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潜在意識ライフコーチの周(あまね)と申します✨自分とつながって人生を丸ごと変えるライフコーチングやってます※初めましての方は→コチラ親友Eちゃんを体験セッションで掘り掘りしていくと“両親以外の人とずっと一緒にいると気を使って疲れてしまう”という心の声が出てきてそれが結婚していない現実を創っていました。分かる〜!!私も全く同じだったから
こんにちは!ご訪問ありがとうございますHSPママ、文乃ですただいま、公式ラインにて大阪リアルランチ会を募集中です↓↓『【募集中】2024年の振りかえり&目標シェア会♡』こんにちは!ご訪問ありがとうございますHSPママ、文乃です前回告知した、2024年6月9日(日)大阪でリアルランチ会5/1(水)7時から募集…ameblo.jp今回は先日受けた高本ここなさんのセッションで、衝撃的な気づきがたくさんあったのでレポートしま
私の母親は俗に言う、“毒親”でした。子育てに一生懸命で、過干渉。決して愛情がなかったわけではありません。だけど、それが私を苦しめ続けました。母親が最低な人間だったら、暴言を吐くこともできたかもしれないし、危害を加えていたかもしれません。だけど、それができなかった。もちろんできなくてよかったのだけれど、発散する機会がないまま、私は大人になりました。「もう抵抗するのはやめよう」そう思ったことを今でも覚えています。小学生だった
自分のインナーチャイルドを見つける(Step1)ために、"幼少期の経験をできるだけ詳細に紙に書きだす"ということをしています。いくつかはっきりと記憶している嫌な記憶はあるのだけど、紙に書き出してみると、どうも違う。こんな簡単な言葉で表せるほどの出来事じゃない!という感じるのです。僕の言語化能力が足りていないからかも知れないけれど、詳細に書こうとすると記憶がさーっと消えていくんです。これまで何度も嫌な記憶を消そうとしてきたから、もう消えかけてるのかな。傷だけ残して。今、ざっと覚えて
幼少期の体験が、いかに影響を与えるか興味深い🤔究極はどんな状況でも逆境に強いメンタルだが、親がメンタル強いと乗り越え方のマインドが伝染するような氣がする10代の若者が成人するまでの人生で親や環境にどのように影響を受けるかをスクロールして追体験できる「Thisisateenager」子どもの発達において、幼少期の経験や環境が重要な役割を果たしていることが知られており、子どもの将来は「幼少時の会話」で決まるという研究や、思春期に「自分の家族は社会的地位が高い」と感じる若者は健やかに育ち
\痩せたいけど続かない/人を救う!!世界一心に寄り添うダイエット心の専門家📍\感情×心/に徹底アプローチ!最新✨オリジナルダイエットメソッド開発📍感情を扱うだけで、ラクラク痩せて永久キープ📍鏡を見て落ち込む生き地獄→3か月で‐5kg6か月後には180°変わった私へ大変身!!📍最短90分たった6個の質問で問題の本質を解消!【心も身体もこじらせ様専用】世界一心に寄り添うダイエット心の専門家はやしななです^^💛プロフィールページ
小さい頃から「我慢しなさい」と言われて育ってきました。服や漫画など、欲しいものはなかなか買ってもらえず、テレビ番組は親が許可したものしか、見させてもらえませんでした。「よそはよそ、うちはうち」「大人になって稼ぐようになったら、自分で買いなさい」が常套句。まわりの友達が羨ましくて仕方なかったし、テレビ番組などの話に入れなかったのも、辛かった記憶があります。今思うと、どれも小さなことだったし、決して何も買ってもらえなかったわけではありません。本
マイヒストリーセミナー生まれてからこれまでを年代別に、思い出せる事を書き出していく。そこには自分の都合の良い記憶ばかりが出てくる。おふたりのカウンセラーから質問。答えながら周辺記憶が少しずつ出てくる。それは無理に思い出すわけではなく質問に答えながら自然と引き出していく。そこには、ずっと蓋をしてきた記憶も。そもそも、どうしてこのセミナーを受けようとおもったのか。簡単に言ってしまえばタイミング。正直、触れたくない過去なんて、誰しも持ってるものだし。わざわざ辛い過去を引きずり出
