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夜の予約更新でこんばんわ。lalaです。このシリーズさっさか終わらせたいのでさっさかいきます。本日はシリーズ③です。和歌山・奈良旅①かつらぎ温泉・丹生都比売神社編②高野山編前回はこちら↓『2021年和歌山・奈良旅②高野山編』つづく夜の連続予約更新中でこんばんわぁ~。lalaです。あまり意味のないおいあげ続いてます。ま、ぼちぼち頑張れる時にアップしていきます。もう年賀状も発注し…ameblo.jpなんちゃってブラタモリをした後は宿でまったり。標高約700
夏といえば花火!ほぼ真下からなので画面に収まりきれてない平維盛の大祭に行きました相方さんの家から100キロくらい山道花火大会の前はイベントが太鼓素晴らしかったです長い時間演奏していただきました動作も揃っていてかっこいい(私なら覚えられない、体力持たない)維盛君とつる姫ちゃん原田伸郎さんと河島翔吾さん、河島あみるさんお父さんの河島英五さんの歌も歌ってくださった名物アマゴの塩焼き行く前には展望台で野迫川村、雲海も見れるらしいいい眺め!さてさて、畑ですが初、トウガ
奈良県の野迫川村『アドベン北今西』で1泊2日のキャンプ♬13時から翌11時位まで滞在。大阪の暑さと比べると朝晩はそこそこ涼しくて快適やったかな♪全然、寝苦しさなし!!でも…日中は…日が照ると結構暑かった…何故か設営…撤去のタイミングに…日が照ってきたりした(^_^;)さすが!晴れ女(笑)やな(笑)アタシらの予約サイトは…少しペグが打ち込みにくいかなと…感じた。地面…固かった(⌒-⌒;)サイトは広いし水道もあって快適やった!トイレも綺麗やった。あと、このキャンプ場
どーも、castom98です。和歌山県野迫川村にございます平家維盛歴史の里レポート、後編です。『俺氏、落人になる前編』どーも、castom98です。今回はクルージング中に発偶然見した、和歌山県野迫川村にございます平家維盛歴史の里をご紹介いたします。以前ご紹介した眼力大明神・…ameblo.jpそれでは、資料館らしき建物を訪問してみましょう!平日だったせいか、ひとっこ一人いません。施錠はされてなかったので、恐る恐る入館・・・内部は真っ暗!自分で
どーも、castom98です。今回はクルージング中に発偶然見した、和歌山県野迫川村にございます平家維盛歴史の里をご紹介いたします。以前ご紹介した眼力大明神・不動滝・長慶天皇陵と同日です。訪問したのは2022年11月ですので、現在では状況が異なっている場合がある点をご了承ください。『奈良県野迫川村眼力大明神』どーも、castom98です。以前、奈良県野迫川村の不動滝や長慶天皇陵の記事を書きました。『奈良県野迫川村不動滝』どーも、castom98です。今回…amebl
平維盛(たいらのこれもり)の終焉の地とされる野迫川村(のせがわむら)で、令和5年7月29日(土)に夏祭りが開催されます。平維盛(たいらのこれもり)とは・・・平氏棟梁であった平清盛(たいらのきよもり)の嫡男である重盛(しげもり)の長男です。美貌の貴公子として宮廷にある時には光源氏の再来と称されました。平家の赤旗がはためく中、野迫川夜叉太鼓の勇壮な音が響きわたり、御霊祭、もちまき、燈花会などが行われます。山間で見る花火は迫力あるので、ぜひ訪れてみてください!!
