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お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。おわりははじまり-207「三嶋大社の弁天様」の続きとなります。まきちゃんによると、関家のご先祖方は、従弟のМ君が三嶋大社で結婚式を挙げることに対し、こんな風は表現をしている、と伝えてくれました。「なんかね、祭りでワッショイって言ってる。関家の皆さんが、結婚式で集まることで、交流を持って、助け合ったりする関係性が、嬉しいんだって。」「祭り」という表現を敢えて使ったと思われ、御先祖様方を含んだバックアップチーム(天
「ゆっくり行きます」とか言いつつ、めかりPAを出てから、休憩は要らないという夫のおかげで車はビュンビュン進み、自宅から宮島口駅近くの駐車場まで4時間くらいで到着しました。中丸観光駐車場広島県廿日市市宮島口2丁目9-43この辺りの駐車場、土日祝日や繁忙期の料金は「混み具合により上がっていく」という噂でしたが、本日はGW明けの月曜日、料金は規定通りで午後11時まで停められて400円というお安さ。地元の方もよく利用するという穴場的な駐車場のようです。駐車時は無人でしたので、封筒が用意して
だから、破滅する、先達として、平家物語を、勉強している。特に、平清盛だ!!平家物語と言えば、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という、フレーズで、有名な物語だ!!平家の棟梁、清盛は、貴族や、寺社仏閣と、深い関係を、結び、当時、蔑まれていた武士としては、異例の出世を、遂げ、段々傲慢になっていき、武士、貴族、寺社仏閣の、恨みを買って、その悪行の影響は、平家の子孫へ、
「光る君へ」数話前、まひろがしなびたカブを差し出し針を買おうとしましたこのころはまだ物々交換これからまひろは父の異動に伴い、越前にお引越し宋との取引に、父の語学力が本領発揮そのあと・・・藤原家による摂関政治は終焉を迎え院政が行われ平家にあらずは人にあらず平清盛が宋銭から貨幣文化を取り入れます壇ノ浦の合戦で平家滅亡いいくにつくろう鎌倉幕府(今は違うのね)北条家が乗っ取り、執権の台頭足利尊氏が源氏の流れを
ジョウカイボン(浄海坊)という、名前の昆虫がいる。平清盛が、お坊さんになった時の名前が浄海ご存知のように、高熱で苦しんだ。この虫はところどころ赤くなって、いかにも高熱が出ているようなので、浄海みたいな虫という意味らしい。こういう名前を付けるセンスは、すばらしいなと思う。コウチュウの中では、割と目立たないジョウカイボン科の一群の虫たちは、がぜん、目立つ存在になった。わりとよくいる虫だけれど、名前のせいか、見つけるとうれしくなる。@@@
こんにちは。自分では変えられないことが三つあるサイコロの目天気そして相手の心書き留めたメモ帳(メモ手帳)からの言葉「相手の心」を重点的に言いたい言葉なんでしょうけど。個人的には、白河上皇の「3つの思い通りにならぬもの」を思いだしてしまいます。「鴨川の水」「双六の賽」「山法師」大自然の力やサイコロはわかるけど、武装したお坊さんも意のままにならないというのも、当時の時代背景が垣間見え
続きです。2008年の厳島神社です。満潮時と干潮時の見える風景も変わる感じですので、たまたまこの後干潮になるようです。平清盛が大改修してこのような規模になったようです。ご先祖様は平家側と源氏側について戦ったようですので、そんな時代をちょっと想像してしまいます💦潮が引いてきたようです。風景が変わるが見えてラッキーでした。今回はも鉄道無しですが💦続きます。
