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Tetsu龍でございます。黒井城は、久々の山城だったので、太腿パンパン筋肉痛やΩ\ζ°)チーンそれはさておき、山城の後は帰り道、この日はもう一か所行きたい処がありました。鶉野(うずらの)飛行場跡姫路海軍航空隊基地と川西航空機姫路製作所のあった場所。局地戦闘機紫電改の組立工場のあった処です。いまは「SORAかさい」と云う資料館があります。ここに展示されているのが、実物大の木製復元機97式艦上攻撃機と紫電改ロシアのウクライナ進攻のニュースを見ると戦争は何があっ
低い爆音にカメラを抱えてベランダへ。我が家頭上にP3-Cか~、と思って見上げると!!一目見て!US-2である!!生憎のトップライトであるが、機体番号もハッキリ。9901号機である。この機体は試作1号機でありshakedownを経て正式にUS-2となった機体。試作1号機時代の9901号機かのニュースキャスター(?)辛坊治郎氏がヨットでの最初の太平洋横断途中でクジラとの衝突によりヨットが沈没、遭難した際救助した機体がこのUS-2である。(9903号機か??
暇なので近場の中古屋さん訪問・・・。オーディオ関係はONKYOのD-112Eが置いてあったけれど税込み5千円プラスとエゲツナイ値段が付いてたのでパス。半値なら買ってみても良かったな~と。はい。玩具売り場のミニカー・・・・高いね。ふと見るとセロファン袋に放り込んだ飛行機模型・・・・あらら。ゼロ戦・・・プロペラ折れとプロペラ無しの2機。飛燕は迷彩柄の塗装が気に食わないね。紫電改は翼の機銃は一本名無し・・ペラ折れ無し・・・・と。但し、飾り台座は雷電だけれど見なかった事に(>_<)オ
[第2河和海軍航空隊]河和飛行場スリップ跡、強風愛知県知多郡美浜町河和河和海軍航空隊は第1と第2があるが、教育系統が異なるためか両航空隊の間に交流はほとんどなかったようだ。軍港のあたりが第1航空隊と第2航空隊の境で、飛行機誘導用陸橋があった(橋を支える石垣の一部が現存)。漁港は戦時中、石炭などの陸揚港として使われた。出典:国土地理院1949/08/05(昭24)USAR29859第2河和海軍航空隊水上機基地(河和飛行場)で搭乗訓練昭和18年(1943年)1
以前訪問した由布院・岩下コレクションの展示車の続きです。1955年式新明和工業ポインターエースPA5戦前は飛行艇や水上飛行機、戦闘機「紫電改」を開発した川西航空機は戦後、新明和工業と名を改めましたが、戦後の我が国では航空機の開発が禁止されたこともあり、オートバイの開発を行い、ポインター号を市場に送り込みました。1954年に登場したポインターエースPA5は、前作PA4型をベースにスイングアーム式リヤサスをブラジャーサスに戻したモデルだそうです。エンジンは250cc空冷
昨日は、久しぶりで一人のお出かけでした。少々遠出です。向かったのは兵庫県加西市の鶉野(うずらの)という所です。鶉野というとご存知の方もいらっしゃると思いますが、海軍航空隊の基地があったところです。Wikipediaによると、「第二次世界大戦中、川西航空機姫路製作所組立工場の専用飛行場として建設されたが、姫路海軍航空隊や筑波海軍航空隊分遣隊が駐留し訓練基地および特別攻撃隊の出撃拠点となった。」との事です。大阪の自宅から阪神高速と中国自動車道を乗り継ぎ約2時間。まず訪れたのは「
今日は2月12日なので、二式大艇一二型で貼り逃げ・・・(笑)二式大艇は「飛行艇王国」と称された川西航空機の菊原静男技師の指揮で設計されました。菊原技師は二式大艇の前にやはり4発機の九七式飛行艇を完成させ、戦後はPS-1飛行艇の開発にも携わった我国の飛行艇設計の第一人者です。また、大戦末期に米軍機と死闘を演じた海軍局地戦闘機・紫電改の設計者としても有名です。艇体の底面にスジの様に切り立って見えているのは波消し装置(かつおぶし)です。派生型の輸送飛行艇「晴空」も含めて167機生産され
