ブログ記事311件
京都にも当然の如く暮れが押し迫り、ようやく落ち着きを、一時だけ取り戻す。紅葉のピーク時、鷹峯三箇寺にも訪れた。ところが光悦寺の肝心の参道は紹介することはできなかった。艶やかなモミジが姿を消す時にようやく、私が取り出した頃はまだ撮影ができたが、すでにオーバーツーリズム、撮影者が殺到してトラブルが発生、それ以降、この参道では撮影が全面的に禁止となった。『光悦寺、源光庵、常照寺の紅葉』京都の紅葉はすでに貴船、大原は辺りでは散り始め、その他の全域ではほぼ見頃を
京都で紅葉と言えば…東福寺に清水寺永観堂やら嵐山そこらあたりが紅葉のメジャーなトコやけど天邪鬼なワタシはちょっと違うところへと…そんなこんなでやって参りましたのが洛北の地鷹峯(たかがみね)の里でございます何を隠そうナンイモカクセヘンケド京都市北区にある鷹峯の地は京都でも指折りの紅葉の名所隠れた名所ではありますがひっそりと錦秋を楽しめるそんなところなのです…ちゅうことで常照寺京都市の四角い形の地
📜原文日蓮案云二乗作仏すら猶爾前づよにをぼゆ。久遠実成は又にるべくもなき爾前づりなり。其の故は爾前法華相対するに猶爾前こわき(強)上、爾前のみならず迹門十四品一向に爾前に同ず。本門十四品も涌出・寿量の二品を除ては皆始成を存せり。双林最後大般涅槃経四十巻・其外の法華前後の諸大乗経に一字一句もなく、法身の無始無終はとけども応身報身の顕本はとかれず。いかんが広博の爾前・本迹・涅槃等の諸大乗経をばすてゝ、但涌出・寿量の二品には付べき。されば法相宗と申宗は西天仏滅後九百年に無著菩薩と申大論師有しき
こないだの祝日(24日)に、市内へ紅葉狩りへ行ってきました今回はそのことをダイジェストで先にアップしておきます😄この日は以前巡った鷹峯方面へ行ってみました10時過ぎくらいに着いたら、もう人がいっぱい歩いておられました😅源光庵拝観料500円通常は駐車場に停めれるのですが、秋のこの時期は一般車は停められないということでした💦書院辺り、本堂の横がけっこう紅葉していました😊有名な悟りの窓・迷いの窓の前は、さすがに人が多かったです😓光悦寺拝観料500円いつも違う山門の所で料金を徴収さ
📜原文華厳乃至般若・大日経[等]は二乗作仏を隠のみならず、久遠実成を説かくさせ給へり。此等の経々に二の失あり。一には存行布故仍未開権。迹門の一念三千をかくせり。二には言始成故曽未発迹。本門久遠をかくせり。此等の二の大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり。迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説て爾前二種の失一を脱たり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらはれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波上に浮るににたり。本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四
