ブログ記事63件
2023年6月のブログです*昨日は宮城と福島の海岸線をタントくんと南下した。宮城と福島の海岸線は岩手とは違って平らなので、高い防潮堤はあまりないが、かなり内陸部まで津波の浸水地域が広がっていて、国道6号線などもあちこちに津波浸水地域という表示がある。そういえば、震災の時に、後輩の調査官が福島の新地という町に出張をしていて、地震にあい、歩いて避難をしているときに、たまたま通りかかった車に乗せてもらって、津波から逃げられて助かったという話を聞いたことがある。新地の被害状
2017年5月のブログです*5月の連休、昨年に続いて、東北3県の沿岸部を車で旅してきました。国道6号線の沿線は、昨年より少しだけ帰還困難地域が減りましたが、しかし、規制解除になった地域でも、入り口がフェンスで閉鎖されているお店もあり、まだまだ大変な様子でした。もちろん、帰還困難地域内は、当然、無人で、犬や猫の姿も見当たりません。その代わりに、獣注意、という看板が目立ちます。動物ではなく、獣(けもの)という表記が、異様な感じです。また、あいかわらず、国道の交差道路には
2016年5月のブログです*5月の連休、少し考えるところがあって、東北3県の沿岸部を車で旅してきました。まずは新潟から国道49号で福島のいわきに、そこから国道6号で北上しました。有名なJビレッジを過ぎてしばらくすると、帰還困難地域の表示。大熊町から双葉町にかけてのおおよそ30キロ弱ほどの地域がそうでした。テレビの報道でだいたいのことはわかったつもりになっていましたが、現地を自分の眼で見ると、その悲惨さは想像を絶していました。国道の両側の商業地域や住宅地域は
【主な乗り物:常磐線竜田-原ノ町間代行バス・常磐線135M・常磐線相馬-亘理間代行バス・常磐線245M・さくら交通高速バス新宿-仙台線】福島県浜通りに出現した現代の悲しい遺跡の中を、淡々と代行バスは走る。車内は深閑として、まばらに席を占める乗客は物音1つ立てない。キョロキョロと周りを見回しているのは僕くらいで、目をつむっていたり、スマホをいじっている人ばかりである。運転手と添乗員も、全く会話を交わさない。この2人は地元の人なのだろうと思うけれど、心中、どのような思いが去来しているのだろ
【主な乗り物:特急「ひたち」・常磐線671M・常磐線竜田-原ノ町間代行バス】平成28年5月の日曜日、高曇りの上野駅を午前7時きっかりに発車した特急列車「ひたち」1号は、リズミカルな走行音を刻みながら常磐線を北上した。停車駅は土浦、友部、水戸、勝田、日立、高萩、勿来、泉、湯本。終点のいわき駅は9時18分着である。「ひたち」に使われているE657系車両は、普通車でも、グリーン車のように深々とくつろげる座席である。あまりに走りっぷりが軽快なので、11両編成の長大な列車が奏でるテンポのいいソナ
皆様、今日わ。午後の、越中守です。知人と、福島飯館からの避難されているご夫婦の来訪!!刈羽柏崎原発運転再開反対の知事候補、応援の訪問でした。頭が、下ります!!村の実相の一端を、お聞きしました。福島は縁深き地!!故郷と同じで、事故により、「俺の福島は、汚れてしまった。」「故郷が、壊れてしまった。」と、気持ちが落ち込み、暫く、立ち直れませんでした!!当事者ならば幾ばくか?計り知れない深い悲しみが有る事でしょう❗除染が進まず、未だに、避難を強いられています!!国も東電も、
自宅のあるさいたま市を午前0時に出発して、東北道~圏央道~常磐道と走って来ました朝は中郷SAで迎えます朝食は軽めに天玉そばでその後は広野ICで一旦国道6号線に下り、道の駅でトイレ休憩を挟みながら北上します途中にあった帰還困難地域のバリケードは大半が解除されていたものの、相変わらず人の気配はなし。東日本大震災や福島第一原発の事故から間もなく11年になりますが、被災者にとって復興という言葉がどれくらいに意味を成すものなのか、考えさせられながら走って来ました
