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ジム活は、GWということで、今日もキャンセル待ちではなかなか入れないお昼のオリジナルダンス45も空きがあった。オリジナルダンスの振付は動画があるとのことだったので、自主練を少ししたら、何とかついていけた。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be来週はイベント下見で、レッスンに参加できないので、これは重宝する。午後は近場のお散歩で、円明教寺の御茶屋池に行った。
土曜日は何とか天気がもちそうやったんで、ハンターちゃんでお出かけっちゅうかても、表題の通り、散髪(千代原口)、引き取り(久御山)、納品(槙島)なんで、ついでに徘徊もまたまた巨椋池排水機場で、散り始めの桜🌸この辺り一帯は古来より宇治川と繋がった巨椋池って巨大な遊水池があって、周囲は漁業と共に水害が頻発した土地。明治後半に宇治川の河川改修で切り離された後、昭和初期に干拓されて農地になった(って小学校の社会の授業で習ったような気がする)。久御山、槙島で業務を終えて向か
4月7日背割提の後寄りました。久御山町東一口(ひがしいもあらい)の前川提の桜並木両岸に300本の桜平成7年に「京都の自然200選」(歴史的自然環境部門)に選定されています。一旦家に帰り13時から友達の送別会その前にちょっと寄り道宇治市槇島町の巨椋池干拓地の幹線排水路沿いのハナモモ向こうに近鉄電車🚋見えますね?「巨椋水辺づくりプロジェクト」が2011年に植樹近鉄踏切から下流250㍍の水路敷に、ハナモモの樹約80本が並ぶ。巨椋池干拓地の環境保全や排水路の美化活動に取り組ん
暖かくなると、途端にバイクネタが多くなるま、季節と天気への依存度の高い乗り物なんで、お付き合い下さい。土曜の夜から天気が崩れるって予報なんで、午前中に先週のエアクリーナーエレメント清掃のチェック、配達業務のついでに、満開の桜🌸を堪能して来た勧進橋、鴨川河川敷後に第二京阪道の高架が見える。先に見えてるのが勧進橋。場所を久御山に移して、東一口(ひがしいもあらい)前川堤の桜並木巨椋池排水機場の水門水門の向こう側は宇治川ね。前川河川敷短時間やけ
みなさま、こんにちは!こんばんはお久しぶりです♪ちょっとアメブロからドロンしてましたよ。え?気付いてなかったって?そんな殺生な!(笑)春休みに入ったころからかなぁ…息子が癇癪…というか、ちょっと荒れてて💦情緒不安定な感じだったのよ…なんか毎年この季節の変わり目、年度末の時期にちょっと荒れちゃうんですよね…そんなこんなで私のメンタルも下がってまして…アメブロ開く元気も無くて…あっでも、走って気分転換してたので大丈夫ですよ!来週からは学校も始まるしね。さて、クラスがどうなるかな?
鉛筆削りのサイコロを私が見つけて学校中大騒ぎになった鉛筆削りのサイコロにみんなが夢中になった学校に余計なものを持ってこないようにしましょうというてるのは先生だけいやあ遊んだね遊んだね鉛筆削りの意味がない鉛筆削りでデカいから最初は京都盆地出発してまた京都盆地に戻ってくるわけやからええように思うんですけど亀岡盆地に全部削られた土壌落としていかはりますもんで京都盆地は削られる一方なんですよねだから段々削り削られて最終的戻ってくるけども保津峡で残りカスが堰き止められる京都盆地に宅配される保
実家で節分祭。宿り木を探して歩けば、大嘗祭に辿り着いたお話し。実家で節分を迎えました。ハーフサイズの恵方巻を、さらにカットして食べる(笑)方角は、気にしない。翌日、宇治の茶問屋まで買い物。奈良街道をぶらぶら。脇道に目をやると、茶畑が路地の奥に広がっているのが見えました。これは行ってみないと!好奇心旺盛に進んで行くと・・・なんと、令和大嘗祭に献上された茶園だったのでした。こんなところに!!大嘗祭といえば、昨年7月刊行した『神道・天皇・大
