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Jackです。サラリーマン時代の後輩(♂)でもう30年以上親交を続けているんですがその後輩が今日、当時の同僚(♀)(ボクからしたら後輩)を連れてきました。彼女とは平成4年3月の博多営業所閉鎖による退職以来だから実に31年ぶりの再会でした。ボクの飲食業界原点は今は無き新幹線の食堂車のウエイターからでした。帝国ホテル列車食堂という会社で、もちろん昭和です(笑)当時は0系新幹線というやつでした。で、その中の食堂車というのは当時は博多〜東京まで8時間超かかってたのでけっこう需要がありました
これは車販あるあるだと思うんですが、乗務員の方と仲良くなることがあります。こちらもシフト、向こうもシフトで動いていますから、その気になれば顔見知りになることもできます。そうでなくても、乗務員の方は車販を当てにしているもので、当時は車販からコーヒーを「もらう」人がほとんどでした。通常お客様に売る時は、前にも書きましたがコーヒーカップにバーコードが印刷してあって、それを読み取ることで売上計上します。ですが、乗務員の方に対しては販売ではないので、「番外編2」で書いた、「乗務員さん用の白いコップ
とある夏の日。その日は博多からの「ひかり8号」8Aに乗務中でした。前日の東京出発前から、東海から関東に台風が近づいているという予報でした。「ひかり23号」2023Aについては問題ないものの、8Aは影響出るかも、の条件で出発していました。博多出発時はごく普通の夏の日だったんですが、新大阪到着前の車掌さんの車内放送で早くも東京到着遅れの予告が。実は博多出発前に台風は静岡に上陸していて、関東も暴風域に入り、すでに徐行の規制が入っているとか。新大阪到着時でも、ホームの案内放送でもしきりに運転見
博多からの折り返しの間に、数少ないですがイレギュラーなら想い出をいくつか。今回はその一つ目。アルバイト時代、基本的には「グランドひかり」担当の23組専属で、という話は最初にしました。その時の話。確か、8月の旧盆の入り前日の8月12日だったと思うんですが、「ひかり23号」2023Aでのこと。盆の入りということで、東京発車時点でもいつもよりも混んでいました。こういう時のワゴンはなかなか大変です。それでも、11号車側の客室通路はまだなんとか通れる程度ではありました。こちらは指定席ですから、デッキ
名古屋を出ました。この先、京都・新大阪と停まります。名古屋から新大阪までの間に、車内販売ワゴンは1往復できます。ただ、名古屋が17時半頃で、週末を中心に乗車が多い時があったので、新大阪到着までには準備室に戻るという組内の約束事があることから、状況によって途中折返し・途中から回送、といったこともありました。途中停車駅でのワゴンは、必ずデッキに出て開扉とは逆側で待機する、というのが鉄則です。グランドを含む「ひかり」は停車駅が少ないのでまだマシですが、「こだま」は各駅停車なので気を遣います。でも
さあ、「ひかり23号」2023Aがいよいよ東京駅を出発しました。ここからが車内販売の腕の見せ所です。まずは名古屋まで。自分の場合、発車後に自動放送ならびに車掌さんの案内放送があり、その後、食堂車担当者から車内販売と食堂車の案内放送があります。それらが終わってから車内にお邪魔するようにしていました。16号車側からはそのまま車内に入りますが、入る際にまず「失礼いたします」と一言言って一礼。そして、「車内販売でございます」と始めます。博多行16号車はお客様後方からになるので、軽く左右の座席を覗くよ
今回から予告通り業務の流れを。まずは23組(2023A〜8A)のパターンで説明します。最初は東京出発まで。余裕を持って新川の本社に出勤。今は跡形もないようですがまずは点呼的なことをしたと思います。今日は何組でどういう行程だとかの確認。もっとも、自分のように固定で入っているアルバイトは、社員さんのシフト表ももらっていたような。で、次はリネン室?だったかに行って、制服を借ります。博多のように泊まりだと上っぱりを2着にズボンを1着。手板に何か書き込んだ記憶があります。なんて書いてたかな?この
昨日も書きましたけれど、1990年5月から1991年1月まで、わずか9ヶ月でしたが帝国ホテル列車食堂に在籍していました。前半はアルバイト、後半は契約社員として。基本は「グランドひかり」(2023A〜8A)担当の23組、組が休みの時とかに0系組が担当する「こだま」や、100系G編成(カフェテリア編成)組に応援として乗務していました。今回から、その時のエピソードを何回かに分けて。100系では中間に2階建車両がG編成は2両・グランドひかりは4両連結されています(X編成も2両)。0系では、「
とうとう、東海道新幹線の車内販売が10月末をもって終了する、というJR東海からの発表がありました。ここ数年、全国の特急・新幹線から車内販売が消えていく中、ビジネスユースが多い東海道は細々とながらも車内販売を続けていたんですが、駅ナカの充実と、ここにも労働力不足の波が押し寄せてきました。自分も、1990年5月から1991年1月までと、期間は短いながらも「帝国ホテル列車食堂」で車内販売をしていました。アルバイトとして入社したんですが、社員さんたちは当時0系組・100系G編成(カフェテリア)
好きな駅弁、教えて!ここでは、東海道新幹線🚄の駅から。まず、名古屋駅の各種駅弁🍱から名古屋めしが、そのまま駅弁にひつまぶし弁当🍱名古屋コーチンとりめし🐓🍱みそかつ弁当🐷🍱天むす🍙浜松駅名物、うなぎ弁当🍱赤ワイン仕込みの高級うなぎ弁当🍱静岡駅の元祖鯛めし🐟🍱ホテイとコラボしたやきとり弁当🐓🍱新横浜駅名物、崎陽軒のシウマイ弁当🍱昔、東京駅で販売されていた帝国ホテル列車食堂の駅弁🍱帝国ホテル列車食堂のトラベルランチ🥪サンドイッチ🥪も旨かった写真はないが、都ホテル列車食堂
みなさまおはこんばんちわんいつもお立ち寄り頂きありがとうございます。今回は短めに参りたいと思います。思えば34年ほど前。。。(長くなりそうなイヤ~な予感?!)当時、大学もほぼ決まりじっと封印していた「アルバイト」なるものを始めたのが「新幹線車内販売」でした。(当時、田舎の学生はバイト開始遅かったのですよ。。。)その時、走っていた車両が「0系新幹線」です。博多駅からは昼遅くに出発。東京駅に着く頃は夜8時前