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顔色悪いな源田さん。(★)以前紹介したこの本と同じ画家さんによるもので精緻さこそ変わらないが、こちらはだいぶ見た目の印象が悪い。読む前からこちらが持っている先入観のせいだろうか。とにかく生出さんの本なら読む。‘源田実の用兵作戦思想は対米英の実戦に適切であったか、源田の主張は言葉どおりうけ取ってまちがいないか’、‘源田は幾多の重要作戦において、どのように奇才を揮い、働いたか’の二点を、事実と照合して真相を確かめようと試みた書、だという。ハワイ作戦から台湾沖航空戦まで、源田が係わった戦闘す
実戦部隊での海軍飛行機隊の責任者は飛行長といって、おもに古参の少佐あたりがその任につき、めったに飛ばない。飛行隊長とは最前線で実戦に参加する指揮官で、おもに大尉で、まれに若い少佐。ここに収録の17編は雑誌‘別冊丸’誌上に連載されたもので、平成に入ってからのインタビューをもとにしている。著者の雨倉さんは海軍の研究者で、当ブログでも(★)こんな本を以前に紹介している。驚くのが、みな最前線に出ずっぱりであること。短期間内地で教官としての勤務くらいはあるけれど、みな語るべき死線のネタがたくさ
今日は中秋の名月ということで、午後7時頃から9時頃にかけて何度か空を見たのですが、月は雲に隠れています…。それでも、ようやく10時30分頃には少し月が見えました。令和4年9月10日・午後10時55分の「中秋の名月」「月」の名を持つ艦艇というと、一等駆逐艦の「睦月」型と「秋月」型が浮かびます。これまで、睦月型では「長月」(9月にちなんで駆逐艦「長月」二代記)、「菊月」(駆逐艦「菊月」の主砲砲身・舞鶴の旅(その1))、「秋月」型では「秋月」(橿原神宮と駆逐艦「秋月」)、「満月」(中
先日から、先島諸島・沖縄方面で猛威を振るっている「台風11号」。小笠原から西進し、台湾の東の海域まで進んだ後に北進するという迷走ぶりで、本日(9月3日)13時時点で中心気圧955hPa、石垣島の南南東約120kmに位置し、ゆっくりと北へ進んでいます。令和4年9月3日・13時時点の台風進路予測(引用:HP「気象庁台風情報」)今後、日本海方面へ向かう予測となっているため、被害が心配されます。昭和18年9月にも大型の台風が日本列島を襲っています。この台風により失われた大型船があり
明日から出勤です。若干憂鬱です(笑)。私の手元には、「昭和二十二年作日本海軍艦船喪失一覧図」なるものがあります。これは、帝国海軍の水上艦艇(潜水艦は水上艦艇ではないので除く)の沈没地点を記載したものです。半年ほど前に、大阪梅田・茶屋町のジュンク堂書店で購入したものです。「昭和二十二年作日本海軍艦船喪失一覧図」私の住んでいる大阪では、沈没した艦艇は1隻のみで駆逐艦「桜」の名が記載されています。「昭和二十二年作日本海軍艦船喪失一覧図」の一部拡大尾坂湾に沈む一等
今日は久しぶりに近所の書店へ歩いて行ってきました。2週間振りの外出でしたが、暑すぎて片道10分ほどが苦痛でした…。最近、祖父の件から満洲・関東州の話題が増えていますが、今回も関東州に関するものです。大東亜戦争において、帝国海軍は多数の船舶を特設艦船として徴傭していますが、その対象は内地の船のみでなく、外地である関東州・朝鮮・台湾からも徴傭されています。その中で、今回は関東州に本拠のあった「大連汽船」の船を取り上げてみます。大連汽船は、日露戦争の勝利により露国から取得した南満州鉄
吉田さんの文体は講談調というか、トントンと小気味よく進む。あとから聞いて作ったようなはなしだが、海軍参謀として多くの逸話を持つ男。おそらく要職にあった海軍軍人としては、いちばん最近まで健筆を振るっていた方(平成18年没)。何を読んでも面白いのは間違いない。副題に‘海軍の智恵と心’とあるが、本書のテーマはとても大きくて帝國海軍。本質、行動、考え方、教育などなど、あちこちあれこれなんでも書く。よかった点、わるかった点どちらも自らの経験、戦後に何百人からの聞き取りなどをもとに、遺言のごとくづ
