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一連の乱を何と云うか?保元の乱後、平清盛は後白河上皇の寵臣・藤原通憲(ミチノリ・(信西・シンゼイ))と結んで権勢を誇ったが、恩賞の薄かった源義朝は信西と対立していた院近臣・藤原信頼と結んだ。平治元年、清盛が熊野に参詣している最中に信頼と義朝は挙兵し、後白河上皇の三条殿を焼き討ちし、上皇を幽閉し信西を殺害した。急ぎ京に戻った清盛が、乱を平定し信頼も義朝も討たれたのが、平治の乱である。
平治物語・・・鎌倉初期の軍記物語、全三巻。著者未詳、鎌倉初期から中期ごろに原型が成立と考えられる。平治元年(1159年)に起こった平治の乱を中心に描く。古くは「保元物語」「平家物語」とともに琵琶法師によって語られた。(平治物語絵巻三条殿夜討の巻)古典『平治物語』を読み切りました。この戦いに勝った平家が後に政治権力を握っていくことになり・・・そういった意味では、平家の大出世の始まりとも言える戦いを描いたものですが・・・あまり平家が強いイメージでは
2024年3月1日講談協会定席津の守講談会@荒木町舞台「津の守」昨年10月以来、講談協会の新しい定席としてすっかり定着した津の守講談会。今月から主任がネタ出しになりました。今回は田ノ中星之助先生の「平治の乱」。前講1、三方ヶ原軍記〜酒井の太鼓ようかん前講2、雷電為右衛門〜生い立ち魁星前講3、信長記〜尾張の大うつけ(若き日の信長)貞介一、新選組〜沖田総司の恋こなぎこのところ力を入れている「新選組」から美剣士として人気が高い沖田総司の短い生涯を生涯唯一の恋を中心に。一、お富
ポッドキャストへ番組関連「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ我が心にかなはぬもの」と、白河院も仰せなりけるとかや。瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ崇徳院(すとくいん)
1月19日の出来事1160年(平治元年12月9日)平治の乱が始まる。1419年百年戦争:イングランド王ヘンリー5世がフランス北岸のルーアンを陥落。1829年戯曲『ファウスト第一部』が初演。1862年南北戦争:ミル・スプリングスの戦い1908年日本天文学会が発足。1911年読売新聞が社説で国定教科書における南北朝並立の記述を批判、いずれの皇統が正当かをめぐり帝国議会での論争に発展。(南北朝正閏問題)1927年前年12月に没した日本の大
今週は風邪を引いたこともあり、従来のシリーズをお休みして、雑感を細々とお話するという週にします。いつもは一気にお話しているのですが、今週は休み休み文章を書けたらなと思っています。風邪を引いているなかで、いろいろと思うこともあり、お話しできそうな話も浮かんだので、とりあえずはそれを消化していこうと思いました。最近は動画ばかり見ていて、本を読むどころか、買うこともだいぶ少なくなってしまいました。2010年以前は本を読みまくっていました。主に小説ですが、年間に60冊は読破してました。というの
一本御書所(いっぽんごしょどころ)は、書写した書籍を保管したところ。1159年(平治元年)の平治の乱では、藤原信頼と結んだ源義朝が後白河上皇の三条殿を襲撃。上皇を一本御書所に幽閉している。
…平清盛が源義朝に勝利し、平氏台頭のきっかけとなった争いは何か?「平治の乱」である。「保元の乱」の後に、後白河上皇近臣藤原通憲(ミチノリ・信西〈シンゼイ〉)と藤原信頼が反目した。信西は清盛と結び、信頼は義朝と結び、対立した。清盛が熊野詣で京中を留守にしたのに乗じ、信頼らは挙兵。上皇を幽閉し、信西を殺した。急遽京都に戻った清盛によって乱は鎮圧され、信頼は斬刑、義朝は尾張に逃げたところを謀殺された。義朝の子・頼朝は伊豆に流
応仁の乱も読み終わらないうちに今日も本を買ってきてしまった。『平治の乱の謎を解く』文春新書ってあまり買わないため見逃していましたが、アマゾンでお勧めに上がったのを見てこちらを探しに行ったのであります。平清盛と源義朝が激突する源平合戦の元祖的な戦いですが、源氏側は鎌倉悪源太義平の奮戦むなしく敗れます。よくセットで語られる保元の乱では鎮西八郎為朝が奮戦、そのポジションを義平が務める。この両者は叔父と甥の関係ですが年齢は2つしか変わらず、もしこの両者が出会っていたら……なんて妄
