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◆秋葉山十輪院法皇庵玉桂寺◆今より一千二百年の昔、奈良朝の淳仁天皇が一時、都を平城京から滋賀に移された事があり、その時の保良宮、つまり奈良時代に滋賀の皇居を造られる間、仮御所として使われたのが玉桂寺の始まりです。後に文徳、後花園帝の勅願寺として栄え、江戸時代には三万石の格式を誇り藤丸の駕を認可されたる名刹で境内では、四丁四万、歴代尊崇のもと弘法大師を本尊と崇め、その信仰を一山に蒐め、歴史の尊厳と規模の広大を天下に誇る寺院です。前回(2014年)はぼけ封じ近畿十楽観音霊場で、今
昭和39年9月、仙崎白潟の住友セメント鉱業所構内の工事現場の地下10m付近、多くの貝殻の中から釣り針が見つかった。この針はシカの角を平らに加工し、U字形にくり抜いたもので大きさは6.9cm。(長門市HPより)釣り針がつくられたのは今からおよそ3500~4000年前の縄文時代後期。県内で縄文時代のつり針が見つかったのは下関の六連島と長門市だけでとても珍しい。昭和59年に市の文化財に指定されている。長門市ホームページはこちらひとが輝き、やさしさがこだまするまち、長門www.
くさつ夢本陣【観光案内所・無料休憩所】-草津市観光物産協会「くさつ夢本陣」は、街道や宿場町が育んできた出会いと交流の文化を継承する、観光…kanko-kusatsu.com施設・常設展示案内www.city.kusatsu.shiga.jp【ポスト】草津市民センター|ポストマップ滋賀県草津市草津一丁
「我が家へようこそ!こちら応接室ですの、自慢の庭園もご覧遊ばせ。」なんてね!建物は市指定有形文化財庭園は国登録記念物川越市旧山崎家別邸にて。友達「私も自分んちのように誰かに言おうとしてた!」考える事が同じな同世代。
長崎市深堀町が歴史のあるなかなか面白い町だと知り、いつか深掘りしてみたいなぁと思っておりました。深堀町だけに・・・🤭夫は親戚が住んでいることもありけっこう馴染みの地域なので、「えーっ、今更〜?」という反応で、なかなか行けずにいたんですが、今回、「ぽよんが行きたいなら仕方ない」と付き合ってくれました😁貿易港・長崎は、江戸幕府直轄地(天領)だったので、城下町はつくられませんでした。深堀町は市の南西の端に位置していたので、天領には含まれず、佐賀藩家老職・深堀鍋島家の支配を受けました。
どもhidepopです☆もう桜が咲いた!と思えば、今度はもう桜が散ってる!毎度ながら時の流れが早すぎてビビり散らかしてる今日この頃。そんな中、時に逆い今日も(元気にw)去年のレポートを書いていきます笑まだ前回の餃子の乱を読んでない方はコチラからどうぞ♡『静岡トリップ②DAY1(後編)浜松を最高に楽しんだ一日だった!の巻』どもhidepopです☆去年の11月のレポートを今書いてる訳ですが、あれから既に4ヶ月以上も経ったのかと驚きを隠せない今日この頃ですえ?早すぎ
竹嶋美和ですこちらのブログでは自分の経験からの気づきなどを発信しています✨自分らしく自由に表現していく喜びを取り戻す!✨内面の深掘りが好きなので、気付きを綴ってます。✨2022年11月から愛知県一宮市在住✨一宮市は知れば知るほど好きになる街なので、カフェや神社仏閣など、写真を撮りながら紹介してます✨ブログは毎日更新中📷フォトグラファー🎨アーティスト*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。..。.:*・゜゚・*八劔社愛知県一宮市大江3丁目10-1
