ブログ記事12件
今シーズン、キャプテンを務めさしていただきました。溝尻惟生(みぞじりいっせい)です。ブログ遅くなり申し訳ございません!伝えたいこと、この4年間で感じたこと、うれしかったこと、悔しかったこと。とても多くてブログだけでは伝えきれません!ですので、他のことが聞きたい人や、興味を持ってくれた人がいましたら、連絡ください!ただ飯のお誘い待ってます!文にするの難しかったです。まとめるの苦手です。日本学園卒業、帝京大学卒業予定です。ブログリレー最後というハードルをしっかり下げていただいた上で
キャプテン溝尻の前にスペシャルゲストのブログをお届けします。鈴木瑠唯(すずきるい)帝京サッカー部2年間所属後、退部、大学中退を経て現在ウルグアイ3部リーグでプレー中まずは、途中で退部した私を素敵なチームブログに参加させていたたぎありがとうございます。また招待してくれた、キャプテン溝尻君、ありがとう。そして4年生の皆さん指導者の皆さん4年間お疲れ様でした。(飛び立つ前の集合写真)それではスタート。私は自己主張することが苦手だ。特に目上の人や、自分の意見に対して自信がな
始めに台風19号及び15号による被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。塚越くんからバトンを受け取りました。教育学部教育文化学科4年の小川和弥(おがわかずや)です。ポジションはGKです。なぜこの大学を選んだかというと、保健体育の教員免許を取得することができ、サッカーにも打ち込める環境だと思ったからです。「サッカーで結果を出す」これが一番のモチベーションです。長いので目次を作りました。よかったらお読み下さい。1.自己紹介2.やっ
梅北からバトンを受け取りました、塚越隆成(つかごしりゅうせい)です。宜しくお願いします!特に伝えたい事とかないので、四年間を振り返ります。1年の夏に僕と、ちょび、げんき、るい、帝三組で途中から入部して、そのちょい過ぎに、加藤たつき君も入部して帝三が多くて楽しくサッカーやれたらいーな程度で過ごしてきました。ほんと色んな癖を待つバカばっかりで、非常に楽しい毎日でした。遠征で寝ゲロして退部させられそうになったバカな先輩は今月から警察学校へ行くらしいですよ。世の中甘って思っちゃいま
加藤竜基からバトンを受け取りました学生トレーナーの梅北茉奈(うめきたまな)です。選手のみんなのようなサッカーに対する熱い気持ちを綴ったブログではないので、つまらないかも知れませんが、自分なりに帝京大学のサッカー部への気持ちを書いてみようと思います。正直、私はサッカー部に入るつもりはこれっぽっちもありませんでした。外部の女子サッカーチームでトレーナー活動をしようと思って入学し、約10ヶ月を過ごしていました。トレーナーの先生に相談したところ、「トレーナーとして活動している
本名千尋よりもらいました。長田一宏(おさだかずひろ)です。私はこのブログを通じてみんなへの「感謝」の気持ちを伝えたいと思います。語彙力がないため少し読みづらいかもしれませんが、最後まで読んでください。私は15年間サッカーを続けてきましたが、多くの人に支えられてここまで続けてこられることができました。その中でも一番私を支えてきてくれたのは「家族」です。両親はどんな時でも私の試合を見にきてくれています。高校生の時はそれが普通だと思っていましたが、大学生になるとそれが普通ではないこと
伊藤くんからバトンもらいました。佐藤汰輔(さとうたいすけ)です。(4年FW佐藤汰輔)引退まで残り1ヶ月ちょっとというところまで来ました。私はこれまでの人生の中で様々な感謝について書いていこうと思います。要約するのが苦手ですごく長い文にはなると思いますが、最後まで読んでいただけると光栄です。大喜びです。いつもバカなことばっかしてアホなことしか言ってないタイスケサトウはこんなことを思い感じて生きています。それでは長い時間どうかお付き合いください。どうぞ!サッカーを始めたきっか
同じGKの村尾からバトン受け取りました。伊藤圭司(いとうけいじ)です。(4年GK伊藤圭司)大学では文学部社会学科に所属しています。文系学生ですが、文を書くことが得意ではないので読みづらいのはご了承ください。みんなブログで自分の思考を書いているので自分もそんな感じで書きました。では本題に入っていきます。大学2年の時に中学の友だちが亡くなった。大学2年の7月14日の昼過ぎに友だちから電話が来た。金曜でバイトの給料が振り込まれる日だったので、いつも通り遊びか飲みの誘いだと