かって京都に市街地の約半分が入るくらいの巨大な池巨椋池が京都の南宇治川木津川桂川が合流する遊水地地帯にあった大きさは周囲約16km面積約800ヘクタール池というよりかは湖ですね山城湖の名残だというひともいますが形成は縄文期前期で山城湖の名残ではないみたいです巨椋池は江戸時代初期に発刊された伽婢子に人面蒼という話があり出てきています巨椋池は万葉集で柿本人麻呂が巨椋の入江響るなり射目人の伏見が田居に雁渡るらしと読んだことでも知られる景勝地でありまた蓮の名所でありとして昭和初期まで蓮
京都盆地から出て京都盆地に戻り大阪湾に出る土は亀岡盆地で肥沃な土地となり京都盆地に戻ったときには残りカスとなるそして大阪湾に出るんですよねその繰り返しで循環しているのですよねつまり京都盆地であったときには残りカスのようだった土が亀岡盆地で落とされ肥沃な土地となるそして京都盆地で残りカスとなり大阪湾に出るんです水が運ぶ力は凄いです巨椋池が開拓されましたけど惜しいこと京都盆地も大阪もしたなと思いますね先々の金に目をくらんで開発したつけがでています亀岡盆地になにかあっても丹波国でカバ
深田萌絵というYouTuberがいるが、この人の解説は本当に稚拙だと思う。事実かどうかも分からない事を妄想を膨らませて事実認定することが多い。韓国の飛行機事故に関しても「一度、降りようとしたのに、また上昇したのはおかしい」とか様々なことを述べていたが、それに対しての根拠は何一つなかった。他の動画にも言えることだが、調べ尽くした上で発言をしているわけではない。一度、降りようとして断念したのは、鳥の群れがあったからとされる。これは別に配信後に分かったことではなく、事故、直後から言われていた
ターフィー&ハローキティハンドタオル新春プレゼントJRAwww.jra.go.jp8と12が調子良いらしい京都競馬場レープロ。淀の坂。ブラタモリで言ってた、巨椋池の堤のなごりです。ちなみに、京都競馬場の池は巨椋池の水系です山﨑は雪☃️霜21日は掛布、糸井が来る〜『令和6.12.6.阪神ジュベナイルFG1』京阪電車淀駅2歳牝馬のG1♀レープロ。12、13が調子が良いらしい京阪電車。トーマス京都競馬場-YouTubeYouTubeでお気に入りの動…ameblo
先日の3連休に「ブラタモリ」の新作が放送され、大津市と京都市の境界あたりで京都行き東海道から分かれて大阪へ向かっていた、もうひとつの東海道が紹介されていました。その宿場のひとつがあった淀の紹介の時に、昔の痕跡を探そうということで、京都競馬場内に。なんで?と思いましたら。なんと、京都競馬場3コーナーが小高くなっているのは、豊臣秀吉が築かせた堤防の跡なんですって!あのあたりは、昔、巨椋池というとても大きな池があった低湿地帯で、治水に苦労した場所であり、昭和に入ってから埋め立てられ、河川も整
東海道五十七次をとりあげたブラタモリ、3日間の放送を終えた。第一夜はここにも感想を掲載した。そして第二夜は淀宿。ここは昭和の初めに埋め立てられるまで巨椋池といわれる大きな池があり、京都盆地から流れ出た水が集まり大湿地帯であった。京都の地が都に選ばれた理由の一つに「四神擁護」の地、ということがある。北に山(玄武)、東に川(青龍)、南に湖沼(朱雀)、西に大道(白虎)という中国から伝わった都を護る思想に基づく地、ということに相当するとした。巨椋池は朱雀に該当するとして、近世に入っても
来ていただいて、ありがとうございます。今日の文字は8か月ぶりに復活した「ブラタモリ」今回は「もう一つの東海道」五十三番目の大津宿から枝分かれしている「東海道五十七次」をめぐる旅。お題は「行けばわかるさ徳川の思惑」第一夜は五十三次のゴール、「京都・三条大橋」から6㎞戻った五十三番目の宿場町「大津宿」五十四番目の「伏見宿」を観てきました。第二夜は五十五番目の宿場町から。着いたところは「京阪電車淀駅」の前。タモリさん「淀宿ですか?」