阿弥陀寺は、室町時代の応永20年(1413)に隆堯(1369~1449)によって開かれた浄土宗寺院で、近江の浄土教団の中心的な役割を担ってきた歴史を誇ります。阿弥陀寺には二十五菩薩面と、それに付属する装束、各菩薩の持物などが一つ一つ木箱に入れて大切に保管されてきました。二十五菩薩とは、亡くなる人を西方極楽浄土に迎えるため、阿弥陀如来に付き従ってやってくる菩薩たちのことです。その来迎の様子を演出してみせる宗教行事に「迎講(練供養、迎接会)」と呼ばれるものがあります。これらの面や装束は、迎講に
12月7日、伊賀市の西蓮寺さんへ紅葉を観に行ってきました西蓮寺さんは二十五菩薩練り供養が行われるお寺です2024年『◆二十五菩薩練り供養◆西蓮寺(動画あり)』4月14日に伊賀市の西蓮寺にて二十五菩薩練り供養が行われました5年前の二十五菩薩練り供養はコチラ『◆二十五菩薩練り供養◆医王山無量寿院西蓮寺』昨日…ameblo.jp2019年『◆二十五菩薩練り供養◆医王山無量寿院西蓮寺』昨日は雨がパラパラ降るなか伊賀市長田の西蓮寺さんに行ってきました西蓮寺さんと
天保13年(1842)に彦根藩12代藩主井伊直亮が、井伊家の始祖井伊共保の750回忌にあたり、井伊谷(現静岡県)八幡宮から井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に祀ったのがはじめとされます。また、彦根藩初代藩主直政・彦根藩2代藩主直孝も祀られています。
こんにちは(´・ω・`)昨日の続きです葛城一言主神社から奈良県道30号を南へ走り、名柄交差点を左(東、国道309号)に曲がり、室交差点を左(北、国道24号)に曲がって道なりに行くと右側に鴨都波神社があります(駐車場へは済生会病院前交差点を右(東、道幅狭いです)に曲がって道なりに行くと左側にあります)⛩️鴨都波神社『鴨都波神社公式サイト(一部、高鴨神社の由緒と重複)』『境内由緒書』より祭神(主祭神)積羽八重事代主命は(副祀神)下照比売命、建御名方命別名下鴨社。由緒書や公式サイトによ
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです高天彦神社から来た道を戻り、奈良県道30号の南太田橋を渡ってすぐのT字路を右(傍らに手作りの八幡神社の案内表示があり、道幅狭いです)に曲がり、手作りの道標がある分岐を真っ直ぐ(南、道幅さらに狭くなります)に行くと正面に八幡神社の駐車場があります⛩️展望台⛰️駐車場に面したところに、展望台と葛城三十八景の板碑がありました八幡神社『御所市観光協会公式サイト』『境内由緒書』より祭神(主祭神)応神天皇(副祀神)天児屋根命、天照皇大神境内社
◆北野寺(きたのじ)◆創建は養老四年(720)元正天皇の勅により、藤原鎌足の孫・藤原房前が堂宇を建立して聖観音菩薩を安置したのが始まりと言われています。以来、霊験著しく、皇室や公家家を始め近畿内の善男善女が参詣に訪れて巡礼街道もにぎわいました。彦根藩が築かれる前に彦根山にあった寺で、その前身は観音信仰で平安時代から都人にも知られていた彦根寺。井伊家移封の頃はかなり衰退していた。慶長8年(1603)彦根城築城に伴い現在地に移され、彦根藩2代藩主井伊直孝が上州(群馬県)の北野寺に学んだこ
岐阜県美濃市の美濃和紙の商家の町並み。美濃市にも山車が繰り出す祭りがあるのか?まさに「うだつの上がる町並み」な風景。ここは見学できる商家、旧今井家住宅。この今井家も美濃和紙の商家でした。中には美濃和紙を使ったランプシェイドのディスプレイもありました。京町屋みたいな商家の中庭。囲炉裏の上の昔の煙突の穴。明治になってガラスが入ってきて明かり取りの窓になったとか。竈門。居住スペース側。商店側から蔵の裏庭へ。蔵の中は思ったより天井高い。美濃市の祭りの様子?飾られた法被の数々。
