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●帰田賦張衡→三国志動乱が始まる前、宦官による政治腐敗に耐えられず帰郷した話。張衡は不正も厳しく取り締まるような剛直な人だった。遊都邑以永久,無明略以佐時。徒臨川以羨魚,俟河清乎未期。→長い間都に住んでおり、世を良くするための十分な戦略を持っていません。川沿いの魚を羨ましがり、黄河がいつ清らかになるのか分かりません。感蔡子之慷慨,從唐生以決疑。諒天道之微昧,追漁父以同嬉。超埃塵以遐逝,與世事乎長辭。→野望を実現できないと思った蔡沢は、唐挙の占いによって、迷うことはなくなりまし
私は数年前から折りに触れて万葉集関連の講座に出ており、旅とか惜別、とかいったテーマごとに和歌の解説を拝聴してきました。この週末には、そうした一連のシリーズからは少し離れて、万葉集巻五の「梅花歌三十二首并序」のみにスポットライトを当てる講座に出席。そうです、令和という漢字の典拠となった万葉集の梅花の歌の序文部分について学ぶ講座だったのですが、いやはやなんとも奥深い!と感心しきりでした。今回の講師は古典の専門家である鶴見大学副学長・新沢典子先生。元号の案として「令和」の文字を提示した有
謹んで改元のお慶びを申し上げます。万葉集の「初春令月気淑風和」から引用された「令和」は、春の空に令月がのぼり、空気は澄んで、柔らかな風が吹いている様子を表しているそうです。考案者と目される国文学者、中西進氏によれば、令は嘉の意味ですから、令月は美しい月、喜ばしい月という意味。季節は梅の頃、春の月なので、柔らかなおぼろ月でしょうか。この心地よい春の情景を表す一文は、帰田賦(中国後漢の文人張衡作)の「仲春令月時和氣清」や、蘭亭序(東晋の書家王義之作)の「天朗氣清惠風和暢」を踏まえたも
平成も残り数日となりました。改めて日本の年号について考えてみたく思います。令和の出典は『万葉集』巻5[梅花歌卅二首并序]。大伴旅人の大宰府梅花宴序にある「于時初春令月氣淑風和」からと言われています。1300年続く日本の元号史上初めての、中国古典ではなく国書による出典であるというのが大きくクローズアップされました。「それはどこまで真実なのか。そもそも万葉歌人が参酌した漢文があるのでないか?」。世間でいろんな見解が飛び交いました。有力説として<後漢の詩人張衡(78~139)が著した
さらに、序を読み進めると、梅は鏡前の粉を披き、蘭ははい後の香を薫らす之に加え、曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾け夕の岫(くき)に霧結び、鳥は羅に封められて林に迷ふ・・・と続きます。「羅」は薄い衣、「蓋」は絹の傘、「岫」は山の洞穴(又は峰)です。このように、曙や夕の情景も描写しているので、初春令「月」の場合、「月」はやはりmoonではなく、monthと解釈した方がよさそうです。なお、この場合、帰田賦では「仲春令月」だったのが、万葉集では「初春
万葉集から取られた新元号・令和の源流が、中国の古典にあると主張されている。大伴旅人が730年(天平2年)に大宰府で開いた新年の宴で詠まれた歌集の序文が令和の由来と定義されたが、その序文が中国の漢籍に影響された表現というのだ。万葉集第五の「梅花歌三十二首」に納められている件の序文(題詞)はもともと漢文で、「于時初春令月気淑風和」の箇所が令和の由来と政府から定義された。ところが、6世紀に成立した漢籍「文選」には、後漢の張衡(78~139)が詠んだ「帰田賦」に「於是仲春令月時和気清」という
こんにちは。図書館では、今、入口で新元号「令和」の出典元になった『万葉集』5梅花の歌三十二首の序文を展示しています。ところが最近、この「梅花の歌三十二首の序文」が中国の『文選』にある後漢の張平子が詠んだ「帰田賦(きでんのふ)」に似ていることが指摘され、中国文学の影響がネットで話題になっています。そこで、当館所蔵の羽田八幡宮文庫から本を探しました。漢文が読めないので苦労しましたが、探すこと30分、ありました。江戸時代に発行された『文選』15に張平子「帰田賦」が載っていました。
新元号「令和」の典拠となった、万葉集「梅花の歌32首の序」が載ってる岩波文庫「万葉集(二)」が売り切れ中なので、それなら「梅花の歌32首の序」に、強い影響を与えた「文選」の句、張衡「帰田賦」が載ってる、岩波文庫「文選詩篇(二)」を買おっかなぁと思ったら、こっちも絶賛売り切れ中。普段なら全く興味も持たない、2200年前、紀元前200年頃の、中国の詞歌集が売り切れになるなんて、さすがですよね。それで、強い影響を受けてると言われている理由として、
4月1日のエイプリルフールに、新元号が発表されましたが、同じ日の昼過ぎに、近くの伊丹空港にオスプレイが着陸し航空機の発着に混乱が生じたということです。新元号フィーバーもいいけどさ、いくら日米地位協定があるからって、あんなに危険(だと言われている)オスプレイが住宅密集地の上を飛んでるのを放置しているのは大問題新元号が国書由来であると自慢しているお方、それほどナショナリストならば、アメリカ軍に即刻抗議するべきです。さてさて、元号「令和」の出典という『万葉集』について・・・
新元号「令和」の典拠は、万葉集の「梅花歌三十二首」の序で、天平二年正月十三日(陰暦)の梅花の宴について、「于時初春令月気淑風和」と描写した部分とされています。令月は、通常、「めでたい月」という意味であり、「陰暦二月の異称」でもあります。しかし、正月(陰暦)に開催した宴で、令月(陰暦二月)というのは、おかしいですね。「于時初春令月」(時は初春の令月)ではなく、例えば「月」の字を取って、「于時初春令」(時は初春にして令(よ)く)のようにすべきでしょう。実際、「紀州本万葉集」で
昨日新元号「令和」が発表され、列島が騒いだのはもうご存知。私など「安」の字が入るのでは❓と思い、もしそうなら嫌な気分だというのと、安政時代のように不吉なことがあるのでは❓という心配があったが、凛とした響きの元号であり、一安心というか嬉しかった。ところで…Twitterや他のSNSでは、あることで話題沸騰している。令和は万葉集の「仲春令月時和気清」からの引用ということだったが、実はこれ万葉集のオリジナルではなく、後漢時代の中国の古典、『帰田賦』(張衡(78~139))からのパクリだと
本日、本年五月一日の改元に向け、新元号「令和」が発表されました。政府から、この「令和」の典拠は、万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文だと発表されました。ただ、万葉集だけでなく、そのもとになったとされる中国の詩文集「文選(もんぜん)」巻十五に記載されている張衡による「帰田賦」の句「於是仲春令月時和気清」にも「令」と「和」が出てきます。もし「文選」も典拠だとしたら、実は、漢籍に基づくとする伝統は維持されており、その意味でも、極めてよく練られた新元号だと言えます。誰が発案者か知りませんが、漢字