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「決められる幸せ」やりがいは仕事の大小で決まらないすべてを与えられているお金持ちになって、誰からも命令されずに生きていけたら幸せでしょうか。アランはそれには否定的です。どんな小さなことであっても、自ら決断することができるのが仕事の醍醐味だからです。自分で計画し、工夫し、その結果がよりよくなること。それが仕事の喜びではないでしょうか。人から強制された途端、おもしろさはなくなってしまいます。自分の力ですることがなく、できあがった楽
「自分でつかんだからうれしい」楽チンがいいとはかぎらないあまり苦労はしたくない。大変な思いをせずに、物事がうまく運んだらいいのに。そう考える人も、何の労力も必要とせず、快楽だけが与えられる環境にいたら、たちまち憂鬱(ゆううつ)になってしまうことでしょう。人は自分の手でつかみとった幸せが欲しいのだとアランは言います。誰しも自分の身に不幸が降りかかるのは避けたいものですが、自分がやりたいと始めた仕事であれば、苦労を進ん
「冒険しよう」退屈しない富や名誉のある人を軽蔑する人がいますが、軽蔑するのは簡単です。軽蔑した以上は平凡で穏やかな生活を送り、退屈せずにいなければなりません。ただ、それが意外に難しいのです。賭け事など、人がスリルを求めるのは退屈だからなのかもしれません。やめようと思えばいつでも自分の意思でやめられる自由な環境で冒険できるのは、おもしろいものです。心配事があったり、場合によっては借金があったりするのも、解決策を考えられる
chapter4行動しよう「何かしよう」することがある幸せ忙しい毎日から解放され、ゆっくり過ごしたい・・・・・・。忙しいと、誰しもそんなふうに思うのではないでしょうか。でも、もし時間が十分あったなら、いまより幸せな毎日が送れるのでしょうか。アランは、具体的なすべきことが何もないと、人はやがて不安に陥るだろうと指摘しています。考えるばかりでは物事は前進せず、精神も健全な状態とは言えません。
「動物が出てくる、アランの言葉③」[ご機嫌な動物]2章でアランの父親が獣医であったことを紹介しました。その影響でしょうか、『幸福論』の中にも犬や馬など動物についてのエピソードが登場します。アランの動物への視線はおだやかで、尊敬の念に満ちています。「職業柄、動物をたくさんみていた父は、動物はわれわれと同じ状況下にありながら、同じように無理な行為に及んでいるものの、ほとんど病気にはならないと言い、驚嘆していた」「動物は不機嫌になるということがない
「小川仁志のまるに学ぶ幸福論④」希望を持つ絶望は人を不幸にし、希望は人を幸福にする。それがアランの信条だ。辛いとき、苦しいときがない人生なんてあり得ない。でも、どんなときもあきらめないから幸福になれる。希望は幸福になるためのパスポートのようなもの。きっとまるもそんなパスポートをどこかに持っているはず。
「愛を大切に」身近な人をもっと大切に学校や会社では、少しでも成績を上げたいと努力している人でも、家に帰ると気のおもむくまま、好きなように過ごしているかもしれません。自分の家に帰って、幸せであるために何かする人はいないだろうとアランは言っています。外ではうまく感情をコントロールして、充実した日々を過ごしているのに、家に帰ったとたん優しさや相手の思いやりを忘れて、大切な人との間がギクシャクしてしまう。これは実に
「思いやりも大事」親しき中にも礼儀あり親しくなればなるほど、相手の悪い面が目につくようになるものです。その最たるものが家族です。家族同士は深い愛情で結ばれているからこそ、遠慮したり、自ら偽ったりすることがありません。不機嫌なときは不機嫌なまま、生の感情をぶつけ合ってしまうこともあるでしょう。そうやって信頼が行きすぎると、関係が壊れてしまうこともあるのです。大切な人を大切に扱うこと。気が置けないからこそ、そのかけがえのな
「好きもほどほどに」やってみたら、意外と平気ダイエットしたいのについつい食べすぎてしまう・・・・・・。こうした悪い習慣は根深いもので、直そうと思ってもできないものだと思われているかもしれません。しかし、これらは人の本質に根ざしたものではない、とアランは言い切っています。食べ続けているかぎり、やせた自分をイメージできないように、人は現実の自分の行動によって、思い込みを強化しています。こうした人間の傾向を押さえ
「運命をつくろう」行動し、自分の道を見つける「本当は誰それのようになりたかったのに」。そう言う前に、理想通りの自分になるためにやらなかったこと、やろうと欲しなかったことはありませんか。期待を抱くことと意志を持つことは違うとアランは述べています。期待を現実のものにするためには、強い意志をもって行動を起こす必要があるのです。とはいえ、人間の力ではどうすることもできない不運に見舞われることもあります。しかし、こう
