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荒らされた慰霊碑心無き者達によって、大切にあたためていた常山城の慰霊碑が壊されました。人はまたしても、やってしまいました。決して、やってはならないことを。ここに在るのは、ただの石ではありません。恐怖に怯える子供達が、子をあやすおなご達が、城や仲間を守る男達が、ここには居ます。不安と恐怖と責任感と、傷んだ心で激しく葛藤しながら、勇気を出して一歩ずつ前進する、健気で一生懸命な御霊達が居ます。若気の至り、やんちゃ武勇伝、ノリと勢い、
人の心を失う恐怖アクセス頂きありがとうございます義実家同居歴15年、挨拶か、小言しか会話ないまま追い出される事になり、義理実家から300メートル離れた借家で、2023/9/18から新生活がスタートしました大学4年生の1人息子がうえーいです↓勝手にリブログさせて頂きます。というのもうえーいが心霊写真を撮った「常山城」のニュースを取り上げてくださり、そこからドラッグのお話へ発展する深いお話だからです。ゾンビも鬼滅の刃の鬼も元は人間。私の部屋の手形は
昨日、三菱マリタイムシステムズ玉野工場で、海上保安庁の巡視船「ひろしま」が、進水をしたようです。今朝の藤井海岸。岸壁に居た、巡視船「ひろしま」を、拡大します。船首のくす玉、紅白の幕など、まだ、ついたままですね。巡視船「ひろしま」は、3500トン型巡視船、「みやこ」型の6番船。全長、120メートル、全幅14メートル。これまでの6隻、全てが、この玉野工場で、進水しているそうですね。次々と、進水しています。ネットの記事を見ると、現在、尖閣諸島周辺では、中国船の活動が常態化
昨日の山陽新聞に、何とも、罰当たりな記事がありました。玉野市と岡山市灘崎にまたがる「常山」の山頂にある「常山城」に、地元の人が、慰霊のために建てた「女軍の墓」と呼ばれる石塔があります。ネットから拝借した、この写真が、そうなのですが、この石塔や墓碑、44基が、全て、倒されているのを、2日、地元の人が見つけたということ。新聞に写真が掲載されていましたが、上の写真の石塔や、墓碑が、全て、外側に向かって、倒されている。なぜ、このような、酷いことをするのか。記事によると、昨年の5月にも、同じ
今日は、雨が降っているので、久しぶりに、市立図書館に。すると、常山城で発掘された「瓦」の展示が、行われていました。まずは、常山城の縄張り図。玉野市と岡山市(旧灘崎町)の境にある常山の山頂にある、戦国時代の山城です。この常山城を築城したのは、上野氏で、元々は、今の倉敷市真備町の辺りに勢力を持っていたようですが、延徳年間(1489~92)頃、備前国児島に移動し、常山城を築いたと考えられる。しかし、天正3年(1575)6月、毛利氏に攻められて、落城。上野氏は、滅亡します。その後、し
岡山での1日は楽しかった!この時期←少し前ですは🍇や他の果物を調達に「岡山」に行くことが多いのでイベントを理由に行っています。話の続き…岡山城の後は岡山駅でランチ食べたし、充実した1日になったけれど、1箇所をじっくり見て調べて知るということもいいと思っているけれど、車で移動なので今回も多くの史跡を巡って楽しんだ1日になりました。駅のロータリーは改装中なのかな?桃太郎さんが端に移動していていました。えび飯(卵のせ)駅のお土産売り場などが綺麗になっていて、ちょっと
訪問日:2024/6/30【場所】岡山県高梁市有漢町有漢【築城年】鎌倉時代前期【築城者・改修者】秋庭重信【城郭様式】山城【主な城主】秋庭氏、新山氏、肥田氏【見所】①曲輪②模擬天守(城型展望台)【廃城年】不明【御城印の有無・販売場所】「Cafemoulin」(うかん常山公園内)【アクセス】岡山自動車道有漢ICより車で約5分【駐車場情報】うかん常山公園駐車場(無料)【周辺観光施設】備中松山城鎌倉時代前期1221年に起こった承久の乱の功績により有漢郷の地頭職に任じられ