京都市北区鷹峯にある源光庵は鷹峯三箇寺の一つ。西の方には鷹峯三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)が聳え、紅葉シーズンとなると光悦寺、源光庵、常照寺巡りが大人気。しかし駐車場には車が一台も、すかさず山門を潜る、観光客の気配はあるものの、やはり例年通り、それ以上、わんさか団体の観光客、人が入らず撮影するのは至難の業だが、鍛え上げた技術を屈指、皆さん「迷いの窓」、「悟りの窓」がお目当て、『源光庵の「悟
📜原文阿含・方等・般若・大日経等は仏説なればいみじき事なれども、華厳経にたいすればいうにかいなし。彼経に秘せんこと此等の経々にとかるべからず。されば諸阿含経云初成道等[云云]。大集経云如来成道始十六年等[云云]。浄名経云始坐仏樹力降魔等[云云]。大日経云我昔坐道場等[云云]。般若仁王経云二十九年等[云云]。此等は言にたらず。只耳目ををどろかす事は、無量義経に華厳経の唯心法界、方等般若経の海印三味・混同無二等の大法をかきあげて、或未顕真実、或歴劫修行等下程の御経に、我先道場菩提樹下端
📜原文二、教主釈尊は住劫第九の減人寿百歳の時、師子頬王には孫、浄飯王には嫡子、童子悉達太子一切義成就菩薩これなり。御年十九の御出家、三十成道の世尊、始寂滅道場にして実報華王の儀式を示現して、十玄六相・法界円融・頓極微妙の大法を説給、十方の諸仏も顕現し、一切の菩薩も雲集せり。土といひ、機といひ、諸仏といひ、始といひ、何事につけてか大法を秘給べき。されば経文には顕現自在力為説円満経等[云云]。一部六十巻は一字一点もなく円満経なり。譬へば如意宝珠は一珠も無量珠も共に同。一珠も万宝を尽て雨、万珠も万
【原文】当世も法華経をば皆信じたるやうなれども、法華経にてはなきなり。其故は法華経と大日経と、法華経と華厳経と、法華経と阿弥陀経と一なるやうをとく人をば悦で帰依し、別々なるなんど申人をば用ず。たとい用れども本意なき事とをもへり。日蓮云、日本に仏法わたりてすでに七百余年、但伝教大師一人計法華経をよめりと申をば諸人これを用ず。但法華経云若接須弥擲置他方無数仏土亦未為難。乃至若仏滅後於悪世中能説此経是則為難等[云云]。日蓮が強義経文には普合せり。法華経の流通たる涅槃経に、末代濁世に謗法の者十方
📜【原文】華厳経には先後の経なければ仏語相違なし。なにゝつけてか大疑いで来べき。大集経・大品経・金光明経・阿弥陀経等は諸小乗経の二乗を弾呵せんがために十方に浄土をとき、凡夫・菩薩を欣慕せしめ、二乗をわづらはす。小乗経と諸大乗経と一分の相違あるゆへに、或十方仏現じ給ひ、或は十方より大菩薩をつかはし、或は十方世界にも此の経をとくよしをしめし、或十方より諸仏あつまり給。或釈尊舌を三千にをほひ、或は諸仏の舌をいだすよしをとかせ給。此ひとえに諸小乗経の十方世界唯有一仏ととかせ給しをもひをやぶるなる
📜【原文】例せば暗夜に満月の東山より出がごとし。七宝の塔大虚にかゝらせ給て、大地にもつかず大虚にも付せ給はず、天中に懸て、宝塔の中より梵音声出して証明して云く。「爾時宝塔中出大音声歎言善哉善哉。釈迦牟尼世尊能以平等大慧・教菩薩法・仏所護念妙法華経為大衆説。如是如是。釈迦牟尼世尊如所説者皆是真実等」又云く、爾時世尊、文殊師利等無量百千万億の旧住娑婆世界菩薩、乃至人非人等一切衆前に現大神力。広長舌を出して梵世に至る。十方世界の諸仏もまた同じく広長舌を出し、無量光を放つ等云云。また云