白井君からもらいました村尾佳祐(むらおけいすけ)です。小学校からサッカーやってます。(4年村尾佳祐)大学を振り返ってみて今感じてることを書きます。少し長いですけど、ぜひ、最後まで読んでほしいです!今感じてること。それは「本気になった時にしか見れない景色」があるってこと。四年生になって前期リーグが始まった。でも、リーグが始まって感じたのは周りの仲間と自分のサッカーに対する明らかな温度差。毎日の練習もただこなしているだけだった。なんで本気になれなかったのか、自分なりにすごく考え
髙橋くんからバトンを受け取りました。経済学部経済学科4年白井友太(しらいゆうた)です。(4年白井友太)私がサッカーを続けている理由、好きな理由は、サッカーをしていると無我夢中になれるからです。小学1年生からサッカーを始めてきて今年で16年目となりました。22年間生きてきてほとんどの時間をサッカーに費やしてきましたが、この16年間私のサッカー生活は順風満帆なものではありませんでした。その中でも私の中で貴重な経験ができたのはスペインでの10ヶ月間のサッカー留学です。留学という
西山君からバトンをもらいました。4年の髙橋亮太郎(たかはしりょうたろう)です。(4年髙橋亮太郎)僕は、なぜ「大学サッカー」という環境を選んでサッカーをしようと思ったかを述べたいと思います。高校生の頃は神奈川でも強豪と呼ばれる公立高校でした。入部すると同時に競争が始まり上手い選手は上のカテゴリーに引き抜かれ僕はずっと下のカテゴリーにいました。学年が上がるに連れてカテゴリーが上がる事もなく3年になった頃に、Aチームに上がれました。そして新チームになって1ヶ月後の紅白戦でBチームに落と
増井海斗からバトンを受け取りました!西山一輝(にしやまいつき)です。本学では中高の社会科と日本語教員の免許取得過程を主に学んでいます。サッカー以外にはデニム、ローファー、そしておでこが綺麗な女性を好んでいます。以上の趣向が合う方、是非西山と語り合いましょう。(4年西山一輝)ブログを行う上での個人的な認識①本部員に個人の思考、想いを知って頂くため。②何らかのツールで本部活に興味を持って頂いた方への広報活動。以上の認識を基に僕は家族にも友人にも話したことのない「きっかけ」の
喜多未希他からバトンを受け取りました。4年の増井海斗(ますいかいと)です。(4年増井海斗)引退まで残り3ヶ月を切るところまで来ました。高校サッカーから大学サッカーになって自分の中で変わったことを書きたいと思います。最後まで読んで頂けると幸いです。高校のときは自分はバカであまり考えないでサッカーをやった方が上手くいくと思っていました。高校サッカーまではチームの決め事、指導者、先輩や友達の言うことを聞く、自分の直感などでプレーをしていました。あまり考えずに鵜呑みにして上手くいったら
何があっても動じない「不動心」長澤からバトンを受け取った、欅坂46が大好きな喜多未希他(きたみきや)です。たぶん、読み終えた時にはどれだけ僕の心に彼女達の歌が刺さったかわかると思います。(4年喜多未希他)僕は今まで考えていること、思っていることを他人に言ったことが無い。これが初めてだ。その分このブログは長いかもしれない。「他人と生きる」これは小さい時からずっと考えていたことだ。他人。(自分以外の存在を指すが、ここで言うそれはいわゆる「友達」に近い。)それって生きていくのに
積田太郎からバトンを受け取りました。4年の長澤俊介(ながさわしゅんすけ)です。小さい頃からずっとやって来たサッカーも引退まで残り3ヶ月を切りました。今後もサッカーには何かしらの形で関わっていくと思いますが、今回は大学サッカー生活の中で感じた事を振り返ります。最後まで読んで頂けるとありがたいです。(4年長澤俊介Iリーグ出場時)「サッカーってこんなにも面白いんだ」大学サッカーでより一層感じました。また、「サッカーは、頭を使って考えながらやるスポーツだ」サッカーを始めた幼
加藤龍二から受け取りました!4年の積田太郎(つみたたろう)です。(4年積田太郎)この四年間大学生活がほぼ毎日サッカー漬けの日々があっという間に終わってしまう日が近づいてきました。この四年間大学でサッカーをやって自分自身が思った事や感じた事を書こうと思います。入部した経緯としては高校サッカーが終わった後にまた真剣にサッカーやりたい!まだ続けたい!というシンプルな思いで入部しました。トップに上がる目標を持ち毎日毎日練習して自主練なんて当たり前みたいな感覚で励み、ある時は仲間と
