ブログ記事47件
アメブロを再開しますこれまで私MPプロジェクトはアメブロを停止していましたが、その理由はAndroidの古い端末を使用しており、その端末でアメブロのアプリがログインできない状態にされてしまったからでした。当時は新しい端末を購入する余裕もなく、やむを得ずgooブログに移行して記事を書いていました。しかし間もなくgooブログのアプリもAndroidの古いバージョンは使用不可となりブログ更新はできない状態になっていました。おいそれと端末を買い替える経済的余裕のない者に対して、徹底排除さ
諸般の事情によりAmebaブログの更新を停止し、今後はgooブログテレビが広めたオウム真理教第2部https://blog.goo.ne.jp/mpproject002として記事を更新していくことに致しました。当ブログを読んで下さった皆様には感謝申し上げますと共に今後も時々見て頂ければと思います。皆様誠にありがとうございました!
2021年になり、日本でもコロナワクチン接種が始まった。私(筆者)は当初より自分のTwitter(末尾にアイコン有り)にて治験中であることや、接種後の死亡者数の状況、副作用による被害などを警告しているが、ワクチンそのものの被害に加えさらなる暴力・人権の侵害にあたる行為の可能性がある出来事を発見したので今回はそれについて述べていきたい。始めにTwitter、ブログなどで9月中旬頃に見つけた興味深い記事を幾つか掲載させて頂く。https://blog.goo.ne.jp/zaurus13
Twitterの一部の方(フォロワーさん等)は既にご存知かと思うが、私(筆者)は広瀬健一(元死刑囚)とは同い年であり、広瀬より1ヶ月早い5月12日産まれである。2ヶ月ほど前に書いた私(筆者)の誕生日のツイートをあらためてここに載せることにした。前半は私(筆者)が停止していたオウム真理教の教団活動を再開した話(失敗談)であり、後半は教団とはおよそ関係がないように見えるかも知れないが、現在の新型コロナワクチン接種に関するツイートになっている。また今後は教団生活に関するもののみにこだわら
地下鉄サリン事件発生から26年となりました。事件を風化させないことは重要と言えますが、私は地下鉄サリン事件そのものよりも、むしろそれ以前のマスコミの教団に対する扱いをよく検証し風化させないことの方が何倍にも増して重要と考えます。それはこのブログの開設動機でもあり、適切な対応であったなら坂本弁護士一家殺害事件(当時は失踪事件)の段階でオウム真理教の疑惑が晴れてはいないことが周知でき、教団への警戒心が維持され、その後の教団の勢力拡大は防げたと考えるからです。即ち事件の回顧も重要ですが、事件が起
1994年7月中旬頃、清流精舎のマシニングセンターのチームとNC旋盤のチームが全員集合していた。私(筆者)は部外者のため、そこでどのようなことがあったのかはわからない。しかし結果としてその数日後、清流精舎のサマナの人数が大幅に減ったため、配置替えが行われたのだということがわかった。数人から彼らは第9サティアンに配属されたと聞いた。私(筆者)の認識からすると、技術スキルが高い人が選ばれているのではないかと思うのに十分だった。これらは何を意味するか?当時は新しい工場が出来たので、普段からワー
今回は〝なぜMPプロジェクトが殺人兵器開発計画と言えるのか?〞について書きたいと思う。まずオウム真理教がこの遺体焼却装置をどうやって入手・購入したのかについて考えてみる。いくら何でも「オウム真理教です!この装置を証拠隠滅のために購入させて下さい」などとはやっていないはずである。恐らくはダミー会社を名乗り、もっともらしい理由をつけて購入したものと思われる。完全に証明は不可能だが事実関係から考えると、教団が馬を飼っていた時期があった。在家信徒からのお布施だったということだが、ボツリヌス菌の
※私(筆者)はブログ開設当初から用いていた名前(ハンドルネーム)をMPプロジェクトに途中で変更した。そのいきさつはTwitter名とAmeblo名を統一して〝MPプロジェクト〞に変更するに書いているので参考にして頂きたい。1994年3月下旬、私(筆者)は清流精舎の金属棚ベッドで寝続ける生活を1週間ほど継続していた。トイレ及び食事の時間を除き、すべての時間をPSIヘッドギアを装着し続けた状態でコードをPSI装置本体(大型の囲碁・将棋盤くらいの大きさ)に接続して寝ることを義務づけられてお
