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平井宏明ガラス展2021-06-2606:00:00テーマ:個展5月22日(土)~5月29日(土)、岡山市中区門田屋敷にある”ギャラリーさとう”で「平井宏明ガラス展在る物」が開催されました。あっ終わってしまったのねでも此処にて見れるね開催します平井宏明さんは、※虫・カエル・ヤモリ等には、存在感や生々しさが在るように、※植物には、儚さや美しさが在るように、※器は、人の側に在るように、と思って作品を制作されています。”紫陽花”す
この天皇徳仁くんを見ているといつも思う。やはり天皇なんてものは、日本の精神的支柱でも伝統文化でもない。総理大臣の任命や法律の公布など国事行為は全て形式的儀礼なので、国権の最高機関たる国会がやればよい。そうなると天皇など必要ない。実際、この天皇徳仁くんがいなくとも、日本の政治・経済・社会・文化は何の支障もなく回る。そのことは誰の目にも明らかです。「国民に寄り添う」、彼がよく発する言葉です。父親(明仁)から引き継いだようだが、彼もこの言葉がよほど気に入っているのでしょ
きょう(2021年2月11日)は「建国記念の日」で日本の建国を祝うということらしい。が、いったい日本がいつどんな風に建国されたなんて実は全く分っていない。一部右寄り思想の人びとはこう主張する。《2700年近く前、神武天皇が即位し日本が建国された。その王朝が現在まで126代続いている》と。この話、古事記・日本書紀が基なのだが、あくまで神話、あてにはならない。ところがかの人びとはこの話を根拠に法制化の圧力をかけた。その結果がきょうの日だ。日本では、明治維新以降急速に
「洞察する瞳」制作著作:平井宏明「ポニーテールの女性」制作著作:平井宏明これらは私が数十年ぶりに描いた人物画(鉛筆・木炭等)です。最近、絵を描くことを再び始めました。新型コロナでのすごもり生活のひとつでしょうか。高校生時代は美術部に所属し、絵を描くことに日々没頭していました。当時は自分の背丈よりも大きな100号150号といったドでかい作品を制作し、全国学生絵画展などさまざまなコンクールに出品。入選して東京上野の国立美術館に展示されることもありました。一時は美大に行くこ
昭和天皇裕仁の肖像写真を燃やし、その燃えカスを足で踏みつける映像作品が展示された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展「表現の不自由展」の少女像や昭和天皇の肖像が燃える映像作品に対して、芸術祭実行委員会や県などに抗議が殺到し、放火を示唆する内容もあった。このため「表現の不自由展」は8月1日の開催からわずか3日で中止に追い込まれた。こうした経緯を表向きの理由に、文化庁は一旦は補助事業として採択した「あいちトリエンナーレ2019」に対して、今になって補
85歳の誕生日を前にして記者会見する現天皇明仁氏2018年12月20日(公表は23日)明仁氏の発言内容全文は、宮内庁公式サイトをご覧ください⇒<spanstyle="color:#0000ff;"><spanstyle="color:#0000ff;">http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/25</span></span>動画は⇒<spanstyle="color:#0000ff;">https:
くどいようですが、天皇の正しい理解はこうです:意外かもしれませんが、今の天皇制度は、幕末明治維新の志士=主に薩摩長州の下級武士がデッチ上げたものです。彼らは、『神代の昔から万世一系の天皇が日本の正統な統治者だ。』という水戸学の誇大妄想思想を吉田松陰から知り、倒幕に利用。当時死に体だった天皇を神輿に担ぎ、天皇を中心とする(実は利用する)国民国家統治体制を築いたのです。それが今日のような天皇への認識を生じさせたに過ぎません。言いかえれば、天皇制度は、討幕派テロリストたちが
望月衣塑子(もちづきいそこ)東京新聞社会部記者画像は同氏のFacebookから引用させていただきました。「望月衣塑子(もちづきいそこ)」:菅官房長官の記者クラブでの定例会見で、何度も何度もしつこく質問を繰り返し物議を醸した。記者の中には、会見で配布される情報をそのまま垂れ流すだけの者も多い。さらに「山口敬之」や「田﨑史郎」のように、政権中枢に取り入ってヨイショし、安倍政権のポチに成り下がるのもいる。この二人はジャーナリストの本来の使命たる、国家権力を批判することを
「鳥濱トメと6人の特攻隊員」どうして皆こんな『笑顔』なのか?特攻出撃したものの、天候不良で引き返さざるを得なくなり基地に帰還。その隊員たちが行きつけの「富屋食堂」に駆けつけ、母のように面倒を見てくれた女主人鳥濱トメさん(隊員たちも母のように慕っていた)と記念写真を撮った。どうして皆こんなにも『笑顔』なのか。このたった一枚の写真が、事実上強制だった「特攻」の愚劣な実態を示しています。追記:一方の次の写真は、これから特攻出撃する直前に撮られ