美容の仕事を始めて約25年。こんなに長く続ける仕事になるとは…先日同業の友人との会話で「この仕事を選ぶ人は承認欲求が強く自己肯定感が低い人が多いそうだよ」と聞いたその友人も思い当たる事があるとの事そして、私も‼️‼️‼️となり自分の思考のつじつまがあった様に思います。少し幼少期の頃の経験を書いてみようと思います。私は二人兄弟の長女です母に受けた言葉や態度を振り返ってみようと思います。①「お姉ちゃんやから我慢しなさい」と、言われ続けていた。②「〇〇君は
皆さんの幼少期って、どんなお子さんでした?私の幼少期はというと、今からは想像できないくらいどうしようもありませんでした。子供の時の私を知る人と、久しぶりに再会した時に「雷にでも打たれたの?」と言われたことがあるほど、激変しています。自分でも別人格になったんではないか、というくらいに激変したと思っています。未就学児の時こそ、一般的な子供だったと思いますが問題は小学校に上がってからです。とにかく集団行動が苦手。宿題を一切やらない。忘れ物がめちゃくちゃ多い。小学校低学年のスタート
数年前子供と一緒にヒルクライムという🚲自転車大会みたいなものに出た🚵本番のコースで練習をした楽しい時間を過ごし有意義だった👍人生色々あり同じ時間の共有は出来るときにしておきたいと考えていた🤔そして迎えた本番当日子供より自分が気合が入っていたのか🏋️いつも以上に張り切っていた🚵とは言うものの子どものペースに合わせて走り切った🗻子供は2回程嘔吐し大変な思いをさてしまった😭昭和風に言えばこれも人生経験!ですが妻いわくそんな大変な思いさせてどういうつもり😡そりゃ
*******************子どもが特に小さい時ききわけがなかったり駄々こねたりイライラしてガミガミ怒って叱ってしまうことってあると思うまあ、私はさんざんやってきた!イライラからガミガミへの私の手順はイライラからはじまり怒って叱ってた子どもからみたら怒ると叱るなんて一緒だし大人の都合で怒るは感情的で叱るは理性的にみたいな解釈だったような気がして私も気をつけようとはしていたが私自身の感情にのまれていた学校に行ってる
保育事業を営んでいる知り合いと先日ランチしたとき子育ては自分の幼少期の再現といった話をしていました些細なことでいえば、例えば地方の田舎で育って10代で上京して都会最高!!!って言っている人が子供が産まれると田舎で子育てしたくなるんだとかまぁ自分がした経験しか知らない訳だしそうなりがちだよなぁとは思うそれに当てはまる友人がいて小さい頃、食事は全て無添加カップラーメンやマックはもってのほか!!という方針で育てられ高校生になって初めてインスタント食品を口にした子がいまし
ご訪問ありがとうございます高橋ゆかりです↓久しぶりに旅へ出かけました私のお供ゆかりちゃん&恭さま(自分の中の『リトル・ミー』を癒すためにこんなかわいいものと一緒に生活してます)『リトル・ミー』…幼少期の経験で『癒されない自分』を作り出してしまっている『小さな自分』のこと〇〇なんて…みんなに読んで欲しいからやってみた笑笑〇〇の中は…『損得』である所詮、みんな『損』したくない『損』=『傷つきたくない』そりゃ、自分が傷つく姿なんて見たく
こんばんはꕤ୭*自己再発見で自分を取り戻し豊かで自由な人生を♡自己再発見の旅路の途中心の冒険家(心理カウンセラー)ともです。今日はお題の通りいい子になりすまして怒りを我慢していたわたしのことを一次感情、二次感情というものを絡めながら綴っていきます。わたしが初めて一次感情や二次感情という単語を知ったのは以前わたしがクライアントとしてカウンセリングを受けていた頃で臨床心理士さんから教えてもらいました。一次感情とは怒り、喜び、悲しみ、不安、驚き、嫌
