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【はじめに】平国香とは何者か?—一般的な「史実」の姿まず、私たちが教科書や一般的な歴史本で目にする「平国香」のプロフィールを確認しておきたいと思います。平氏の長男:桓武天皇の血を引く「平高望」の長男。名門の祖:後の「伊勢平氏(平清盛ら)」の直系先祖。悲劇の被害者:承平5年(935年)、甥である平将門に襲撃され、館と共に焼け死んだ「悲劇の伯父」。正義の象徴:彼の死をきっかけに、息子の貞盛が父の仇討ちとして将門を討伐し、「将門の乱」を鎮圧する。つまり、公式の歴史において
「平将門の乱は、藤原秀郷や平貞盛らが討伐した、とあるけど。俵藤太はともかく、平貞盛は従兄弟でしょ、何故、同じ平家どうしが争うの?」いくつかの先入観からくる誤解があります。まず、いつも言ってますが、平家ではありません、平氏です。さらに根本的な問題は、「親族というのは、団結して戦うものだ」という思い込みです。違います。争いごとは、赤の他人とではなく、まず、近い親族同士で起こるものなんです。何故って、人間社会の争いのほとんどが「財産争い」、もっと言えば「相続争い」なんですから
最近、はまって観ているこちらのシリーズ。前の加来耕三先生のシリーズの方が楽しかったし、「敗北」というタイトルに無理矢理合わせていて違和感を感じる回もありますが、前シリーズで扱わなった歴史上の人物もあり、楽しいです。今回は、承平天慶の乱の一方の主人公、平将門(もう一人は藤原純友)です。平将門、平忠常、平清盛で知られる桓武平氏。※小学舘漫画日本の歴史より桓武平氏は、その名の通り、桓武天皇の血を引く家系で、平氏には他に仁明天皇系の仁明平氏、文徳天皇系の
将門記◇貞盛の苦衷(1)とりわけ貞盛は、身の振り方を朝廷での公務に定め、この事件が起きるより以前に花の都にのぼり、歳月を重ねていたのであるが、この事件の詳しい経緯を京都で聞くこととなった。そこで彼のお人は、その事情をつくづくと思案してみるに、「この貞盛は、先の常陸大掾・源護ならびにその子息らとは、たしかに同じ一族に属する仲間である。しかしながら、自ら加担したわけでもないのに、その縁のゆえにとんだ巻き添えを喰ってしまった」。厳父国香(くにか)の邸宅は、すべて焼き尽くされてしま
平沢官衙遺跡(前記事参照)を見学しながら、私は、藤原玄明のことを考えていました。藤原玄明(ふじわらのはるあき)は、平将門の乱の、直接のきっかけとなった人物です。彼は、常陸国の住人で、『将門記』によって「素より国の乱人たり、民の毒害たるなり」と酷評されています。農事においては収穫物を横領し、納税を拒否し、弱い庶民を脅して略奪するありさまで、その悪辣さは夷狄よりも甚だしく、その行状は盗賊に匹敵すると、『将門記』の作者は厳しく非難しています。度々の納税督促に応じない玄明に対し、常陸国司
上総介に任官して関東に下った高望王には息子たちは、常陸国真壁郡に国香が、上総国の本拠地には良兼が、下総国豊田郡には良将が、武蔵国の村岡か、相模国の村岡に良文が、常陸国水守に良正が根拠地を置いて、領地の経営に当たったとされています。高望王一代でこれだけ広範囲な開墾ができるはずもなく、上総介の官位と桓武天皇の曾孫という血筋で、中小開拓領主を傘下にいれたわけで、関東に来るのが遅かった興世王はこういうことが出来なかったので、地元の中小開拓領主が庇護者を探していた良い時期に高望王はやって来たと言
高校生の頃から、陰陽道や陰陽師に興味を持っています。10代は、平安時代の闇に惹かれてました💜で、漏れなく、安倍晴明公に出会い、ちょうど小説(夢枕獏氏や加門七海氏)や映画化(野村萬斎氏主演の1本目が好き)漫画(岡野玲子氏の名作。その後のイナンナも好き)に、歴史本(オカルトや博学の巨匠たちのアンソロジー)とブームが来たので、その波に乗らせてもらったのですが🏄意外と身近に生誕説がある地があったことを知った時には、驚いたものでした。正直、トンデモじゃないかと思ってきたんですが、ここに来て、いや、ほ
『将門記』には、一読して意味のわからない箇所がいくつか見受けられます。そのひとつが、承平六年六月の戦いにおける、平良兼軍の動きです。戦いのあらましを述べる前に、将門と敵対する人物を紹介しておきましょう。()の中は、将門との続柄です。・平国香(伯父)・平良兼(伯父)・平良正(叔父)・平貞盛(従兄弟)……国香の息子承平五年二月、将門によって国香は攻め滅ぼされました。同年十月、良正が報復のいくさをおこしますが、返り討ちにあいます。良正の要請によって良兼が出陣したのが、翌
前置きを少々...前回のブログ(歴史を変えた女達・篤姫篇その壱)でも記載した通り御衣黄は、先生の講義にほぼ付いていけなかった(泣)そんな状態で3月某日、【日生劇場・太平洋序曲】を拝見するのは明らかに、悪い...放置していた、チノポスの日本史講座(Youtubeで無料)の続きを再開致しました。幕末まで、努めます!・・・。それでは、本題へ...更新が滞りましたね(^^;別件の依頼、苦情・忠告対応がありそちらに集中しておりました。