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の「保元・平治の乱」について、どのように描かれていたのか、ヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想貴族と武士の争い時代が転換しはじめるとき(『まんが日本史』より「保元・平治の乱-貴族と武士の争い」タイトル画面)皇室・貴族の主導権対立から、武士が主導権を握る時代へ(『まんが日本史』鳥羽上皇)保元の乱の原因の大本は、鳥羽上皇(法皇)が、崇徳天皇を嫌ったことにあります。その理由は崇徳天皇は鳥羽上皇の実子で
まず、保元の「乱」の後の天皇家の状況を確認しておかなければなりません。わかると思うんですけど、ここがいなくなるわけです。で、じゃあ改めて書き出してみると、まず「鳥羽」が亡くなっているわけです。また、「鳥羽」の関係者が生き残っていますから、一応鳥羽を無視できないですけど、まず無視できないのが「女院」の「美福門院」です。これはまだ生きていますので、無視できない…。何を言っているかって言うと、この「美福門院」と鳥羽っていうのが、大量の荘園を持っているわけです。「治天の君」だったか
新田義重は、清和源氏新田流の祖。個人的に興味のある人物ですが、この「新田義重」をテーマにした一般向けの本は、恐らく、この本だけでしょう。新田義重―北関東の治承・寿永内乱(中世武士選書)Amazon(アマゾン)しかし、この本、内容的には、なかなか、難しく、ややこしい。なぜ、難しく、ややこしいのかと言えば、当時、「武士」の行動は、その武士が仕えている「貴族」の行動に、大きく左右されているから。その「貴族」たちの行動が、なかなか、複雑で、ややこしく、簡単に理解をすることが出来
今日は、激安の理容室に散髪に行ってきた。夏の終わりが近付いてから、髪の毛をバッサリ切るなんてと思われるかも。だけど、元々、目一杯禿げ散らかしてるから問題ないさ~。髪を切ってスッキリはしたけれど、洗髪はいらない(別料金だから)と言ったので、散髪と顔剃りしている時間は、合計でわずか15分余り。あっさりしたものだ。それに、この店の隣がわりと大きな本屋さんなので、帰りに立ち寄ってあれこれと見て回るのも楽しい。結局、「平治の乱の謎を解く」(桃崎有一郎、2023、文春新書)を買う。
…平氏台頭の契機となった争いは何か?「平治の乱」は、後白河院・派〈藤原信西(シンゼイ)・藤原忠道・平清盛ら〉と二条親政・派〈藤原信頼・藤原惟方(コレカタ)・源義朝ら〉の対立により勃発。二条派勝利の中、清盛はどちらにも味方する事なく、一門を要職に就け平氏政権を樹立した。
おはようございます。一昨日から西日本で線状降水帯が発生し、豪雨のところがありました。みなさま方のところは大丈夫でしたか。今日は、1156年に保元の乱が起こりました。平清盛・源義朝らが崇徳上皇らの蘢る白河御所を夜襲し上皇方が敗退。(新暦7月29日)この保元の乱とその後に起こる平治の乱は登場する人物も多く、人間関係も入り組んでいてわかりづらいですが、今日はほんの少し。保元の乱は、藤原忠通、頼長兄弟の争いが崇徳上皇、後白河天皇兄弟の対立と結びつき、保元1(1156)年7月鳥羽法皇の死を機に
1159年平治の乱いい子、急に平治の乱をおこすいい子、急=1159おじいさまは、ギロチン事故で死んだお母様を見て、取り乱します。おじいさまにとってお母様は、息子エドモンの嫁でもあると同時に愛人でもあります。
「いずれがアヤメか杜若(カキツバタ)」って、「あやめ」と「カキツバタ」は同じアヤメ科に属する花で区別がつきにくいところから、どちらも優れているので、選択に迷うことのたとえこの言葉を「似ているから迷う」とだけ理解すると、「どれも大差ないから迷う」という意味になってかえって、けなしてるように読み取れてしまう。この言葉の意味は、「いずれも美しい(優れている)から」選択に迷うということなので、使い方を間違えないようにしないとね。これがアヤメこれがカキツバタ、漢字で
