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平維盛が別所で紅葉狩りを楽しんでいた。そこへ美しい娘が現れ、酒盛りに誘った。維盛は娘と酒を酌み交わしたが、やがて強い眠気に襲われ、その場で横になってしまった。すると夢の中に、白山大権現が姿を現した。「お前が相手をしているのは鬼女だ」維盛は驚いて目を覚ました。すると娘は恐ろしい鬼女の姿となり、今にも襲いかかろうとしていた。維盛は剣を抜き、必死に戦った。激しい戦いの末、鬼女を打ち倒したが、体はへとへとになっていた。維盛がふらふらと外へ出ると、山あいに美しい七色の虹がかかっ
古代東海道から旧東海道に合流し、元吉原宿(今井鈴川地区)から中吉原宿(依田橋西方)→新吉原宿(現吉原商店街)へと歩を進めています…元吉原宿は...現在の田子の浦港の東岸にあった見付の宿が風波の被害を受けて東へ移転し、今井鈴川と一緒になり1601年に徳川家康から宿場の指定を受けました。しかし、元吉原地区は砂丘地帯のため砂の被害が多発し、徳川幕府は宿場の移転を決め、内陸部の依田橋村の外れへと移転し中吉原宿と定めました。元吉原宿の歴史は約40年で終わりました。中吉原宿は...依田橋村の外れか
「私はもう誰の血も見たくない。敵の血も、味方の血も」平維盛(たいらのこれもり)役小森優希(こもりゆうき)【村上友一→小森優希】大人しそうに見えてかなりの情熱家、小森優希くん。義仲と巴のとあるシーンでは何回も泣いてます。まだまだ若いのに経験してきた修羅場の数が凄まじい…!過去を語る時の彼の目は恐ろしいです。彼は飲みの場でのネタが尽きません。個人的にエピソード2が好きです。芝居に真面目で殺陣の動きの飲み込みも早い、素晴らしい役者です。いつもたくさん助けてくれてありがとう…
第10話です。ここにきてといいますか、ここにきたからこそといいますか、いずれにせよ詮索は置くとして、にわかに光彩を放ち始めた本回に驚きました。あわせて自らの見る眼のなさを恥じる次第ですが、とにかく気持ちの入っているうちに書き出してきたいと思います。びわこれまで「未来が見える眼」という付与設定について、その機能の不全をもって「びわ」というキャラクターを総論していたきらいがありました。包み隠さないで言えば、前話まではそう思っていましたし、若干ですがその確信もあったわけです。それが
第8話です。視聴した後に中々書くことが思いつかなくて、時間をおいて色々考えているうちにようやく書きたいことが見つかりました。一見して感想というか、何事かを書きづらい話だったので、その点は難渋した次第です。いずれにせよ、考えがまとまったので書き出していきます。書くことは2つのムーブということで、先に項目だけ書いておきます。俱利伽羅峠の大敗ムーブトラディッショナルセンスムーブいずれもにわかに出てきたという意味で、これらがどのような位置づけ、あるいはシグナルだったか項目別
第6話です。総話数としては折り返しで、ターニングポイントといは言わないまでも、ここにきて登場人物たちが意思表示をしたり、あるいは(視聴者)に問題提起したりと、にわかに群像劇の重なりを見せています。なので、人物単位で書いていきたいと思います。平資盛冒頭、「京の街は廃墟になる」とありましたが、清盛が福原、後の頼朝は鎌倉と、第二、第三の政治都市が現出つつある中では単に配置の問題でもあるわけで、京都を中心として(しか)見れない作中人物として、かえって地に足がついているともいえます。そう
文治元年十二月京都に進駐する北条時政により、平家残党探索が始まる。維盛の嫡男六代が標的となった。維盛から六代を護るよう託されたのが、亡き斎藤実盛の子、斎藤五、斎藤六だった。しかし六代は捕らえられた。維盛の未亡人北の方は「高雄の聖」文覚が身分の高い子を弟子に欲しいと言っているのを耳にし、自ら高雄に赴く。そして文覚に事情を話す。六代を捕た武士が「北条」と聞いて文覚は即、六波羅に向かった。文覚裸形像文覚は北条時政に事情を説明し、自ら頼朝
