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https://www.nhk.jp/p/buratamori/ts/D8K46WY9MZ/月刊ピアノ2020年5月号Amazon(アマゾン)763〜2,158円金沢城を見れば「日本の石垣」がわかる!?こだわりの石積みにタモリさんも大興奮!そして東京に残る加賀・前田家が作った石垣の痕跡とは?石垣の魅力を徹底的に解き明かす「ブラタモリ#4金沢の美」(初回放送2015年5月2日)で訪れた石川県・金沢城の石垣。今回は6年前にたっぷりロケした未公開映像を再編集。さ
この上に立派な城壁があり右手にはユンタンサミュージアムがあります座喜味城城壁の石の積み上げ方や昔の家や沖縄の風習などの展示があり興味深かったです高い所にあり海が見えました野面積みや布積みなど違う積み方なんだ〜と知り塀に見入っていました✨🏯側の座喜味城公園から海がきれいに見えました🌊空も広いです🌤💕viaありす工房Yourownwebsite,AmebaOwnd
明けましておめでとうございます。本年も、アスザックを宜しくお願い申し上げます。今年の干支は、『丑』ですが、牛と言いますと、“商いは牛の涎”ということわざがありますが、今年は私も、このことわざの通りに、日々精進し長きにわたり皆様の役にたてればと思っております。ちなみに、私、小池は4回目の『丑年』になります。さて近年、中国でも日本同様に、『職人不足』が進み、以前のように『割肌仕上』や『ノミ切仕上』製品を製造するのは難しい環境となっております。どちらの仕上げも、重量感があり、石の風合いを強
0703宇田枝井路2号橋(うたえだいろにごうきょう)大分県豊後大野市清川町左右知奥嶽川支流の谷川に架かっている水路橋橋長:12.00m橋幅:2.30m径間:4.50m拱矢:2.10m架橋:1941年(昭和16年)石工:佐藤近義氏、界寿光氏型式:2連アーチ橋壁石:布積み県道688号の左右知地区に立つ深谷橋の標柱から岐かれて矢印の方に向かう林道に並行したすぐ右下に架かっています。草木に覆われる夏期は目につきにくいです。石工は地元の界寿光氏と佐藤近義氏
1481権現橋(ごんげんばし)大分県豊後大野市緒方町上畑九折奥獄(岳)川に架かる廃石橋橋長:22.50m橋幅:4.50m径間:-m拱矢:-m架橋:1941年(昭和16年)石工:多田平人氏、工藤直記氏(大野町)型式:単眼アーチ橋壁石:布積み奥獄橋から県道7号を宮崎県高千穂町方面へ約5km南下して九折方面へ左折します。さらに山道を進み約1.5km先の現橋の上流側に残されています。廃道で、深い渓谷に架かっています。当時この先にあった蔵内九十九鉱業
0719再訪沢田橋(さわだばし)大分県豊後大野市大野町沢田沢田川に架かっている廃石橋橋長:7.00m橋幅:2.70m拱矢:1.80m径間:3.60m架橋:1923年(大正12年)5月石工:不明型式:単眼アーチ橋壁石:布積み2015年3月28日(土)以来、4年ぶりに訪問しました。県道41号を北上し、師田原ダム上手から沢田地区に通じる市道(現在は新しい道路が完成し、旧道になり廃道になっています。)の橋で、道路が直角に曲がる地点に架設されているため橋
原古閑橋梁(暗渠)(はらこがきょうりょう)[円台寺橋梁・円台寺鉄道橋]JR九州鹿児島本線熊本県熊本市北区植木町円台寺原古閑田原坂駅ー植木駅間橋幅:24.00m、径間:6.80m架設:1891年(明治24年)頃と推測放物線アーチ橋、輪石は江戸切り瘤出し、壁石は布積み原古閑踏切のすぐ北側を流れる木葉川が鹿児島本線と交差する場所に石橋が架かっています。産交バスのバス停「石橋」はこれを指した名称と思われます。架橋当時は周囲ではかなり目立つ大きな石橋だったと思われます。鉄道橋
