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1/700アオシマ帝國海軍初春級駆逐艦『初霜』1945年4月人生ライフワークとしてやり遂げておきたい目標である1945年4月6日の天一号作戦における第一艦隊の再現。遂に今年から解禁、取り掛かることができています。昨年は『濱風』、そして今年は『雪風』に手を付けていて、フルハルでは『磯風』を作っています。過去、軽巡洋艦『矢矧』は作りましたが、雑なのでこれは作り直しになります。私は器用では無いので、難易度高い艦船模型は、ちゃんと作れば1年辺り1〜2隻が限界だと思っており、駆
タカラスナップフィットキット1/700帝國海軍甲型駆逐艦『磯風』1945年4月6日プラモデルとは言えない食玩を、どこまで精密感出せるかチャレンジです。時間無い中、帰宅後に磯風の艦尾工作から少しやってみました。①爆雷投射機②爆雷架③防弾板④爆雷投射軌条のプラモールドがだるすぎなのでカットしてエッチングパーツに置き換えます。カットは適当で、デザインナイフで丁寧に削り取ります。mmサイズなエッチングパーツを全集中で組み立てて取り付けます。うん、まぁギリ合格点。未
世に元特攻隊員という人が多いのは、その隊員には出撃機会が訪れなかったから。一部、出撃はしたものの機体不調で不時着という人もいて、そういう人は‘生還した’といえるか。でも本書の著者紹介文の最後に度肝を抜かれた。‘米機動部隊の一航空母艦に突入せるも生還する’と。え、突入したのに生還!?どういうこと??冒頭で、‘この物語は、特攻隊員の実録として読んでもらいたいのではなく、特攻隊員とは、いったい、どんな人間で、なにを考えていたのか’という本であるという。著者は陸上攻撃機銀河の搭乗員。ペアの3人
「私は、人を殺しましたで・・・」自責の念に駆られた元将校の告発であったがとある同級生は、「人殺し・・・www」等とクスクスと笑っていた。齢80を超える元将校であっても、何ら自分たちの御爺さんと変わらない風貌に、クラス50人弱の生徒たちは、まるで舐めているのか?騒いでいる。ある生徒は、授業中にも関わらず堂々と寝ている。すると・・・元帝國海軍将校は。「私は、海軍でしたので一人のミスが船が沈没するに繋がる連帯責任において、自分はもちろんお互い
タカラスナップフィットキット1/700帝國海軍甲型駆逐艦『磯風』1945年4月6日プラモデルとは言えない食玩を、どこまで精密感出せるかチャレンジです。近況報告左手は最後迄諦めずにリハビリは続けています。左手小指は、高校の時に練習試合中骨折して自然治癒した為、この歳になるまで第一関節が動かないことを全く知り得ませんでした。自分の指なのに。結果論ですが小指はどうにもならないので、せめて薬指は動かせるようにしたいのでリハビリ頑張ってます。可動域は拡がりつつあるものの握力
タカラスナップフィットキット1/700帝國海軍甲型駆逐艦『磯風』1945年4月ゴジラ-1.0に同じ陽炎型の雪風が登場したことで、劇中のシーンを再現されておられる方が多くなってきました。私は私で史実で行きます前回は艦橋窓枠モールドの切除、ハルの接着、艦尾の整形、後檣を真鍮線をハンダ付で主要な形を整えました。陽炎型駆逐艦は様々なメーカーから発売されていますが、タカラの形状が一番良いと思います。1945年10月(8月15日は停戦)時点の帝國海軍駆逐艦残存艦艇は、41隻でした
タカラ『男たちの大和』半完成スナップフィットキット1/700帝國海軍甲型駆逐艦『磯風』1945年4月再びのリサーチですが、色々と調べていると本当に辛く悲しいです。艦船模型リハビリに磯風のフルハル仕様をレストアして、亡くなられた磯風の乗組員の方に捧げます。ウォーターラインで製作した磯風と、ちょうど1年前に完成した同じくウォーターラインの濱風。上:濱風下:磯風いずれもアオシマの旧キットで、磯風はプラ材や真鍮線でのディティールアップのみ。濱風には同じディティールアップ