2022年10月7日(コピペ再投稿)お彼岸にお墓参りをしてきました。(なんてだいぶ前の話ですね。その頃書き始めました)最低でも年4回の墓参をいたします。春彼岸、秋彼岸、お盆、年末から新年にかけてのどれか1日です。彼岸花も咲き揃いましたね。曼珠沙華という名前も素敵だけど、彼岸花という名前が好きです。ちょうどお彼岸に満開ですもの。お墓参りはよく行きます。先週は憧れのFenderのストラトキャスターを買いました。(もう2週間経ってるよ)しっかり写真を載せましたが。初めてストラトを
晴れた木曜日。いい天気です。でも、このいい天気も今日まで。今夜からは雨が降ったり止んだり。ついに草庵地方も梅雨入りするみたいです。梅雨入り前に植木屋さんに枝を空いてもらってすっきり。さて、そんなわけで木曜日。一日ガンバロー。戦争反対---また行きたいと思う海は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう慣れ親しんだ冬の湘南の海とか?ちがうこっち↓湘南の海でも冬になると海底が見えるくらいに澄んでいます。熊野の海とか。きれいな海とぶっつけの荒
2023年4月女声三部部合唱曲音楽物語「日高川」より「うたかたの」作詩:藤原美弥子作曲:藤井修がマザーアースより出版されました。(定価1,540円+税)このところ、続けて出版されている合唱曲同様、なぜもっと早くに出版されなかったのか、故人の気持ちを思うと、本当に残念でなりません。さて、以前の記事、児童合唱組曲「僕達を呼んでいる」が出版されましたと同様、こちらの曲も2003年和歌山県御坊市にある御坊市民文化会館20周年の事業と
前回のブログでは、「青海波」を美しく舞った平維盛のことについて書きました。『「青海波」を美しく舞った平維盛』平清盛の孫で、平重盛の嫡男である平維盛。美しかったと言われる彼は18歳の春、「青海波(せいがいは)」を舞いました。権亮少将(維盛)、右の袖を肩脱ぐ。海浦(かい…ameblo.jp「後白河法皇の五十の賀」で「青海波」を舞ったことで、内裏の女房達に「深山木(みやまぎ)のなかの桜梅とこそおぼゆれ」と噂された維盛は「桜梅少将」と呼ばれるようになったそうです。「桜梅」の読み方は、「おうばい」
平清盛の孫で、平重盛の嫡男である平維盛。美しかったと言われる彼は18歳の春、「青海波(せいがいは)」を舞いました。権亮少将(維盛)、右の袖を肩脱ぐ。海浦(かいぶ。大波などの紋様。)の半臂(はんぴ。束帯の時に、袍(ほう)と下襲(したがさね)の間に着る胴着。)。螺鈿(らでん)の細太刀、紺地の水の紋の平緒、桜萌葱の衣、山吹の下襲、やなぐゐを解きて老懸(おいかけ。武官の冠の左右の飾り。馬の尾を用いた扇形のもの。)を懸く。山端近き入日の影に、御前の庭の砂子ども白く、心地よげなる上に、花の白雪空に時雨(し
こんばんは【夢超場】のブログへ本日も、お越しくださりありがとうございます。今日一日、いかがお過ごしいただけたでしょうか【夢越場】には、【おはなしどころ(コーチング・傾聴】【おえかきどころ(筆文字・筆絵)】【おつくりどころ(プラモデル完成品)】の3つがあります。本日は【おえかきどころ(筆文字)】からです。本日は金曜日金曜日といえば、カレーではなくて【平家物語】の日です(毎週金曜日)に投稿予定原文を描いた画像を貼っていきますかなりの長編の為、一体
名古屋のシンゾウです人名の問題を作っていて、「平氏」??....次のように纏めてみました。これぐらい覚えておけばOKではないでしょうか。漢字名でソートしてあります。***************************************①平維盛(平重盛の嫡男、「富士川の戦い」や「倶利伽羅峠の戦い」で大敗)②平教盛(平忠盛の四男、六波羅蜜寺の南側にある門脇町の由来(門脇殿))③平康頼(北面の武士、鹿ヶ谷の陰謀、鬼界ヶ島に流された、大徳寺に石碑)④平滋子(平家一門の中で後白
平維盛役の大谷廣松さんと一緒に…😊😊😊権頭兼任役の私…そしてパンダ🐼…‼️
