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いないですねたぶん今を生きる人の大半はいないんじゃないかな一番幼い記憶では親に相談したら嫌な顔をされた友達に話しても嫌な顔をされた記憶しかない大人になって周りを見渡してみてもそんな印象「そんなの分からない」「こっちだって我慢しているのに」悩みを言えている人っているのかな?僕は変で自分がしてもらいたいことを相手にしてしまうだから相手の悩みを聞き出したくなる警戒されて嫌われることもある警戒してたけど話してくれて長い付き合いになることもある独りになってる
あなたの真実を生きる歓びのタロットカウンセリング、コーチング、レイキ伝授、ホームページはこちらから見てね✨ホーム|ヒーリングルームSchein-シャイン-schein-baum.wixsite.comこんにちはあなたの心の声をキャッチするScheinシャインのみっちゃんです今日も自分を宝物に扱って生きましょうね✨今日のカードです❤️WorldsのChild「Player」このカードを恐いと言う人が意外と多いんです幼い頃の記憶から感情が甦る事がありますそれは長いこと押さ
強くて気丈夫な母の最も辛かったであろう出来事を、当時3歳だった私の記憶に端的だが残っていて、この歳になっても忘れられない。私が3歳の秋、弟が産まれた。貧しい生活のなかでの唯一、一縷の望みだったはずの長男誕生もますます母を苦しめる事に幼なかった私には分かるはずもなかったが、小さくて可愛い弟に私は夢中だった。当時大事にしていたお人形すらそっちのけで、弟にべったりだったそうだ。弟は産まれた時から口の中と鼻の奥の境が穴が開いていて、飲んだミルクも満足に飲み込めない障害を持った身体で生まれて
東京、大田区の馬込駅に行った。十一月下旬だが暖かい日だった。十四時に用事を済ませた。この後の予定はない。夕暮れまで時間もある。(西馬込駅に向かおう!)隣の駅まで歩くことにした。西馬込には、昔、母方の曾祖母の家があったのだ。いとこ叔父家族はすでに引越ししている。もう曾祖母の家に縁者はいない。それでも懐かしさが沸いてくる。家の有った場所を探したくなった。最後に行ったのは5才頃だ。45年も前のことである。駅からの道順は
富士山を眺めるため二日目も行動幼い記憶を辿り54年前に訪れた白糸の滝日本平にも連れてってくれると主人が言いました!本当😱😱‼️日本平って世界遺産なんですね知りませんでした。この石に彫られてる台字はなんと元総理大臣の中曽根康弘さんです!世界遺産の推薦名誉顧問と後に掘られてましたここにも中曽根さんがいました(驚5年前に世界遺産に選ばれて夢テラスという無料展望台が出来ました。からの眺め石は緑丸の中私はもう54年も前に確かお正月の3日あたりにふた家族で
余裕って大事である私はのどが弱い幼いころは、すぐに風邪のウィルスが入って保育園をよく休んでいただから母は、保育園の支払いがもったいなくないくらい休んでいたのでのどを鍛えるような、熱風の蒸気をのどに充てる機械を買って、日々それをのどにあてていたしかし、それでも、のどからくる風邪をひいたからおんなじじゃんという事でその機械を日々あてることをやめたのだったそんな幼い記憶を思い出したが、大きくなるにつれ、喉からくる風邪をひかなくなったがのどが弱いと
寂しい絵や音楽が好きだった子供の頃夏になると水中メガネを付けて思川(小倉川)で潜ってた堰の付近は危険だが大きな魚がいるので魅力だった堰会えない母ちゃんに会いたくなった時も潜ってた思川の堰水中メガネを付けて潜ると別の世界が透けて見えたので淋しい気持ちの時も潜ると楽しくなったな魔法のメガネ水中メガネ手描きでも水中メガネをつけたらわたしは男の子♪一部歌詞抜粋泣きながら鏡の前で踊るゆらりゆらり俄(にわ)か雨水中メガネをつけたらわたしは男の子デジタルでも
