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みなさん、オリンピック、見てますか?例によって私はいろんな競技を途切れ途切れに見てるので、なんだかもう、ナニガナンダカといった感じです。スノーボードクロスだったり、スーパー大回転だったり。ええ、日本選手出てません。でも、それでも楽しめちゃうのがオリンピックの面白いところなんじゃないかって気もしますね。スノーボードクロスを見ながら(俺って人生で1回もスノボーやらないまま死んじゃうのかなぁ)なんて考えたり。そんでもってカ
図書館で借りていた『92歳、広岡達朗の正体』を、約1カ月半かけて読了しました。全400ページ近くあり、非常に読み応えのある一冊でした。本書は、広岡達朗氏の野球人生を、以下の章立てで振り返っています。第1章出生~早稲田大学篇戦火の時代、そして野球との出会い第2章読売巨人軍篇“打撃の神様”との確執第3章広島東洋カープ篇指導者としての原点第4章ヤクルトスワローズ篇“ぬるま湯球団”の改革第5章西武ライオンズ篇現代野球の礎を築く第6章千葉ロッテマリーンズ篇
今回は、森昌彦「レオの強さを探る」前参謀のメモから(中)のつづきです。森昌彦「レオの強さを探る」前参謀のメモから(下)"V3”フロントの勝利ニューパワーも表面に出てきたゾバックアップ態勢西武入団が決まった昭和56年(1981年)オフのことだ。坂井球団代表が広岡新監督のもとに驚くようなニュースを持ってきた。「レジー・ジャクソンがフリーエージェントになっており、獲得できる」というものだ。聞けば8億円余りの金をつぎ込むという。他の球団にとっては、夢のような話だ。結
90を過ぎてもなお正論をぶち上げて止まない、世間から見たら老害視されている面もあるが、舌鋒鋭いというのはこの人の事を言うのだろう。仕事に関しては、自身の正しさに対して一歩も退かなかった真摯な姿勢が終いには疎まれて、広岡の娘曰く「円満退社出来ない人」ということになってしまった。そうした仕事への追究の姿勢をヤクルトスワローズの監督を務めた時に焦点を当てて、選手を含めた当事と広岡本人への取材を重ねた大作が面白くないわけがない。「人生は一生かけて勉強だ」といって、歳を重ねても道半ばという事
今回は、森昌彦「レオの強さを探る」前参謀のメモから(上)のつづきです。森昌彦「レオの強さを探る」前参謀のメモから(中)実った米国「野球留学」若手の台頭激しい競争社会で貴重な体験を積んだ今、私の手もとに、分厚いリポートのコピーがある。二年前、米1A、サンノセ・ビーズへ野球留学した若手選手たちの報告だ。どれもが見知らぬ地での体験に大きく刺激された様子を感じさせてくれる。その中に秋山のリポートもあった。日本では想像できない激しい競争社会であること。その中でいかに自己をア
1985年12月西武ライオンズは新監督として森祇晶が監督に就任した。森は1981年~1984年までの3年間西武で広岡達朗監督のもとでヘッドコーチを務めていたが退団。1985年は野球評論家として文化放送ライオンズナイターや報知新聞紙上で解説をしていた。森は評論家として活動していたこの1985年の一年間のことを「別の視点かつ客観的に外から西武を見ることができた良い機会だった」とのちに語っている。さて、私の所有していた資料を探っていたところ1985年西武のリーグ優勝がほぼ決定的となった10
ネットで本文の一部が紹介されていて、面白そうだったので即購入。元埼玉西武ライオンズ・渡辺久信の著書『獅子回顧録』だ。現役時代は、常勝・西武ライオンズのエースとして君臨。あの工藤公康に『勝てない』と思わせた投手である。当時の私は、『とにかくライオンズの優勝を阻止してくれ』という思いが一番だった。パリーグで無理なら、日本シリーズにはライオンズに勝てるチームが進出してくれ、と本気で思っていた。それほど、当時のライオンズは無敵だった。1982〜1994年の13年間。その願