照島神社に参拝後、照島神社の御朱印をいただきに合せて「鹿児島最古の稲荷神社」へ参拝へ行きました。照島神社から車で13分ほどの日置市東市来町に鎮座します。(地図はgoogleマップより)照島神社の記事は以下です『照島神社(御朱印は鹿児島最古の稲荷神社で)【鹿児島県いちき串木野市西島平町】』いちき串木野市の照島という小さな島に鎮座する照島神社へ参拝に行きました。照島は、島津の朝鮮出兵の際に連れ帰った薩摩焼の陶工が初めて上陸した、また秦の始皇帝の不…ameblo.jp一の鳥居です。
飯道寺|甲賀市観光ガイド(koka-kanko.org)
0492再訪市指定文化財鑑内橋(かんないばし)熊本県八代市鏡町鏡-内田鏡川に架かる石橋橋長:7.20m橋幅:2.80m径間:5.50m拱矢:2.00m竣工:1830年(文政13年)頃修復:1994年(平成6年)石工:岩永三五郎氏型式:単眼アーチ橋壁石:布積み2016年から訪れている岩永三五郎氏のお墓に2023年の石橋報告をした帰り、今回も寄りました。年末に一泊2日で行く予定でしたが、雪予報だったので今回は1週間前倒しして石橋報告とこの橋に行って
以前にも呟いたが熊本県山鹿にある市指定文化財小西行長供養塔慶長五年西岳院殿行長即得大居士十月六日と記されておる六条河原の直後そんなにも早急に家臣達が供養塔を建てたということか分かりづらき場所にある為住所を載せておく〒861-0314熊本県山鹿市鹿本町中川1998小西行長
近代土木遺産B市指定文化財紫川に架かる市道春吉3号線の橋形式:2連石アーチ橋橋長:21m完成1919年
2023年7月2日茨城県筑西市桑山の桑山神社に参拝しました。由緒創祀年代は未詳ですが、正徳4年(1714)の神祇官宣旨があります。霊祭神は大日霊貴命、木花開耶姫命、天児屋根命、別雷命で、一般に「春日さま」と呼ばれています。現在の社殿は、天明5年(1785)の再建です。屋根は柿葺、向拝、唐破風で、向拝柱の龍の彫刻や本殿外側に禽花吉獣の華麗な彫刻を見ることができます。鳥居拝殿覆屋と本殿本殿筑西市指定文化財向拝柱:降龍向拝柱:昇龍向拝柱に龍が巻き付い
寺内町の絵図、富田林初の市指定文化財に大阪2019/5/1407:23寺内町の絵図、富田林初の市指定文化財に大阪-産経ニュース(sankei.com)ライフ学術・アート産経WESTライフ寺内町の絵図、富田林初の市指定文化財に大阪その他の写真を見る(1/2枚)約460年の歴史を誇り大阪府内で唯一、国の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建地区)に選定されている同府富田林市の「富田林寺内町」を描いた絵図7点を、市指定文化財の第1号としたと市教委が発表
2023年6月4日神奈川県横浜市都筑区南山田町の山田神社に参拝しました。由緒山田神社は、明治四三年に近隣の村社である神明神社を諏訪神社・八幡神社・稲荷神社等十四社とともに妙見社に合祀した際、地名にちなんで山田神社と改称されました。社伝によると、諏訪神社は平安時代前期、貞観二年(八六〇)に、妙見社は室町時代中期、文安五年(一四四五)に鎮座されたと伝えられています。鳥居拝殿中備:2頭の龍木鼻:獅子、獏覆屋目の細かい金網が張ってあります本殿市指定有形文
2023年5月28日茨城県筑西市八幡の八幡神社に参拝しました。由緒創祀年代は未詳ですが、常夜燈に「一圀一社八幡宮」とあるところから鎌倉時代と推定される。祭神は誉田別命で、一般に「八幡さま」と呼ばれています。本殿は、流造、二重虹梁、茅葺を鉄板で覆った建物で文久二年(1862)のものです。鳥居拝殿玉垣と本殿本殿市指定文化財右面の胴羽目:琴棋書画の書と画「琴棋書画」は東洋で古くから為政者に必須の教養とされた四芸のこと。背面の胴羽目:養老の滝元正天皇