「求めなきゃもらえない」待っているだけじゃダメ指一本動かさずに成功を手にすることなどできません。うまくいった人は、見えないところで成功を手にするための準備をしています。失敗したり、自信を失ったりしたこともあるはずです。でもそこで諦めず、本気で求め続けたのです。たとえば、お金を儲けたいと思うなら、小さな利益を積み重ねていく必要があります。損失を最小限にするよう、出ていくお金にも気を配らねばなりません。気ま
chapter3強く望もう「自力で乗り切る」言い訳しないで前へ失敗したとき、ピンチに陥ったときの振るまいかたには2通りあります。自分の外に原因を探して言い訳する方法と、自分の内側、たとえば自分のおかしたミスを直視してそこから再スタートする方法です。前者は同じあやまちを繰り返し、成長がありません。後者は自らの経験を糧にして、前へ進もうとします。すべてのものがわれわれには障害である、とアラ
「動物が出てくる、アランの言葉②」[犬のあくび]まるのような犬が暖炉のそばであくびをしているのを想像してみましょう。暖かく安心できる場所で、なんの気どりもなしにからだを伸ばしているその姿、生命力。いいものだと思いませんか。いつのまにかあなたも引き込まれて、からだを思う存分伸ばしてあくびをしたくなることでしょう。一日の終わりに心配ごとやうまくいかなかったこと、気になっていることをあれこれ挙げていったら、キリがありません。考えれば考えるほ
「小川仁志のまるに学ぶ幸福論③」強い意志を持つ幸福になるには強い意志がいるという。このことを強調するとき、アランは少し厳しくなる。強い意志を持つのは、それだけ難しいということだろう。でも、幸い僕らは一人じゃない。難しいことも誰かと一緒ならできるはず。まる、一緒に頑張ってくれるかな?もちろんOKだよね。
「きっと大丈夫」ラッキーだと思えば、うまくいくたまたま見かけた雑誌の占いにいいことが書かれていたら、ちょっと嬉しくなりませんか。そのあとで何かラッキーなことが起こったら、「やっぱり今月は運勢がいいんだ」と思いはじめ、さらに上機嫌になったりして。反対に、「あなたは明日、こんなひどい目に遭うでしょう」と予言されたら、恐怖を感じて動けなくなり、その結果、言われた通りの状況に陥るかもしれません。この一瞬も、私たちはさまざまな不幸を
「鈍感くらいがちょうどいい」反応したらキリがないいろいろなことを敏感に察知する人がいます。「私は鈍感だから、もっと繊細にならないと」そう思っている人もいることでしょう。とはいえ、自分を取り巻くすべてのことを心に留め、誰かの些細(ささい)な言葉やちょっとした言動に深い意図を感じとったりしていると、傷ついたり悩んだりで立ち止まってばかりに。自分から何かをすることができなくなってしまいます。自分にとって必要なことは何か。
「この道でいいんだ」決めたことを信じてみよう人生の分かれ道に立ったとき、どちらが正しい道なのか見えず、決断できないでいる人は多いかもしれません。決めなければ、失敗したと後悔することもないと、決断を遅らせている人もいることでしょう。そんなとき、アランは言います。「いったいだれが、行く道を選んでから出発したか」「だれも選択はしなかった。なぜなら、われわれはみんな、最初から子どもであるから」。まずはいま、自分を信じて動い
「うれしいからうまくいく」気分から変えていこう子どもがかんしゃくを起こして泣くと、自分のからだを引っかいたりして、さらにイライラをつのらせます。大人も同じです。忘れていた細かいことまで引っ張り出してきて、悪い気分をエスカレートさせてしまうのです。そんなときは逆転の発想で、気分をスイッチ。アランは『幸福論』で、哲学者スピノザの言葉を引用しています。「からだが温まったから喜ぶのではなく、私が喜んでいるからからだ
「ふわぁー」あくびでクヨクヨを吹き飛ばそうあくびは一般的には「眠いときに出るからだのサイン」と言われていますが、アランは幸せになるために大事な動作だと考えています。胸を大きく解放し、おなかに新鮮な空気を送り込むあくびは、からだを休憩させるだけでなく、普段忙しくあれこれ考えている精神を休めてくれます。緊張やいらだちなど、精神のネガティブな要素をたちまち吹き飛ばしてくれる痛快な動作なのです。まるたち動物のあくび
「喜びを演じる」しぐさから変えていこう不幸な気分でいるときは、胸を締めつけるようなしぐさ。誰かと争う気分でいるときは、歯をくいしばるようなしぐさ。人は、そのときどきの心の状態を映したしぐさをしています。わかりやすい動作として表に出ていなくても、心の中にはこうした「しぐさの下書き」があって、強い効力を生んでいるとアランは指摘します。嫌な考えを追い払って、ハッピーな気分を連れてくるには、こうしたしぐさを変えてみることから始めて