米内さんの本を読むのは何冊目だろうか。この人については、あまり悪く書きようがない。もちろん俺だって米内さんのファンであるので、なにか知らないはなしがあるといいのだが、と読書スタート。出生地盛岡での幼少時のエピソードがてんこもり。それもそのはず、著者が盛岡市出身で、この本自体も産経新聞岩手版に485回にわたって連載されたものがベースだという。それにしても出身の盛岡中学の同時代の仲間の多士済々ぶりよ。及川古志郎、板垣征四郎、金田一京助、野村胡堂、石川啄木なんて面々がわずか数学年の間にひしめ
‘うんのじゅうざ’は名前を知っていただけ。日本のSF作家のはしりと言われる。‘少年倶楽部文庫’というのも珍しい。パラパラ見ると、帝國海軍が活躍する冒険活劇のようだ。のらくろのロゴにも惹かれて購入決定。イラストがすげー。椛島勝一はいつもすごい。南シナ海の‘香港とシンガポールの間’の海上に、英海軍が巨大な洋上基地を建造、ソ連と組んで大艦隊を伴い、多くの爆撃機を擁して日本を襲い来る。忍び込んだ川上機関大尉(きかんだいい)と杉田二等水兵が幾多のピンチを機転で乗り越え、ついに巨大な‘飛
今日のドッグタグは・本日天気晴朗ナレドモ浪高シ・秋山真之中将で作ってみましたバルチック艦隊壊滅それにしてもロシアという国は・・個々の国民をどうこう云う訳ではありませんが・・雲行き怪し風強しの夕です
前回は日本側からの硫黄島戦だったので、今回はアメリカ側から。大量の積ん読本を見渡せば、たいてい関連する話題の本はある。著者のニューカム氏の名前をどこかで見たな、と思ったら、(★)以前紹介したこの本の著者であった方。戦時中から活躍するジャーナリストであったらしく、そのインディアナポリスの沈没‘事件’を最初にスクープした人だそうだ。訳者の田中さんは3500人もいた海軍兵学校76期生とのこと。76期は学校に10ヶ月いただけで終戦。著者が記者として硫黄島にいたのかどうかは文章だけからは判然とし
玉砕した島嶼部での戦闘については、日本側からの記録が少ない。そんななか、硫黄島については本土から近かったということもあり、米軍の上陸以前にひんぱんに人員の行き来があったおかげでいくらかはなしが伝わっている。1923年生まれの著者は海軍予備学生として硫黄島で対空戦闘に参加していたが、負傷して本土に送られて玉砕を逃れた方。仲間がおおぜい死んだ硫黄島の記録を残すことは、著者にとってはどうしてもしなければならなかったこと。硫黄島はB29爆撃機の基地があるサイパンと日本本土との中間点にあり、不時
昭和17年の暮れにラバウルに進出したのがデビューということで、もっとも激しいソロモンの戦闘には少々出遅れたが、幾多の空戦をくぐりぬけよくぞ生き残ってくれました。全海軍搭乗員中でも、出撃回数が最多に近く数えられる方。左側のキリッとしたお顔の方が宮崎さん。誰からも‘ミヤさん’と呼ばれ、多くの人から愛されたキャラだったことがうかがえる。名門丸亀中学出身なのに(中退らしいが)、水兵からのたたき上げ。これはかなり理想に近い戦記だ。空戦のこと、部隊のこと、隊員のことばかり書いてある。そして登場人物
光人社NF文庫なら何でも読みたい。俺みたいな玄人?が今さら‘入門’かよ、とついかまえてしまうが、過去に読んだどの‘入門’も俺を打ちのめすには十分だった。過去にこのブログで紹介したものだと、(★)これ、(★)これ、さらに(★)これなど。どれも面白かったなあ。知ったつもりの潜水艦だが、今回はどんなことで目からうろこが落ちるのか?開発や戦場での歴史から入るのは当然。構造や機能、原理、運用などの解説は当然必要だろうが、やっぱり日本海軍の潜水艦について知りたい。写真や図がすごく多い(全体の半分近