双葉郡富岡町の夜の森地区に来ました。ここは長らく(2011年以来)、放射線量が高く人の立ち入りが厳しく禁止されている「帰還困難」地区でしたが、最近「特定復興拠点」になって、人の立ち入り制限が自由になりました。(それまでは事前申請、許可制)↓道路を境に、右側(東側)が「帰還困難地区」で、ズラーっとバリケードがありました。↓ヨークベニマル夜の森店。ここも帰還困難地区で人が立ち入り出来ませんでした。つまり10年間放置。↓夜の森駐在所(先月運用開始)前から、小学校、王塚地区方面を見る。
福島にはまだ避難してる方々がいるオイラの友人一家もそうである今は東京で仕事してるが新型コロナの影響で収入がかなり減ったそうだ故郷には帰らないと決めたらしいが震災と原発そして今・・・彼らにかける言葉が見つからない今夜地上波初放送がありますAOaruのmyPick楽天市場ユニーク洗空気花粉対策扇風機が空気清浄機に早変わりする使い捨て空気洗浄フィルター
【上野→仙台】常磐特急復活!ひたち3号仙台行き一番列車に乗車《上野駅→仙台駅》3/14-03
やっぱり「山.覧地」でしたぁ~・!!・Po..風防ウイングのテスト走行で「海ランチ」しようと颯爽と出かけたのですが・・・R.349号を田村市~葛尾村~っと軽快にトバしてたらば、賭場、、否、止め場所な*止場*に着くと軽快、、否、警戒中の警備員に両手で止められちゃいましたぁぁぁ~・Pe..原発事故での「帰還困難地域」は、バイク・自転者・歩行者は通行不可なんだってさぁ~・!!・「車なら可能なんですぅ~」って言うんじゃが、、、「県の交通情報欄には載って無ぇ~ぜぇ~」っと言っても、督
東日本大震災も原発事故が伴わなければ復興はもう少し違ったのでしょうけどね。再び津波に襲われる確率と原発事故がある確率はどちらが高いでしょう、原発事故だと思いますね。あの時、東電の勝俣会長と中国へ観光旅行に行っていたのは大手メディアの幹部でしたね。日頃政権批判を比較的行う日刊ゲンダイの本家講談社も一緒に行ってました。他の事では政権批判をするメディア、番組も原発、放射能問題になるとダンマリですね。原子力ムラというのは余程強固なのでしょうね。今現在、原子炉に蓋もしてません。汚染水もたくさんで敷
【撮影日:2020年3月8日/その1】この日は常磐線の不通区間になっている夜ノ森、大野、双葉の各駅を撮影してきました。それでは当日の収穫を。。。★★★★★★★★★★夜ノ森駅当駅は1921年3月15日に国鉄の前身である鉄道省が開設したものです。夜ノ森駅は昔から古い木造駅舎が使用されてきましたが、2011年3月11日の東日本大震災による災害とその後、発生した福島第一原子力発電所の人災による放射能汚染に晒されたために解体されました。夜ノ森駅(西口)
11月、12月とあちこち行ってきた。なかでも、12/10、11で行ってきた福島第一原発内の視察はようやく2年がかりで行けた場所だった。見学の際の様子については膨大な資料をきちんと読んでから時間をかけて別のカタチでまとめてみたいと思っているのだけど印象は?と問われれば「本当に、日本全土を揺るがすような大事故が起こった場所なのか?」と思うぐらい整然とした場所に私には見えた。福島第一原発に行くまでの帰還困難地域が本当に8年前と同じ光景のままに比べると優先的
みなしゃんこんばんは大好評みちのく徘徊シリーズ7回目の本日は南相馬市から行動開始でしゅまだ暗いうちから慰霊碑巡り暗い場所の画像はありましぇん(笑)ここやこことこっちとあっちと地図にある場所ない場所通りすがりに見つけては手を合わせご冥福をお祈りしました沿岸部の各地域ごとに慰霊碑があって数十人から数百人のお名前が記されていましゅ各地を巡って気づいたことがありましゅ慰霊碑でしゅから亡くなった方々に想いを馳せる場所であるのは当然でしゅさらには被害を忘れないこと