「とらわれてない?」勇気で心配事から抜け出そう死について考えることは恐ろしいことです。考えただけで怖くなってしまいます。しかし、私たちに立ちはだかる敵は、想像上のものだとアランは言います。想像上の恐怖を感じる人たちは、とらえどころのない漠然とした恐怖にとらわれ続けますが、たとえば病気になったとすると「自分は病気ではないか」という恐怖からは解放されるのです。人には恐怖心があるのと同様、勇気もあります。自分に備わった勇
「小川仁志のまるに学ぶ幸福論②」ほほ笑むほほ笑んでいる人を見ると幸せになる。ほほ笑みは人を幸せにするのだ。アランもそう言っている。でも、なぜか僕らはちっともほほ笑まない。それはほほ笑むことの大切さをすぐ忘れてしまうから。誰かがそばでいつもほほ笑んでいてくれるといいのに。いつだって、まるの笑顔を心に。
「深みにはまってない?」苦しみを想像してもしかたない人は日々、いろいろなことを想像します。恐ろしい想像は、自分の行動を変えてしまうほどの力をもっています。第一次世界大戦に従軍したアランは、戦争についても書き記しています。戦場に向かう列車の中で出会った兵士たちのうち、戦場から逃げてきた兵士は、自分が受けた攻撃や恐ろしい光景について想像を交えて口々に語ったそうですが、ただ一人、頭に砲弾の破片を受けて包帯を巻いた男は
chapter2とにかく笑おう「ゴキゲンでいよう」笑顔がまわりを明るくする獣医だったアランの父親は、動物がストレスのある状況に置かれてもほとんど病気にならないと驚いたといいます。人間以外の動物は考えることによって疲れたり、不機嫌になったりすることがありません。一方、人間は思い悩むことによりストレスを大きくしてしまい、病気を招いているのかもしれません。そんなときは、自分の心に無理やり命令して不機
「動物が出てくる、アランの言葉①」[名馬か、荒馬か]マケドニアのアレクサンドロス王は若かりし頃、どんな名人も乗りこなせないという「荒馬」を献上されました。凡庸な人物であれば、「たちの悪い馬だ」と言って、乗るのを諦めてしまったかもしれませんが、アレクサンドロスは違いました。諦めるかわりに馬を観察し、自分の影におびえて飛び上がっているだけだと気づいたのです。恐怖で飛び上がると、影も同じように飛び上がるのでキリがなく、馬はパニックに陥っていました。
「気にしない」考えないほうがうまくいくこともある幸せになるには、物事をじっくりとよく考えることが必要なのでしょうか。アランは、自分自身について考えすぎることが逆に、自身に不調をもたらしてしまうこともある、と警告しています。自分に対する気遣いがあだとなっては、元も子もありません。自分の意志でどうにもならないものについては、考えすぎないで、流れに身をまかせてみるのもいいかもしれません。頭を空っぽにして、日々起こることの
「小川仁志のまるに学ぶ幸福論①」考えすぎない人間は考える生き物だけど、考えすぎるのもよくない。きっとほどほどに考えるのが幸せになるコツなのだろう。だからいつもアランは、考えすぎないようにと呼びかける。哲学者なのに!まるは人間じゃないから、ほどほどに考えるのが得意なのかもしれない。そうだ、まるに学ぼう。
「いいこと探し」「いま、ここ」を考える私たちのもとには、日々恐ろしい事件や痛ましい事故のニュースが届きます。そして、そのことをあれこれ想像しては、二重、三重の恐れを抱きます。アランはそれを「グルメのように恐怖を味わっている」と表現しました。悲劇について、悲劇に襲われる前に想像して時間を台なしにするのをやめてみてはどうでしょう。全力で現実に向き合って、「いま、ここ」のいい面に目を向けるのです。いい面に気づいたら、
「まずは形から」いいイメージが心を明るくする高いところに立つと、そこから落ちてもいないのにふらふらとめまいにおそわれます。不安や恐怖を感じることにより、実際に不調になってしまう。悪いイメージを思い描くことの影響は、計り知れないほど大きなものです。アランは反対に、「健康にふさわしい動作」をしてみようと言います。礼儀正しく親切な振るまいは健康だからこそ表れ出るものだと考えられていますが、そのしぐさによって落ち着きを取り
「悲しいのは気のせい」我慢したらいずれ癒(い)える病気を抱えていたり、誰かの言葉に傷ついたとき、どうしても人はふさぎ込んでしまうものです。そんなときは、アランが病気の友人に送った言葉をかみ締めてみてはいかがでしょう。「この病気が人を悲しみに陥れるのを知っているのだから、君は自分が悲しんでいることに驚いてはならない。そのことで機嫌を悪くすることは何もないのだ」。悲しみの原因そのものよりも、そのことについて考えてしま