タカラ『男たちの大和』半完成スナップフィットキット1/700帝國海軍甲型駆逐艦『磯風』1945年4月(ピットロードOEM)2005年12月に1/350スケールの戦艦『大和』を購入したのが私にとって一番最初のプラモデル購入です。しかし難易度が初めての者にとっては高すぎて、理解を超えていました。でもいつか作りたい、という想いがプラモデル製作を始めた切っ掛けです。少し経験積めば出来るようになるだろうと、経験の為に当時セブンイレブンで商品展開されていたタカラの半完成品。
1/700タミヤ大日本帝國海軍二等輸送艦101号型『第101号』1944年10月28日第1次多号作戦第2輸送隊「イピル揚陸」可能な限りの記録をリサーチし、同じく可能な限り実際の現場での史実の1シーンを忠実に再現いたしました。ようやく完成しました。と言っても、前回との差異は、砂浜に出迎えの帝國陸軍の兵隊さんを21名ほど配置しただけですが、人物を配置するしないはドラマ性に関わって来るので、21名を配置しただけではあるものの、訴求力が上がると思います。まだまだ沢山残っている
小板橋さんには何作か著作があり、洒脱なエッセイストとして秀でた人だと知っていた。今回、もちろん迷うことなく購入することにしたのだが、あらためて著者紹介で小板橋さんの戦歴を確認してみれば、ワーオ、まさに帝國海軍歴戦の勇士じゃないか。ハワイ、ミッドウェー、マリアナ、レイテに参戦、おまけに大和で負傷までしている。光人社いつもの、いわゆる‘よもやま系’の体裁で、80ほどの小章に分けて海軍生活でのあれこれを書く。しかし今回はご自身の仕事、操舵員が主役。命令によって実際に船を動かす役目で、この表紙
1/700タミヤ大日本帝國海軍二等輸送艦101号型『第101号』1944年10月28日第1次多号作戦第2輸送隊「イピル揚陸」1944年10月28日2等輸送艦101号型『第101号』が単艦たった1隻でレイテ島オルモック湾イピルに接岸して、97式中戦車2輌、特2式内火艇3輌、トラック5輌、兵員500名の揚陸成功させた史実のジオラマ再現となります。前回は波の表現まで。次は陸上植生の表現です。揚陸地点のヤシの木の森とそのブッシュを、下のブッシュ、ヤシの木と下の方から作成して
1/700タミヤ大日本帝國海軍二等輸送艦101号型『第101号』1944年10月28日第1次多号作戦第2輸送隊「イピル揚陸」1944年10月28日2等輸送艦101号型『第101号』が単艦たった1隻でレイテ島オルモック湾イピルに接岸して、97式中戦車2輌、特2式内火艇3輌、トラック5輌、兵員500名の揚陸成功させた史実のジオラマ再現となります。レジンのみだと鏡面のようにテカテカですが、カチコチに固まってます。この時艦尾は破損していませんでした。昨晩は、海面表現をモデリ
1/700タミヤ大日本帝國海軍二等輸送艦101号型『第101号』1944年10月28日2等輸送艦101号型『第101号』をジオラマで再現します。本日の前段。昨日AIで復元した芸妓さんですが、反響もあったのでもう少しご紹介です。江戸時代の文久年間(1861~1864)の撮影です。早速ですがジオラマ製作の続きです。イピル海岸200m沖で擱座して大破炎上する2等輸送艦103号型第156号です。砂浜には、波打ち際に平行して運河の様なものが見えます。海岸沿いに
1/700タミヤ大日本帝國海軍二等輸送艦101号型『第101号』1944年10月28日2等輸送艦101号型『第101号』をジオラマで再現します。ところで。あまり個人の趣向を晒すのはアレですが、昨日雑談していて、好きな日本人俳優って誰?って話になった時に、私が挙げた俳優は4人+1人いました。そのご紹介です。私の好きな俳優さんは今4人。・北村一輝さん・新井浩文さん・青木宗崇さん・田中泯さん北村さんは、あの永遠の深みを発する眼力に魅かれ、新井