福島県に視察に行ってまいりました。膨大な汚染土壌の中間貯蔵施設では粉塵が舞い上がっておりました。大熊町の帰還困難地域は廃墟化し、家屋が道沿いに佇んでおりました。それでもレタスのLEDの水耕栽培や世界一安全なイチゴ栽培など誘致企業による雇用の拡大に取り組んでおられます。福島の復旧、復興は道半ばです。復興庁は10年延長へ政府は、2021年3月末で設置期限を迎える復興庁について、現在の体制を維持した上で2031年3月末まで、10年間延長することを盛り込んだ基本方針を年内にまと
かつては大勢の町民の足だった駅がらんとしています。仙台に行く方面は走っていますが、浪江から富岡までは行くことができません。Jヴィレッジなんてすぐなのに。代行バスは走ってはいます。駅前です。なにもない。。。。。壊されるのを待っているだけのビル。8年たってもまだこんな感じ。私たちにとって8年って結構な年数で、もう立ち直ったんじゃないかなんて思っている人もいるかもしれないけれど、現場はまだあの時のままだっ
Jヴィレッジの後は浪江町を案内していただきました。浪江町は東日本大震災で揺れや津波による被害に加えて、震災により発生した福島第一原子力発電所事故の影響を受けて、同月15日以降、仮役場が同県内の二本松に設置。たくさんの住民が避難を余儀なくされました。2017年3月31日に全域避難指示は解除されましたが、現在も「帰還困難地域」が町内の大半を占めています。入ってはいけない地域が、いまだにこの日本に存在しているんです。入ってはいけない道路は金網がはられていたり、バリケードがありました。
今日は約1年ぶりに双葉町=帰還困難地域に一時立入してきました。一時立入に行って来たのは家内のおばあちゃん(横須賀に疎開中)の家です。おばあちゃんはもう高齢なので5年ほど前に連れて行ったのが最後です。今回も家内+家内のお父さんと一緒に3人で行って来ました。今回のメインの目的は台風の被害の確認です。おばあちゃんの家は福島第1原発から直線距離で3kmです。行く途中の国道6号線から福島第1原発で作業しているクレーン車が少し見えます。原発のクレーン車の写真を撮ったのは長者原という所です。こ
大袈裟なタイトルだけどお休み明け誰か行けよ‼️様子わからんやないかい先日の一荒?に雨☔で少し水温下がったかも知れん(`д´)誰か行けよ‼️行きたいけどイケんねん(._.)どいつもこいつもチョンボしやがってツケがこっちに回って来るねん新人さんイラッシャイ🎵尾鷲南インター降りて頂いてエサ市場でお魚の餌買って隣のファミマで自分のエサ(御飯と水?ビール?勝手に)左に曲がったら直進左手に神社直進更に左手にホテル直進🎵右手に自販機見えたら行き過ぎ戻れ❗左手に曲
いわき~浪江町まで今回の支援は帰還困難地域にお邪魔しました。震災前の、大熊町人口は15000人今は1500人戻ってこられて復興に頑張ってらしゃいます。双葉町はまだ完全に帰還困難地域です。そして浪江町一部帰還困難地域が有るものの1050人帰宅されて《震災前は20000人》家を建てなおされ方々や復興住宅にお住まいの方々。皆さん、ふるさとは良いわぁー❗🍀と口々におっしゃってます。ビューティーボランティアネイル眉カットフラワーアレンジメント健康脳トレ体操。楽しんでい
被災地に贈るクリスマスカード作りの、リーダーの田中拓男先生から、【クリスマスカード作りの報告の御礼】という文書が届きましたので、こちらアメブロでも、コピーしておきます。長い文章ですが、お読み頂けると幸いです!「クリスマスカード活動の報告と御礼」2019年4月吉日暖かい春が巡ってきました。「被災地の子どもたちへクリスマスカードを届けよう!」プロジェクト代表、中央大学名誉教授田中拓男です。皆様のクリスマスカードに対する御礼が遅れたことお許しください。今年度も世界の各地、日本の各地か