この日最後に訪れたのは、空也上人像でよく知られているこちらのお寺さんです♬『六波羅蜜寺』真言宗智山派寺院ご本尊十一面観音(秘仏・国宝)創建天暦5年(951)開山空也開基村上天皇平安時代の歴史書「扶桑略記」によれば、醍醐天皇の第二皇子で踊り念仏で知られる市聖(いちのひじり)『空也』が造立した十一面観音をご本尊とする道場に由来し、当初は西光寺と称したといいます。空也上人は疫病の蔓延する京都で、この十一面観音像を車に乗せて引きながら歩いて念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人
【食育クイズ:Vol.1643】「京都府」の「大原、寂光院」おさらいクイズ!平家滅亡となった壇ノ浦の合戦で生き残り、出家して寂光院に隠棲した女性とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)大豆コーヒードリップパックAmazon(アマゾン)
【食育クイズ:Vol.1642】「京都府」の「白拍子、祇王、逸話」おさらいクイズ!清盛からの寵愛を「祇王」から奪った白拍子とは?∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)大豆コーヒードリップパックAmazon(アマゾン)たねすはら無添加味噌500gAmazon(アマゾン
ゴールデン・ウィーク中、久しぶりに書棚から取り出して読み返した本の後書きに、新聞記者が寄せたこんな一文がありましたので皆さんにご紹介致します。(※一部編集・抜粋)◆◆◆◆今の政治には期待を抱けない。望みをかけられない。これが最大の問題ではないか。歴史上、転換期には必ず〝悪党〟が現れて時代を変えた。平清盛・織田信長、いずれも旧来の社会制度・伝統・因習を叩き潰して新しい時代への道を開いた。『太平記』の足利尊氏も、南朝の忠臣・楠
門司城を調べるシリーズ。今日から本格的にスタートします。門司城の築城を命じたのは平知盛。檀ノ浦の戦いにおける平家の総大将です。檀ノ浦の戦いは…1185年3月24日。門司城の築城は…1185年。細かい月日は分かりませんでしたが、平知盛が檀ノ浦の戦いで命を落とすことを考えると、檀ノ浦の戦いに備えて築城されたと考えるのが自然です。屋島の戦いから檀ノ浦の戦いまで1ヶ月くらいあるんですよね。源氏側が海戦を得意とする平家に対抗するために訓練や戦力の増強をしていたそうですが、平原側も門司城の築城も含
2024-04-29望海浜公園海に出ましたわ〜海が見えるところに住んでいないまろんは、この景色だけで感動しちゃう♪お天気良かったらもっと素敵だっただろうなぁ〜向こうに橋が見えるね上には鳥さんあ、藤棚があるよこの時期にこれだけ咲いてるのが観れてラッキーだった〜明石川沿いを歩きますここの川沿いの途中で『明石大橋旧親柱』があったのだけど、川を見ながら歩いてたら気付かなくてそのまま行っちゃった曲がります大観橋橋の上からパチリ橋を渡ったところで、見忘れていた『明石大橋旧親柱
中学校の歴史の教科書に記載されている重要人物を紹介します。第29回は「平清盛」です。☟詳細はこちら☟-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtube.com
今週、とりあえず、開始三分で分かったことは。「大宰府赴任は、儲かる!」久し振りにやってきた親戚のドロッセルマイヤー叔父さんは、いろんな夢のあるお土産を持ってきてくれました。お菓子、口紅、でも、女の子をいちばんワクワクさせたものは「海の向こうには、夢の国がある」というお話でした。さて。どうやら大宰府に赴任するっていうのは、とっても旨味のあるお仕事だということが分かりました。ちなみに現在の地名としては「太宰府市」ですが、当時の役所の名前は「大宰府」が正しい。太平洋と大西洋みたいなも