1947年12月、戦後初めて被爆地広島に入った時の昭和天皇裕仁。何の痛痒も感じない能天気間抜けな無責任ボンクラおやじにしか見えません。実際、後年そのような発言をして顰蹙を買っています(本文参照)このブログのメインテーマ、「天皇」の問題に戻ります。8月はどうしても「大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)」や「昭和天皇裕仁」の問題に触れざるを得ません。いきなり汚い言葉が並び恐縮ですが、昭和天皇裕仁(ひろひと)には、人間のクズ、無能、軽薄、ボ
神武天皇(想像絵画)。古事記・日本書紀と後年の解釈によれば、今から2675年も前(紀元前660年縄文時代!?)に日本を統一し初代天皇に即位したとされる。(もちろん考古学的にはあり得ない話です。)現天皇明仁80歳。果たしてこの男が、上に掲げた神武天皇の血筋(遺伝子)を、本当に125代2千年以上の時を経て途切れることなく引き継いでいるのでしょうか?だいたい神武天皇自体架空の存在なのに。そこで宮内庁に取材したところ、何ともコメントできないとの苦し
先日、このブログ記事を書くにあたり、宮内庁に電話で問い合わせをしたところ、天皇陵墓管理部門の責任者A氏が、雑談も含め四十分近くも話に付き合ってくれました。私がまずA氏に伝えた内容は次の通りです。(一言一句違わずこの通り話しました。)『皇国史観信奉者や右派保守系の人たちはこう主張しています。日本は、初代神武天皇以来万世一系で天皇の血筋つまり皇統を二千年以上一度も途絶えることなく継承し、その間ずっと天皇は民衆から崇敬され君民一体の国体を保持してきたと。もしそうだ
今回の衆議院総選挙の結果は、はぼ予想の範囲内。少し驚いたのは「次世代の党」のボロ負け(19議席→2議席)ぐらい。この党、自民党よりはるかに右寄りで、いわゆる「ネット右翼」に人気がありました。こういうおバカな政党が有権者に拒否され壊滅状態になったのは、たいへん良かったと思います。というわけで、堅苦しい政治や経済の話は特段くどくど書くこともないので、久しぶりに自分の撮った写真作品のうち、気に入っているものを気楽に掲載することにします。(過去に紹介したものも含まれています。)「山
こども版:日本の将来を担うこどもたちにぜひ知っておいてほしいこと(小学高学年以上なら理解できます。)明治天皇睦仁59歳没1852.11.3-1912.7.30在位1868.1.30-1912.7.30大正天皇嘉仁(睦仁の三男)47歳没1879.8.31-1926.12.25在位1912.7.30-1926.12.25生まれつき病弱で天皇在位中も公務に支障をきたすことが多かったようです。昭和天皇裕仁(嘉仁の長男)87歳没1901.4.2
1947年12月、敗戦後初めて被爆地広島に入った時の天皇裕仁。何の痛痒も感じない能天気な無責任ボンクラおやじにしか見えません。実際、後年そのような発言をして顰蹙を買っています(本文参照)。自作アート作品詳細は末尾の追記2をご参照ください。昭和天皇裕仁(ひろひと)は、日本史上最も軽蔑に値する人間だと幼い頃から考えていて、その思いは今もまったく変わりません。以下のことは、これまで何度も書いていますが、どれほど書いても書きつくせるということはないでしょう。1
百田尚樹(ひゃくたなおき)氏1956.2.23.-小説家で、昨年12月公開の映画「永遠の0(ゼロ)」の原作小説の作者として有名。また「海賊とよばれた男」で昨年度の本屋大賞を受賞。元々はテレビ放送作家で、朝日放送「探偵ナイトスクープ」の番組構成を25年にわたり務めている。昨年11月に安倍晋三首相の肝いりでNHK経営委員に就任。右翼国粋主義的発言で物議を醸すことが多いのでも有名。都知事選で、田母神俊雄氏の応援に駆けつけ、対立候補を「人間のクズ」と罵倒安倍晋三首相と
福島第一原発3号機の建屋に充満した水素が爆発2011年3月14日15時頃福島第一原発3号機現在もこの中に壊れた原子炉とメルトダウンした核燃料が残っている。福島第一原発2011年3月11日巨大津波により一帯が水没し全電源喪失、原子炉が冷却不能に福島第一原発4号機の内部使用済燃料プールに大量の核燃料棒が残されたままになっている。定期点検で一時稼動停止している関西電力大飯原発5月21日福井地裁は、重大事故発生の可能性はゼロではないからダメだという稚拙で非科学的な
出撃前の特攻隊員たち(まだ17歳か18歳だったそうです。)出撃前の訓示と水杯特攻隊の出撃を見送る被弾しながらも突入を試みる特攻機上空で撃墜された特攻機突入寸前に撃墜される特攻機米国戦艦ミズーリに突入する特攻機米国航空母艦に特攻機が突入した瞬間体当たり攻撃を受け炎上する米国航空母艦体当たり突入した特攻機の残骸(プロペラ部分)体当たり突入した特攻隊員の遺体(写真右側が頭部で口と鼻の穴が見える)大東亜戦争(アジア・
戦前の礼装をまとった昭和天皇裕仁(ひろひと)。彼は一旦戦争が始まると、結構好戦的で、かつ優柔不断だったようです。それも一因となり、大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)は早期終結の機会を逸しました。結果、日本人で310万人、海外も含めれば、1000万人以上の兵士と一般市民が死に追いやられました。彼が平和主義者であったというのは、後年の巧みな演出、作り話です。敗戦直後、日本各地を視察する昭和天皇裕仁。決して謝罪して回ったわけではありません。晩