年末休みは久しぶりに本をいろいろ読んでいます。その中の一冊、スワローズファンで知られるノンフィクションライター・長谷川晶一さんの著書『正しすぎた人広岡達朗がスワローズで見た夢』の感想を記します。広岡達朗監督の元、スワローズが球団初のリーグ優勝・日本一を達成した1978年は私は当時5歳で野球の存在そのものを知らなかったため、まったく記憶はなく、後に色々と情報を調べるうちに広岡監督の凄さを知ることになるのですが、本作は長谷川さんらしい丁寧な取材と平易で分かりやすい文章で克明にえがかれていま
私がプロ野球というものを知ったのは、昭和38年(1963年)、小学3年生の時です。この年、セリーグは巨人と中日が優勝争いし、巨人が首位をずっと走り、中日が猛追し、最終的には140試合で、巨人が勝率.601、中日が.584で2.5ゲーム差でした。テレビでは巨人の試合ばかり放映され、私はその時は巨人ファンで、プロレスで正義の味方力道山が最後は必ず勝つように、巨人が正義の味方で必ず勝つものだと信じていました。両親は中日ファンでした。巨人×中日で、6:1と巨人がリードしていたのが、中日の選手が
アルバムを見返すタイミングはいつ?▼本日限定!ブログスタンプアルバムを目にしたとき全盛期の菊池涼介とか、若いころの今宮健太とか、今の滝澤夏央とか、上手い内野手に対して「言うほど上手くない」みたいなコメントするド素人って、何を根拠に、どういうポイントから“上手くない”って評価を下してるんだろう?🤔何なら、今宮は、あの広岡達朗も若いころから絶賛しているんだが。ナゼか、菊池はプロOBの極々一部にもそういう評価をする人がタマにいるけど。そう言いながら敢えて言うが、若い
おはようございます。日曜日のお弁当は、土曜日に続いて松茸ごはん。それと冷凍庫に眠っていた鯵をフライパンで花椒油と塩で炒めました鯵の塩焼き弁当:鯵の塩焼き松茸ごはん玉ねぎの炒めものマヨネーズ和え切干大根煮ひじき煮塩茹でブロッコリーコース料理の食材の余りを使用のため、原価計算はお休みです。花椒油で炒めたので、ピリっとした辛味がアクセント。美味しくいただきました46歳当時の広岡さんと93歳現在の広岡さんを数々の証言などから語られるということで、楽しみにしている
日曜日軸馬【1-2-1-3】ショウヘイ3倍レガレイラ4倍ヌケの31倍w5倍ゲットん❗❗マイナ伍阡円❗❗オッズはショウヘイなんだね!どこ評価してんの?全くわからんおれ買ったことないまぁちゃんと来てるし走るんだね!それでもわからん!もっとわかんないのはレガレイラ指数派はレガレイラ買わない!勝つ条件はスローからの10秒台のないラスト5ハロン勝負。当然指数は伸びないし瞬発力、末脚指数も伸びない。なんて言ったらいいかわかんないけど、中山でしか出現しないラップ。この先もおれは買わないと思うペローナ
ヤクルトと西武をリーグ優勝に導いた名将の広岡達朗さんが、藤川監督を褒めました!!「今シーズンの阪神に限って言えば、戦力が充実し、勝てる時期が来て、選手たちをその気にさせた藤川の手腕は評価すべきだ」「監督の力量とは、先発ピッチャーが崩れた時にどう采配するか。そこを見極めなければ、本当の値打ちはわからない。オレなんか、フロントをすべて敵に回してでも勝った」広岡さんが、なかなか、このようには褒めることはありません。時折、賛否両論の意見もしますが、藤川監督の采配を認めたことは、素晴らしいと思
「正直、監督1年目でここまでやるとは…勝因は岡田の遺産と藤川の学びだ」93歳の球界大御所が阪神の史上最速Vを語る…「巨人を始め他球団が弱すぎた」9/8(月)6:00配信RONSPO阪神が7日、甲子園での広島戦に2-0で快勝して2年ぶり7度目のリーグ優勝を果たした。先発の才木浩人(26)が危険球で5回に退場するアクシデントがあったが、湯浅京己(26)が緊急登板、6回からは桐敷拓馬(26)、及川雅貴(24)、石井大智(28)とつなぎ、最後はクローザーの岩崎優(34)が締めた。チー
ひとつ前の当ブログに続いて、当ブログ2024年10月21日に書いた「広島カープのコーチ時代の関根潤三さん、水道の元栓を止めたという“力石徹”のようなエピソード」を以下に再録します。***ひとつ前の当ブログの続きです。日大三中時代、関根潤三さんが藤田省三監督に猛練習で鍛えられた話を書きました。その日大三中に転校してきたのが根本陸夫さんです。茨城中を退学になって、日大三中に転校してきた根本さんは、関根さんと同い年ですが「ダブり」を重ね、2学年下だったの
