ブログ記事3,716件
河出書房新社から刊行された、古川日出男『平家物語』を読んでみました。古川日出男(2016)『平家物語』河出書房新社『平家物語』は、平清盛を中心とする平家一門が権力の頂点へと上り詰め、やがて源氏との戦いによって滅亡していく過程を描いた軍記物語です。そこには、政治的な権力闘争や戦場での勇壮な活躍だけでなく、親子や兄弟の情愛、武士たちの誇り、そして時代の流れに翻弄される人々の悲しみが織り込まれています。本書の最大の特徴は、古川日出男ならではの躍動感あふれる訳文にあります。原文への忠実さを保ち
10月9日から10日にかけて、広島に行ってきました。1日目は原爆ドームや平和記念公園、広島平和記念資料館を見学したあと、速水神社に参拝。2日目は宮島・厳島神社に行きました。フェリー乗り場に向かう途中、蘭陵王の石碑がありました。インドや中国、朝鮮半島を経て日本に伝えられた舞楽は、12世紀後期、平清盛が大阪の四天王寺から楽所を宮島に移して盛んに奉奏されたそうです。蘭陵王・納曽利、万歳楽・延喜楽など二十数曲が現在も厳島神社に伝承されているそうです。発祥の地であるインドやベトナム、中国、朝鮮
源平合戦の歴史が全てわかるまとめ【保元の乱から壇ノ浦まで】【平清盛と源頼朝】
「源氏物語」と「平家物語」は、対になってるみたいなタイトルですが。源氏、というのは清和源氏とかの血族集団を指すのではなく「光源氏」と通称される主人公個人を指します。「源氏の君」とは、王子様、という意味です。同じように?平家、というのは平清盛とその一族のみを指すのであって、桓武平氏という大血族集団の物語ではないのです。この時代、「家」は貴族にしか使いません。つまり「平家」とは、「田舎武士のくせに成り上がって京都で貴族ヅラしていた片腹痛い一族が、没落して滅亡してザマアミロな件」というディスりが
いよいよ神戸の神社巡りも最後の神社になります。新開地駅の近くにある厳島神社です。厳島神社は、その名の通り広島県の厳島神社から市杵島姫命を勧請し、お祀りされた神社です。勧請したのは、平清盛です。由緒神社はおよそ八百年前治承四年(1180)に平清盛公にて福原遷都、兵庫築港の行われた時、兵庫の町や港の発展と住民の繁栄を祈願し平家一門の氏神として深く崇敬している安芸の国、厳島神社を此の所に勧請した。俗に弁天・さまとも云われ、福徳円満・長寿無量の福の神様として、七
りゅうみこ貝合わせラスト31~40階↓信玄さん↓頼朝さん↓清盛さん↓佐伯ギリギリな方、ご参考ください!
清盛の事績については少し調べたんですが、まだ十分に分かったという感覚にはならず、改めて福原京の足跡を辿ることにしました。スタートは須磨寺の出世稲荷と思ったので、須磨寺から始めます。須磨寺(亜細亜万神殿、正覚院、千手観音像、桜寿院、蓮生院、本堂、大師堂、八角堂、ひとすじ辨財天、五智如来、出世稲荷、三重塔、須磨の仇浪親子地蔵、敦盛卿首塚、護摩堂、奥之院)→荒田八幡神社→祇園神社→五宮神社→湊川神社弘天さん。弘法大師と菅原道真の子ども時代の像を並べてるという珍しいものです。亜細亜万神殿。五智如
後白河上皇、二条天皇を奪われた、藤原信頼と源義朝は、賊軍となり、官軍となった、平清盛に敗北した。源義朝は、東国に向かって、逃亡中、尾張国の長田忠致とその息子の景致の父子の裏切りによって、殺害された。義朝の次男の朝長は、深手を負っていたため、父の義朝との逃亡中、美濃国青墓宿にて、義朝の手で、介錯されていたのである。14歳の源頼朝は、東国への逃亡中、父の義朝の一行を見失ってしまい、近江国において、平頼盛の家人、平宗清に捕えられた。平頼盛の実母、池禅尼は、平清盛に源頼朝の助命を短観し