少々ストーリーから「脱線」した箇所だ。一の谷敗北後、妻子恋しさに屋島の戦線を脱出し高野山に入る維盛。高野山には維盛の旧知の聖がいた。維盛の父、小松殿重盛の侍で建礼門院にも仕えた斎藤滝口時頼。かつて滝口は横笛という女性を愛した。しかし父は地位のない家の女と一緒になるなら仕官の道の口利きはしないと諫めた。滝口は「それならがいい機会」と髻を切り19歳で嵯峨野で仏道修行に入る。斎藤滝口時頼これを聞いた横笛は、なぜ出家することを事前に自分に話してくれなかっ
本年春から夏、甲子園をめざす我が孫の応援に何度か駿河へ。応援の合い間に、駿河のもののふたちの墓所や史跡を訪問。ブロ友・梓慕情さんには、野球応援も史跡情報もすっかりお世話になってしまいました。ほんとうにありがとうございました。●源義朝七男阿野全成、鎌倉二代将軍頼家が子公暁の墓所、大泉寺(沼津市)へ梓慕情さんが地道に墓所建立の支援をしていた頼家の子・公暁の供養塔が、大泉寺に建立されたという。地元とはいえ熱心な梓慕情さんの尽力には、歴史マニアとは違った真剣さを感じ頭が下がる。大泉
「源氏や平家の子孫は、今もいるのですか」という質問に答えるなら。「源氏」「平家」という用語を、どのように認識されているか、から確認が必要です。「平氏」というのは、桓武天皇の孫の「高望王」が、平の姓を賜って臣籍降下した、その子孫が全国に散らばった、そのすべてが「桓武平氏」の一族です。たとえば北条氏も三浦氏も畠山氏も、すべて「平氏」です。だから、子孫は山のようにいる、といえます。しかし「平家」と言った場合、これは「平清盛の家族」だけを差す用語です。当時(平安末期)の感覚では、「家」というのは
飽きもせず夜明けとともに高野龍神スカイラインへ。もう早朝でもメッシュジャケットでちょうど良いくらいの気温まだ7時前の護摩山スカイタワーこんな時間なのにバイクが沢山。みんな早起き暑くなる前に帰ろうという同じ魂胆なのかも。あじさい園の紫陽花も満開目三角にして走ってるライダーも思わず目を奪われてしまう綺麗さだと思う護摩山スカイタワーで折り返した後はもう少し山奥へ。1.5車線の道をクネクネと走って、辿りついた先は平家維盛歴史の里。平維盛が亡くなった場所候補のひとつらしい(諸説あり
むかしむかし、戸隠山の鬼女退治で名を馳せた平維盛が、軍を率いて丸子の地にやってきたそうな。そのとき千曲川にさしかかったが、橋は流され、川は濁流で渦を巻き、とても渡れそうにない。馬上の維盛は困り果て、川岸で足を止めていた。すると、どこからともなく猫が現れ、そばの岸からザブンと川へ飛び込んだ。「ややっ」と驚く維盛の目の前で、猫は川の真ん中の大岩にとりつくと、ぶるっと体をふるわせ、こちらを見つめた。それからまた泳ぎ出し、向こう岸へ渡りきると、ふっと姿を消してしまったという。「
昨日の朝の富士山↓紀の松島めぐりやばい。。2月8〜9日に行って来た那智勝浦の旅行記が全く更新されていませんでした💦🌟前回のブログ↓『不思議なニアミス』最近の富士山は、真っ白でめっちゃ綺麗です!!このニアミスの意味は?これから、2月に起こった不思議なお話を聞いていただけますか?それは、パートナーと行った那智の…ameblo.jp前回の記事からも、早1ヶ月近く経とうとしています。なので、本日は写真を中心に、チャチャっと進めて参りたいと思います😴『那智の滝』で、にいにいさんと5分差でニ
おやじの百寺巡礼≪番外編≫補陀洛山寺(ふだらくさんじ)《和歌山県那智勝浦町》令和7年3月17日(月)本堂はとうに閉まっていました。いくら拝観無料のお寺でも夕方の5時過ぎてしまうと拝観できるお寺はないですね。青岸渡寺と同じく裸形上人(らぎょうしょうにん)の創建であり現在は青岸渡寺の管理となっている補陀洛山寺をぜひとも拝観したくて急いで向かったのですが残念でした。補陀落渡海の渡海
黄瀬川を渡り。潮音寺。臨済宗妙心寺派。本尊は亀鶴観世音菩薩。亀鶴は白拍子。工藤祐経の寵愛を受けていたものの、祐経が曽我兄弟に討たれると、滝に身を投げた、と。(『ちゃんと歩ける東海道五十三次』)これを読むと、亀鶴という女性の『物語』が違っていて。旧東海道、沼津宿に入ります。しかし、大岡二ツ谷東で、旧東海道は、左手の道に入るのを入り損ね。そのまま進んでも、旧東海道に戻り、沼津宿なのですが、今回の目的のひとつが、その途中にあるのです。で、道をもどり。『平作地蔵』。『伊賀越道中双六』