叔父御という言葉は辞書にありますが、叔父子いう言葉は辞書にありません、鳥羽天皇による造語です、叔父子と名指しされたのは崇徳天皇です白河法皇の子が堀河天皇で、この人は天皇家の惣領にならないうちに亡くなっています、その子が鳥羽天皇で、白河法皇はその中宮の璋子に手を付けて妊娠させてしまいます。孫の嫁に手を付けるのですから、権勢に驕った白河法皇がいかに無軌道な状態になっていたかが分かります。摂関家でも歴代将軍でもこんなことをやった人はいません。白河法皇は自分のやったことを知らぬ顔して、
こんにちは今日も由希絵の『歴史の窓』へようこそ皆様、GWはいかがお過ごしですか?今日からは、今まで雅な宮廷文化を花開かせていた平安時代中期から(といっても醜い権力争いは繰り広げられていたわけですが・・・)、いよいよ武士の世の中に移り変わろうとする激動の平安時代末期に登場し、愛憎によって歴史を動かした人物を取り上げていきたいと思います今回取り上げる人物は、鳥羽天皇の皇后だった『待賢門院璋子(たまこ)』です。璋子は権大納言藤原公実の娘で1101年に生まれました。この時期になると道長・
今年も既に三分の一が終わってしまいました。早速、4月の読書結果なんですが平家物語、平清盛関連を多く読みました。そして、NHKオンデマンドで大河ドラマ「義経」が観られるようになって平家滅亡のその後をまた観ております。こちらはダイジェスト的な感じですが。他、印象的だったのは時代は違えども女性のお仕事を扱った2冊。獣医を目指した女性の「リラの花咲くけものみち」と「明治のナイチンゲール大関和物語」ですね。4月の読書メーター読んだ本の数:12冊読んだページ数:30
京都最後の寄り道は、三十三間堂です。この立派な寺院は、平安時代に平清盛が造ったそうで、国宝の仏像を敬める場所として知られています。堂内には1001体の躯の観音像が並んでいて圧倒されます。残念ながら中は写真禁止となっていました。ので、観音像の写真はWikipediaと大光電機さんよりお借りしました。これで、大阪京都の旅は終了します。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
第七十七代後白河天皇は平安時代末期の天皇です。昨日は安徳天皇の祭日でしたが、安徳天皇は後白河天皇の皇孫となります。大治二年(1127年)生。御名は雅仁(まさひと)。御父は鳥羽天皇、御母は藤原璋子。御在位、久寿二年(1155年)から保元三年(1158年)。雅仁親王は鳥羽天皇の第四皇子です。第一皇子の同母兄の崇徳天皇が譲位したのは、鳥羽法皇の寵愛する皇后美福門院から生まれた異母弟の近衛天皇でしたので、皇位を継ぐとは誰からも思われていませんでした。しかも、父や兄からは、「
本日は安徳天皇の祭日です。第八十一代安徳天皇は平安時代末期の天皇です。御名は言仁(ときひと)。治承二年(1178年)生。御父は高倉天皇、御母は平清盛の娘徳子(高倉平中宮)。後白河天皇の皇孫です。御在位、治承四年(1180年)から寿永四年(1185年)。高倉天皇の第一皇子として誕生された言仁親王は、生後間もなく親王宣下を受け立太子されました。そして満一歳二ヵ月で高倉天皇の譲位を受けて即位されます。外祖父の地位を確保し、平氏一門の政治的基盤を確固たるものにするという平清盛の願
あなたの好きな人のタイプは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう1164年の今日は平清盛の三女平盛子が関白藤原基実の妻となり、北政所を称した日です。5月2日-Wikipediaja.wikipedia.org