📜原文人天大会けを興さめてありし程に、爾時東方宝浄世界の多宝如来、高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大七宝塔に乗じて、教主釈尊の人天大会に自語相違をせめられて、とのべかうのべさまざまに宣させ給しかども、不審猶をはるべしともみへず、もてあつかいてをはせし時、仏前に大地より涌現して虚空にのぼり給。💬現代語訳人々と天の神々による大集会(人天大会)がざわつき、釈尊の教えに「前後矛盾(自語相違)があるのでは?」という疑いが広まっていたちょうどその時――。東方の宝浄世界から、多宝如来が巨大な七宝塔に乗っ
📜原文而を後八年の法華経に忽に悔還して、二乗作仏すべしと仏陀とかせ給はんに、人天大会信仰をなすべしや。用べからざる上、先後の経々に疑網をなし、五十余年の説教皆虚妄の説となりなん。されば四十余年未顕真実等の経文はあらまさせか。天魔の仏陀と現じて後八年の経をばとかせ給かと疑網するところに、げに(実)げにしげに劫国名号と申て、二乗成仏の国をさだめ、劫をしるし、所化の弟子なんどを定させ給へば、教主釈尊の御語すでに二言になりぬ。自語相違と申はこれなり。外道が仏陀を大妄語の者と咲しことこれなり。💬現代語
ダンナの代休&保養所利用で1泊2日京都小旅行へ去年2月以来、紅葉時期としては2014年に母と訪れて以来久しぶり。車窓より、富士山くっきり出発時、後ろ席の外国人は“富士山が見える側の席”とはしゃいでたけど、いざの時はぐっすりでした^^;車内放送もしてくれたけどね。名古屋を過ぎ、初めて気付いたこちら日本百名山の伊吹山(多分)。標高1377m。米原市側は道路崩落で麓からは登れないらしい。びゅーっと2時間半で京都駅に到着何度も訪れてる京都、最近はインバウンドの波激しいなか、ダンナは金閣寺と
📜原文方等陀羅尼経云文殊語舎利弗猶如枯樹更生華不。亦如山水還本処不。折石還合不。燋種生芽不。舎利弗言不也。文殊言若不可得云何問我得菩提記生歓喜不等[云云]。文の心は枯たる木華さかず、山水山にかへらず、破たる石あはず、いれる種をいず、二乗またかくのごとし。仏種いれり等となん。大品般若経云諸天子今未発三菩提心者応当発。若入声聞正位是人不能発三菩提心。何以故。為生死作障隔故等[云云]。文の心は二乗は菩提心ををこさざれば我随喜せじ、諸天は菩提心ををこせば我随喜せん。首楞厳経云五逆罪
📜原文維摩経云維摩詰又問文殊師利。何等為如来種。答曰一切塵労之疇為如来種。雖以五無間具猶能発此大道意等[云云]。又云譬如族姓之子高原陸土不生青蓮芙蓉衡華卑濕汗田乃生此華等[云云]。又云已得阿羅漢為応真者終不能復起道意而具仏法也。如根敗之士其於五楽不能復利等[云云]。文の心は貪・瞋・癡等の三毒は仏の種となるべし、殺父等の五逆罪は仏種となるべし。高原陸土には青蓮華生べし。二乗は仏になるべからず。いう心は二乗の諸善と凡夫の悪と相対するに、凡夫の悪は仏になるとも二乗の善は仏にならじと
🌟第九部:結びの言葉【原文(結び)】仏、阿難に告げたまわく、未来世に於て、若し此の如き懺悔の法を修習することあらん時、当に知るべし、此の人は慙愧の服を著、諸仏に護助せられ、久しからずして当に阿耨多羅三藐三菩提を成ずべし。是の語を説きたもう時、十千の天子は法眼浄を得、弥勒菩薩等の諸大菩薩及び阿難は、仏の所説を聞きたてまつりて歓喜し奉行しき。【現代語訳(結び)】仏は阿難に告げられました。「未来の世において、もしこのような懺悔の法を修行する者があれば、知るべきである。この人