空爆の碑兵庫県姫路市城東町73かつて当地には日本の航空機メーカー川西航空機の姫路製作所が存在した。現在の新明和工業(兵庫県宝塚市)の前身にあたる。1942年、姫路製作所の操業を開始。1945年、米国B―29爆撃機9機の空爆により焼失。川西航空機をはじめ、周辺住民など多大な被害を受けた。また、焼夷弾による姫路大空襲により被害を受け市内が焦土と化した。
弟から誕生日プレゼントで全国鉄道地図帳と国鉄色ハンドブックが届いたことは書きましたが、当日の夕方、更に追加便が。「US-2~救難飛行艇開発物語~」二式大艇→PS-1→US-2→US-2と続く川西/新明和の飛行艇開発の系譜が楽しみです。
本日ネットを見ていたら・・・・!!海自PS1唯一の一般公開機体、老朽化で撤去へ山口・周防大島|毎日新聞(mainichi.jp)かつて、九七式飛行艇・二式飛行艇と4発飛行艇を立て続けに開発し、飛行艇王国の名を欲しいままにした川西航空機。戦後は新明和と名を改めて新たな飛行艇を開発します。二式飛行艇(大艇)を開発した菊原静男技師が中心になり、完成したのがPS1飛行艇です。海上自衛隊で主に対潜哨戒に用いられましたが、現在は全機退役し、3年前に天草パールセンターの展示
さて、いよいよブルートレインたらぎを出発です。どうしても朝風呂に入りたかったので、人吉城近くの人吉温泉元湯へ。温度もちょうど良く、嬉野温泉のようなトロミのある泉質で、肌がツルツルになりました。建物も、レトロな雰囲気でとても好いです。これまた好い雰囲気の体重計。現役です。今回の旅の主要目的地、錦町立人吉海軍航空機隊資料館にやって来ました。かつて、この資料館の建物と、平行向きに熊本県初のコンクリート敷きの幅50メートル、全長1500メートルの滑走路がありました。人吉海軍航空隊は、終戦
昨日のブログ「紫電改を見に行こう」を書いた後、「紫電改」で検査していると、製作したのは川西航空機(現新明和工業)でそれらの記事の中に川西航空機鳴尾製作所と書かれた記事がありました。私は結婚するまでは西宮市の甲子園の近くに住んでいましたので、鳴尾は地元です。しかし私が居た頃には川西航空機鳴尾製作所は無く、その存在すら知りませんでした。そこで気になったので川西航空機鳴尾製作所を検索しました。検索で見た写真を見てびっくり!!!①滑走路②滑走路延伸予定③管制塔(現存)④航
ミクロミルから1/350川西KX-03飛行艇が発売されました。とある家電量販店の通販でゲット!早速、到着しました。この機体は、海軍の要望を受けて川西航空機が研究した超大型飛行艇のようで、実現はしていません。KX-03の全幅は180m、全長は160mと言うことなので、太平洋戦争中の軽巡並みの大きさです。キットは完成時全長約46cm全幅約51cmとなるようです。パーツはですので、やはりでかい。
2020年8月16日は鶉野飛行場(姫路海軍航空隊・川西航空機鶉野工場跡)に行ってきました(*´꒳`*)(その1はコチラから)紫電改が外に出されるのも、無蓋掩体壕に練習機が置かれるのも、決まった日だけだったみたいで、私はラッキーでした。あと、鶉野飛行場資料館と巨大防空壕は毎月第1・第3日曜日のみの公開です(巨大防空壕は事前予約制)。お目当てがある人は、事前リサーチが必須です。鶉野平和祈念の碑広島被爆アオギリ3世、広島でも見ました★鶉野飛行場滑走路跡1200mのコンクリート滑走路跡