【饒津神社(にぎつさん)】幕末(1835年)に浅野9代藩主(斎粛)が始祖長政を祀るために広島城の鬼門の方向に造営したものです。藩士の結束を固めようとしたと伝えられる。この時期に創建された神社としては全国最大の規模を誇ります▽被爆樹木(マツ)△家臣によって奉納された多くの石灯籠▽アヤメが咲いていた△阿吽の狛犬▽(どちらも)片足上げているのが可愛い^^▽新型コロナの影響がこんなところにも…【向唐門(むかいからもん)】原爆で焼失したが(
0058再訪椨ヶ迫橋(たぶがさこはし)鹿児島県霧島市霧島永水小瀬戸郡田川に架かる石橋橋長:7.10m橋幅:4.30m径間:5.30m拱矢:2.20m架橋:1926年(大正15年)8月石工:不明型式:単眼アーチ橋布積み2013年11月27日(水曜日)以来、約6年半降りに寄りました。当時は周辺が藪っていていかにも廃道・廃橋って感じでしたが、この日は整備されていて、旧道が歩いて通れるようになっていました。橋台は無く、基礎石の上にアーチが組まれていて拱矢の低い石橋に
0063上中津川橋(かみなかつがわばし)鹿児島県霧島市牧園町上中津川小谷川に架かる石橋橋長:10.00m橋幅:3.90m径間:10.00m拱矢:3.00m架橋:1899年(明治32年)2月石工:不明単眼アーチ橋布積みこの橋もヤフーブログからの移行時に漏れていたので紹介しておきます。2013年12月4日(水)の訪問なので、当時は装備の準備も無くただ撮りました感は拭えないですね。近いうちに初期に周ったこの地区も再訪したいと思います。新型コロナウイルスの影響で集客の多
0066再訪市野々の上石橋(いちのののかみいしばし)鹿児島県霧島市霧島永水市野々手篭川に架かる石橋橋長:12.00m橋幅:2.00m径間:3.00m拱矢:2.50m架設:大正期と推測石工:不明単眼アーチ橋立山橋からさらに狭い林道を手篭川沿いを上流に進んだ場所に2カ所、石橋が架かっています。ここでは上石橋、下石橋として紹介します。2013年12月4日(水曜日)以来の再訪になりました。前回は川床をかなり歩いて辿り着いた場所なのでいつか再訪したいと楽しみにしていまし
0331再訪阿南橋(あなんばし)大分県由布市庄内町櫟木大分川水系櫟木(くぬぎ)川に架かる石橋橋長:28.00m橋幅:5.00m径間:17.0m拱矢:-m架橋:1895年(明治28年)4月石工:渡邊音五郎氏型式:単眼アーチ橋壁石:布積みオダニの車橋のすぐ上流側に架かる旧佐賀県道(現国道210号線)に架設された橋で、当時の村名が橋名になっています。大分県が直轄で施工した第1号石拱橋で、壁石が布積みされた初めての事例になります。2016年9月24日(
0083再訪立神橋(たてがみばし)鹿児島県日置市吹上町和田堀川に架かる石橋橋長:14.40m橋幅:4.20m径間:11.50m拱矢:4.90m石工:川野喜太郎氏竣功:1914年(大正3年)11月単眼アーチ橋国道270号から吹上町和田三叉路を入り込んだ約1.5mの場所に有ります。立神橋には2014年1月11日(土曜日)以来6年ぶりの小雨が降る中での再訪になりました。田園風景の中に溶け込んだ風情有る石橋です。二重アーチで、壁石は布積みです。訪問日:2020
はい!奈央です。江戸城に入りましたよ。さてさて、大手門を潜るとそこは桝形になっていました。そして奥にもっと頑丈な門がありました。この門は、昭和20年の空襲で焼失し、昭和42年に再建されたものだそうです。桝形の中には、焼失前の門の屋根の上にあった鯱が飾られていました。明暦大火の後に再建された時の鯱だそうです。江戸城に来て一番見たかったのは、本丸の天守閣の跡だったんですけど、残念ながら本丸は全て立ち入り禁止でした。それで、しようがなく二の丸と三の丸を見るしかなくなっちゃいました。
2054御手水橋(おちょうずばし)[雀堀橋]熊本県阿蘇郡南阿蘇村大字両併御手水白川水系高根切川に架かる石橋橋長:約5.00m橋幅:11.00m径間:2.00m拱矢:1.10m架設:不明石工:不明型式:単眼アーチ橋二重アーチ、布積み白川水源から旧道を高森駅方面へ約800m東進した場所に架っています。道路上からは分かりませんが、地図上では白川水系高根切川が交差しているので、川床へ下りて確認しました。前日の阿蘇山の噴火でかなり降灰していて草木に灰が被っていました。下