📜原文外典三千余巻の所詮二あり。所謂孝と忠となり。忠も又孝の家よりいでたり。孝と申者高也。天高ども孝よりも高からず。又孝者厚也。地あつけれども孝よりは厚からず。聖賢の二類は孝家よりいでたり。何況や仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必四恩をしつて知恩報恩ほうずべし。其上舎利弗・迦葉等の二乗は二百五十戒・三千威儀持整して、味・浄・無漏の三静慮、阿含経をきわめ、三界の見思を尽せり。知恩報恩の人の手本なるべし。然を不知恩の人なりと世尊定給ぬ。其故は父母の家を出て出家の身となるは必父母を
👑第八部:在家・出家のための懺悔法と菩薩戒の授受【原文】仏、阿難に告げたまわく、(中略)普く十方の諸天・世人の為に広く分別して説け。仏の滅度の後、仏の諸の弟子、若し方等経典を受持し、読誦し、解説することあらば、静処の若しは塚間、若しは樹下・阿練若処に於て、方等を読誦し、大乗の義を思うべし。(中略)但大乗方等経を誦するが故に、諸仏・菩薩、昼夜に是の持法の者を供養したまわん。(中略)此の行を行ずる者は真に是れ仏子なり。諸仏より生ず。(中略)菩薩戒を具足せる者と名く。羯磨を須いずして
📜原文而ども爾前の諸経も又仏陀の実語なり。大方広仏華厳経に云く、「如来智慧大薬王樹、唯二処に於ては生長利益を為すこと能わず。所謂、二乗は無為の広大なる深坑に堕ち、及び善根を壊して非器なる衆生は、大邪見と貪愛の水に溺る」等と[云云]。此の経文の心は、雪山に大樹あり、無尽根となづく。此を大薬王樹と号す。閻浮提の諸木の中の大王なり。此の木の高さは十六万八千由旬なり。一閻浮提の一切の草木は、此の木の根ざし、枝葉・華果の次第に随いて成るべし。此の木をば仏の仏性に譬えたり。一切衆生をば一
📖第七部:大乗経典読誦の絶大な功徳と六根懺悔の偈頌【原文(冒頭〜偈頌)】仏、阿難に告げたまわく。是の如く行ずるをば名けて懺悔とす。此の懺悔とは十方の諸仏・諸大菩薩の所行の懺悔の法なり。(中略)但当に大乗経典を読誦すべし。此の方等経は是れ諸仏の眼なり。諸仏は是れに因って五眼を具することを得たまえり。仏の三種の身は方等より生ず。是れ大法印なり、涅槃の海を印す。(中略)其れ大乗方等経典を誦読することあらば、当に知るべし、此の人は仏の功徳を具し、諸悪永く滅して仏慧より生ずるなり。(以
📜原文此に予愚見をもて前四十余年と後八年との相違をかんがへみるに、其相違多といえども、先世間の学者もゆるし、我が身にもさもやとうちをぼうる事は二乗作仏・久遠実成なるべし。法華経の現文を拝見するに、舎利弗華光如来、迦葉光明如来、須菩提名相如来、迦旃延閻浮那提金光如来、目連多摩羅跋栴檀香仏、富楼那法明如来、阿難山海慧自在通王仏、羅睺羅蹈七宝華如来、五百・七百普明如来、学無学二千人宝相如来、摩訶波闍波提比丘尼耶輸陀羅比丘尼等は、一切衆生喜見如来、具足千万光相如来等なり。此等の人々は法華経
🌟第六部:普賢菩薩の最終的な法説と無罪相懺悔【原文】空中の声、即ち是の語を説かん、釈迦牟尼仏を毘盧遮那徧一切処と名けたてまつる。(中略)時に十方の仏、各右の手を申べて、行者の頭を摩でて、是の如き言を作したまわん。(中略)菩薩の所行の結使を断ぜず使海に住せず。心を観ずるに心無し、顛倒の想より起る。(中略)我が心自ずから空なれば罪・福も主無し。(中略)是の如き相をば大懺悔と名け、大荘厳懺悔と名け、無罪相懺悔と名け、破壊心識と名く。此の懺悔を行ずる者は、身心清浄にして、法の中に住せざるこ