2020年8月16日は鶉野飛行場(姫路海軍航空隊・川西航空機鶉野工場跡)に行ってきました(*´꒳`*)(その2はコチラから)昭和18年、鶉野台地にパイロット養成のための姫路海軍航空隊が開設されました。19年には川西航空機鶉野工場が併設され、局地戦闘機「紫電」466機、「紫電改」44機が生産されました。そして、20年に神風特別攻撃隊「白鷺隊」(第1〜第3護皇白鷺隊、白鷺赤忠隊、白鷺揚武隊)が編成され、鹿児島の串良基地から沖縄戦のために5回にわたって出撃、63名が戦死したのだそうです。ま
兵庫県加西市にある姫路海軍航空隊・鶉野(うずらの)飛行場跡鶉野飛行場は昭和17年艦攻などの訓練基地として開隊されました。隊門の柱跡防空壕小型の防空壕、結構きれいです。ここは今でも防空壕など戦争遺構がたくさん残っています。これが最大の防空壕だそうです。これだけたくさん当時の遺構が残っている所は珍しい。そしてここの目玉が「紫電改」格納庫風の建物の中にある。紫電改は日曜日しか公開していないのでガラス越しに反射しないように撮影。実物
まだビデオがなかった時代に「ミッドウェー海戦」「パールハーバー」など、アメリカが第二次世界大戦中に撮影した記録映画を8ミリでよく見ていた父だが、自分の体験を語ることはなかった。そんな父がたった一度だけ自分の話を私にしてくれた時があった。(母は一度も父の戦時中の話を聞いたことがないと言っていた)今日はその話を書こうと思う。川西航空機が作っていた紫電改父は幼いころから体が弱く戦地へ行くことはなかったのだが、宝塚市の阪神競馬場にあった「川西航空機宝塚
飛行艇つながりという事で、毎度の軍歌や古い歌謡曲、マーチソングの類とうって変わって最新JPOPを完成BGMに選んでみましたw。たまにはこういうのも良いんじゃないですかねぇ…。無駄なぜい肉を極限まで削ぎ落した…訳ではないのでしょうがいかにも日本機らしい流麗なフォルムが特徴的ですよね~。それにしても難易度の高いキットに終始苦労させられましたが、終わってしまえばそんな苦労も吹っ飛んじゃいますね~。失敗&反省を挙げればキリがありませんが、ともかくカタチになったのは良かったと思いま
うぅう…暑い…暑すぎる…w。(*´Д`)プラモ机に向かう事もままならぬ感じなお盆休みでありますが、コツコツチビチビと九七大艇の製作を進めておりますw。フロート支柱線は0.4㎜真鍮線にて対応。伸ばしランナーの先端を斜めに切って余計な開孔穴を塞ぐの一枚であります。塗装色をどうしたものかとあれこれ思案を巡らせたのですが、明灰白色と濃緑色のツートンとする事にしました。二色の境界はもう適当にw。大体この辺やろ~ってな感じで済ませる事にします。主翼と胴体にかかる桁と支柱に真鍮線を追加。仮組で支柱の接
あ、あ、あ~~~!!随分前、エアフィックスのHPをチェックしてその発売を心待ちにしていたのですが、知らぬまに既に日本上陸してたなんて…。知らぬ仏のお富さん~~♪だったんですよw。これは迷わず買い!週末はGoToプラモ屋さんですね~。加藤隼戦闘隊の追撃を受けるスリル満点な箱絵のブリストルブレニムといい、今回のB25ミッチェルといい、最近のエアフィックスはホントドストライクなキットが目白押し。ただねぇ…値段チェックで覗いてみたヨドバシコムでは、販売価格が驚きの税込み\4,220!ヨンパチか
ただでさえコロナ禍で大変だというのに、今年の梅雨は全国にその爪痕を残し、んでもってやっと待ちに待った梅雨明けとなったと思ったら…。暑い、暑い、暑すぎる~~~!!!猛暑到来、覚悟はしていたものの、早くも秋が待ち遠しい今日この頃でありますw。こう暑いとクーラーもなく、西日がもろに当たるプラモ部屋はまさにサウナ状態。底辺を這うようなモチベもあいまって遅々として製作が進みません。そんな中ではありますが、ボチボチとデカール貼りなんぞは進めております。リベット再現でゴツゴツとした表面に上手くデカール