2024-09-28トコトコ〜最後のスポットつるべすし弥助お寿司を最初に作ったお店なんだって〜歌舞伎の義経千本桜の中に出てくる釣瓶鮨屋のモデルの家なんだって〜中を見学させてくれるらしい中に入ると店主さんがお出迎えしてくださって「どうぞ、右と左にいけますので、ご覧ください」だって〜ほなお言葉に甘えてあがらせてもらいますぅ〜なんか、すごい趣があるよ〜まだ、上に行けるんだ…行ってみたら〜ひぇ〜何ここ、めっちゃ綺麗な景色見ながら食べれるやーんっ!!!こんなトコで食べてみたいわ
平清盛平清盛-Wikipediaja.wikipedia.org伊勢平氏の棟梁・平忠盛の嫡男として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任じられる。日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、日本初の武家政権を打ち立てた(平氏政権)。保延3年(1137年)、平忠盛が熊野本宮を造営した功により、清盛は肥
国道48号線を山形県東根市へ向けてニッカウヰスキー宮城峡蒸留所の入口宮城峡蒸溜所|NIKKAWHISKYニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所をご紹介します。二つの清流に囲まれた緑豊かな峡谷。ウイスキーのさらなる未来を実現するために、ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝と年若いスタッフたちが築き上げた第二の蒸溜所。竹鶴が夢見た未来を、実現する場所。www.nikka.com向かい側の山は、鎌倉山通称ゴリラ山宮城県を越して山形県東根市に入った
能登守教経(のとのかみのりつね)と知盛が平家を代表する猛将なら、平維盛は一族でも一、二を争うヘタレです。容姿は美しかったようです。平清盛の嫡男、重盛(しげもり)の息子なので、清盛にとって孫になります。知盛にとっては、甥っ子です。維盛の美貌は有名であり、舞楽「青海波(せいがいは)」を舞った折には、「光源氏の再来」と讃えられます。『源氏物語』の第七帖「紅葉賀(もみじのが)」で光源氏が同じく「青海波」を舞ったことに由来しています。舞の時、烏帽子(えぼし)に桜の枝を刺していたことから「桜
補陀落山寺那智山青岸渡寺別院補陀洛山寺(別院)-那智山青岸渡寺公式ホームページ観音浄土・補陀洛山へ那智山青岸渡寺別院である補陀洛山寺は、仁徳天皇の治世にインドから熊野の海岸に漂着した裸形seigantoji.or.jp補陀洛山寺-Wikipediaja.wikipedia.org三貌十一面千手千眼観音天台宗の寺院。補陀落とはサンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳である黄泉の国和歌山
伊豆に配流されていた源頼朝のところにも以仁王の令旨が届きます。頼朝は捨て身の挙兵をするような人ではないので、赦免して京都に召喚して、義朝の領地の一部を返還して、挙兵した源頼政が座っていた京の源氏の代表者の地位を与えるという手が平氏にはありました。殺し合いを好まない藤原摂関家であれば、多くの場合にそうしていました。領地も家来の数の圧倒的に小さいが、格だけは高くしておくといった扱いで、都に住まわせるといった話であれば、勝ち目が乏しい挙兵を避けて頼朝は受けていたはずです。若い頃の柔軟な平清盛
今年のGWは夫の仕事が前半に3連休、後半に4連休というカタチになったのですが、後半の4連休に予てからの予定通り丹後国、但馬国、播磨国の一の宮をお詣りしてきました。その参詣記はいずれUPさせていただく予定ですが、いまは4ヶ月前の紀伊国の参詣記の続きを…今回は補陀洛山寺さん(こちらの記事もどうぞウィキペディアはこちら)参詣記です(;^_^A。※補陀洛山寺さんは那智山青岸渡寺さんの別院です。こちらを参照なさってください<(__)>。世界遺産文化遺産オンライン