平治の乱の原因として小学校では義朝が清盛のライバルで、保元の乱の恩賞に不満があったとか習います。本当にそうか?義朝は親が色々問題を起こしていたのでそもそも生まれた時から清盛とは差があると思う。父親の平忠盛が正四位上まで進んでいる。その当時の源氏の極位は正四位下である。源頼義とか義家とかである。そもそも格が上だったのだよね、この時代には平氏の方が。保元の乱の前に義朝は従五位下、清盛は正四位下。この間には従五位上、正五位下、正五位上、従四位下、従四位上と5位あるのである。こ
平等院内、塔頭最勝院にある源頼政の墓をお伝えします。鎌倉殿の13人で、品川徹さんが演じていました。源頼政とは平安後期の武将。法名真蓮。源三位入道。父は仲政、母は藤原友実の娘。白河院以来、朝廷に仕え兵庫頭に至る。摂津源氏渡辺党を率いて、保元の乱には天皇方に属して功あり、平治の乱では平氏方に属した。平氏政権下で宮廷、京都の警衛に任じ、三位に至り内昇殿を許された。しかし平氏の専制、源氏の衰勢を憤って、1180年(治承4)後白河上皇の皇子以仁王を奉じて平氏打倒の兵をあげたが、平氏に討たれて5月26
鎌倉時代を初めるにあたって武家政権の成立のきっかけとなった保元の乱と平治の乱について述べたい。(保元の乱)皇位継承問題や摂関家の内部抗争により後白河天皇方と崇徳上皇方に分かれて戦った。これに平氏、源氏の武士が加わった。これがが1156年の保元の乱である。1皇位継承問題鳥羽天皇の第一皇子、崇徳天皇が即位した(1123)。崇徳天皇は鳥羽上皇の祖父白河上皇と鳥羽の中宮待賢門院璋子との間に生れた子であったという。だから崇徳天皇の即位は白河上皇の意向であった。鳥羽上皇は崇徳天皇を
伊豆の歴史をめぐる旅①NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終了して鎌倉幕府について知りたいと思って伊豆の国の遺跡の一部を訪ねた。平治の乱(1160)で平清盛に敗れた源義朝は斬られたが、義朝の子頼朝は処刑を免れて伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)に流罪となった。頼朝14歳のときである。34歳で挙兵するまで20年間ここで過ごした。最初は伊東氏、のちに北条氏の監視下におかれたが行動は比較的自由であった。生活面では比乳母企尼たちの援助を受けた。ここで北条時政の娘政子と知り合って結婚した。ここ蛭ヶ
顔も真っ赤に爛れたり年末年始返上の理由は幾つもありました。周りからは理解不能の域ですので、身内との連絡も心がぎりぎりの状態でしたし、たつ方が自分自身を保っていられる。互いにそれが最善だと判断しました。辛いけれど、それはまた正解でした。いつも決断が誤っていなければ、完成へと近づく次のメッセージがご褒美のように入ってきます。悩んで塞ぎ込んでる時間は既にないからです。今年最初は、何年も前にメッセージにきていた『平治の乱』1月3日源義朝公のお墓呼ばれ足を運ぶと、その日は源頼朝公や範頼公
5.【体系日本の歴史⑤~鎌倉と京~】評価:70点/作者:五味文彦/ジャンル:歴史/出版:1992年『体系日本の歴史⑤~鎌倉と京~』は、小学館ライブラリーの「体系日本の歴史」の第五弾。同シリーズは、全15巻によって、日本の歴史を解説している。本作は、保元の乱に始まり、鎌倉幕府の滅亡までを描く、鎌倉時代の歴史解説書である。本書の作者、五味文彦氏は、東京大学文学部国史学科卒業後、同大学院人文科学研究科博士課程中退。神戸大学文学部講師及び、お茶の水女子大学文教育学部
「布川事件」桜井さん追った映画浜松市中区で9日から上映-静岡新聞静岡新聞茨城県で1967年に起きた「布川事件」で29年間にわたって身柄拘束され、やり直しの裁判(再審)で無罪となった桜井昌司さん(75)の生きざまを描いた...【人権フォーラム】「狭山事件」の再審を求める市民集会参加報告-曹洞禅ネット曹洞禅ネットこの事件で、5月23日、被差別部落出身の石川一雄さんが窃盗などの別件で逮捕されました。石川さんは、窃盗などについては認めましたが、本件については否認を...