俺にとって城山三郎は、水上勉、宮本百合子と並んで‘いつか読まねば’という三大作家の一人。そんなたいそうな意気込みを持っているが、今まで読んだことがあるのは‘男子の本懐’、‘官僚たちの夏’、‘指揮官たちの特攻’と(★)以前紹介したこれだけ。目の前の積ん読本の山に何冊かあるのだが、それらを読む前の心がまえ醸成によさそうな一冊。著者は城山さんのお嬢さん。昭和34年生まれの方だ。妻を愛するやさしいお父さんのはなしと、戦争についての厳しい発言、行動というふたつの側面について語られる。海軍に少し在籍歴
ここに1枚の写真があります。色あせた写真や服装、髪型からして現代人ではありません。とある人のツイッター写真ですが、その方の祖父が写っているというのです。ここでは誰が誰ということはしませんが、年代を調べてみると昭和の初めの頃です。問題は写真ではありません。さて、私が言いたいのはバックに写る建物に描かれた看板です。「帝國心霊研究會本部」、現代漢字に直すと帝国心霊研究会本部。驚いたことに昭和初期(明治時代から)に心霊に関する研究がなされていたということです。現代でいう超常現
私がフォローさせていただいている方の中で艦船を作られる方が増えてきているようで、とても刺激を受けております。でもここは!小さいものシリーズ(その1)で我慢です。気が散ったら、艦載機をチマチマ作っていくようにします。世界初の(航空母艦として設計された)航空母艦である『鳳翔』。思い付きでその艦載機を作ってみました。でもこれあと何機作らなければならないのでしょう????と考えるとモチベーションがダダ下がりするので考えないようにします。どうせいつかは大量生産しなければならないので。そも
これはいつものごとく、吉村さん自身の随筆にあった執筆後日談みたいのでなんとなく内容を知っていた。表紙のとおり九七艦攻が燃えるはなし。この絵はリアルではなくデフォルメされたものであるが、塗装、尾翼に記載の文字などが考証に耐えうるものであることに感心する。概略を記すと、たまたま知り合ったおそらく連合軍側の間諜である男にいわれるままに海軍備品を渡した兵士が、それが露見したことによる懲罰から逃れるために九七艦攻に放火、その騒擾の間に部隊を逃亡、結局終戦まで逃げおおす。戦後のGHQによる取調べで
アオシマ「冬月1945」完成です。ベースを付けましたが、張線は省略しました。後檣にガフを0.4㎜のプラストラクトのプラ材でつけて戦闘旗を掲げました。海面は今回はKATOの水材料とリキテックスの併用です。前進微速のイメージですのであまり航走波は派手にたてていません。
‘造船官と用兵者の絶え間ない相克のドラマ’を、のちの海軍技術中将福田烈を軸に描く。著者は俺は知らなかった方だが、陸軍航空士官学校で学んだ経験もあるという戦中派とのこと。前線での戦闘のはなしこそが戦記の真骨頂だが、こういう取材を重ねて戦争の労苦をあぶりだす文学もドキドキさせられて大好きだ。東京帝大船舶工学科を出た福田が海軍に奉職する大正7年からはなしは始まる。船体をリベットで打つか、溶接するか、どちらも当時の技術では一長一短であり、造船現場と実地部隊との火の出るようなケンカがリアル。福田
【始】「どうして海軍入ったの?」「メシがウマいからだ!」というジョークとも本音ともつかない会話が残っているのは旧帝國海軍だったか、アメリカ海軍だか、或いは別の国だか、わからないが本音の部分は万国共通だろう。あくまでイメージの話だが、陸軍;“突撃”して一段落して、補給が追いつく前に食事になるので荒野で缶詰を食すことになる。空軍;長い距離を飛んでゆき戻ってから食事になるのでいつもと同じもの。というのに対して海軍は大きな船に物資ごと載せて移動して専門の調理師もいるので美味しい食事にありつけ
阿川さんは上海あたりで暗号解読将校やっていたと思っていたけど、キスカ撤退という大舞台にも参加していたのか?、と書名にのけぞった。冒頭のいいわけによると、やっぱりもちろん当時キスカ撤退なんてのには関係ないが、作家生活をしているなかで多くの未発表の資料が集まってきたこと、そしておそらく作家としては初めてアッツ島に行ったこと、などにより書く必要を感じたとのこと。そこで私記と断りを入れたのだ。キスカからの撤退作戦と言えば、(★)以前紹介したこの本でおなじみの木村さんが主人公だ。本書ではもう一人