みなさん、こんにちわ女性性開花・タロットコンサルタント紗織です♡今日は1つ、手放す事が出来た感情についてシェアします♡昨日は1日セミナーを受講してました♡今、感じてるモヤモヤ・ザワザワ・不安・悲しみは、【幼少期の頃の未完了の感情】が沸き上がっているこれ、聞いたことありますか?私は初めて聞いたとき、意味がわかりませんでした。今の私の負の感情は、実際に目の前の事に対して感じているだけではなく、幼少期の頃に出来た傷にずっとずっと響いている。だから、より悲しいだなんて
傷ついたインナーチャイルドを直感的に理解するための動画を作りました。特に繊細で過敏な心を持った人が自分自身の傷と向き合うことがとても困難だということを私は知っています。傷を優しくケアできる動画を作りました。繰り返し見ることであなたの抑圧されていた情動が育っていきます。私たちの心の中には、幼少期の経験や感情が深く影響を与える「インナーチャイルド」が存在します。それが傷ついてしまうと、私たちの思考や行動に悪影響を及ぼすことがあります。そのため、インナーチャイルドを理解し、その傷を癒
あっという間に、1月も終了💦2月は逃げる、3月はなんちゃらと言うくらいに早いです🐎私自身、例外なく一年の大半は、スケジュールが決まっており、練習以外には趣味に充てる時間や余裕はなかなかたくさんとれませんが、今回、タイトルの映画🎬🎞️に触れてみました。☺️あまり、映画は観ない。正直、動けなくなるから、、でも、期間を決めて観ることにしました。☁️人生は誰だって、一辺倒にはいきません。お互いが切磋琢磨しながら、励まし合い、理解し合い、その結晶が人々の夢となり、やがて現実となる
𝕎𝕖𝕝𝕔𝕠𝕞𝕖☺︎*.゚好奇心旺盛なアラフィフ女子のブログへようこそ⸜(*॑꒳ˆ*)⋆*☆こちらのページへご訪問ありがとうございます記事を書く前に、この度の地震事故で被災された皆様や御家族にお見舞い申し上げます募金など離れた地域からも応援ꉂꉂ📣そしてこの色で地球全体を包みましょう꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱40代半ばで見えない世界から生まれ変わったように生き直して!!制限なくもっと自由に生きていい!!とスピリチュアルなサインをキャッチした私✨
Helloこども英会話マカナ代表、マカナ先生の子供時代の経験が、大学受験に役立った話アップしています決して優秀ではなかった私が、どんな風に“先生”になったのか良かったら見てみてねYouTube♡大学受験で役立った幼少期の経験♡#talktomakana♡大学受験で役立った幼少期の経験♡#talktomakana#早期英語教育#バイリンガル教育#オンライン英会話#バイリンガルベイビー#大阪で親子英会話#大学受験#英語脳の作り方#大学入試科目youtube
おはようございますChitoseですプロフィールはこちら↓↓『Chitoseの軌跡』山暮らしのアーティストのChitoseです♡今回はプロフィールも兼ねてChitoseの軌跡ですChitoseは1968年12月生まれの54歳(現時点)18歳で…ameblo.jp昨日玄関先で空を流れる雲を見ていました流れる空気の音鳥の囀り樹々の音豊かな時間ですこんな言葉が浮かびましたただ雲は流れる人生も流れていくだけただそれだけで幸せ何も望まなくてもすべては此処に在る自然は先
子供のころに潜在意識に刷り込まれた役目を果たそうとしていませんか。自分らしく生きるのではなく両親、祖父母、兄弟などの誰かを喜ばせることや役に立つことの延長で生きていませんか。潜在意識は記憶のタンクです。生まれてきてこれまで経験したこと感じたこと、考えたことが何層にもなって絡み合いどんどんため込まれます。私は我慢しなくてはいけない自分よりも先に相手を喜ばせなければいけない私は犠牲にならなくてはいけない子供のころご家族
誰にどう見られているか、ということを気にするよりも自分が自分をどう見ているのか、ということに気づくこと。自分が自分に自信を持てなくなったのは、それぞれ様々な理由があると思います。幼少期の経験だったり親からの言葉だったり他者との比較だったりそういったことを経て、いつのまにか、自己否定や自己嫌悪が生じて「自分はダメな人間なのだ」と自分で自分に対して「思い込んだ」ということ。自分を否定してくる他者と、物理的に離れたとしても自分が自分を潜在的に否定している場合、