岡山県玉野市「番田の立石」へ行ってきた。常山途中、常山を横目に車を走らせる常山城址4年前に登りました。自決していく一族を前に鶴姫の覚悟!常山合戦案内ここ常山城は、常山女軍が戦った城として知られて天正3年(1575)6月7日、城主上野肥前守隆徳の守る常山城は、毛利・小早川隆景の大軍に包囲され落城の時を迎えていました。本丸直下のこの二の丸付近に迫った敵将浦宗勝の軍勢に対し、城主隆徳の妻鶴姫以下34人の侍女達は最期の戦いを挑みました。しかし、女性達は次第に討ち取られ、鶴姫は本丸に引
今日も、良い天気なので、散歩がてら、また、大崎へ。以前、八浜合戦の舞台だった「柳畑古戦場」を見に行きましたが、その近くには「大塚家五輪塔」と呼ばれるものがあります。このような、道しるべがあります。この道しるべに沿って、北に向かうと、墓地があります。その墓地の一角に、「大塚家五輪塔」は、あります。こちらが「大塚家五輪塔」です。右手に、説明板が、倒れていますね。この説明板によると、この「大塚家」は、元々、常山城の総門二の丸の侍大将だった国富一学という人物が、常山城落城の時に
鶴姫様から城主様へ手向けられたお花…写真は3枚目です。このスミレのようなお花…キランソウという名の山野草で何にでも効く薬草だと後で知りました…1番最初に慰霊登山をした時の事…城主様の墓土を、慰霊塔の裏側に埋めさせて頂き、手を合わせた直後の事です…女軍慰霊碑の脇にすみれ色の花が咲いていました…鶴姫様が私に「頼まれてくだされ…この花をわれの代わりに殿のお墓に手向けてくだされ。」とおっしゃるのです…ちょうど、墓土用に持って来ていたスコップで、お花を根ごとすくい
L宇野みなと線迫川駅(L11)←常山駅(L12)→八浜駅(L13)2020年10月12日(月)と2023年7月22日(土)に訪問した、L宇野みなと線常山駅の画像をUPします。片面ホーム1面1線の地上駅で、無人駅です。茶屋町駅~宇野駅間で唯一、交換設備がない駅です。常山(常山城)の最寄り駅です。駅の東側で、国道30号線と交差します。ホームの出入口です。常山駅の駅名標です。常山駅のひらがな駅名板です。駅ナンバーは、「L12」です(2020年10月12日(月)当日)。常山駅のひ
ZOOMお城ファンミ「諸説あり」今週は怖い話ワタクシは過去二年にわたってお話したのでネタ切れです一回目2020年は下三点詳細はこちらジャンジャン火伝説|根多帖別冊byえすくおやじ(ameblo.jp)怨霊考|根多帖別冊byえすくおやじ(ameblo.jp)で、これは過去記事は無いのだが、2013年5月に近江宇佐山城に朝駆けしたのだが、ぼくの行ったこの日以前に同じように朝駆けしたひとが・・・発見したらしいこれ以上は書けません・・・
岡山県玉野市用吉にあります。二の丸まで車でいけます。道中細くなっている場所もあり対向車には注意が必要です。整備されてから月日が経っており城内はやや荒れ気味です。石垣が薮で隠れてしまっている箇所もあり見学は冬のほうが良いでしょう。看板の縄張り図に石垣の場所など記されています。熊出没遭遇などは問題ないでしょう。とてもフォルムの良い山です。遠景城内の様子主郭より石垣
2022.1.31.地元に在る有名な山城《常山城跡》へ実家からも見えますこちらも、20年ぶり位に登城して来ました常山城は、児島富士とも呼ばれる標高約300mの常山山頂に「本丸」を配し、そこから北及び北東に延びる2つの尾根筋に14の曲輪を連続して築いている連郭式の中世山城です。現在残る遺構(石垣)は宇喜多時代に改修されたものです心霊スポットとしても有名です登城は麓から歩きがオススメ(🦯有ると楽です)ゲートを抜けて進むと、中腹辺りから石積み、石畳の跡が有り、竪堀
所在地岡山県玉野市字藤木城主上野土佐守(上野隆徳)戸川秀安(有林)時期明応元年(1492)~慶長八年(1603)訪城紀行此の常山城跡には平成11年に一度訪れている。その時も列車で常山駅まで来て、歩いて城跡まで登った。今回も朝六時に家を出て、丸亀駅から茶屋町駅、茶屋町駅より宇野線で常山駅まで行く。常山駅には八時前に着き、駅前にある有林堂に訪れ、堂の後方にある、戸川有林の墓にお参りして、駅前から700m程西にある登山口から車道の登山道を登る。(8時10分