2日目は、京阪→叡山電鉄を乗り継いで終点の八瀬駅。以前八瀬に来たときは車だったので、初めて降りました。駅舎時期も時期だけに、高野川の紅葉はまだまだでしたね😐。ケーブル八瀬駅荷物を出町柳駅のコインロッカーに預けて身軽な格好だったからか、瑠璃光院への道を聞かれましたよ。500円の時に拝観している身としては、2000円の現在は思いっきり躊躇しています🥺。皆さんと逆の方向にテクテク🚶🚶🚶若狭街道の新道(右)、旧道(左)。帰りはバ
龍安寺から等持院の前を。この右の壁際の細道を進みます。到着。京都市北区平野八丁柳町26第78代二條天皇陵香隆寺陵。参道。在位1158年(保元3年)〜1165年(永万1年)諱は、守仁(もりひと)。後白河(ごしらかわ)天皇の第一皇子。母は藤原経実(つねざね)の娘懿子(いし)(源有仁(ありひと)の養女となる)。近衛(このえ)天皇が後嗣(こうし)の決まらないまま早世したとき、祖父鳥羽(とば)上皇、養母美福門院(びふくもんいん)(藤原得子(とくし))、関白藤原忠通(ただみち)らは、守
2022年10月14日金曜日晴れ今朝の比叡山です。朝食を済ませ、ゆっくり。ベランダとトップライトの植物に水遣りする。今日も夏日らしい。暖かいうちに水回りの掃除をしましょ。今日は、バスルームです。年に何度かカビ退治と掃除を私がします。女性では無理なところもあります。塩素系洗剤使いますしね。霧吹きで塩素系の洗剤を撒きますので、帽子とマスクの完全防備です。午前中は、カビ退治で終わりです。シリコンの目地のカビは明日にします。お昼を済ませ、乾くまでちょっと昼寝です。午後の比叡山です。
令和4年10月12日水曜日身繕いさせお決まりのディサービス送り出し後洗濯掃除15分程南に走り11時45分美浜町野間シーガルでランチ❗北へ5分程戻り(一年に2から3回合掌に❗)大河もそろそろ佳境に入ったので大御堂寺野間大坊へ今年の大河ゆかりの地平治の乱後家臣に謀殺太刀1本あれば❗時代は違うが映画「ノイズ」のロケ場所1時間30分程のんびりしました❗
今年の獄暑🥵💦が一息つき、涼しかった8月早々の頃…行って来ました〜。上野公園内のコーヒーチェーン店?…(スタバもありますが、こちらは別のお店です)平日でも結構賑わってましたよ〜。上野の東京都美術館と、日本橋高島屋での展覧会へと行ってた報告です〜。(開催中にアップ出来なくて…🙏💦。)まずは、東京都美術館へ…。本当なら青空を撮りたかったです…。コロナ禍の影響で、2年後の開催だとか!。で、一番見たかったのがこの絵巻〜。写真は全てテレビからお借りしてます。画面の虹模様🌈はお気になさ
6月から続く猛暑と共に上がっていった湿度💧寝苦しい夜が続きますね🥵お盆も明け、クーラーを付けなくても寝られる日が来る事を願う七海です🥺。久々に行動制限の無いお盆になりましたが、皆さまはお盆はどのように過ごされましたか??七海は、特に遠出は出来なかったんですが、近所の大社で行われるお祭りに行ってきました🚶♀️三日間行われるのですが、2年ぶりの開催となった為か、なかなかの人混み🙀日程によって、色々内容が代わり、中でも人気?があるのが、頼朝公旗揚げ行列と言う、頼朝役の芸能人と、