下記は私が書いた小説です。電子書籍では試し読みが可能です。空と海のキャンバスAmazon(アマゾン)楽天ブックスでも販売しています。【POD】空と海のキャンバス[秋月友希]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}動画も作成しました。浄土宗の特別公開は10月を通して全ての日で公開しているわけでもなく、その寺により公開日が決められている。しかも2時間程度しか公開していないところもあるので全てを巡るのは不可能。行けるところは行ってみたいと思います。という
菟道稚郎子皇子御墓への道標「東屋」(地図では「石像聖観音菩薩坐像」)の手前に「菟道稚郎子皇子御墓への道標」が有った。椎本の古蹟彼方神社旅のメモ計画を少し変更して京阪宇治駅観光案内所へ立ち寄り(休憩)、「宇治川太閤堤跡」へ。宇治川宇治川太閤堤跡文化遺産オンライン(nii.ac.jp)豊公(伏見城築城)時代の巨椋池沿岸工事図浮舟宮跡此処が「浮舟の古蹟」の旧地ということか・・応神天皇皇太子菟道稚郎子尊宇治墓菟道稚郎子尊兎道
1万エーカーといえば凡そ40㎢身近なところでいうと、巨椋池干拓地の2倍半小さな自治体ならすっぽり入って余りある広さです牧場にしても夥しい数の家畜を飼うことができます
No.0368(酬恩庵一休寺)今日のテーマは『漢字倶楽部』今日ご紹介する漢字は「未草」「ヒツジグサ」と読みます。この漢字「未(ひつじ)」が使われてます。よく見かけるのは十二支や昔の時刻表示ですよね(ᴖ·̫ᴖ)。実はこれは皆さんよくご存知のある植物の別名なんです!ちょっと想像してみてください。答えを先に申しますと、「睡蓮(すいれん)」のことを表しています。睡蓮って不思議ですよね〜🤔艶のある葉は薄手で優しく、花は清らかで慎ましい……。まさに「睡る」ように咲く花の
京都・伏見の三栖閘門から今の宇治川の流れを見下ろしたところで、改めて三栖閘門資料館で見聞したところを振り返っておくことに。三栖閘門自体は昭和初期の土木遺産ということですけれど、資料館の解説は伏見港を整備した豊臣秀吉からその歴史を紐解いておりましたですよ。伏見港を整備するための前提として、秀吉は長い堤を築いて宇治川と巨椋池の切り離し、宇治川に独自の川筋を作り出したことのようですな。解説では三栖閘門の治水機能とともに明治から昭和に至る淀川関係の河川改修などに触れる流れの中で、元々
京都府南部に広がる田園地帯。巨椋池という巨大な池の跡で、干拓によって田畑に変わった。そこは生きものの宝庫。ケリやタマシギが人の営みの近くで懸命に子育てを行う。京都府南部、京都市と宇治市、久御山町にまたがって田園地帯が広がる。実は80年ほど前まで巨椋池(おぐらいけ)という巨大な池があった場所で、干拓によって田畑に変わった。そこは生きものたちの宝庫。春、水が張られる前の田では、ケリが簡単な巣を作って卵を産む。初夏、田植えの季節、こんどは絶滅が心
京都盆地は砂地エリアと粘土質エリアと二つに分かれているといいます粘土質エリアに白子筍ができますがその粘土質は京都盆地の土壌の上に粘土質が被さっていて大阪の引っ張る力に動かされています京都盆地の面白いところは丁度真っ二つに巨椋池のあたりで砂地エリアと上で被さった粘土質エリア分かれているらしいんですよね大阪の引っ張る力で土壌に被さっている赤土が動いて京都産の白子筍ができるというわけなんですあんまり強い力で引っ張っらんとせいぜいおきばりやすほらよいしょよいしょ力いれたらびんたやで
京都の難読漢字によく出てくる一口(いもあらい京都府久御山町)村に行ってきましたイモアライのイモは疫病でアライは祓うの意です疫病祓いの神様を祭ったのが語源の1つですその神社が豊吉稲荷大明神神社までの道が狭く事前に調べたのに筋を間違え迷路状態なぜ疫病があったのかは近くの大池神社の石碑でわかりました村が巨椋池と隣接していて度々の水害による衛生上の悪化で疫病が蔓延村民たちの悲願により巨椋池は埋め立てられ干拓地になりました