この日の神社巡りもそろそろ終盤です。七宮神社から北へ向かいます。少し歩くと鎮守稲荷神社という神社を見つけました。偶然見つけた神社ですが、色々書いてあるので立ち寄ってみました。小さな稲荷社ですが、由緒がありそうです。西出町の鎮守稲荷神社は、町内の人から「ちぢみさん」と呼ばれ親しまれています。神社の記録は残されていませんが、寛政のころ(18世紀末)この地に鎮座していたことは確かで、「西出のお稲荷さん」として町内の信仰を集めていました。この石灯籠は、文政は七年、海
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨トレカコンプセットコンプセット購入!キャー💕まぁ素材はね。前のクリアカードに比べると、昔のカードダスを思い出す感じよね。さぁ、運試しで買ったランダム商品はいかに!?中身は!?(政宗さん来い!)土方さーーーーん初回で買った時も土方さんだったな。缶バッジ最後は!?やったーーーーー桂さんきたーーそして、追加のランダムトレカ1パックじゃじゃーーーーんま、まさむ…ね…?いない…?あぁーーーー😭政宗さんはこちらでも来ず!!!!自引き出来ないなぁ💦
サウジで買って気に入って使っていたベルトがダメになった。中国製の安物だったが案外しっかりしていて長持ちした。ただ、傷み始めてから使い物にならなくなるまではあっという間だった。おれは着るものには全く頓着しない。用さえ果たしてくれればそれでよい。昨日の帰りに代替品を買いに行った。タカハシという安い服飾屋に寄るがいいものなし。頓着はしないがベルトは2穴と決めている。1穴だとそこに負荷が集中して腹への圧力も1点集中するような気がするのだ。タカハシをあきらめて、ホームセンターへ。作業服のコーナ
正観さんによると…。(みやびの山里・京都大原…1988年、小林正寛遊帆堂)〈用語の解説〉〇清盛の全盛期「建礼門院」の項でも書いたが、徳子(建礼門院)が宮中にあがったのは16歳。それがいきなり三位である。つまり大納言や中納言と肩を並べ、上には太政大臣、左・右大臣、内大臣しか存在しない高位だ。公卿(くぎょう)とは、三位以上か、四位だが参議に任せられている貴族のことをいうのだが、清盛の全盛期は平家一門で公卿が14人、殿上人(五位以上)が30人余もいて、ほとんど独占してい
りゅうみこ夢現の逢瀬音楽ふぇす編貝合わせ211~20↓頼朝↓清盛↓佐伯↓信玄アジア大会で忙しく、あまり進めていなかったりゅうみこ…そういえば。今メインイベント金色のコルダコラボ。遙か無印の漫画目当てでLaLaを買っていたので、ちょっと知ってるぞ!っていう程度…あまり触手が動かなくて。でも、あぁー、そうそうそんな感じ!と微かな記憶を呼び覚ましながらプレイしております。やっぱり八葉みんな出てくると面白い@コーエーテクモゲームス
夢現の逢瀬音楽ふぇす編貝合わせ1↓佐伯↓頼朝↓清盛↓信玄@コーエーテクモゲームス
広島で働く教え子にお願いがあって広島に行きました。夜の約束だったので、午前中から宮島に参拝しました。私は以前、もう7年くらい前かな、弥山を登ったことがあって、そのときは時間がなくて厳島神社の参拝も出来なかったので、今回は満を持して厳島神社に行こうと思いました。広島駅から広島電鉄に乗り換えて、宮島口に向かいます。時間的にはJRの方が早いですし、宮島に到着するところも少しだけJR系の方が近いのですが、広島の町中を見たかったので、こちらにしました。雨予報ではありましたが、思いのほか、雨が強かった