あれ?橋本さんの本は読んだことあったぞ、と思ったら別の著作だった。昔(20年位前)に読んだのは‘伊58潜帰投せり’というやつ。(★)以前紹介したこの本でもチラリと名前を出した橋本さんだが、ご当人が語る潜水艦戦について。これはドキがムネムネするというやつだろう。体裁としては(★)以前紹介したこの本の陸上攻撃機部隊のごとく、太平洋戦争における帝國海軍潜水艦の戦いを時系列にすべてたどってゆくというもの。巷間、日本の潜水艦は結果としてまったく期待はずれだったなどといわれるが、それはまったく事実
日本海軍史上の大物中の大物、ということはわかっていたけれど、太平洋戦争以外の帝國海軍に疎い俺はこの男がどうすごいのか、ということを理解していない。今まで何冊も紹介してきた生出さんの著作なら間違いない。期待してページをめくる。正式な名前の読みは‘ごんのひょうえ’とのこと。この時代のお偉いさんの例にたがわず、薩摩出身。1898年に海軍大臣に就任、その後8年もその役にとどまる。つまりは、日露戦争で海軍軍政の責任者だったということ。(★)以前紹介した同じ生出さんのこの著作でも顕著だが、聨合艦隊
結婚式の引出物で貰った1/450戦艦大和プラモデルこれの作製ブログを『戦艦大和作製日記第⚪話』って感じで、長い月日をかけて完成まで書こうと思うのだがなかなか始められない!!( ̄□ ̄;)だって・・・ハードルが高過ぎるんだよね!!まずはこの17色の塗料を買い集めたらブログ開始かな?と、思うのだがこれだけでもけっこうな値段だよ!!・・・・・・んん??クリアーブルー???大和型戦艦にそんな色、いや、帝國海軍のどの軍艦にもそんな色は使ってなくない!?( ̄□ ̄;)
生出さんの著作は今までに何冊も紹介してきた。(★)・烈将山口多門(★)・渕田美津雄の戦争と平和(★)・昭和天皇に背いた伏見宮元帥(★)・特攻長官大西瀧次郎など。そのどれにも共通しているのが、痛烈な山本五十六批判だ。いっさいブレはない。今回もじつにわかりやすいタイトルの書だが、もちろんブレないだろう。昭和の海軍を好きな俺が読む書には、東郷さんは悪役として描かれることが多い。隠居してなお帝國海軍に大きな影響力を及ぼし、無為に若手将校を先鋭化させることが多かった。しかし当然な
野村さんは太平洋戦争開戦時の駐米大使。あんまりこの人を主人公にした小説は見たことがない。豊田さんの書くものに俺は全面的な信頼を寄せているので、格別に探していた本ではなかったが、店頭でであってすぐに購入決定。意外と知られていないが、こんな格好をしているのは海軍軍人だから。それも大将。海軍大学校をでていないのに大将になっているとは、その人物、経歴に興味が湧く。想像に反して野村さんには派手な戦歴、経歴がなく、完全に軍政畑で頭角を表した人。けっこう厚い本だが、野村さんそのものについてよりも豊田
横須賀市の路上文化遺産と消火栓No.4横須賀市の路上文化遺産と消火栓をご覧ください横須賀市は戦時中まで軍港で栄えた町1ホーロー看板①町名看板町名看板が外壁塗装で白く塗り潰されず良かった②質屋の宣伝看板今では質屋が少ない時代2木製牛乳箱森永牛乳の木製牛乳箱を物入れとしての扱われ方3帝國海軍の右書き止水栓帝國海軍関連建屋の跡地みたい4愛川町から越境した消火栓蓋横須賀では越境蓋も消火栓で貢献
横須賀市の路上文化遺産と消火栓No.1横須賀市の路上文化遺産と消火栓をご覧ください横須賀市は戦時中まで軍港で栄えた町1ホーロー看板①町名看板2016年1月撮影2019年6月撮影~時の流れを感じる虚しさ~2木製牛乳箱森永牛乳のエンゼルマークが薄っすら残る3地上式消火栓帝國海軍の地上式消火栓と制水弇2019年6月撮影~帝國海軍の地上式消火栓が病院解体で消失~