そしてそして歌の手帖12月号‼️ご覧頂きましたか?先月は歌の手帖11月号男石宜隆『歌の手帖11月号本日発売‼️』先日のブログ男石宜隆『歌の手帖11月号絶対ご覧ください!』来週発売の歌の手帖11月号‼️ヤバイ‼️歌魂グラビアカラー2ページ自分ではないみたいな自分が新曲発…ameblo.jp感激のカラー2ページ掲載して頂きました。そして今回は師匠円香乃先生の『円の推し曲』に、取り上げていただきました😭おいしう、う、ううれしー‼️もちろん円先生のコメントにそして
☆治承4年10月20日富士川の戦いは平清盛の孫の平維盛が関東での源氏の旗揚げに対し、官軍を組織しそれを率いて戦い源平合戦の潮目を変えた戦でござる!霊峰富士を臨む何とも風光明媚なこの地にて、血みどろの戦いが繰り広げられたのじゃ!10対1の圧倒的な兵力差に浮き足だった平家軍が、水鳥が飛び立つ音に驚き総崩れにて戦う間も無く敗退したとされておりまする。源氏の大将は後に鎌倉幕府を開く源頼朝でござりましたが、40000騎とは申しても寄せ集めの兵力に過ぎなかったとの説もござる。同時に旗揚げなされた
2022年10月7日お彼岸にお墓参りをしてきました。(なんてだいぶ前の話ですね。その頃書き始めました)最低でも年4回の墓参をいたします。春彼岸、秋彼岸、お盆、年末から新年にかけてのどれか1日です。彼岸花も咲き揃いましたね。曼珠沙華という名前も素敵だけど、彼岸花という名前が好きです。ちょうどお彼岸に満開ですもの。お墓参りはよく行きます。先週は憧れのFenderのストラトキャスターを買いました。(もう2週間経ってるよ)しっかり写真を載せましたが。初めてストラトを意識したのは、ジ
「倶利伽羅峠」の戦いに敗れた、平家軍は「加賀の篠原」で体制を整えますが、ここでも木曽義仲軍に奇襲(?)され惨敗、都へと敗走します。「平家物語」等によると平家軍4万は、篠原(加賀市)で休息していた所を、義仲軍5千に攻められ、一門の平知度(清盛七男)が討ち死にするなど、壊滅的な敗北を喫し、都に逃げ帰ったとされます。この戦いにおける平家の武将「斎藤実盛」(義仲の恩人)奮戦の逸話は、有名です。古戦場と実盛塚「実盛塚」は、案内板等が劣化しており、判りにくい所にありますが、周辺は整地
補陀洛山寺と言う。寺を紹介された。補陀洛渡海という、生きたまま補陀洛山を目指す。YouTubehttps://youtu.be/U24aP85EqrA補陀落山寺(補陀落渡海)当然、生還することはない。日本書紀では、神武天皇の兄が海に消える。平維盛は、清盛の孫です。補陀洛山寺に葬られていた。平家物語の最終補陀洛渡海上人の墓があった。この寺から、補陀洛渡海する。補陀洛山を目指して船に乗る。平家物語の「おごれる人も久しからず」を想った。維盛
8月28日に休みが取れたので、久しぶりに西国へお参りに行くことにした。迷った末に、海もきれいな青岸渡寺と熊野三山へ行くことに。そんなわけで面白かったことを中心に書いています。まず去年から熊野大泊まで高速道路で一気に行けるようになった。七色ダムへバス釣りに行っていた昔は、勢和多気で高速を下り、そこから延々と走って荷坂峠を越えてようやく紀伊長島、また延々走ってようやく尾鷲だった。今は一気に獅子岩まで行ってすき家で朝ご飯だから、隔世の感がある。朝5時に出発して、ゆっくり走って7時4
平維盛(たいらのこれもり)の終焉の地とされる野迫川村(のせがわむら)で、毎年7月に夏祭りが開催されます。平維盛(たいらのこれもり)とは・・・平氏棟梁であった平清盛(たいらのきよもり)の嫡男である重盛(しげもり)の長男です。美貌の貴公子として宮廷にある時には光源氏の再来と称されました。平家の赤旗がはためく中、野迫川夜叉太鼓の勇壮な音が響きわたり、御霊祭、もちまき、燈花会などが行われます。山間で見る花火は大迫力です!※しかし今年(令和4年・2022年)は、新型コロナ
(^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆...6月2日(木)#友引(丙戌)旧暦5/4月齢2.6年始から153日目(閏年では154日目)にあたり、年末まであと212日です。..朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない朝はありませんし、朝が来ない夜はない💦睡眠は明日を迎える為の☀️未来へのスタートです🏃♂💦でお馴染みのRascalでございます😅..もう木曜日ですよ😅💦週の下り23週目も「#