2041嶽橋(たけばし)鹿児島県南九州市頴娃町栫山集川水系集川に架かる石橋橋長:7.20m橋幅:3.30m径間:5.60m拱矢:2.80m架設:1964年(大正13年)3月石工:不明型式:単眼アーチ橋壁石:布積みおにぐちラーメン前から国道226号線を枕崎方面へ進み、ジョイフル先を右折して集川を渡った信号機を右折します。道なりに進むと嶽簡易郵便局先を右折した場所に架かっています。刻印が残る親柱も残されています。橋上は上・下流側共にコンクリート拡幅されています。壁
2031上坪井路立石水路橋(かみつぼいろたていしすいろきょう)大分県竹田市枝立石笹無田川支流に架かる石橋橋長:-m橋幅:2.00m径間:7.30m拱矢:2.00m架設:1921年(大正10年)〜1922年(大正11年)石工:不明型式:単眼アーチ橋上坪井路は豊後大野市朝地町の標高300mの大地に竹田市から引かれた水路で、1922年(大正11年)7月に通水されています。前年度か通水年に完成した水路橋だと思われます。上坪井路建設の発起人は元庄屋の斉藤正治翁で
1986高尾橋(たかおばし)大分県竹田市市川米山川に架かる石橋橋長:12.60m橋幅:2.80m拱矢:3.10m径間:6.90m架橋:1921年(大正10年)石工:不明型式:単眼アーチ橋壁石:布積み松尾橋から竹田市街地方面へ進んで、澤組の事務所のある上市川バス停から右折します。約800m先の大畑バス停から左折して約60mの場所に架かっています。橋上は上下流側がコンクリートで拡幅されています。訪問日:2019年6月28日(金曜日)高尾橋高尾橋
1979九反田橋(くたんだばし)大分県竹田市植木橋宇津濁渕川に架かる石橋橋長:7.70m橋幅:2.70m拱矢:2.60m径間:6.30m架橋:1933年(昭和8年)5月石工:大塚源平氏、添田要氏型式:単眼アーチ橋壁石:布積みこの場所に辿り着くのにかなり苦戦しました。思った場所の橋がコンクリート橋だったので、架け替えられたかと思いましたが、この下流側にも道路が交差しているようなので、確認したいと思います。道路が狭く、高台から下って行くので車での進入を躊躇し
1977尾園橋(おぞのばし)大分県竹田市平田折立折立川に架かる石橋橋長:6.30m橋幅:5.30m拱矢:1.60m径間:5.10m架橋:1955年(昭和30年)9月石工:甲斐今一氏(地元)型式:単眼アーチ橋壁石:布積み明治小学校に上がる市道に架かる石橋です。下流側橋上がコンクリート拡幅されています。地元の石工、甲斐氏が近くで取れる赤い色の石材で造られたそうです。戦後の石橋になります。雨間をぬっての撮影になりました。川の流れも強く、増水していたので川床へはパス
1976鬼田橋(おにだばし)大分県竹田市植木鬼田濁渕川に架かる石橋橋長:1.40m橋幅:5.00m拱矢:-m径間:-m架橋:1917年(大正6年)石工:原田市太郎氏(地元)型式:単眼アーチ橋壁石:布積み県道47号から約150m明治小学校へ通じる市道に入った場所に架かるアーチ石橋です。この日は雨予報だったので、小雨になった時間での撮影になりました。川は増水していたので、川床へはパスしました。訪問日:2019年6月28日(金曜日)
1685東深倉橋(ひがしふかくらばし)[東深倉眼鏡橋]熊本県玉名郡和水町下津原深倉川に架かる石橋橋長:7.40m橋幅:4.40m径間:2.70m拱矢:1.30m橋高:2.70m竣功:1921年(大正10年)3月石工:坂梨氏、松野氏、原口氏型式:単眼アーチ橋壁石:布積み久米野橋から竈門橋に戻り、まだ日の入りには時間がありそうなので山鹿市街地に戻るのを県道6号で下津原周りにしました。下津原から県道194号へ進み、野路バス停を過ぎると深倉川に架かっています
