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暑い時は早朝短時間ライド…自宅から5キロで100円自販機が有ったので購入…田舎の自動車屋さんですが人気ある店で軽トラから外車まで、、いつも溢れてます。で…郵便受け📮が。憩いのカエルさん到着、早すぎて誰も居ません、土曜なのに。阿下喜へ下りて巡見街道で南下し、朝明渓谷の入口。上は行く気もなく…戻ります。途中にひまわり畑を見つけました70キロ走りました、ちょっと暑いから、上りを避けてます。帰宅して妻と期日前投票へ。明日は仕事だしね。投票済ませ久しぶりに南宮大社へ参拝。日月と仕事で
タイトルは「伊勢西街道から見上げた烏帽子岳に登れ!」ですがサブタイトルをつけるとしたら~三国岳と烏帽子岳、歩いたことある線を繋げ~、なのです。鈴鹿山脈登る人なら、鈴鹿の主稜線歩いたことあるラインをずーっと繋げたいと思うのでは?ワタクシもちょっと離れている伊吹山や霊仙山はともかくとしても・・・。北は烏帽子岳から鈴鹿南部の仙ヶ岳あたりまでは主稜線歩いたことある道を繋げてみたいと思います。三国岳での早々に敗れ去った脚力的には・・・繋げるかな~?怪しいですが行ってみよう!あ、まだ最大の難敵
***前回の記事、その⑬より続きです***先日の伊勢西街道、完歩しましたが時間に追われて入ってみることができなかった区間、かみいしづ緑の村公園に沿った昭和初期の地図に載っていた旧道がどうしても気になります。三国岳登山、途中撤退で下山時間が早まり時間的余裕ができたので、帰路立ち寄ってみることにしました、落穂拾い編スタートです。緑の村公園の車を置いてしばし国道を歩きます、あ、旧道はここからだ。マムシグサが両手を上げてお出迎えです。緑にあふれる道です。山桜も。
***前回の記事、その⑫より続きです***旧立田小学校跡を通り過ぎ、桜を楽しみながら浮かれ歩きで伊勢西街道を北上します。このあたりは一般的には巡見街道と言ったほうが通りがいいかもしれません。でもこういった古民家もチラホラ見かけて、複雑な気持ちになります。そういえば路傍の石仏やお堂も少なくなってきてました。桜の写真ばかりで撮れ高増やしてるようですがやはり目がいってしまうと写しちゃいます。ここでも振り向けば羽田。善行寺、Googlemapによれば石碑があるよ
***前回の記事、その⑪より続きです***員弁川に架かる黄金大橋橋詰にいます。眼下に架かる旧道とおぼしき道の旧橋とおぼしき橋を見おろします。今日は時間がないのでやや距離が長くりそうな旧道はスルーして黄金大橋を渡りますが・・・。上から見ると欄干もガードレールになってるし特にどうということはなさそうな橋ですが、・・・その割には親柱は立派なのが立っているな~どうやら改造されたかな。うーん、見に行けばよかったかな。橋の名前は「三当橋」なのは調べられました、やっぱり黄金大橋
***前回の記事、その⑩より続きです***員弁川を橋で渡っても青空盛り花盛りです。羽田看板があります。こうしてキリスト看板と一緒にいることも多いような。が、その手前の公民館的建物に立派な石柱があります、なんだろ。「昭和八年十二月二十三日有□□□嗣宮御降誕之□□□□奉祝紀念□説□」表側には「皇統連綿」昭和八年の明仁上皇陛下の誕生記念の石碑でした。地元白瀬マップ、こういう地域マップはつい見てしまいますね。古い看板。旅人の目印になる街道脇
***前回の記事、その⑨より続きです***伊勢西街道(三重県からは濃州道、区間により巡見道とも呼ばれます)最終回の歩きです。始めに北から、関ヶ原~松ノ木バス停まで歩きました(その①~④)。その後は南から、桑名~西野尻駅まで歩きました(その⑤~⑨)。