夜の予約更新でこんばんわ。lalaです。このシリーズさっさか終わらせたいのでさっさかいきます。本日はシリーズ③です。和歌山・奈良旅①かつらぎ温泉・丹生都比売神社編②高野山編前回はこちら↓『2021年和歌山・奈良旅②高野山編』つづく夜の連続予約更新中でこんばんわぁ~。lalaです。あまり意味のないおいあげ続いてます。ま、ぼちぼち頑張れる時にアップしていきます。もう年賀状も発注し…ameblo.jpなんちゃってブラタモリをした後は宿でまったり。標高約700
夏といえば花火!ほぼ真下からなので画面に収まりきれてない平維盛の大祭に行きました相方さんの家から100キロくらい山道花火大会の前はイベントが太鼓素晴らしかったです長い時間演奏していただきました動作も揃っていてかっこいい(私なら覚えられない、体力持たない)維盛君とつる姫ちゃん原田伸郎さんと河島翔吾さん、河島あみるさんお父さんの河島英五さんの歌も歌ってくださった名物アマゴの塩焼き行く前には展望台で野迫川村、雲海も見れるらしいいい眺め!さてさて、畑ですが初、トウガ
奈良県の野迫川村『アドベン北今西』で1泊2日のキャンプ♬13時から翌11時位まで滞在。大阪の暑さと比べると朝晩はそこそこ涼しくて快適やったかな♪全然、寝苦しさなし!!でも…日中は…日が照ると結構暑かった…何故か設営…撤去のタイミングに…日が照ってきたりした(^_^;)さすが!晴れ女(笑)やな(笑)アタシらの予約サイトは…少しペグが打ち込みにくいかなと…感じた。地面…固かった(⌒-⌒;)サイトは広いし水道もあって快適やった!トイレも綺麗やった。あと、このキャンプ場
どーも、castom98です。和歌山県野迫川村にございます平家維盛歴史の里レポート、後編です。『俺氏、落人になる前編』どーも、castom98です。今回はクルージング中に発偶然見した、和歌山県野迫川村にございます平家維盛歴史の里をご紹介いたします。以前ご紹介した眼力大明神・…ameblo.jpそれでは、資料館らしき建物を訪問してみましょう!平日だったせいか、ひとっこ一人いません。施錠はされてなかったので、恐る恐る入館・・・内部は真っ暗!自分で
どーも、castom98です。今回はクルージング中に発偶然見した、和歌山県野迫川村にございます平家維盛歴史の里をご紹介いたします。以前ご紹介した眼力大明神・不動滝・長慶天皇陵と同日です。訪問したのは2022年11月ですので、現在では状況が異なっている場合がある点をご了承ください。『奈良県野迫川村眼力大明神』どーも、castom98です。以前、奈良県野迫川村の不動滝や長慶天皇陵の記事を書きました。『奈良県野迫川村不動滝』どーも、castom98です。今回…amebl
平維盛(たいらのこれもり)の終焉の地とされる野迫川村(のせがわむら)で、令和5年7月29日(土)に夏祭りが開催されます。平維盛(たいらのこれもり)とは・・・平氏棟梁であった平清盛(たいらのきよもり)の嫡男である重盛(しげもり)の長男です。美貌の貴公子として宮廷にある時には光源氏の再来と称されました。平家の赤旗がはためく中、野迫川夜叉太鼓の勇壮な音が響きわたり、御霊祭、もちまき、燈花会などが行われます。山間で見る花火は迫力あるので、ぜひ訪れてみてください!!
晴れた木曜日。いい天気です。でも、このいい天気も今日まで。今夜からは雨が降ったり止んだり。ついに草庵地方も梅雨入りするみたいです。梅雨入り前に植木屋さんに枝を空いてもらってすっきり。さて、そんなわけで木曜日。一日ガンバロー。戦争反対---また行きたいと思う海は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう慣れ親しんだ冬の湘南の海とか?ちがうこっち↓湘南の海でも冬になると海底が見えるくらいに澄んでいます。熊野の海とか。きれいな海とぶっつけの荒