ひとつ前の当ブログで、1987年にヤクルト・スワローズの監督に就任した関根潤三さんがチームリーダーの広沢克己選手にだけ「今年は優勝を目指さないから」とあらかじめ言っていたという話を書きました。関根潤三さんが後年、語っています。「就任したとき、とにかくチームが暗かった。かつてチームを優勝、日本一に導いた広岡監督が注入した“管理”が本来の意味を失い、単に選手を縛るだけの道具になっていたんです」と。広岡達朗監督といえば「管理野球」、グランド内だけでなく、選手の食生活まで徹底管理したことで知られていま
昨日は、巨人が阪神相手に長嶋茂雄追悼試合を行った。亡くなったのが6月3日で、7月にも東京ドームでの阪神戦があったのに8月16日にしたのは、お盆を意識したからか?試合は、吉田義男追悼試合の雪辱で、阪神が3対0で勝利。3点で勝ったのは偶然か。今年は戦後80年が話題となった。長嶋さん、吉田さんに今年は小山正明さんも亡くなられた。彼らの終戦時は、今の小学校の前身名の国民学校の高学年。教育勅語を読んだり、竹槍訓練をしていたのであろう。彼らよりも年長で、昭和7年生まれの広岡達朗さんは、元気に野
おはよう☀️🙋❗【☀️】/おはようございます🌞\#ハニービー石川#BeethePower#吉留有紀pic.twitter.com/0v9itxZtA2—ハニービー石川【公式】(@hbi_1975)2025年8月10日⛰️山の日でした⛰️本日もよく降った☔川の日かとおもったくらい。山の日富山県内各地はあいにくの雨にあすにかけ大雨に警戒を(北日本放送)-Yahoo!ニュース山の日のきょうは、県内各地であいにくの雨となりました。現在、県東部を中心に9の市と町に
都市部はすでにコンビニ飽和状態の中、店舗当たり売上高の落ちる地方を攻める決断がセブンにできるのか。#セブンアンドアイ#国内#コンビニ#中期計画#既存店#新設備#導入◆セブン&アイHD、国内コンビニ1000店増の中期計画…既存店5000店以上に新設備導入https://news.yahoo.co.jp/articles/ac944be118f253059a0303acfdcc6134ee638d69セブン&アイHD、国内コンビニ1000店増の中期計画…既存店5000店以上に新設
「広陵は辞退などする必要はない」93歳の日本球界大御所がSNS騒がす広陵の“暴力事案”にモノ申す…1回戦対戦相手の「握手拒否」事件には「やってはならない行為」と激怒広陵と同じく広島県立呉三津田高校出身でプロとして巨人で活躍、ヤクルト、西武で監督を務めた93歳の大御所の広岡達朗氏が、「辞退などする必要はない。それを議論するなら県大会前だ」との独自の見解を明かした。広陵の“暴力事案”を巡るSNSでの炎上騒ぎが沈静化する気配がない。まだ暴力行為があったかどうかは認定されていな
11/1より大阪府代表に選ばれて紀伊国屋、ジュンク堂書店などで「ふるさと作家フェア」実施中来年もっと大きな企画参加決定自著ドラマ化侍作家の報告♪今年度また出版新企画要項一覧&選抜出場校選手好きな芸能人。連覇なるか?自著ドラマ化侍作家のなぜか○○の日だけなくて不満、やから勝手に作った○○の日、理想の○○ベスト3自著ドラマ化侍作家のお知らせ今年の特別企画リスト&大谷鈴木へ優しい言葉&鈴木藤浪の談話。激神曲自著ドラマ化侍作家のお知らせ報告&絶版もあるダルの気持ちが分かった新
野球小僧時代は、チーム方針で監督やコーチ陣から口酸っぱく成績下がれば、スタメンレギュラー外すと良く言われ、フィジカル能力高いメンバーで学業が苦手なチームメイトは困惑してた様が今も、昨日の事の様に思い出す遠い夏の日の事を。そしてイチローさんの凄く同感ですが、ある程度、今も、昔もフィジカルも体格もそれなり以上に無いと厳しいと思うのは私の意見ですイチローさんもプロやメジャーでは大きく無い方かと思いますがでも。175cmはありますからね。そして足も肩も凄いですからと個人的に思うのだが、飲んだくれの