幼い頃、遊園地。メリーゴーランドに乗って遊んだすごく遠い朧気な記憶誰にでもあるような幼い記憶‥楽しんでは遊びを繰り返し大人になって今に至るそして巡り巡ってまたイリュージョンの夏想い出のサマータイムBUCK-TICKIllusionEmptyGirl
就寝前のわんどーるらんど(^o^)/明日は朝から雨っぽい遅い時間から本番っぽいけど念のため明日は歩きで出勤するつもりそんな本日はおむつの日お題はこちら今でも覚えてる一番幼いころの思い出は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう以前にも触れたこと有る古い家でのウサギへのエサやり大昔幼い頃二羽の兎を飼ってた古いVHSにビデオ残ってたからね当時は未だ弟が生まれる前だったスゲー生意気な姉っクマの姿も(笑)この当時は自分も幼く完全に立
幼ない私が決めたマイルール人生の半分くらい生きているのですが、自分のことなのに数年前まで気づかなかったことがありました。私はお友達や人とお話するのは大好きな方なのですが、大人になっても何故だか自分の本心や本当の気持ちを言葉に出すことにずっとためらいがあったんです。そのことについて深く考えることなく生きてきたのだけれど、心のどこかに引っかかっていたのですそんなある日、昔の小さい頃の出来事を思い出しました。保育園の年長の時のクリスマスイブ一つ下の妹と一緒にサンタさんにプレゼントのお願いの
微かな記憶……なんとなくです。記憶にある光景。きっと親戚の家の地域だった。叔母と従姉妹と母。自動ドアの向こうに大きな靴箱。そこを抜けていった先に見たこともないほど大きな仏壇があった。その仏壇の前に正座をして座らされた。知らないお坊さん、おりんを叩く棒を頭に乗せられた。この日がきっと私の大変な宗教人生の始まりだったのだろう。後から聞いた話では物心つく前に入信させられたようだ。私は今何かと耳につく"宗教二世"なのです(正確には三世)なんの宗教かは言えません。。
「そうだよー」大きな声で返した。更に良いところを見せようとして、恐る恐る、枝の上で立ってみようとしたが、「降りてこられるの?」と、あやのちゃんが言ったのでふと我に返った。「あっ」ここは、とても高いのだということに改めて気付く。けれども、「大丈夫、降りられるよ」最後にちょっと腰を浮かせて、ぎゅっと幹と枝を握り締め、心持ちその場で立ってみせて、自分もあやのちゃんに笑いかけた。実際は、こわいという感情が復活しかけていたが、何事もないような顔をして、するすると滑るように降りた。
こんにちはもっちです😊鳥取県と言えば牛骨ラーメンですが私が忘れられない味それは今はもうない倉吉市にあったタイヨーと言うデパートの1階で食べたラーメン母親の実家が近くにあったので食べに行った遠い記憶🙄幼心にラーメンという食べ物を初めて食べたからなのかラーメンの味は忘れてしまいましたが美味しかったと言う記憶だけが脳裏に焼き付いてそれに勝る味には今だに出会えていませんやがて母親の実家は他の町へ引っ越ししタイヨーと言うデパートも無くなりました私の記憶では
こんばんは🌆訪問やいいねありがとうございます😊今日は午後から雪が吹雪いて大変でした。みなさんのところは大丈夫でしたか?今日は早めに帰してもらい明日も様子で出勤するか決めます。前の職場のとき無理して出ていき単独で事故してしまいました。滑って動けなくなってしまい近くの会社の人たちが助けてくれました。無事出勤でき後日お礼にいきました。私の住んでるとこはけっこう大雪がふります、住んでるとこで差はあります、私の実家はかなり降るから家まで上がってこれない車もあったほど保育園のころ母とタクシー