高速の千代田石岡インターチェンジに向かうまでにあった古墳です薬師堂古墳右手に見えてきました少し通り過ぎて、別角度からです村の中というか、道の辻にありますこの古墳を目印に道が出来たのでしょうね墳頂は広いです草は生えていませんね平らな石を見ると石室の石と考えてしまいます7世紀の常陸では石棺式石室が多いとありましたし、箱式石棺の石も見てきましたこれはそうでしょう?土の上を見ると埴輪片、土器片の様な石が散見されましたこれはちょっと違うかなでも、色々と楽しい古墳で
帰りに、島原工業高校の近くにあるお寺を訪ねてみました。瑞雲山本光寺長崎県島原市本光寺町山門は元禄3年(1690)に建立。現存する島原最古の建造物で、市の指定文化財になっています。本光寺は島原藩主・深溝松平家の菩提寺。山門の敷居は、島原城の天守閣の頂上と同じ高さに位置しているとの伝承があるとのこと。城主の墓所をもっと高い場所に設けたということなのでしょうか。赤く塗られているのは、譜代大名の格式を表したものなんだそうです。✤慈母観音瑞雲山本光寺は、深溝松平家の転封とともに各地
2023年5月10日茨城県筑西市田町甲の田中稲荷神社に参拝しました。由緒通称田中稲荷大明神と呼ばれ、古くから田中村の惣社として尊崇され、祭神は倉稲魂命で耕作豊饒・作物の虫よけ、火防の守護神です。もとは田中村の中央(現在の稲荷町の稲荷神社)のところに鎮座していましたが、安政4年(1857)正月19日、火災により本殿・拝殿を焼失したため、文久3年(1863)に田中稲荷の別当である田中山宝蔵院の境内(現在地)に遷宮し、本殿拝殿を建立しました。鳥居拝殿覆屋は撮影し忘れました
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです戸隠神社から国道371号を少しだけ南へ走り、清水交差点を真っ直ぐ(南、紀の川フルーツライン)行き、1つ目の四つ角を左に曲がり、次の四つ角を真っ直ぐ(東)行くと左側に永楽寺があります永楽寺『境内由緒書』『紀伊続風土記』より高野山真言宗の寺院。山号は正覚山。旧伊都郡相賀荘清水村にあり、江戸時代後期の境内は周54間(約97メートル)。『紀伊続風土記』に一文あり、「村の南にあり、鰐口に慶長十一年の銘あり」とだけ記されている。由緒書によれば、東側に
愛知県大府市最古の寺院・瑞木山(ずいぼくざん)圓通寺の本堂が、およそ200年ぶりに建て替えられました。平成31年2月8日に解体が始まり、令和4年7月31日竣工、そして令和5年5月7日に落慶式が行われることとなりました。大府市北端に位置する圓通寺は、天平元年(729)に行基菩薩によって開創されました。当初は法相宗、貞和4年(1348)に夢窓国師が中興開山となり臨済宗へ、そして文禄年間(1688~1704)に曹洞宗となり現在に至ります。こちらが、ピカピカの新本堂です。
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです八幡神社から市道(終始道幅狭いです)を西へひたすら道なりに行き、突き当たりを左(南、大阪府道221号)に曲がって道なりに行くと左側に岩湧寺の参道があります岩湧寺『境内由緒書』より融通念仏宗の寺院。山号は湧出山。本尊は十一面観世音菩薩。文武天皇勅願寺。役行者の開基で、創建は大宝年間(701年~704年)とされ、当初は天台宗の寺院であったが、明治時代に融通念仏宗に改宗した。天文年間(1532年~1555年)に多宝塔を建立し、安土桃山時代は豊臣家
0594再訪市指定文化財扇橋(おおぎばし)鹿児島県伊佐市菱刈南浦芋田川に架かる石橋橋長:10.00m橋幅:3.80m径間:7.20m拱矢:3.50m竣工:1919年(大正8年)石工:留奥作久氏型式:単眼アーチ橋壁石:布積み江戸切り瘤出し加工指定:2003年(平成15年)9月18日市指定文化財指定県道53号から小川添地区に進み約1km行った場所に架かっています。壁石は布積みです。橋上は両サイドにコンクリート拡幅されています。2015年1月以