アニメ「平家物語」はとても素敵な作品でした。印象に残った場面を少し。舞など都は変わった私も変わらねば戦うのだ戦わねばならぬのだ平家の武士として貴族化した武家を象徴するような維盛が自らを鼓舞するように刀を振り回し、武家に還っていこうと苦しむ場面。挿入されるBGM「boy’sown」の不穏な旋律と維盛の叫びが重なっていく様は一見の価値ありです。
昨日は久し振りに走りに行きました。とりあえず、424号線を走りました。天気が良かったので、割とバイクもたくさん走ってましたねぇ。424から、中辺路方面へ。ちかつゆの施設は、閉鎖状態でしたねぇ。昼飯は、わたらせ温泉で。カレーうどん定食850円。わりとおいしかったですねぇ。そこから、湯の峰温泉へ。工事中だった共同浴場もオープンしていました。せっかくなので、入りました。すごくキレイになっていて、熱めの湯と、ぬるめの湯の2種類の温泉が楽しめます。人気のつぼ湯は3時間待ちとのことで
(´ε`)あっという間に春から初夏4月までの冷たさが残る暖かさが好きですが、もう暑い道の駅、紀の川万葉の里の花畑4月の山行奈良県十津川村、南八人山バリエーションルートの周回山行記録:南八人山奥中西下八人山周回2022年04月06日(日帰り)大峰山脈,無雪期ピークハント/縦走/ren8888の山行記録www.yamareco.com人気がないのか正規ルートでも藪があったりの山でした熊取、奥山雨山自然公園へ散歩山行記録:奥山雨山自然公園散歩2022
いつもブログをご覧頂きましてありがとうございます☆パワースポットコネクター・タカシです。1月に赴いた「熊野」のでのお話。『パワースポットで起きたかつてない体験☆よみがえりの地「熊野」聖地代理参拝満員御礼☆』いつもブログをご覧いただきありがとうございます☆パワースポットコネクターのtakashi(たかし)です。前回のブログでもお伝えの通りなのですが、『パ…ameblo.jp那智勝浦駅から車で30分ほどいった山の中に色川神社があります。川も近くに流れ個人的にとて
『鎌倉殿の13人』~後追いコラムその66第14回都の義仲今回は倶利伽羅峠の戦いについて。今話では、ナレーションだけで終わってしまったので。倶利伽羅峠(くりからとうげ:カラクリ峠ではない笑:加賀・越中国境)の戦いは、砺波山(となみやま)の戦いとも言う。1183(寿永二)年5月11日、木曽で挙兵した源義仲(青木崇高)軍と平維盛(これもり)率いる追討軍との戦いである。この年は『鏡』が欠けているため、『平家物語』で見てみよう。(富山県文化振興財団HPより)源平両軍は、3町(
こんばんは~先週の地震で、放送休止となってしまったアニメ「平家物語」第10話が一週遅れで放送されました。そして、最終回・第11話が第10話と同日連続放送になったこちらはホームページをチェックしていたから大丈夫だったけど、知らずに録画し損ねた方もいたのでは?最終回だというのに冷や汗もの~プラス、同じ局でフィギュアの中継があるから、放送時間ズレこむかもの脅し付き頼むよ~深夜放送でそれは困るよ最終回を録り損ねるとホントイヤなので、いちおうフィギュアの放送が遅れていないことを確
とかく日本では源平でいうと圧倒的に源氏の人気が高い。源義経の人気なのか、平安時代末期の平家の横暴?(風聞だが)「平家にあらずんば人にあらず」なのか。私は以前より平氏贔屓です。育った伊勢は平維衡を祖とし平忠盛、清盛親子につらなる伊勢平氏の基盤。清盛の父忠盛は近所で生まれ忠盛の胞衣塚や産湯を使ったという産湯池などあるがNHK大河で「平清盛」放映中も誰も観光に来てなかった不人気を目の当たりに。大河の中でも不人気の視聴率7%※今の「鎌倉殿の13人」は視聴率14%程度。
寿永2年(1183)7月27日に後白河法皇が比叡山から院の御所へもどり、翌日、源義仲が入京します。ここで鎌倉勢、平氏方に次ぐ第3勢力である木曽(義仲)勢の挙兵後の動きをおさえておきましょう。義仲は義朝(頼朝の父)の弟義賢の次男です。源頼朝の従兄弟にあたります。しかし、義賢が甥の義平(頼朝の兄)に殺害されたため、義仲は近臣に連れられ、木曽谷へ逃れました。一方、彼の兄仲家は源頼政の挙兵に加わり、討ち死にするのですが、もともと以仁王とゆかりの深い八条院領(鳥羽