祖父の弟が亡くなった。大叔父だ。血縁的には遠いが、彼はまた鼻の先に住んでおり、祖父の仕事をずっと支えた人だ。今の私の土台に、大きく関わる人物なのだ。彼は口数が少なく、可愛がってもらった、というような思い出はない。しかし、彼は自由に私の家を出入りし、幼い私も我が家のように彼の家に入り浸っていた時期もあった。幼い私の記憶にはいつも彼の姿があり、それはごくごく日常のことで、当たり前のことだった。すごく悲しいわけではない。ただ忘れていたあの頃が、彼を失ったことで心に溢れる。幼い私の心象
自信を持って人生を魅力的に変えたいアラフィフ女性を応援するレイキヒーラー&講師のまうちともみですいつもお読みいただきありがとうございます。人生初の座談会を3/6にさせていただきました。20名様の方々に参加していただきました。ありがとうございました。始まった時から皆さんから心地の良い優しいエネルギーをいただき生まれて初めてこんなにスムーズに話すことができました今まで人前で話すとパニックになり呼吸困難になってましたから優しくて、話してる私が一番感動し
忘れられない味がある遠いむかし幼少期の頃我が家には風呂がなく銭湯通いをしていたある日の銭湯帰り母がソフトクリーム食べるか?と聞いてきた幼心ながら当時のソフトクリームは我が家にとって贅沢品と知っているそれ故にそんな中食した
.月明かりのブランコのこと.あなたは覚えているかしらいつか月まで行こうって一度きりの約束だけどあの日の心を映して揺れるブランコ🌙・~Thankyouforvisiting~・🎄.*
最終的に、父は精神科へ入院でき穏やかになった。数年間、まともな人だった。正常に会話ができた。しかし、父にはある特殊な能力があった。それは精神科を退院してから分かったことだが、時々、「これから○○という人から電話があるが、話にのってはいけない。」とか、「こちらの方角へは働きにいってはだめだ。」とかを、ぼそっと言うのである。へ何を言ってるの❓と思ったが、その後、父が言った通り「○○と名乗る人物から話がきた」り、ダメだという方角の仕事に就くと、母は病気になった。仕事を
私は、決して霊感があるわけではない。何も見えないし、何も感じない。しかし、この記憶は鮮明に思い出した。幼いころの、「生まれる場所を間違った。」と思った感覚。父は、妄想と幻覚、幻聴の中で生涯を閉じた人だった。そして、それは何十年にも渡った。母はどうにかしてこれを治そうと、私を連れて、おがみ屋さん(=いわゆる霊能者)をあちこち回った。通算、20か所を超える。全部、近所や母の職場の人からの紹介だった。そのほとんどが農家の一軒家で、おじいさん、またはおばあさんが見立てをし
私は、自己肯定感が低い、自己否定もあり、だから自己受容もできていない。一時、自分は自己受容ができたと思った時期があったが、まだまだ私の奥底には、自己否定する感情が眠っていることを知った。自己肯定をできていない人は、自分の希望の逆を引き寄せてしまうらしい。自己否定の波動がマイナスの要素を引き寄せるからだと聞いた。これはスピリチュアル的であるが、量子力学で証明されている。人は、「自分が発する波動(素粒子の波)と同じものを引き寄せる。」類は友を呼ぶ、だ。これには、潜在意
Thegraysky今も変わらない僕と少し離れた月とあと何度見上げるだろう季節が降らすノスタルジア白息遠く幼い記憶只、優しさに引かれ歩いた何も変わらないのは空と僕と少し離れたのは君と月とThesunsets愛撫で落ちた安らぎは続く?どうぞ繋いでいて冴ゆる腑閉ざした躯独りの夜と気づき始める何も変わらないのは空と僕と離れていくのは君と月ともう二度と還らないの?引いていて繋いでいて僕を連れて離れないでずっと今も変わらないのは空と僕と遠くなったのは君と
先輩(とお呼びさせていただきます)達の記事を読ませて頂きながら勉強をしています、39歳占い師を目指す二児の母です。昔から生きづらさを感じながら生きてきました。妹がいるのですが、この子が病弱で肺炎を患い入院したことがありました。必然的に元気な私は段々と無視される存在になりつつありました。姉妹げんかではいつも怒られていました。男勝りで男の子のイトコと遊んでたのもあるからかな。私の命式の日支に甲戌があります。調べると異常干支で女性は特に明るい人が多いと書いてありました。申
