ブログ記事3件
暑さから梅雨に逆戻り。家の近くの蓮池に立派な睡蓮が咲いている。睡蓮までの距離が少しあるのでスマホでの撮影は難儀した。風光るケープタウンの窓もだろう坪内稔典多分だが磯巾着は義理堅い七月の水のかたまりだろうカバ万年の水のかたまり夏の河馬とくに愛着を覚えた4句をひいた。まず、「風光る」は仕事で1句をお願いしたときに書いてもらった句。いきなりケープタウンが出てきてびっくりした。主宰する「窓の会」の根拠のひとつはここにあるのではと想像したりする
耕して山が大きくなる日かな黛執水べりに出て回りだす春日傘〃句集『野面積』より。『黛執全句集』を少しずつ読んでいる。一気に読むのはもったいないような気がするから。2956句収録されているので、一日に100句読んでももひと月くらいかかることになる。農村を詠んだ句が大多数なので、農村生れとしては大いに共感できる。主宰の『細流の魚』と『今井杏太郎全句集』この二冊が今のところの私のバイブルだが、もう一冊増えることは間違いない。共通する作風は平明だとということ。真似しても出来ることではないが。
得たいのしれない不安、見せかけの解決、抜け出せない絶望、といった情念は、シェーンベルクやベルクらの無調や十二音技法の音楽によく表現される。それらは、より耳慣れた平明な音楽で表現できないのだろうか?ソ連の体制が与えたそんな制約に対して、ショスタコーヴィッチは見事な音楽語法で応えたように思う。息が長く調性が移ろう動機、それに少し違和感を加えて並置される変奏、動機が再現されるたびに歪む聴感の座標というシステム。有名なウィリアムテルのフレーズは、よく作曲家の幼少時代を振り返って云々という説明がされ