1/700タミヤ大日本帝國海軍二等輸送艦101号型『第101号』1944年10月28日2等輸送艦101号型『第101号』をジオラマで再現します。実在の活躍した船で、太平洋戦争でも屈指の激戦地で多大な貢献をしており、できるだけ可能な限りリサーチしてみたいと思っています。昨日の記事に掲載した文面ですが、一部訂正があります。輸送を成功させる確率が高い反面、輸送して上陸させた陸軍の戦闘部隊約8万人8万4千人の内、520名約800名だけが日本に帰国できましたが、
1/700タミヤ大日本帝國海軍二等輸送艦101号型『第101号』1944年10月28日2等輸送艦101号型『第101号』をジオラマで再現します。実在の活躍した船で、太平洋戦争でも屈指の激戦地で多大な貢献をしており、できるだけ可能な限りリサーチしてみたいと思っています。輸送を成功させる確率が高い反面、輸送して上陸させた陸軍の戦闘部隊約8万人の内、520名だけが日本に帰国できましたが、それ以外は全てこのレイテ島で亡くなりました。地獄への輸送船、そんな言葉が脳裏を過ります。さ
1/700タミヤ大日本帝國海軍二等輸送艦101号型(前期)永い間放置していたものの為、色々と忘れてしまっていることも有り、最初の記事で103号型、との紹介をいたしました。しかし、それは誤りで、103号型は石炭燃焼の蒸気機関になっていることから、煙突が艦橋直後に斜めに取り付けられています。当時の記録を紐解き、当該2等輸送艦が101号型であることを確定させていますので訂正します。全生産数は60隻ほどかと思いますが、その内101号型はたったの6隻しか建造されていません。
プラモデル製作開始時に製作したタミヤ二等輸送艦101号型を基に103号型に改造したものですが、地震で破損して以降、いつか修復するとして放置されていたものをレストアします。片手で出来ることチャレンジ第2段。前回は奇跡の重駆逐戦車『エレファント』の素組を完成させてました。わっきーさんにもご指摘いただきましたが、左手あまり動かすのは宜しく無いのは間違えないそうで、暫く大人しくしておりました。周りを見渡してもなかなか片手で、という訳にも行かないので躊躇していたところですが、ゴジラ
ハセガワ1/7218試九州飛行機帝國海軍局地戦闘機『震電』深夜の模活。コンプレッサーの音うるさくてすみません。大変遅ればせながら、ようやく今回で完成です。後回しにした風防のマスキング。いつもの手法でサクッと。そして…操縦席も少しだけディールアップ❗そして張り線着けて、ついに完成❗やっと帝都防空任務に就くことが出来ます😁夜間戦闘用なので真っ黒です。美しいプロダクトです。ゴジラ-1.0出演記念第3弾でした✨
ハセガワ1/7218試九州飛行機帝國海軍局地戦闘機『震電』ゴジラ-1.0映画はまだ見ていませんが・・・13号駆潜艇が蹴とばされたり・・・重巡洋艦高雄が大活躍したり・・・模型は駆逐艦雪風と同型艦でほぼ仕様が同じな駆逐艦濱風ですが、雪風がやってくれるようです。そして・・・めぐみさん主催の帝都防空コンペ。力尽きてここまでで終えてしまいました。あと少しだったのですが。今回思い立ってゴジラ-1.0出演記念で昇華してあげることにしました。第日本帝國海
大日本帝國海軍重巡洋艦『高雄』1944.101/700アオシマゴジラ-1.0出演記念製作重巡洋艦高雄です軽巡洋艦は矢矧、酒匂、阿賀野、五十鈴、大淀と作ってきましたが、重巡洋艦は実は初めての完成。何が艦船モデラ―だ、と叱られそうですが、そんなものです。経験が浅いので平にご容赦を。事前に作っていたからと言っても、この零式三座水偵は面倒で気分的に先が長く感じられます。デカール無しで全て塗装です。日の丸は、ランナースタンプ。何度もやって練習して、巧く出来るようにな
飛龍の製作を主軸として続けていきます。例のはげちょろをしたいのでアクリジョンで塗布していますが、乾燥に時間がかかります。ここで致命的なミス発覚。クリアパーツをアルコールで脱脂するのを完全に忘れていました。このままでは、マスキングを剥がす際に一緒に塗装も持っていかれるかもしれないようです。んーーー、モチベーションダウン。今回も、この機体は実際に存在した機体として再現しますが、未帰還機となります。鎮魂の為にも頑張らなければ。ところで。ゴジラに「震電」とい