みなさんは心の中にずっとあることや忘れられない思いはありますか?私はそのひとつにEちゃんのことがありました。Eちゃんのことは一番初めの記事などにあります。私にとってEちゃんの存在はとても大きくて美しい関係としてありました。数年前にひとりではとても難しいことにぶつかり私自身がセッションを受けている中でEちゃんとの関係がとても大きくそして、魂の関係としては決して美しいものではなくとても現実の思考では受け入れ難
気がつくと、「ごめんなさい」「ちょっとごめんね」「すまないね」何か話をする前に、あやまる言葉をつけていたことに気がついたんだよね。きっかけは食事をするので旦那さんにテーブルを拭いてもらう時に。家族のごはんを作ったのになんで私がごめんねを言うのか?美味しいごはん作ってくれてありがとうね。そう言われてもいいんじゃないの?私悪いことしていないよ。ふと思ったんだよね。その事を娘に話したら、「それ私が3歳ぐらいから気がついてよ。ママはなんであやまるのかなって思った」
父に尋ねた『あの写真誰が撮ったの?』あの写真とは私が幼い頃、弟と父、母が写ったモノクロ写真。背景は当時住んでた今はない都営住宅、建物はもう無いが、幼い記憶の中にしっかりと残っている。まだ三男が生まれる前で、4人だったから、撮ったのは家族ではなく誰がだ。それを父に尋ねたのだった。父は、さあ、、たまたま現れた男の人だったな。『現れた?!』どういうことだろう。父は、気がつくとそこに居たんだと。『そこに居た、、、?』納得の仕様がなく、これ以上聞いても無駄と思った。何たって50年以上
自分のことは自分がいちばんよくわかっているでも自分のことが自分でいちばんわからなくなったりもする今はずいぶん落ち着いていると思うけれど精神的に不安定な時期が多かったこんな自分が果たして子育てなどうまく出来ているのだろうかそもそも自分には幼少期の無邪気でわくわくするような楽しい記憶があまりないのだわが子ふたりは本当に大切で愛おしい。だけど生きること自体に迷いながら生きてきたそんな私が大切な子どもたちに夢のある未来や生きることの意味などうまく伝えられてい
マレママですのぞいてくださってありがとうございます“幼い記憶”何十年ぶりかに通っていた小学校の通学路を通りましたあまり変わらないその景色に少しだけほっとして体育館の床が鳴る音とか、ボールをつく音が今にも聞こえてきそうでしたでももう自分の住む世界ではないような、なんとも不思議な感覚突然降り出した雨は強かったけど、どこか心地よくて地面から漂う匂いもなんだか懐かしかったあの頃のわたしは何を感じ思っていたのだろうかと知りたくなったけれど雨がどんどん降り出したから急いで自転車をこぎまし
辿る道と幼い記憶ふわっと香るどこかの雨の匂い目を閉じれば微かに蘇る懐かしい帰り道誰と笑いあったのだろうどれだけ笑いあったのだろう誰と泣いたんだろうどれだけ泣いたのだろうきゅっきゅと床を滑る足音と響くボールの音を思い出していたもう随分と遠いわたしは何を感じて想っていたのかただ生きていただけのように思うそしてまだ何にも気づいてはいない大粒の雨が幼い記憶を掻き立てる大きな雨音が心地よくどこか懐かしい
夕方、スーパーに買い物に行く。いつもお菓子コーナーでワクワクする。今日のご飯はなんだろう。マグロの仕事が終わってから買い物に行く時間はなぜかとても楽しみだった。カートにのった、おそらく1歳前後かわいい子供とてもとても、嫌な想いがむくむくと湧いてきたなぜ?お母さんから優しいまなざしをむけられているのだ????なぜ?そこらへんのおばちゃんから、かわいいかわいいといわれてるんだ???なぜ?なぜ?なぜ?なんにもしてないのにただ、カートに乗せられてるだけなのになぜ??なにが