サッカー部の中で僕の次に優しい斎藤拓磨くんからバトンを受け継いだ経済学部4年、桝谷総一郎(ますたにそういちろう)です。(4年桝谷社会人リーグ出場時)僕自身誰かに何かを伝えられることなどないので入部から現在までと自分自身がどうしていくか書いていきたいと思います。僕は大学に入り、入部してから正直サッカーに身が入っていなく練習を時間ギリギリにいったり、休んだりと3年の終わりまでずっとCチームにいました。3年の終わりにBチームにあげてもらったのですが、5月頃の筑波での試合で遅刻をして
(帝京1か分かりませんが…)マネージャーの木館からバトンを貰いました。医療技術学部スポーツ医療学科4年の齋藤拓磨(さいとうたくま)です。(4年齋藤拓磨)小学生から大学生までサッカーを続けてきて色々な人たちと関わることができたと感じます。私は帝京大学サッカー部での活動で学んだ事は、「感謝」です。(前列右から2番目114番)自分が当たり前にサッカーできていることは親のおかげだし、また、部として活動できているのも、田村さんや荒さんやチャッピーさんや小針さんの協力や、仲間の努力が
下半身ゴツめの石川くんからバトンをもらいました。4年マネージャーの木舘実来(きだてみく)です。私はサッカー部のマネージャーとして入部してから、今までの事を思い返したいと思います。(4年マネージャー木舘実来)まず入部するきっかけは、もともと大学では部活をやろうと決めていましたが、もう選手としてやるのは厳しいと思いマネージャーをやろうと決めていました。一番最初に声をかけてもらったのがサッカー部で、他の部を見ずにそのまま入部しました。(帝京大学体育局サッカー部)最初は選手やマネージャー
サッカーに熱い相田君からバトンを引き継いだ、医療技術学部スポーツ医療学科4年石川敬基(いしかわいつき)です。自分は今の現状と帝京大学サッカー部に入って改めて感じたことを書きたいと思います。(4年石川敬基)自分は2年生の後期からトップチームで活動させてもらいましたが、3年の後期からはBチームで活動しています。トップチームからBチームに降格した時はめちゃくちゃ悔しくて、落ち込みましたし、やる気も失いかけたりもしました。本当にトップチームにかける思いは強かったです。Bチームに降格
1番かっこいい藤原くんからバトンをもらいました。4年の相田遼人(あいだりょうと)です。自分の伝えたいことを相手に伝えるのが苦手でそれを文章にするとなるとだいぶ難易度あがるのですが、最後まで読んでくれると嬉しいです。(4年・相田遼人)「他人の期待に応えようとする生き方は不自由な生き方だ」僕の読んでる本に書いてあった文章です。これには続きがあります。「そしてまた、他人もあなたの期待に応えるために生きているわけではない」今僕は21歳です。21年間という時間を過ごしてきましたが、自分を
チャーミングな宮原からバトン引き継いだ教育学部教育文化学科4年副主将の藤原直人(ふじわらなおと)です!今回テーマは自分で決めていいとのことなんで「不真面目」「スカしてる」「何考えてるかわかんない」とか周りからは普段ひどい言われようなので、なんで大学までサッカー続けたかってとこ中心に自分なりに発信し、実は内に熱いの秘めてるタイプってわかってもらえればと思うので最後まで見ていただければと思います!(6番藤原直人)『今を生きる』現在帝京大学体育局サッカー部には120人以上の部員が所
岩村からバトンを引き継いだ同じく4年副主将の宮原颯野(みやはらそうや)です。岩村がアツい文章を書いていたのでやりづらいのですが自分の想いを書いていこうと思います。(4年宮原颯野)2019年シーズン1回目の練習でカテゴリー分けが発表され、Aチームで名前を呼ばれました。その時の感情は今まで感じたことがない不思議な感覚。めちゃくちゃ嬉しかった、でも試合に勝った時とはまた違う喜びでした。自分は1年と2年の2年間をCチームで過ごしていました。最初のうちはCチームでもいいや、まだ先はある
帝京大学体育局サッカー部令和元年度サッカー部ブログリレーのトップバッターを任されました。副主将の4年岩村寛太(いわむらかんた)です!僕は作文を書いたり構成を考えたりするのが苦手で、途中で何を書いてるかわからなくなってしまうかもしれませんが、色んなことを知ってもらえる最高の機会だと思うので僕自身をアピールさせてもらおうと思います!最後まで読んでいただけたら嬉しいです!(帝京大学、魂の4番)「サッカーで心を動かす」そんな事を思うようになったのは高校1年の冬だった。YouTube