西野尻駅から北に歩いて途中にある時というバス停から出る関ヶ原に向かう一日3往復しかない帰りのバス(の2便目)に目的地松ノ木でこれを捕まえて乗らなければなりません。乗り遅れても約2時間待てば最終便で帰ることはできるのですが避けたい・・・
津島市内散歩の第二回です。再び天王川公園の駐車場から歩き始めます。カモメにエサやりしてる人が何人かいて、カモメ激しくテンションアップ中。濃尾地震の記録を伝える石碑がありました。解説板はありますが、記録を伝承するためには記録されている文面もわかったら良いな。公園中の松の木に絶賛お薬中です。薬打ちまくり。QRコードで調べてみた、松枯れになるマツノザイセンチュウという病害の防止の薬という事でした。この公園だけでも凄い本数が必要だなぁ。で前回の終了地点に向かう途
愛知県江南市を訪れた続きです江南市東野町に祀られている天宮神社を出発します先ほど歩いてきた道を、そのまま戻っていましょう巡見街道を、右に進んでいきます北東方向にまっすぐですこの道は、車の通行が多く歩道が狭いので、注意をしながら歩いていきましょう前方に、アピタが見えてきましたヴィアモールアピタ江南西店ですその先の交差点で道路の左側に移りました曼陀羅寺のほうへ、戻っていく感じです少しカーブしている、この先の茶色い建物ま
愛知県江南市を訪れた続きです愛知県江南市前飛保町寺町にある西山浄土宗の寺院曼陀羅寺を出発します正堂の左側の建物は、曼荼羅を入れる厨子を安置する曼陀羅堂です地蔵堂は、曼荼羅堂ができる前に、曼陀羅を納められていた建物で、現在は、木造菩薩地蔵立像を安置しています山門をくぐっていきましょう南東方向に歩いてもう一つ門をくぐると、車が行き来する道路が横切っています右に進んでいきましたこの道は、巡見街道です南西方向に歩いていきます
多比鹿神社(たびかじんじゃ)伊勢国朝明郡三重県三重郡菰野町大字田光2063(駐車は下部写真参照)■延喜式神名帳多比鹿神社の比定社■旧社格村社■祭神多比理岐志麻流美神(タヒリキシマルミノカミ)[配祀]祭神不詳宇賀御霊神国常立命誉田皇子[合祀]鳥鳴海神仁徳天皇市杵島姫命天照大神素盞鳴命大山祇神伊邪那岐命貴久比売「八風峠」を東方麓、「田光川」沿いに鎮座する社。「八風街道」(伎留太神社の記事参照)と「巡見街道」が交差する地、おそらく当社前でそのようになさ
6月28日一宮市博物館から一宮市尾西歴史民族資料館へ移動カーナビが示した道にいきなり冨田一里塚現る!確かに曲がりくねっててこれは、昔の街道なのか?と、思ったけれど…文化財ナビ愛知HPよりWikipedia冨田一里塚より冨田一里塚(とみだいちりづか)は、愛知県一宮市にある一里塚である
前回あとちょっとのとこでバスの時間が迫ったということで切り上げた目的地、高須の町。なので、改めて今日は車で訪ねて、高須街道歩きグランドフィナーレとします。まずは海津市歴史民俗資料館でお勉強です。建物はお城か代官所かをモデルに作られてるのでなかなか貫禄があります。この外にあった堀田ってなに?というのもお勉強後は何かわかりました。こんな機関車も。これも河川改修時に使われたもの。こういう施設は大体どこでも弥生時代の土器やら古墳やらから始まるのが定番で、ここもそういうのから
高須街道に突入して、すぐに橋がありました、その名は巡見橋。明治の地図にはあった先ほどの位置の巡見街道の橋は今はありませんが、普通はそれが巡見橋ですよね。昔なかったこの位置に新たに架橋したときに巡見橋の名を譲ったのでしょうか。さてこの後は基本的に堤防の道が高須街道で、計画時はいろんな地図で確認していたのですが・・・。なんだか急に怪しくなってきました。グーグルマップでも国土地理院の地形図でも道があることになってるのですが・・・。不安ですが進んでみます。まだいけるけど。あー