鶴首城から山中鹿之助の墓を横目で通過し、備中松山城へも寄りたいのをグッとガマンし通り過ぎ、高梁市有漢町へまいりました。岡山県高梁市有漢町有漢備中・有漢常山城(うかんつねやまじょう)有漢常山城は承久の乱後、鎌倉幕府から戦功の賞として備中国有漢郷の地頭職に補せられた、備中松山城も築いたとされる秋庭重信によって築かれた城です。北側の山麓部分に居館を構えていた秋庭氏の詰めの城として築かれました。現在城址はうかん常山公園として整備されており、模擬天守が建てられています。うかん常山公園の
滋賀県長浜市は8月26日、羽柴秀吉が1582年に毛利家と戦った時に児島の常山城で戦ったことを示す古文書が見つかったと発表した。女軍の落城悲話が残る常山城が7年前に陥落した後、宇喜多家でなく毛利家が城を支配し、秀吉軍と争ったことを証明する資料となる。見つかったのは参戦した1582年(天正10年)3月17日付の「羽柴秀吉備前国児島攻め備」。参戦する「はまての衆」たちの名前および割り当て兵力が記される陣立て文書(縦30.4cm、横46.8cm)である。長浜城歴史博物館の北村大輔・元学芸員が20
新型コロナウイルスの起源、最新の米情報機関調査で結論出ず-関係者-Bloombergブルームバーグ新型コロナウイルスの起源に関し、米情報機関がまとめた最新の報告書は明確な結論を導き出すに至っていないと、事情に詳しい関係者が明らかにした。動物からの感染か、...川口技研Presents司馬遼太郎短篇傑作選SEASON9竹下景子-時事ドットコム時事通信江戸麻布永坂に開いた自身の道場には多くの門弟を抱え、上総飯野藩の剣術指南役に...普段は「おだやかさま」と仇名をつ
9月25日から1泊2日の岡山遠征をしました。天気が悪ければ行くのをやめるつもりでしたが、数日前まで傘の印がなかったので行くことにしました。が、直前に25日の予報が大雨に変わってしまいました。宿泊のキャンセル料を惜しんで行って参りました。天気予報がはずれることを祈りつつ。SAで数時間眠れるように24日夜岐阜を発ちました。最初の目的地だった忍山城のPに日の出時刻に到着し、雨雲レーダーを見ても止む気配がないのでカッパを着て活動開始。しかし、雨で明るくならず、それゆえ視界がきかず、すぐに路がわ
末尾の岡山遠征プラン実行することにしました。宿が安いので。天気は今一ですが。9月25日と26日。訪問先と行程は、昨日大幅改定しました。当初は、宇喜多Vs毛利が中心でしたが、下記のサイトを拝見し、備中兵乱の舞台を半分ぐらいにしました。https://plaza.rakuten.co.jp/sengokulily/diary/201204250000/備中松山城(5)備中国人物語7・備中兵乱-戦国ジジイ・りりのブログ:楽天ブログ天正2年(1574)、11月10日までに備中笠岡
岡山遠征プランを立てました。医王山城→荒神山城→神楽尾城→枡形城→篠向城→泊寺畑城→忍山城→常山城→八浜城常山を除き、宇喜多Vs毛利の合戦舞台です。岡山県では、以下の城を済ませておりそれ以外のさらなるマイナー城ばかり。備中松山猿掛、(備中)福山城、高松、鬼ケ城高田岩屋、明善寺、天神山、三石三星、矢筈今回は1人で参ります。長距離かつマイナー城だけに誘っても断られるだけだと確信し。行くかどうかはまだわかりませんが、湯原温泉を予約しました。GOto利用
午後から曇りの予報だったが何とか薄日が射しているので、先週に引き続き山城を散策することにした。-常山城概略-常山城(つねやまじょう)は、岡山県玉野市と岡山市南区の市境にある「児島富士」と呼ばれる標高307mの常山山上の連郭式山城である。常山玉野市史跡に指定されている。明治時代に大規模な干拓により陸地となっているが、戦国期、この辺り一帯は海であった。常山城は本土との海峡部に睨みを効かせる城であった。室町時代中期の文明年間(1469年~1486年)に備中国を支配した戦国大名の三村氏の姻戚