このところの当ブログで、現役バリバリの長嶋茂雄選手が主演した映画『ミスター・ジャイアンツ勝利の旗』(1964佐伯幸三監督)を取り上げています。その続きです。最後のエピソードは、長嶋選手の家にサインをもらいに来た少年が、不在のため帰ろうとしてトラックにはねられ亡くなるというものです。この事故に長嶋選手が動揺するといけないので、球団広報のフランキー堺さんはその記事を試合前の長嶋選手に知らせないようにします。背番号36の国松彰外野手も「あいつは神経質だから……」と言います。フランキーさんは柴田
呉三津田高校出身の有名人として、「浜田省吾」さんと「広岡達朗」さんが紹介されてました。【呉三津田高校】華麗なる卒業生人脈!シンガー・ソングライターの浜田省吾、巨人OBの広岡達朗、日本被団協の坪井直…広島県の南西部に位置し、瀬戸内海に面する呉市。天然の良港を有し、「軍都」と言われた。呉三津田高校は、市の歴史を反映した明治時代からの伝統を誇る県立高校だ。26年度に創立120周年を迎える。diamond.jp有料記事なのでその辺りまでしか読めませんが、まあこれで十分ですよね。僕の母校
1954(昭和29)年、早稲田大学から巨人に入った広岡達朗は、巨人の大先輩・川上哲治に「軽口」を叩いてしまい、川上の気分を害した。その後、新人の広岡は、1954(昭和29)年4月27日、「運命の大エラー」をやらかしてしまい、広岡と川上の「確執」が表面化した。そこから、広岡と川上の長い「因縁」が始まった…。そんな経緯で始まった、「広岡達朗VS川上哲治」の物語を書いている。そして、今回はいよいよ、「広岡・巨人時代編」のクライマックスとも言うべき、「長嶋ホームスチール事件」の顛
1954(昭和29)年4月27日、早稲田大学から巨人に入団し、新人ながら巨人のショートのレギュラーを獲得していた広岡達朗は、「運命の大エラー」を、やらかしてしまった。そして、それをキッカケに、広岡達朗と川上哲治の「確執」が表面化した。そこから、「広岡達朗VS川上哲治」の宿命の対決の物語の幕が開いた…。<「広岡達朗VS川上哲治」の物語③(広岡・巨人時代編『中編』)~水原監督から川上監督の時代へ…>(2025/5/5)『「広岡達朗VS川上哲治」の物語③(広岡・巨人時代編『中編
先日、私の誕生日(4/27)に因んで、「1954(昭和29)年4月27日」という日付にスポットを当て、広岡達朗という人物を主人公とした、「広岡達朗の運命を変えた『大エラー』の物語」を書いた。そして、現在はその「続編」として、「広岡達朗VS川上哲治」の物語を書いている。広岡達朗という人物、そして、広岡とは全く反りが合わなかった川上哲治という、2人の人物の「対立」が、野球界の歴史を大きく変えて行く物語である。<「広岡達朗VS川上哲治の物語②(広岡・巨人時代編『前編』)~広岡
先日(4/27)、私の誕生日の日に、私は、「1954(昭和29)年4月27日」という日にスポットを当て、広岡達朗という人物を主人公にした、「広岡達朗の運命を変えた『大エラー』の物語」について書いた。そして、今回はその「続編」を書く。<【本日(4/27)は私の誕生日】1954/4/27…広岡達朗の運命を変えた「大エラー」の物語>『【本日(4/27)は私の誕生日】1954/4/27…広岡達朗の運命を変えた「大エラー」の物語』本日(4/27)は、私の誕生日である。この日(4/27
本日(4/27)は、私の誕生日である。この日(4/27)は、私の誕生日に因んで(?)、「4月27日」という日にまつわる話を、毎年、書いているが、今回取り上げるのは、広岡達朗という1人の人物の運命を変えた、「1954(昭和29)年4月27日」についての物語を書く。この日(1954/4/27)巨人の新人で、ショートを守っていた広岡達朗は、とんでもない「大エラー」を犯し、それが、川上哲治との決定的な対立の遠因になった。やがて、広岡達朗と川上哲治は、生涯にわたり「確執」が続いて行く…。