ものすごくシンプルな欲求だったことが拗れていく心の仕組み保育園の頃の記憶は殆どないけど、外で遊ぶのが好きだった子だと思う。活発で元気子供ながらに楽しいことが大好きだったと思う。しかし、物心がつくと徐々に心に蓋をするようになっていった。家庭環境も然りだ。両親の仲に敏感になる。今は障害者1級で(当初は分かっていなかった)、統合失調症である母の言動に声をあげる父が怖かった。父の言動が怖くて、知らず知らずのうちに萎縮し始めるようになった。学校生活では小学5年生ごろ
私は生まれ育ちが関西。父と母も関西生まれ関西育ち。だけど、私が話すのは関西弁ではない。東京出身の友人にもなにも違和感を感じさせないくらいスムーズに完璧な標準語を話す。それは、幼い頃からずっと、標準語を話すように育ったから。父母もなぜか標準語が上手だったんだろう。幼稚園児だったか、小学生だったか忘れたけれど、ある日家で母相手におしゃべりをしているとき家の外のコミュニティで自ずと関西弁に浸かり始めた私が無意識に「あのな〜」と言ったとき母はすかさず「な、てなに?ね、でしょ」と注意した。
私がよく通勤途中で聴いてるVoicy。暮らし系の発信で色々聴きましたが、一番良く聴いているのがワーママたけかおさん。後天的ポジティブ、という言葉に初めは違和感を覚えていましたが、Voicyフェスなどでかおさんの幼少期の話を聴いたりして、それで私は惹かれてるのかも…と納得しました。そんなんで惹かれても嬉しくないかもしれませんが…。なんか、後天的、とつけたニュアンスが、やっとわかった気がするんです。明るい人、暗い人。にぎやかな人、おとなしい人。元々の性格が色々あるとしても、根底に
𝕎𝕖𝕝𝕔𝕠𝕞𝕖☺︎*.゚好奇心旺盛なアラフィフ女子のブログへようこそ⸜(*॑꒳ˆ*)⋆*☆こちらのページへご訪問ありがとうございます40代半ばで見えない世界から生まれ変わったように生き直して!!制限なくもっと自由に生きていい!!とスピリチュアルなサインをキャッチした私✨具体的にどんな事が起きたかと言うと自分の心の衝動に従いそれまでの私では考えられなかった海外旅行に行ってみること✈️実行しようとした出発の日✨最寄り駅で心肺蘇生の現場に遭遇空港行きバス乗り
こんばんは。皆さん、いつも僕のブログ訪問ありがとうございます。僕が、昔幼稚園から地元の小学校に上がる時どうやら、『家族会議』をしたそうです。当時、僕の祖母が小学校に勤めていたからなのですけど、僕が成人してから母親に聞いたのは、『じゅんちゃん出産した時に難産』だったのよ。2歳〜3歳の時に、『ひきつけ』『全身けいれん』を体験した。小さい時から沢山のお薬を飲み、副作用の嵐だった。小学校上がって直ぐに、僕は、ありえない小学校生活がスタートをきった。僕は、小学生の時は、目立ちたがり屋だっ
暴力のはじまり父の言うことは絶対夕飯は父が帰るまでまつそんな決まりが我が家にはあった。父は自営業で帰りが遅い日は夜の9時を過ぎ夕飯を食べ始めるのが夜10時すぎる事もあった。当時、小学校低学年の私は夜9時には睡魔に襲われ食べないまま寝てしまう事も。そんな私を母が起こして眠い目をこすりながら食卓へ座る。母は父には逆らえなかった。逆らうとどうなるのかもう既に母にはわかっていたんだと思う。そしてある日、その日が来た。「誰が食わしてやってると思ってんだ」「お前1人で食わせ
なんて事ない日常父と母と兄と私の4人の生活。笑顔が耐えず、夕飯は全員で食べ休みの日には旅行へ行った。海や温泉やキャンプ本当に楽しくて仕方がなかった。目と鼻の先には祖父母が住んでいて朝早く帰りの遅い両親だったことから兄と2人祖父母の家から学校へ通い、祖父母の家に帰った。祖父は60を越えても仕事へ行き祖母は家で内職をしていた。帰るといつもおやつが用意されていてお菓子が苦手な私でも食べれるよう色々なお菓子を用意してくれた。いつも優しい祖父母が大好きで帰りの遅い両親の