厚さ6㎜ほどの私家本。‘栗村正教五十回忌追悼集’とある。知り合い経由、ヘンな縁で俺の手元にやってきた。発行時に持ち主さんに送られてきたままの手書きの手紙が挟まれていて、‘分家の正教氏が戦死して今日で五十年’とある。編んだ栗村好氏は会津若松市にお住まいで、正教さんも同郷。喜多方、福島などに在住の正教さんと交友があった友人、親類の回顧談が多く、それに好氏が少々の資料を加えるかたち。写真では海軍士官の軍装で誇らしげな正教さんを囲む親類面々。面会でのお母様のこわばったお顔が戦況を物語ってい
ちょっと書名からはどんな内容なのかよく分からない。だからって買わないという選択肢はない。渡辺さんの本なら間違いない。パラパラと眺めてみると、いつものとおり名前が明記された搭乗員の肖像写真が多い。渡辺さんの著作には‘飛行機と搭乗員’という写真も多く、ほぼ搭乗員の名前が記されている。特攻で戦死した搭乗員、特攻要員とされながら生き残った搭乗員の両者9つのストーリーを収録。中盤あたりで‘おおおっ’、と唸った。俺も会ったことがある人が主人公。俺が20代の頃に働いていた会社の先代社長、俺の在社中は
もうこれまでに吉田さんの著作は何冊も紹介している。大戦時は軍令部勤務だったり参謀だったりして、つねに大局を見ていた人。最前線で体験したはなしは無いが、大物将官についてのエピソードや、海軍そのものについての文章が多い。本著もその帯に‘江田島教育の真実の姿を描き出す’とあり、‘その教育がどんな実を結んだか。それを実例を挙げて検証’した書。いつものとおり、戦後に友人、後輩などから集めた海軍生活のちょっといいはなしを集めている。それらを積み重ねて‘帝國海軍’はよかった、すばらしかった、と思いを
天を突き刺す古びた高射砲、そして遠景には擂鉢山。この荒涼とした島はかつての日米の激戦地。書名からして読後感の悪い本であることが予想される。あえて想像するに、何年も島にこもって抵抗を続けた男たちのはなしか。冬子の本を読むのは久しぶり。冬子の著作の特徴としては、主人公がいるのだが。やっぱり主人公がいた。和智恒蔵、元海軍大佐(だいさ)。和智は敵来襲が確実だった硫黄島に派遣されていたが、陣地構築、訓練に励むなか上官と対立、米軍上陸寸前に解任され本土に送還されてしまった。(★)以前紹介したこの本
良い天気で久しぶりな自宅なので布団を乾したり、洗濯したり、買い物行ったりと昼過ぎに戻ってきてからは、少し模活ができました。戦艦を作ったことが無いくせに、自称艦船モデラー今年は駆潜艇1隻の竣工のみ。積みプラは殆どが艦船模型です。思いつきで作りかけのものを少しいじりました。この更新、実はヤホブロ時代から4回目という長い放置を経ました。早速ですが、実物は半径約120cmの方位測定器を自作します。↑本物0.2mmの導線を1mmドリルの柄に巻きつけて、2個リング
すべての日本人にとって悔しくて仕方ないのが、栗田艦隊の‘謎の反転’。突入してさえいれば米軍輸送船団を壊滅させ、マッカーサーも捕虜にできたのに!、というはなしは、本当に起こりえたのかは分からない。その場にいてすべてを知っている、というかその‘栗田艦隊’こと第二艦隊参謀長だった小柳さんによる書。ど真ん中の人は、その‘謎’を解き明かしてくれるのか?軍令部から下った‘敵輸送船団を撃滅せよ’という命令が気に食わない。‘敵戦闘部隊と出会ったらをそちらを叩くけど’という条件を持ち出して、しぶしぶ任に
戦艦とは、戦う船のことではない。戦う船の中の一種類。大口径砲を搭載した、‘動く巨大砲台’を戦艦という。空母や駆逐艦は戦艦ではないのだ。その戦艦に捧げた一冊。‘「戦艦」という名の軍艦は、現在では完全に過去のものとなっている’との文で始まる。なんと現在戦艦を保有している国は、アメリカとイギリスだけだという。それも予備役艦として係留されたまま。しかし、‘日本の戦艦こそ、人間が作り得た武器の中で最高の芸術作品である’とまでいう著者の意気込みはすごい。基本的にその著者の思い込み?に沿った、日本の