私(筆者)のオウム真理教に入信してから一旦教団活動を停止して、テレビでの教団の扱いを間違って解釈し活動を再開、出家に至り、出家生活、脱会するまでの概略はこれまでに既に記した。今後は以前書いたように断片的に思い出すことができたものについて書いていくことにしたい。以前書いた記事〝オウム真理教清流精舎で待っていたのは村井秀夫だった〞に述べているが、私(筆者)は村井秀夫に紹介された先輩信者のT君と燃料電池開発のワークをしていた。しかし芳しい成果を上げることはできず、まず私(筆者)がチームから外
以下は過去の記事のリブログです。広瀬健一の元部下として思う所を大勢を占める印象や人物像とは異なりますが、敢えてそのまま書いています。タイトルはこの記事の中の一文です。死刑執行から2年経ちましたが当時の記憶は今でも残っています。《リンク》自動小銃密造を一言も明かさなかった広瀬健一地下鉄サリン事件前後の広瀬健一(元死刑囚)の様子清流精舎への強制捜査と最後まで犯行を隠し通した広瀬健一(元死刑囚)との別れ
S刑事が私筆者の自宅を訪ねて来た。まずS刑事は私(筆者)の両親に挨拶をした後、「大変なことに巻き込まれましたね」とねぎらいの言葉を話された。そして私(筆者)がオウム真理教出家信者として清流精舎で生活していた状況を、特に誰とどのようなことをしていたか?について詳しく聞かれた。私(筆者)が逮捕される要因となった自動小銃密造の件についても尋ねられたが、それよりも清流精舎での生活について聞かれたことが大半だった。私(筆者)は最初に村井秀夫に会ったこと、先輩信者T君と数ヶ月間を燃料電池の
久しくブログ更新間隔が空いてしまったことをお詫びしたい。実は私(筆者)の母が先月体調を悪化させ、つい最近まで約1ヶ月入院していた。何とか退院したものの自力では歩行困難なため、介護のサービスを受けるための手続きや話し合いなどをしていた。また今後も継続し考えていかなくてはならないが、一応見通しが立ったのでブログを再開できるようになった。私(筆者)はこれまでオウム真理教の信者としての経験や考えを書いてきた。しかし前回までの数回の記事で述べた私(筆者)自身の逮捕を契機として、事件の真相を知り教
《取り調べ初日~3日目》私の予定は大幅に狂ってしまった。宗教弾圧により不当に逮捕され、恫喝や暴行を受けてもそれに屈することなく教団や自分の無実を主張する。拘留期間終了後、自分が生きていればそのようなことを裁判で世の中に訴える、という段取りを考えていたのだが、現実に私(筆者)の目の前で示されたことは、そのような想像とは完全にかけ離れていた。教団は広瀬健一や横山真人が主導して自動小銃密造を本当に行っていた。私が広瀬に指示されて熱処理を行っていた直径約3㎝長さ約30㎝の丸棒は、コスモク
1995年7月15日再びオウム真理教の各サティアンに強制捜査が入った。教団第8サティアンでは私(筆者)は免許証を提示して氏名の確認をされた後、「こちらへどうぞ」と多くのサマナ達とは別の場所に誘導された。同様の者は10人ほどだった。そこで信者それぞれに対して、「あなたを逮捕します」と告げられ建物の外に出された。外に待機していた車に乗り込む直前に、逮捕状が読み上げられ、「これを認めるか?」と訪ねられたので「認めません」と答えた。しかし「逮捕状が出ているので逮捕します〇時╳╳分逮捕」と
今回は始めに第12サティアンについて書く。広瀬健一の指示で清流精舎から第6サティアン、続いて第8サティアンへと移動してきた私(筆者)は、少し景色が変わっていることに気がついた。マハーポーシャの研修以来久し振りに見る第8サティアンのすぐ隣に、第12サティアンが建っていたのだ。第8サティアンに強制捜査が入る前までは見ているだけで、中には立ち入らなかったが、5月16日麻原が逮捕され広瀬健一ら幹部も逮捕され、サマナを管理指導する体制が一時的に手薄になったことがあり、その時期に他のサマナと数人