🌾豊醸感謝祭🌾広島県『鳳の舞』榎酒造株式会社◆『鳳の舞』蔵元紹介https://ameblo.jp/sakaeya-fukumukae-dotcom/entry-12976617487.html『令和八年豊醸感謝祭蔵元紹介第7弾広島県『鳳の舞』榎酒造株式会社』🌾豊醸感謝祭🌾新米新酒純米大吟醸ヌーヴォー蔵元紹介第7弾広島県『鳳の舞』榎酒造株式会社〜平清盛ゆかりの地、「音戸の瀬戸」〜平清盛が沈む太陽を扇で止め…ameblo.jp◆『鳳の舞』豊醸感謝祭への想
正観さんによると…。(みやびの山里・京都大原…1988年、小林正寛遊帆堂)〈用語の解説〉〇平清盛平清盛は、11歳で従五位・左平衛佐(さひょうえすけ。平衛府の次官)、28歳で従四位・中務少輔(なかつかさしょうゆう。内務省の第2次官)、38歳で太宰第弐(だざいだいに。太宰府第1次官)、42歳で参議になり政策決定に参加。以後、48歳で内大臣、49歳で従一位・太政大臣とかけのぼった。(イラストはネット画像です)💛最近の私のありがとう💛その1
2日目は厳島神社から平清盛像揚げもみじ饅頭美味しかった牡蠣とビールはいっとかないといかんでしょうこの度3度目の船で呉へリニューアルした大和ミュージアムに行きましたすぐ横にはてつのくじら館呉に来たらカレーを食べなくては帰りはあなごめし
どーも、castom98です。以前の記事で鳥取県若桜町にございます、小松崎茂資料館跡をご紹介しました。『鳥取県若桜町小松崎茂資料館跡』どーも、castom98です。今回ご紹介いたしますのは、ドライブ中に偶然見つけた珍スポット、小松崎茂資料館跡です。その日私は、鳥取から大阪へ国道29号線…ameblo.jpその小松崎茂資料館跡から国道29号線を3kmほど東進すると、道路北側に平経盛隠棲の里の看板があったので見学開始。集落内の道路脇に説明板がありました。
https://youtube.com/watch?v=7CDuLFHLgj0&si=saePMpEvWjDJ5jri『タルカス』(Tarkus)は、イギリスにおいて1971年5月に、アメリカにおいて1971年6月14日に発売されたエマーソン・レイク&パーマー(ELP)のセカンド・アルバム。本作は『展覧会の絵』(1971年)、『恐怖の頭脳改革』(1973年)などと並び、ELPの代表作のひとつに数えられてきました。作詞とプロデュースはグレッグ・レイク、作曲はメンバー3人が担当しました。
本作は、源平争乱から、鎌倉幕府設立初期頃までの、平家一門の中でも、平清盛に敬遠されていて、平家の「都落ち」の時も、京にとどまり続けた清盛の弟、平頼盛(たいらのよりもり)が当時の、歴史に名を残す人物たちとの関わりの中で、依頼された事件を見事に解決して、天寿を全うする、連作歴史ミステリである。収録作①禿髪(かぶろ)殺し(1169年)「保元平治の乱」から10年後、平家の全盛期、平清盛は子どもの密告部隊(禿髪かぶろ)を都に放ち、平家に不満をもつ人々をビシビシ取り締まった。
平重盛平清盛の長男であり、平家の正統な後継者になるはずだったが、宮中での心労が祟ったのか病気になり公務を休みがちになり、晩年付近には信じていた味方にも裏切られ数え年42歳で病没死因は、胃潰瘍の悪化とも、悪性腫瘍とも。ただ若い頃の保元・平治の乱における武士としての戦いぶりは目を見張るものがあり、父・清盛も励ますほどであったとか。こんな家に生まれず、政治家ではなく一武者として戦場を駆けていたほうがもっと苦しまずに済んだのかもしれない。