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1242787京都盆地は巨椋池で北山城と南山城と別れていたそうです巨椋池を無くしてしまったから京都盆地はしっちゃかめっちか京都盆地が他の三盆地みたいに北山城盆地と南山城盆地と別れていたら巨椋池はその役割を果たしていたのですが残念ですね三川結合部の辺りが京都盆地は一番低いそうです京都盆地がこのまま地盤沈下を続けたらどうなるでしょうね木津川も宇治川も桂川も同じ淀川支流やから鴨川は桂川に食われとるし面白くなるん
平安京の四神にあたるもののうち、現存しない場所は何処か?平安京の四神にあたるのは、北の玄武は船岡山、南の朱雀は巨椋池、東の青龍は鴨川、西の白虎は山陰道と云われる。この内、現存しないのは巨椋池である。巨椋池は、現在の伏見区・宇治市・久世郡にまたがる大池で、面積は8平方キロあった。山城盆地の最低部に位置し、かつての湖沼の名残と考えられている。桂・木津・宇治川が流入する水上交通の要衝であったが、昭和8年~16年にかけて干拓されて姿を消した。
巨椋(おぐら)池があった場所は干拓されて今では田んぼになっていますがこの一帯には巨椋池で漁業を行っていた人たちが住んでいました。大池神社から川を挟んだ向かい側には当時漁業をまとめてした旧山田家住宅や昔のままの寺院が残っていたりします。旧山田家住宅は京都府の登録有形文化財になっています。開放日や時間が決まっているので私はまだ中に入ったことがないんですが昔の漁具や巨椋池での漁業の様子などが展示されているようです。
京都市南部にはかつて大きな巨椋池(おぐらいけ)がありました。京都は南の方が低いので大雨が降ると北から南へ流れていきます。しかも南部には淀川・木津川・桂川があり水上交通の要となっていましたがその分、洪水や氾濫が起こりました。昭和初期に干拓工事を行い氾濫がおこることがなくなりました。大池神社は巨椋池干拓の時に巨椋池に生息した生き物の鎮魂そして漁業をしていた人たちの繁栄を願ってこの地に大池神社が創建されました。中はすっきりとした神社
雲も残るが久しぶりの晴天日差しも暖かい一日待ち遠しい開花はもうすぐ今度の週末は最高気温も20度に達する見込みで満開近くになるかも背割堤の”さくらまつり”は開店休業状態だがようやく活気が出そう行ってみたいのは以前にも紹介した”前川堤の桜並木”難読地名「東一口」にある国道1号線を挟んで東側の巨椋池干拓田では桜と菜の花のコラボも見られるさらに東の近鉄京都線と京滋バイパスの交差するところでははなももも美しい京都観光も春の気配桜の
https://youtu.be/L0XqYCiRQlE?si=KL2-aQvcKNGJ-Bsp京都市の南部に巨大な湖があった?「巨椋池」とはなぜ生まれ、なぜ消えたのか。各地の遺構を巡りながら、その歴史を日本一わかりやすく徹底解説!【教養vlog】京都市の南部、伏見区の南側には、かつて巨大な湖がありました。昭和の時代までは存在した巨椋池の歴史を学び、文明と自然の共存について考えてみましょう。↓この動画を作成した感想&裏話の動画もぜひ見てください↓https://youtu.be/Ah160o0
下記は私が書いた小説です。今はまだ電子書籍のみの発売なので、できる限り早く紙でも出版しようと思います。空と海のキャンバスAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}前回の続きから。街道まで戻って、再度大阪方面に向かいます。この左隣にも火力発電所跡地がある。確か第三まで発電所が造られたはずです。向かう先は伏見港公園体育館。ちょうど船がやって来ました。こんな遠くまで来ていたのか。手前に見えている川幅が本来の大きさです。この先の川幅は狭められました。