はい。皆さん、こんにちは。今日は、未だに住民が帰還出来ない帰還困難地域から、帰還出来る地域へと、なりつつある、大熊町の問題が、復興の深い溝を映し出します。それでは、どうぞ。大熊町の住民説明会始まる避難指示解除をめざしFNN2019年5月までに、一部地域の避難指示解除を目指す福島・大熊町の住民説明会が、9日から始まった。大熊町では、2019年5月までに、「大川原地区」と「中屋敷地区」について、避難指示を解除することにしている。9日、郡山市で開かれた説明会には、24人が出席。
2019年3月11日東日本大震災から8年が経った14時46分はテレビ中継とともに黙とうをささげた復興は進んでいるけど、まだまだ震災前と同じ生活に戻れない人もたくさんいるそして、福島は原発事故の影響で復興が進まない場所がある帰還困難地域は少しずつ減ってきて、新しく学校が出来たり、病院が開院したりと新たに進んでいるけど、きちんと全国報道されないためかまだ福島は危険だと言う風評被害が根強く残っている何度も言うけど、福島は安全な場所がほとんどだ
昨日は晴れ。強風や乾燥が続くと・・2月は節分にバレンタインデー~今日は、晴れ。【1/29~何の日⁉】→《人口調査記念日》→1872年、日本初の全国戸籍調査が行われた。★★ありし日のニャンコ画像★★(^_^)段ボール箱に潜れるか⁉やってみた!(^-^)◎◎◎ネットNEWSより◎◎◎■【あおり運転】~【むしゃくしゃしたから】とやられちゃ!!!(▼皿▼)花巻市内の県道などで乗用車にあおり運転】を繰り返したとして、暴行の疑いで会社員の男40才を現行犯逮捕。ライトバンを運転し北上市の
2018年12月16日(日)5:10に起きる前日に友達との電話で、QUEENの映画(ボヘミア・ラプソディ)を友達の友達が見に行った話しになった。カブ兄もQUEENのDVDを持っている車中泊した道の駅に早く着いたので、QUEENのDVDを2回も見てしまった(1回目はながら見)今朝も起きてQUEENのDVDを見るQUEENの話しをした友達が以前送ってきたSirotanのキーホルダーが有ります。Sirotanはホットケーキらしいです今日の朝ごはん焼きそば、サラダフィッシュ、よつ
とりあえず福邦丸筏は休みだったと思います🎵本日は日曜日福島県某所知り合いに頼まれて捜し物のお手伝い今は誰も住んで居ないいや住めないお家Hさんと相馬市でドッキング車の中には軍手に懐中電灯何故かヘルメット?彼から注意がぼちぼちヤバい(-_-)な、何が?多分大丈夫だけど屋根落ちるかも覚悟してヘ(__ヘ)生き埋めかい用意のヘルメット❗以前に住んで居た頃のご近所の方に頼まれて写真を探しに勿論持ち出せ無い可能性が有るから写メで撮ってプリントするらしい何
国連人権理事会は、福島の放射線量が高い地域への子どもや女性の帰還をやめるよう日本に求める声明を発表しました。日本政府は、年間20ミリシーベルト以下という被ばく線量を避難指示の解除要件の一つにしています。一方、原発事故の前には年間1ミリシーベルト以下を安全としていた基準を変えることに国連人権理事会は反対しています。どちらが正論か、現地に行って自分の目で確かめることが大事だと思います。クリックにご協力を!
国道6号線沿いの帰還困難区域を北上して浪江町に行って来ました。後ほど写真をアップしたいと思いますが、そこは異様な雰囲気が漂っていました。全ての脇道にはゲートが設けられ、許可証を持たない車の通行はできず、沿線のお店や住宅は厳重にバリケードが張り巡らしてあって侵入者を警戒しています。また、対向車の多くは汚染土を満載したダンプカーで、巡回中のパトカーも何台か見かけました。原発事故から7年たった浜通りの帰還困難区域は時が止まったような錯覚に陥りましたが、このエリアを通過するとコンビニも