大河ドラマ『平清盛』50話全て観終わりました。放送当時、まだ歴史など興味がなかったのであの時、観ていたらきっとこの感動はなかったでしょう。本当に素晴らしいドラマでなんというか、切なく、哀しく、そして面白くまさか「平清盛」でこんなにも感動で号泣するとは思いもしませんでした。白河法皇を父に持つとされた清盛。自分の出自にコンプレックスを持つ清盛は武士は王家の番犬と言われそれに対抗すべく生きていた人生だったように思えます。武士の世を夢見ていた若い清盛だったのにいつしか
俳優の吉高由里子さん主演のNHK大河ドラマ「光る君へ」の第17回「うつろい」が、4月28日に放送され、井浦新さん演じる藤原道隆の“最期”が描かれた。第17回では、一命をとりとめたまひろ(吉高さん)は乙丸(矢部太郎さん)から、道長(柄本佑さん)が夜通しで看病してくれたことを知らされる。民を救うべく疫病患者を収容する小屋を建てようとする道長。その頃、道隆は体調を崩し、衰弱し始める。定子(高畑充希さん)は、兄・伊周(三浦翔平さん)が関白に準ずる職につけるよう一条天皇(塩野瑛久さん)に働き
前記事の竹原行った日に「音戸の瀬戸公園」も行きました。竹原の古い街並み〜呉市ってそこまで遠くはないのだ😅☺️音戸の瀬戸公園入口〜入口までに行く道って歩道はないけど車でグルグルしてる時のツツジも見事でした🎵歩道はなくても運転中のツツジのロードに圧倒されます。音戸の瀬戸公園に到着したら一面にツツジ。GW期間中はずーっと満開のツツジが観れるはず赤い橋が🌉お見事です。公園の裏道には文学碑も幾つか存在します。裏道の木々に囲まれた遊歩道も雰囲気あり落ち着く裏道より上そこ
Eテレで再放送してます、「人形劇平家物語」素晴らしい作品なのでみんなも見てね!!この芸術的なお人形たちはなんと北九州の門司に展示されています関門海峡=壇ノ浦平清盛は、若年という理由で情けをかけ源頼朝を逃がしたのでのちに壇ノ浦で滅ぼされた後顧の憂いを断つため、一匹の虫も逃がしてはならないなんでもそうつまらない情けをかけると自分の首を絞める。
2024-04-14平清盛くんを見ながら歩きますトコトコ〜舟が沢山いるよ北前船揚げ地跡なんかよく分からないので進みます築島水門桜が沢山咲いてるこちらは〜七宮神社入りまーすこちらにもツツジが咲いてるねご挨拶します出ますよ〜七宮歩道橋高田屋嘉兵衛案内板を後にしますトコトコ〜
今月から始まった人形劇【平家物語】NHKの人形劇とゆーたら、「プリンプリン物語」の世代です。歴史物は「三国志」があったのは知っていたけれど「平家物語」があっていたとは当時知らない。人形歴史スペクタクル平家物語原作・吉川英治、人形美術・川本喜八郎で描く人形劇。平家一門の栄華から没落まで、様々な人間模様と息もつかせぬ戦乱・政争の数々が繰り広げられる一大歴史絵巻。www.nhk.jp人形歴史スペクタクル平家物語|番組|NHKアーカイブス1972年のNHK大河ドラマの原作
秀島の傷が治るころにはとりかへばや物語の一巻は写し書きを終え、子どもたちも男物、女物の衣に慣れていた。羽月には小水をもよおした時には使いを頼まれたふりをしてその場を離れ、人に見られぬのようにしよと言い聞かせた。羽月ははいはいと頷いた。秀島は文を見なおして「これなら字が汚いと怒られることもあるまい」一人頷いた。少々痛む足で六衛府に巻物と書いた紙を持って出かけた。右衛門佐を探しているとまだ出て来ていないと言われた。「右衛門大尉、本当に治ったのですか」少し足を引きずる秀島に言
現在、テレビでの時代劇がほとんど放送されていない中、嵌っている歴史時代劇がございます。以前にも少し触れさせて頂きましたが、月曜日の夜遅くに放送している「おとなの人形劇人形歴史スペクタクル『平家物語』」これは30年前の1993年~1995年にNHKで放送されたものですが少しも古さを感じさせず毎回録画して楽しんで見ております。30年前は一番忙しい時でしたので、見る時間の余裕も心の余裕も無かったころだったと思います。原作は吉川英治さんの『新・平家物語』なのでお話はかなりしっかり