1684久米野橋(くめのはし)[久米野眼鏡橋]熊本県玉名郡和水町久米野久米野川に架かる石橋橋長:15.40m橋幅:5.40m径間:8.50m拱矢:5.80m橋高:6.70m竣功:1918年(大正7年)石工:不明型式:単眼アーチ橋壁石:布積み竈門橋から久米野川を上流側に進むと約0.5km先に架かっています。訪問日:2018年4月7日(土曜日)久米野橋左岸からの久米野橋橋上右岸からの久米野橋橋上久米野橋久米野橋久米
0865市指定重要有形文化財秋丸眼鏡橋(あきまるめがねばし)熊本県玉名市高瀬下町裏川に架かる石橋橋長:10.60m橋幅:5.57m(樋門含む)径間:4.97m拱矢:2.47m架橋:1832年(天保3年)石工:岩永三五郎氏か兄の嘉八氏と云われています。型式:単眼アーチ橋壁石:布積み2007年(平成19年)4月6日市重要有形文化財に指定一級河川菊池川に流れ込む裏川の秋丸地内(現「新秋丸橋」架橋部)に、天保3年(1832年)に架設された県道橋でした。裏川
1245中山橋(なかやまばし)鹿児島県薩摩川内市祁答院町下手川内川支流谷川に架かる石橋橋長:4.00m橋幅:7.20m径間:4.00m拱矢:1.70m架設:1926年(大正15年)3月石工:不明型式:単眼アーチ橋二重アーチ壁石:布積み県道51号の祁答院役場前交差点から約1.6km南下して旧道へ左折した約100m先に架かっています。コンクリート補修されていますが、二重アーチで壁石は布積みです。訪問日:2016年7月18日(月曜日/海の日)中山橋
1280市野々橋(いちののばし)鹿児島県霧島市国分大字川原市野々川に架かる石橋橋長:16.00m橋幅:5.50m径間:5.50m拱矢:2.90m架橋:1861年(萬延2年)頃石工:不明型式:単眼アーチ橋二重アーチ壁石:布積み国分市街地から韓国宇豆峯神社前を抜け、相ヶ谷バス停前の交差点を川原小学校方面に右折します。学校前から財部方面に約600m進むと架かっています。橋上からは分りませんが、案内看板が立っています。石組9段橋台、2重アーチに壁石は布積みです。
0180久留味橋(くるみばし)鹿児島県霧島市横川町久留味川に架かる石橋橋長:15.00m橋幅:4.50m径間:14.00m拱矢:7.50m石工:不明架橋:不明型式:単眼アーチ橋壁石:布積み県道55号の久留味川に架かる「久留味橋」現橋の旧道にあります。壁石は布積みです。訪問日:2014年3月22日(土曜日)赤い矢印が久留味橋(石橋)現橋から久留味橋久留味橋歩道として残されています。久留味橋久留味橋久留味橋久留味橋
1817四元橋(よつもとばし)鹿児島県鹿児島市春山町ー上谷口町下谷口川に架かる石橋橋長:9.50m橋幅:2.50m径間:7.30m拱矢:4.00m架橋:1921年(大正10年)6月石工:不明型式:単眼アーチ橋壁石:布積み里山の眼鏡橋から県道291号へ戻り北東へ進み四元公民館の手前を右折して約600m四元町境まで進みます。その先の上谷口町と春山町の町境の下谷口川に架かっています。訪問日:2018年10月6日(土曜日)四元橋四元
1815里山の眼鏡橋(さとやまのめがねばし)鹿児島県鹿児島市平田町二俣川に架かる石橋橋長:-m橋幅:2.80m径間:3.00m拱矢:-m架橋:不明石工:不明型式:単眼アーチ橋壁石:布積み吉川水系の二俣川が交差しています。藪っていますが、以前は地元の子供達の水遊びの場だったのでしょうか川床へ降りる道がありました。橋名は仮称です。訪問日:2018年10月6日(土曜日)里山の眼鏡橋橋上電柱の先を二俣川が交差しています。里
1231後中橋(うしろなかばし)鹿児島県鹿児島市本名町後中本名川に架かる廃石橋橋長:9.75m橋幅:2.70m径間:8.20m拱矢:2.80m架橋:不明拡幅工事:1966年(昭和41年)石工:不明型式:単眼アーチ橋二重アーチ壁石:布積み県道16号テコ橋のある本吉田橋(現橋)から県道40号方面へ進むと本名川に架かる現橋の上流側に残されています。拡幅部分は撤去されアーチ部のみが残されました。現在は通行は出来ず廃橋になっています。二重アーチで壁石は布積みで丁寧な造り