梅園広瀬淡窓(日田咸宜園)三人が豊後の三賢帆足万里は日出藩家老瀧廉太郎像の大手門側にあります。その大手門へは土橋で渡りますその土橋の下トンネルがあるんですよあとで行ってみようと思います先に土橋に行ってみることに案内板は日出城址碑は趾
次の目的地は、山鹿が生み出した偉人の一人、第二十三代内閣総理大臣・清浦奎吾の生家である明照寺と清浦奎吾記念館です。清浦奎吾は1850年、現在の山鹿市、明照寺に生まれ、幼名を普寂といいました。一度は熊本県内の寺に養子に出されますが、元来学問好きで好奇心と向上心が強い彼は幕末の混迷期に僧侶となることを拒み、やがて当時一流の私塾であった広瀬淡窓率いる大分県日田市の咸宜園の門を叩きます。写真の仕込み杖は、日田までの70キロの道のりを歩く清浦青年を激励した地元の資産家が手
遠田潤子さんの小説「緑陰深きところ」「兄さん、今からあんたを殺しに行くよ。」ワインレッドのコンテッサがゆっくりと走る🚘一気に読めて最後は涙でボロボロに😭作者は私と同じ大学の1学年後輩?もしかしたらキャンパスですれ違っていたかも⁈「花開満人集花盡一人無但見雙黄鳥緑陰深處呼」読み方は「花開いて万人集まり花尽きて一人無し但だ見る双黄鳥緑陰深き処に呼ぶを」意味は「花開けば多数の人々が遊び来たり、花落ちれば人の影は無いが、しかし一つがいの鶯が緑深き林の中で、人恋しそうに呼んで
斎藤一人さんの心に響く言葉より…◆《一人さんへの質問》一人さんは、早朝からドライブに出かけることが多いと聞きました。昔から「早起きは三文の徳」と言われるように、やはり早起きをして出かけると、いいことがたくさんありますか?◆まず、この質問には間違いがあるので訂正しますね。一人さんは、たいていお昼近くなってから出かけます(笑)。そんなに早起きもしていない(笑)。という前提で、一人さんが言える範囲でお答えしますね。はじめに
こんばんは、mmm(まーママ)です。5月29日(土)先週に引き続き、1泊2日ウォーキングの旅。まーパパ、毎回歩く場所を工夫してくれてます。今回の旅のテーマは「長崎街道をゆく」。■長崎街道とは江戸時代に、小倉から長崎までの52里を25の宿で結んだ九州随一の幹線道路。長崎に入ってきた海外の情報をいち早く江戸に届けるために整備されました。まずは、彼杵宿(そのぎしゅく)。■道の駅彼杵の荘長崎県東彼杵郡東彼杵町彼杵宿郷747-2こちらから、スタートです。
シャイン🌈です😊旅の相方Cちゃん(悪子)から「お散歩しませんか?」とお誘いがあったので、豆田町をお散歩してきましたうちから歩いて5分で着きます途中、新芽が綺麗だったので撮ってたら、悪子ちゃんが、「この石碑はなんだろう?」と言うので見てみたら、広瀬淡窓先生関連の神社跡らしいです普段気にも留めてなかったので、歩いてじっくり見てみると、いろんな発見がありますね近所のおうちも興味深そうに悪子ちゃんは見てましたよ白い木香薔薇のアーチ、素敵ですまずは上町から散策です裏に神社があると聞いてたの
TAKAのお気楽ブログにようこそジャンルにこだわらず、書きたいことを書いています本日421日目、今日も「お気楽に」いきましょう~(どうぞ最後までお付き合い宜しくお願いします)今日は祝日ですね最近はだいぶ暖かくなってきまして、花粉症の方は今が一番ツラい季節でもあるかもしれませんが、、、確実に春が近づいている証拠でもあります皆さま、いかがお過ごしですか今日は「ことごとくよろし」というタイトルです皆さんは「咸宜園」をご存知でし
おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ今回は大分学検定・おおいた遺産講座の共有です!大分学研究会の例会で2つのテーマを学習。学習した内容をみなさまにも簡単にご紹介いたしますm(__)m「大分学✎」動画集→https://youtube.com/playlist?list=PLCP8H0iqHBwAnOg6sAM1WMnLYfWzTj4Zm大分学✎♨(StudyofOita)作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有youtube.comYouTu
2019年5月1日の福岡県うきは市吉井町・浮羽町の歴史散策レポの続き。「居蔵の館(旧松田家住宅)」を見学した後は、「素盞鳴神社」に向かいました。居蔵の館(旧松田家住宅)(その3)のレポ『居蔵の館(旧松田家住宅)(その3)~福岡県うきは市吉井町の歴史的建造物』2019年5月1日の福岡県うきは市吉井町・浮羽町の歴史散策レポの続き。「居蔵の館」の続き。居蔵の館(旧松田家住宅)(その2)のレポ『居蔵の館(旧松田家…ameblo.jp「居蔵の館(旧松田家住宅
星隈神社の続きです。「日・月・星」の神社がある三隈三山の中心部に位置する玉垂神社へ。たまたれじんじゃ住所:大分県日田市十二町玉川町583十二町公民館と併設していたと思います。✱鳥居(正面)✱鳥居の額には『黒男殿社(くろおさましゃ)』とあります。こういう額縁の渦巻き模様はクマソ物部の神額であり大国主=大黒様が祭祀という情報もありました。✱狛犬(正面)✱✱鳥居(北側)✱『玉垂社』とあります。✱狛犬(北側)✱✱拝殿✱大原宮三末社の一つであ