📜原文又其後やうやく世をとろへ人の智あさくなるほどに、天台の深義は習うしないぬ。他宗の執心は強盛になるほどに、やうやく六宗七宗に天台宗をとされて、よわりゆく。かのゆへに、結句は六宗七宗等にもをよばず。いうにかいなき禅宗・浄土宗にをとされて、始は檀那やうやくかの邪宗にうつる。結句は天台宗の碩徳と仰がるゝ人々みなをちゆきて彼の邪宗をたすく。さるほどに六宗八宗の田畠所領みなたをされ、正法失はてぬ。天照太神・正八幡・山王等諸守護の諸大善神も法味をなめざるか、国中を去り給かの故に、悪鬼便
👃第五部:鼻根・舌根・身根・意根の懺悔【原文】汝先世無量劫の中に於て、香を貪るを以ての故に、分別諸識、処々に貪著して、生死に墮落せり。(中略)汝今応当に大乗の因を観ずべし。大乗の因とは諸法実相なりと。(中略)此の舌根は悪業の想に動ぜられて、妄言・綺語・悪口・両舌・誹謗・妄語、邪見の語を讃歎し、無益の語を説く。(中略)此の舌根は悪業の刺は舌根より出ず。(中略)空中に復微妙の音声有って、是の如き言を出さん、汝今応当に身心に懺悔すべし。身とは殺・盗・淫、心とは諸の不善を念ずる、十悪業及
👂第四部:耳根の懺悔と多宝仏塔の現前【原文】耳根を浄むること已って、復更に大乗経典を読誦し、昼夜六時に胡跪し懺悔して是の言を作せ、我今云何ぞ但釈迦牟尼仏・分身の諸仏を見たてまつりて、多宝仏の塔全身の舎利を見たてまつらざる。多宝仏の塔は恒に在して滅したまわず。(中略)七日を過ぎ已って、多宝仏の塔、地より涌出したまわん。多宝如来、大音声を出して讃めて言わく、法の子、汝今真実に能く大乗を行じ、普賢に隨順して眼根懺悔す。是の因縁を以て、我汝が所に至って汝が証明と為る。(中略)汝多劫の
📜原文華厳宗と真言宗とは本は権経権宗なり。善無畏三蔵・金剛智三蔵、天台の一念三千の義を盜とて自宗の肝心とし、其上に印と真言とを加て超過の心ををこす。其の子細をしらぬ学者等は、天竺より大日経に一念三千の法門ありけりとうちをもう。華厳宗は澄観が時、華厳経の心如工画師の文に天台の一念三千の法門を偸入たり。人これをしらず。💬現代語訳華厳宗と真言宗という二つの宗派は、もともと「権経・権宗(仮の教えに基づく宗派)」です。真言宗の善無畏三蔵や金剛智三蔵は、天台大師の「一念三千」の教えを盗み取り、
🧘♀️第三部:懺悔と六根清浄の具体的な行法(眼根の懺悔)【原文】是の願を作し已って、昼夜六時に十方の仏を礼し懺悔の法を行じ、大乗経を読み大乗経を誦し、(中略)一切の人を視ること猶お仏の想の如くし、諸の衆生に於いて父母の想の如くせよ。(中略)眼根の因縁をもって諸色に貪著す。(中略)父母所生の清浄の常の眼、五欲を断ぜずして而も能く諸の障外の事を見ることを得べき。(中略)是の如く三び説いて五体を地に投じて、大乗を正念して心に忘捨せざれ。是れを眼根の罪を懺悔する法と名く。(中略)是の念
📜原文後漢の永平に漢土に仏法わたりて、邪典やぶれて内典立。内典に南三北七の異執をこりて蘭菊なりしかども、陳隋の智者大師にうちやぶられて、仏法二び群類をすくう。其後法相宗・真言宗天竺よりわたり、華厳宗又出来せり。此等の宗々の中に法相宗は一向天台宗に敵を成宗、法門水火なり。しかれども玄奘三蔵・慈恩大師、委細に天台の御釈を見ける程に、自宗の邪見ひるがへるかのゆへに、自宗をばすてねども其心天台に帰伏すと見へたり。💬現代語訳後漢の永平年間(西暦六十年代)、仏法が初めて中国に伝わりました。そのと