今日は7時から勤務のため、4時半に起床し5時にラジオをつけました。そんなラジオから聞こえてきたニュースに耳を疑いました。あの首里城が燃えている、という一報でした。帰宅して夜のニュースを見ました。火元と見られる正殿をはじめ北殿や南殿など7棟が灰燼に帰してしまいました。ケガ人などがいないのがせめてもの救いです。この先どうなるのでしょうか。何度も何度も焼失しながら、そのたびに不死鳥のように再建されてきた首里城。莫大な費用と手間と時間がかかる再建。軽々しく「再建して」などとは言
前の記事で備中と予告しましたが備前です。備中と備前の境目がよぅ分からんが、岡山市南区と玉野市にまたがる比高305mの常山。その常山にあった備前・常山城(つねやまじょう)別名「恐怖の心霊スポット」常山城へ行くには城山の北側から頂上近くまで車道があります。しばらく通行止めが続いてたそうですが、現在は解除になり車で楽ちんちんと上まで行けます・・・子菓子駄菓子!このような1車線でクネクネ道あり、ガードレールもない細々道あり、道に樹木が覆いかぶさってる場所ありで、なかなか恐怖
今日は、玉野市にある常山城址を訪ねました。常山城は、児島湾北岸の要衝の地を占める連郭式山城。地侍の上野氏の居城で、備中の雄、三村氏の最南端の防備戦でした。この城は、江戸時代初期まで続きましたが、廃城となり、今では見る影もありません。中世の山城としてそれほど特筆すべきこともない常山城が今に語り継がれているのは、ひとえに女軍の墓の存在です。備中兵乱における常山合戦で、城主上野隆徳や城兵とともに城主の妻、鶴姫や侍女たちも甲冑に身を包み太刀や長刀を持って打ち出し、敵陣に突入し、最
此度のオフ会より〜パチパチ👏パチパチパチパチ〜👏「岡山オフ会」→「中国オフ会」に改名幅広く沢山のお城を廻りたい♪そんな思いから改名を決意そんな中来たる11月3日、4日に第一回晴れの国中国オフ会を実施♪記念すべき1回目に選ばれたお城は…備中兵乱最後の舞台となった常山城倉敷にある土のお城🏯九州の城友様あるてさん大絶賛の黒山城この2つに登城して参りました先ず「備中兵乱の最後の舞台」になった常山城🏯備中の戦国大名・三村氏の姻戚の上野氏によって築かれます備中国へ侵入してき
にゃにゃーーーん昨日のお話から。。。急遽『龍泉寺』に行くことになりまちて。。。なんとここは、凄すぎましたwww目指すは『太閤腰掛岩』って駐車場を降りるともぉイキナリみちゅけましてwww駐車場に来る前に見えた『龍王池』の看板に凄くそそられそして。。。手洗鉢の大きさにもびっくりちて。。。見学する事にしましたウロウロしてぃると。。。遠くから滝の音が。。。👂その音に、誘われ降りてみると。。。にゃっにゃんだーこれはーっ凄さに圧巻しかも祠の数がーっもぉ『千と千尋の神隠し』って
ふっふっふー前回一人盛り上がって終わったなりがーwww前回の続きれーすまず、帰ってした事ネットで、『楯築遺跡』について調べまくりそして。。。本を購入☆(電子書籍)『楯築遺跡と卑弥呼の鬼道』2時間半で、終わる本を。。。なんと2週間で読み上げたとゆーまぁ頭おばかたーーんだかだ。。。字は苦手なりなぁまず一つ5個の巨石はこれになると、ゆーこと一つずつ紹介エントリーNo.①ばーーーん南側のぉー何故にちみは、離れた場所に居るのー?の石さーーーんエントリーNo.②ばーーん
ぼくは、霊感とか、まったくない。しかし、怖がりである。ユーレイとか見えないから怖がりなのであろう。見えるのに怖がりだと何も出来ない。ただ、以前大和龍王山にいったときは、原因不明の恐怖に襲われ、目前で逃げ帰ったことがある。今回、備前常山城では更なる恐怖が・・・って準備不足だっただけですけどね。常山城より南側・瀬戸内を望むここには、三村氏傘下の上野氏の居城であったとき、宇喜多・小早川の連合軍に攻められ、女性まで含めた籠城軍は凄惨な最期を遂げた…という伝説が伝わる。だいたい、「心霊