✅明野地区上野の見どころ・『世界のFANUC』創業者故稲葉清右衛門工学博士の生家(向上野)。故郷の明野を強く思ってくださりました🙇♀️現在も工場を造成中です。ありがとうございます💓・『平国香の墓』(東石田)。平安時代の武将。平清盛は国香の子孫。今までお名前だけでよくわかっていませんでした💦・『クイーンズオーストリッチ牧場』(寺上野)。排泄物が少なくヘルシーな食材になるダチョウの飼育。飼料には廃棄野菜を加えSDGSの取り組みが行われています。・風景。枝垂れ桜、紅梅、道端の菜の花が春の訪
筑西市(旧・明野町)東石田に将門の叔父・平国香の居館があったと伝わります東石田地区の北の外れで桜川段丘上に建つ鹿島神社が館跡といわれますもちろん遺構なんてありませんそれでも館跡としての雰囲気をなんとなくですが感じとれます古い航空写真を見ても館跡らしい地形をしています地方主要道132号沿いの長光寺には案内板が設置され南側の民家敷地には国香の墓といわれる小さな五輪塔があります20年くらい前に初めてこの地を訪れた際に地元の方に案内していただきましたそのとき聞いた話では将門を主人公とした
「昭和の男」宮本が令和初王者に中日クラウンズ:日本経済新聞https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44442140V00C19A5UU1000/さて元号リレーは承平じょうへいに到達!!期間は931年から938年7年由来は特になし出来事は平将門が平国香を殺害。おっ!!名将が登場しましたよ。そろそろ皆が知ってることがありそう。#1日一回歴史情報
平成30年12月9日車で移動して越生町へ。八高線の線路脇になります。あっちゃ~。割拝殿あったのに撮り忘れ…。御祭神は武甕槌神、天児屋根神、斎主神、比売神、誉田別神、木花咲耶比売神、菅原道真公、倉稲魂神、大己貴神、太田神、大宮比売神、中筒男神、表筒男神、底筒男神、神功皇后、大日霊神延暦元年(782)の創建と伝わり内裏山獅子岩に祭祀されていたのを坂上田村麻呂東夷征伐の際、現在の地に還し宮殿を築いて内裏大明神を祀ったされます。延喜年中には平国香(将門の伯父)が修繕、松山城(現吉見町)城
薬王院さんへ向かう途中、平国香ゆかりの地との看板があり、気になってよってみた。平国香は、平将門と敵対した側の人物で、この辺り(東石田)に居館があったらしい。居館に、火を放ち死にいたらしめたのが、平将門である。この辺りに、墓、居館跡が伝承されているとの事だが、本当に伝承だけみたいで、特にお寺さんで探してみたが、それらしき墓石はなかった。お寺の紋は、この辺りではあまり見ない丸に十字紋。この紋は、薩摩藩の紋として、有名である。このお寺は、人が居ないようで、御朱印は、頂けなかった。
丸亀城の石垣と天守:「美しき城」vol.22萩原さちこMadeinJapan石の城と呼ばれる名城丸亀城は、石垣の美しさから別名・石の城ともいわれます。JR予讃線の車窓から見える姿は、まさに石の城塞。ヨーロッパの古城のような...鹿島城お城散歩-FC2鹿島城は、茨城県鹿嶋市にあった城郭です。平安時代中期、平国香(たいらのくにか)は常陸大掾となって数多くの荘園を所有しました。その子孫・成幹は、..浜松市のお城たちに逢ってきました!武蔵の五遁、あっちへこっちへ
この旅で大本命だった神社です!なんてったって橿原神宮ですよ!(◎_◎;)奈良の橿原神宮の崇敬会員として一度はご挨拶しておかないとね‥。こちらの橿原神宮は奈良時代の和銅年間(708-715)に創建され、元の鎮座地は現在の茨城町中石崎だったそうです。「古事記」が完成したのが和銅5年、「常陸国風土記」は和銅6年ですね‥のちに常陸大掾(国司)の平国香(たいらのくにか)が先祖の桓武天皇・崇道天皇を合祀、その頃は柏原大明神と称されこの地方の平氏一族の守護神としてお祀りされ、享保年間(1716
日本道徳教育の歴史麗澤大学4月15日にミネルヴァ書房より発刊された『日本道徳教育の歴史-近代から現代まで-』を記念し、道徳科学教育センターでは、日本教育史、道徳教育の第一人者で...大麦の歴史縣屋酒造株式会社今回は、原料である大麦の歴史について書きたいと思います。大麦は小麦と並んで、世界で最も古い作物の一つです。約一万年前から、現在のイラクのあたり、第1回歴史講座「薩摩と琉球」開講維新ふるさと館平成28年第1回歴史講座を下記の通り開講します。第1回目のテーマは「薩
平忠常の祖父は平良文。良文は平将門の叔父にあたる人物です。良文は武蔵国村岡に土着し、下総国相馬郡の大半を所領としました。父は平忠頼で関東では名を馳せた有力な人物でした。忠常は祖父と父の地盤を継ぎ、常陸国・上総国・下総国を有し上総介と武蔵押領使に任官したといわれています。忠常の母は春姫といわれてます。春姫は平将門の次女…ということは忠常は将門の孫!この頃、桓武平氏の祖・高望王の子である平国香(平貞盛の父)の流れ、平良兼の流れ、平良文の流れが力を有していますね。将門の死後、平氏一族同士で