1995年4月4日強制捜査が清流精舎にもやってきた!1995年4月4日ついに清流精舎にも強制捜査が大挙して押し寄せた。私(筆者)らサマナ達はその数日前から広瀬健一をはじめとする上層幹部の指示に従い、書類や備品類を処分して情報戦に備えていた。私(筆者)自身は違法性のあるワークに心当たりはないものの、わざわざ知らせることもないと考えたので、自分の保管していた部品類を装置からは離れた場所に移動させた。強制捜査が始まった。まず最初に、信者達全員が建物の外に出された。すると一斉にテレビ
1995年3月中旬(15日頃だったと思う)ほとんど毎日行われていた広瀬健一からのワークの指示が突然来なくなった。当然あちこちの教団サティアンに連絡してみたが「わかりません」と言われるばかりだった。もちろんワーク以外にも達成しなければならない修行の課題は多かったので手持ちぶさたにはならなかったが、何とも言えない違和感は感じていた。まさにその裏で地下鉄サリン事件が実行されていた訳だが、私(筆者)には到底想像にも及ばなかった。※その事件がオウム真理教が犯したもので
1994年10月の末頃に、教団第2サティアン(と思われる)にて教団科学技術省のチーム別進捗報告会が開かれた。科学技術省のサマナが全員集められた。全員サマナ服着用及びPSI(教団製ヘッドギア)を装着することが求められ、皆そのようにした。※この少し前にPSIの技術開発が進み、基盤の小型化が達成されたため、少し大きめのスマホぐらいの基盤が、(読者の方々も見かけたことがあるかも知れない)オウムの白いサマナ服の胸のポケットに丁度スッポリ収まるように作られていた。※残念だが、正確な日付と場所を思
以前書いた記事〝冷酷非情な男広瀬健一〞への反響がかなりあったようだ。アメブロのアクセス数を検索する機能を使って記事別に見ていくと、ほぼ毎回上位に表示される。また、この記事に対する批判コメントもなぜかtwitter(ツイッター)上で散見している。批判は大いに結構であるが、その前提となる情報が私(筆者)と批判者の間では全く異なる、ということは確認しておいてもらいたい。ほとんどの人達は、裁判が始まった後の広瀬健一しか知らない。逮捕に至る前の広瀬健一については、テレビや新聞もしくは今
私(筆者)はオウム真理教に出家する直前の約半年間、前述のT君を先輩信者として見習い期間を過ごした後、村井秀夫の指示により広瀬健一の部下として出家生活を始めることになった。当然広瀬は私(筆者)のワークについて指示監督をしていたが、広瀬自身がどのようなワークをしているかについては、私(筆者)に話したことはただの1度もなかった。広瀬の生活の拠点は清流精舎ではなく旧上九一色村の第6サティアンにあったこともそれを分かりにくくさせた。また、広瀬は清流精舎で私(筆者)以外の信者のワークも指示監督し
オウム真理教の出家信者について、どのような立場に置かれるかは、信者の階級(教団内での地位)によって大きく異なる。出家信者の中では当たり前になっていたが、あまり広くは知られていないと思われるので、概略だけでも説明しておきたい。階級は下からサマナ見習い、サマナ、サマナ長、師補(スワミと呼んでいた時期もあった)、師、師長補、師長、正悟師、正大師、(皇子、正報師、猊下)、尊師※皇子(こうし)、正報師(せいほうし)、猊下(げいか)は麻原の娘・息子達のみであり、一般の信者がこの地位になることは
村井秀夫から手渡されたマグネトロン(マイクロ波発生装置)の部品の中には、極めて貴重な(1セットしかない失敗の許されない)ものと、実験などに使えるダミー的なものの2種類があった。当然最初は銅部品のダミーを使って実験を行った。私(筆者)が担当していたのは、部品同士を高温でロウ付けすることによる接着であった。これを精密に(高い精度で)行う必要がある。なぜならマグネトロンが稼働すると内部の温度は数百度に上昇する。放置すれば自身が破壊してしまうため、部品内部に冷却水を通す細い管を作っておき、その
《前々回〝オウム真理教清流精舎で待っていたのは村井秀夫だった〞からの続き》見習い信徒としてのマハーポーシャの研修を終えて、清流精舎へと配属されてからおよそ半年が経過した。村井の指示でT君とそしてV師さらにK君(後に私筆者とは大変仲が良くなった)も加わって進められていた燃料電池開発のワークは、いっこうに良好な成果を得られずにいた。それに加えて私(筆者)の精神的な状態が、この出家見習い生活を始めた当初には想像もしていなかった苦痛を感じていた。現世のものは全て捨て去って、強い決意をしてこ