第七十八代二条天皇は平安時代末期の天皇です。御父後白河天皇の第一皇子、御母は藤原師実の三男で大炊御門家の祖、経実の娘・源懿子(よしこ/いし)。高倉天皇は異母弟です。康治二年(1143年)誕生。諱は守仁(もりひと)。在位は保元三年(1158年)から永万元年(1165年)。生母が守仁親王誕生直後急死したため、祖父の鳥羽法皇に引き取られ、美福門院(藤原得子)の養子となって育てられました。既に近衛天皇の時代であり、同じく美福門院の養子には崇徳上皇の第一皇子の重仁親王がいらっしゃったので、
拾翠亭の池を挟んで平清盛建立の鳥居がある厳島神社があります。2026.9.5撮影
今回は、京都・奥嵯峨にある【祇王寺】をご紹介します竹林と青もみじに囲まれた、ひっそりと佇む茅葺きの草庵が印象的な祇王寺。『平家物語』に登場する、平清盛ゆかりの寺として知られています物語によると、清盛の寵愛を受けていた白拍子の祇王は、清盛の心変わりによって都を離れ、母・刀自、妹・祇女とともに出家。後には仏御前も加わり、この地で静かに過ごしたと伝えられています。祇王寺の魅力は、何といっても一面を苔が覆う美しい庭。青もみじや竹林の緑に囲まれた境内は、しっとりと落ち着いた空気に包ま
今、松山ケンイチさんが売れに売れている。映画にドラマに引っ張りだこである。従って、大河ドラマ『平清盛』が最注目されている。主演は、松山ケンイチさん。当時、ある前県知事の心ない一言がこのドラマの評判を落としたのは知る人ぞ知るである。御本人もさぞかし悔しい思いをされただろう。しかし、松山ケンイチさんのSNSを駆使したドラマ戦略はここから始まっている。旧Xを中心に、後白河法皇を『ゴッシー』、白河法皇は『タフマン法皇』等あだ名を付けて楽しんでいた。コレも、画期的である。オープニングから
🌾豊醸感謝祭への想い広島県『鳳の舞』榎酒造株式会社新米新酒純米大吟醸ヌーヴォー●原料米広島県産八反錦●精米歩合50%●アルコール分15度●日本酒度+5.0●酸度1.6●使用酵母広島令和1号酵母新米の稔に感謝して醸した、初しぼりの純米大吟醸無濾過生原酒です。フレッシュで、やさしくエレガントな味わいをお楽しみいただけます。ピチピチしぼりたてのお酒をそのまま瓶詰めした、無濾過生原酒ですので、オリがありますが、品質に問題はありません。安心してお楽
🌾豊醸感謝祭🌾新米新酒純米大吟醸ヌーヴォー蔵元紹介第7弾広島県『鳳の舞』榎酒造株式会社〜平清盛ゆかりの地、「音戸の瀬戸」〜平清盛が沈む太陽を扇で止めて一日の内の開削したという伝説の「音戸の瀬戸」で知られる呉市音戸町。榎酒造株式会社は、この音戸の地に明治32(1899)年に創業しました。創業近くから「清盛」という銘柄も持っており、気持ちを新たに平家の家紋がデザインされた「鳳の舞」を立ち上げました。昭和49酒造年度に、お酒で造るお酒「貴醸酒」を全国で最初に商品化した蔵で
デルタなるヒロシマの街安芸もみじ12世紀平清盛は宮島の海上に厳島神社を建立。同様に広島の市街は、15世紀まで殆んど海だったが、太田川の三角州が箱島、別府、江波島、仁保島の隙間をもみじ葉の形に埋めていった。平和都市ヒロシマは、長恨歌慰むる清盛塚かも知れないが、現代は、お構いなしに突っ走る。
歴史上、極悪人とされる平清盛。保元・平治の乱後、手に入れた経済基盤を、後白河上皇に奪われたため軍事で脅して幽閉し、政権を奪い、皇家を私物化して、人臣の身でありながら遷都までして、反抗する東大寺・興福寺などを焼き払った。これだけ重なると、確かに極悪人。でも、ちょっと待って!それって、本当に権力欲しさにやったこと?それとも、……。もしかして、やむを得ずだったのかも。そんな疑問に答えるべく数少ない資料から類推した複数の歴史家の見解を照らし合わせ、分析・再検討し