昨日ほどの青空ではないですが、紫電改の公開日、朝から行ってきました。少し遅くてもう外に出て出てきてました。昔の乗組員に見立てた格好でコックピットに乗られてました
紫電改で実戦「日本一の戦闘機。ただ悲しみがこびりついておる」94歳男性、実物大模型と対面紫電改で実戦「日本一の戦闘機。ただ悲しみがこびりついておる」94歳男性、実物大模型と対面(神戸新聞NEXT)-Yahoo!ニュース「立派な戦闘機。日本一の戦闘機。ただ、悲しみがこびりついておる」。太平洋戦争中、日本海軍の航空兵だった笠井智一さん(94)=兵庫県伊丹市=の声が上ずった。15日、同県加西市の鶉野(うずらの)飛行場news.yahoo.co.jp帝国海軍最年少のエースパイロットで、御年
毎年毎年、7月に入って梅雨明け直前って災害級の大雨が降る感じなんだけど、「今年の大雨はひどい!ひどすぎる!!」熊本県人吉市を始め、広範囲で報道されている大雨の被害。んでもって、週間天気予報でズラリと並んだ傘マークの数々。我が家の近くを流れる河川も水位がかなり上昇しておりまして、戦々恐々としている所であります。ピンボケご容赦!合わせ目処理に一応の区切りをつけ(気になるところもあるっちゃああるんだけど、これ、ある程度の所で妥協せんとホント完成しないんですよねw)、明灰白色と濃緑色を重ね塗り中。
胴体と主翼の合わせ目処理が難航する中、パテの乾燥待ちといった合間を縫って小物製作です。二式大艇で余ったフィギュアなんかもこんな感じでコクピットに追加予定。飛行服は定番色のカーキをあえて外してフラットアースで。拘りとかそんなのじゃなく、戦車作りが少なくなってめっきり出番が減ってしまい、その使い道に困ってる色をちょっとでも消費したかっただけというw。んでもまぁ、こうしてみると当たらずとも遠からずかな?ま、完成したらあまり見えないところなんでこんな感じでも良しとしましょう。翼下のフロートを組立てて
https://news.yahoo.co.jp/articles/136eba48c2b2814bb3f3646eb87ede302fc5a547↑↑自衛隊の装備品が競り売りされるってニュースが出てるんですが、くじ運がめっぽうない筆者なんかはどうせ応募しても落選しちゃうんだろうなぁ…。(´・ω・`)ショボーンあるいは万一当選しても競り負け続けて何も収穫なく終わっちゃうってのもありがちw。喉から手が出るほど欲しい品がいっぱいありますが、今回は見送りですね~。とにもかくにも、転売ヤーとか
インストの組み立て手順をガン無視して、大きいパーツから取り掛かっております。主翼とか胴体とかを先にやっつけちゃって、なるだけ早くランナーに残っているのが小物パーツだけにしたくなる衝動ってありません?「何で?」と聞かれても自分でも分からないのですが、何となくそう思っちゃうんですよね~。んでもってこれは想定の範囲内でしたが、三部構成の主翼にがっつり隙間ができちゃいました。ここは伸ばしランナーで埋めようかな…。ギミックを凝らしたフラップは、見た目重視で完全接着しています。昭和のプラモ小僧たちはこ
夏を先取り!水上機を作るぞぉぉ!!ってな訳で雷撃機製作マラソンは一旦中断。お次のお題はコレで~~っす!ハセガワさんの中でも指折りのロングランキット、九七式大艇で~~っす♪水上機開発において一歩も二歩も世界をリードしていた当時の日本において、その礎となった一機と言っても過言ではないでしょう。今日においても新明和工業さんの名飛行艇、US2へとそのDNAは脈々と受け継がれている訳でして、これって何気に凄いことですよね?これからもずっと世間をあっと言わせるような、そんな飛行艇を開発していって欲しい