名古屋ではいまだ初雪が観測されていないそうです。蝋梅は満開でそろそろ梅も咲き始めてしまうのでは?でも寒いことには変わりなくて曇り空では山には足が向かず、また街道歩きです。今回は資料が少なく調査を重ねて重ねての高須街道。前回書いた通り尾張藩にとって高須藩までの重要な街道のはずですが・・・。高須4兄弟の波乱のストーリーは大河ドラマになってもいいくらいの話ですが、どうかな?スタートは名鉄勝幡駅。信長生誕の町としてPRの駅前。この模型にある勝幡城跡をまずは見に
清須宿です。では巡見街道と八神街道歩きのときに見逃したポイントをざざっと見に行きます。五条橋から美濃路で名古屋方面に向かってスタート。堤防上の大石、こんなとこに置いてあるところをみると、大事なものかも?もしかして清須城で使われていた石垣の石とか?水準点のマンホール?なんてあるのか。酒蔵さんです、清州桜醸造さんは東海地方の方にはおなじみのあのCMの。信長になってみたいのです♪直売店もあったようなのですが今日はザックしょってないのでスルーです。美濃路を再び歩く日には
もうすでに明けてから随分経ちますが、明けましておめでとうございます。初詣は岐阜県多治見市の虎渓山永保寺、国宝のあるお寺。ダルマおみくじ。ハイ、おみくじは大吉でした。さて、今年の街道歩きは次はどこかと探して・・・近くで・・・「高須街道」というのがありました。名古屋を発する津島街道から分岐して岐阜県海津市の高須の町とを結ぶ道です。江戸時代の高須松平家は尾張徳川家の分家筋で、本家の跡継ぎがいないときには養子を出している大変な家柄だそうです。幕末はさらに会津の松平容
ようやく最終回を迎えた巡見街道を歩くシリーズ。その①、犬山城下~木曽川沿その②、木曽川沿~曼陀羅寺その③、曼陀羅寺~苅安賀駅その④、苅安賀駅~渕高駅その⑤、渕高駅~津島その⑥、津島~日比野駅その⑦、日比野駅~佐屋宿その⑧、佐屋宿~尾張大橋長くなったなぁ、見所が少ないからかえってだらだらと写真が多くなってしまったような気も・・・。まさかのその⑨までになってしまいました。さあいよいよ木曽三川河口部を歩いて渡ります。これはなかなかできない体験です。まずは木曽川河口の国道一
佐屋宿を出ると、想像していたとおり平凡な景色が続きます。それでも旧佐屋町の人魚マンホールや・・・。点在するお寺などを覗きながら・・・。こちらのお寺の門は明治天皇が休憩した佐屋宿本陣の門を移築したものということです。お寺の柱の陰からこちらをうかがうにゃんこ。明子ねえさんか。静かなお寺はにゃんこのものですね。うーん。これは珍しい六角堂なお堂。こちらはベンチもありポケットパークのような観音様のお堂。裏道から県道に合流。合流する地点に石物
無駄に長かった巡見街道歩きもいよいよ終盤にさしかかってきました。今回で何とか終わりにしようと思いつつ、名鉄日比野駅からリスタート。左に折れてこの交差点から街道復帰。メルヘンサイダーって・・・?岐阜県の昔のローカル飲料のようです。今日も養老山系がきれい。あの山の先端のもっと先の桑名市まで歩きます。今日もこんな裏道をコツコツ拾いながら・・・。佐屋海道址の記念石碑。ああここは昔、ブログを始める前に佐屋街道を歩いたときに見た場所でした。ここからこの先佐屋宿までは巡
足元のマンホールを見れば、信長や秀吉も見たという津島を象徴する天王祭の絵です(でもまだ見たことない)。戦国時代にはもう豊かな町だったという津島市中心部に入ってきました。元々は川湊として始まった町だからか海に面していたからか、こんぴらさん。こうして街道って書いてあるとなんだかうれしい、加藤塗元さんありがとう。ヨシヅヤさんの横に小さなお堂。味のあるお姿のお地蔵さまだー。どんどんいい感じの街並みになってきました、街道だねー。このお宅の横が更地になっ