冷酷非情な男広瀬健一(教団名:サンジャヤ正悟師)※前回までの記事を読んで頂いた方々には話が大きく先に進んだことを御容赦頂きたい。前回の続きは次回の記事から書かせて頂く。インターネットや新聞などで広瀬健一(元死刑囚)の記事を読むと、そのほとんどが、好印象をいだかせるものばかりが多く、私(筆者)にとっては同意しかねるものばかりである。そのような言い方をすると、それは広瀬に対するやっかみだろうと思われる方がいると思うので、まず客観的事実に基づいたことを書こう。広瀬健一は地下鉄
野田成人(教団名ヴァジラティクシュナー正悟師)は、地下鉄サリン事件への関与があったにも関わらず、検挙されていない人物である。なぜそう言えるかというと、地下鉄サリン事件発生直後、清流精舎(山梨県富沢町にあった教団施設)において野田は、「誰がやってくれたんか知らんけど」と、一応地下鉄サリン事件の犯人については知らないという立場を示す発言を含んだ説法を行っている。しかしそれは偽装だった可能性が高い。その説法の3日後、教団の富士山総本部道場の玄関口での出来事だった。広瀬健一、横山真人、佐々木
ブログなどで2世はともかく、1世の人でもしばしば「どうしてエホバの証人になったのだろうか。」とおっしゃる方がいます。勿論、エホバの証人に接したときに何かしら通常とは異なる心理状態だったがゆえに、そこをつけ込まれたり、あるいは押しの弱い方がいらっしゃるのはわかります。しかしながらそれなりにしっかりした考えをお持ちの方ですらもそのようなことをおっしゃっています。これには驚きました。「現役時代は思考停止していた。」とか「現役は思考停止している。」という人がいますが、では自称覚醒者たちが人間
悔悟オウム真理教元信徒・広瀬健一の手記1,620円Amazon悔悟オウム真理教元信徒・広瀬健一の手記[広瀬健一・著高村薫・序文]1,620円楽天大学講師に依頼されて書いた手記を原本にしたもの。彼は思春期に思索した「生きる意味」や「「絶対的価値」を追究する手段として、オウムに入信したのだが、そこで解脱の経験をしたことにより特殊な宗教経験をしたのだが、そこ麻原の反社会的な誘導で忠誠心を募らせ犯罪に繋がっていく過程は、一つ道を間違うと自分もそうした道へ進んだかもし
この度の一連の記事で「懺悔」と表明できたのは、広瀬健一の手記を読んだからです。彼は自分の手記で「懺悔」を表明しました。彼の場合は犯した罪に対する懺悔であったわけで、私とは少し事情が異なります。私はたとえ罪を犯さなくても全否定思考を当たり前のものとしてみなしていたことに対する懺悔であり、これは人間だれしも陥りがちな罠にはまっていたことへの懺悔です。ただ広瀬健一が自己の心の変化をつぶさに見つめ、「思考停止再論」の中で解説した“確信犯様態”が実にわかりやすくまた率直であったことで大いに心と思考が
広瀬健一の思考停止に関する分析はカルトを理解するのにかなり核心をついているものだと思われます。元エホバの証人の人が「自分は思考停止していた。」という言葉をよく口にしていますが、たぶん広瀬の分析に照らし合わせると「思考は停止していなかった」ことになります。広瀬の言う「思考停止」とは、オウムで指示された違法行為をするに際し、まだ入信前の良心が残っていて、その良心の呵責を感じながらも、つまり「悪いと思って」いながらも、その違法行為を実行するときです。『思考停止再論』P1信徒が思考停止し
オウムに出会わなかったらもっと幸福な人生を送り、多くの人々を奈落の底に貶めるような犯罪を引き起こすことはなく、むしろ人々から尊敬される人間になっていたかもしれないとすら思える元死刑囚たちです。罪を犯した本人たちが果てしない悔悟の思いにとらわれているのを見ると、破壊的カルト宗教が彼らに及ぼした害悪の大きさ深さから、宗教アレルギーをさらに強める人もいるかもしれません。広瀬健一はその点に関して次のように述べています。「学生の皆さまへ」P29,30現在、私はオウムの教義や麻原の神格を全否定