随分寒くなりました、朝早くお山を見ると・・・。伊吹。御嶽。伊吹、御嶽に負けてない白さじゃないか~。中央アルプス。あ、藤原岳も。秋短すぎだろー。さて、雪山はしないので?巡見街道シリーズ、今回は名鉄の渕高駅から続けます。前回は見所が少なくてちょっとまあ、ストレスの多い区間でしたが・・・。今回は、目指せ津島編です。電車の車窓からイチョウ、もうそろそろ紅葉終盤。渕高駅からリスタート。駅から巡見街道に戻り途中、随分立派なお屋敷、なんだかいろんな時代
巡見街道シリーズ今回は名鉄苅安賀駅からスタートです。繊維の街一宮らしいですね。木村蓬莱先生とは?帰ってから調べると、江戸時代の儒学者で荻生徂徠の門下ということです、ふーん。地味に裏に残る旧街道を拾いながらと一本裏に入ると・・・。街道感ある景色があって幸先よくスタート。このお堂は道路側に向いてません、なんで?摩耗は激しくわかりずらいけど、頭がつるんではないのでお地蔵さまではありませんね。どなた様かなぁ。なんだかレトロ感のある現地名の板。お
巡見街道歩き再開です。前回中断地点は江南市の曼陀羅寺でした。江南駅までだいぶ歩いたので江南駅からバスで行こうと思って調べたら・・・。一宮駅からも江南団地行のバスで行けるのがわかったので、一宮駅バス乗り場から40分ほどのバス旅です。いいバスを見つけたと思いましたが、欠点は今日これから歩く道を走ってしまったのが・・・。今日の巡見街道がどんな雰囲気かなんとなくわかってしまった・・・。でもまあ、たまにはバスも面白くて、ガラガラのバスは曼陀羅寺到着です。やはり有名な藤の季節に来る
ヒヤヒヤで山名の渡しの常夜灯を見たあとは・・・。車がビュンビュン走る堤防道路から木曽川沿いの遊歩道にエスケープです。そこはなんだか自作の看板がたくさんで賑やかしい遊歩道でした。恵那山とか、遠くの有名お山の紹介あり。ひっくい地元のお山の紹介あり。ふーん、遊歩道の愛称は扶桑花いちもんめというらしい。さらには定番な植物の説明から、謎の格言名言まで手作り感満点な解説いろいろてんこ盛りで笑。木曽川井戸端会議場。日の出から日没までらしいですが誰も今日はいませんでした。
休みは雨ばっかりです、お山にはちょっと。なので歩いて来よう。オープニング写真は守口大根の里タワーで。葉っぱもついてます。名古屋から放射線状に延びるいろんな愛知県の街道。岐阜街道も美濃路も津島街道も上街道も岩倉街道も八神街道も佐屋街道も。愛知県の街道を歩いてるといつも交差する謎の街道、巡見街道。そのコースはこんな感じ、そりゃあ交差するわ~。なぜこんなコースかということで、まず初めに巡見街道なるもんのご説明を簡単に。江戸時代、幕府(例えると東京本社役員)が諸国の実情を見
この本に巡見街道なるものが記載されており幕府の巡見使が通行した道のようである。この近辺でいうと萩原、江南の前飛保、犬山へと続く。今日はここを歩いてみるか。まずは藤で有名な江南曼陀羅寺まで歩き、一宮まで巡見街道を下るルートを選択。しかしながら情報が少なく、ルートがわかりにくいわ。曼陀羅寺の藤棚。2カ月前は綺麗だったはず。巡見街道の唯一の石標。個人が設置してる。テラスウオーク到着。今日はフードコートで冷し中華。さすがに7月となるともう酷暑。そろそろ50過ぎには辛くなってきた。ここらで夏休みに
椿一宮神社(椿大神社境外摂社)伊勢国鈴鹿郡三重県鈴鹿市椿一宮町(詳細住所不明)(P無し、短時間なら停めておいても良さそうなスペース有、下部写真参照)■祭神猿田彦大神椿大神社の境外摂社。創建由緒等に関する資料は見当たらず不明の社。椿大神社の公式HPにも掲載されていません。社名から何か由緒がありそうな気もしますが。巡見街道(じゅんけんかいどう)沿いにあり、道祖神のような扱いで建てられたのかもしれません。巡見街道は江戸時代に設けられた諸国の民情政情視察のための街道、三重県北部から愛知