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『ゴジラ-0.0』ゴジラが自由の女神に迫る…衝撃のティザー映像初公開|シネマトゥデイ山崎貴が監督・脚本・VFXを務める東宝ゴジラシリーズ最新作『ゴジラ-0.0』(ゴジラマイナスゼロ)から、本編カットを初めて使用したファーストティザー映像が公開された。www.cinematoday.jp※ゴジラ-0.0ファーストティザー映像が解禁されたね👍今度は旧海軍の二式大艇も登場するようやね🤔ニューヨークにも現れるんかな?😳これも是非映画館で観たい😃👍※二式大艇の実物を初めて見たのは43年前
日本海軍が大東亜戦争中に川西航空機(現新明和工業)に製作させたのが「紫電改」です。ゼロ戦(零式艦上戦闘機)の後継機開発が難航し実用化が遅れていたため、つなぎとして開発されたのが「紫電」でした。その「紫電」の改良型が通称「紫電改」と呼ばれたのです。ゼロ戦後継機が終戦までに間に合わず、戦争後期の日本海軍主力戦闘機となりました。戦時中に日本が製造した最優良戦闘機の一つと言われています。2000馬力級の強力エンジンと20mm機関砲4丁の強力武装、自動空戦フラップと呼ばれる新機構も搭載し抜群の運動性能を誇
原達三人は小川橋まで来た。「宮さん。君との付き合いは何年になるのかなぁ」「かれこれ十年程ですか」宮内は答えた。宮内泰三は原が国会議員になってからずっと、彼を支えてきていた。原の事は原以上に理解していた。「そうか、そんなになるのか」原は呟いた。そして続けた。「何でこうなったのか、教えてくれ」原の眼前に広がる河川敷には、これまで見てきた場面と変わらぬ凄惨さが拡がっていた。原の足は土手を降りようとしたが宮内はその足を押し留めた。そして言った。「気持ちは分かりますが、あなたには先にやる
《書き直すかだけど》**************************************************原市長は川西社長に聞いた。「今日はこちらに留まられるのですか?」「ええ、数日はいます。私の決済を必要とすることもあるでしょうから、事態の目途がつくまでは居るつもりではいます。いや、こういう時は上に立つ者は背中を見せちゃいかんですよ。こういう時だからこそ敢えて踏み留まる姿勢を見せないと社員は不安になるでしょう。虚勢を張ってでも平気な顔をして見せますね、私は。」そして、傍
来た道を戻ると川西航空機姫路製作所へと足を向けた。近付くにつれて被災の状況に圧倒される。建物は跡形も無く、ただ焼けただれた黒い鉄骨だけが不気味な風景をつくっていた。門の近くでは牛が荷車に繋がれたまま丸焼けになっていた。地面には大きな穴が幾つも空いている。避難場所から戻った従業員達は、まだ、ご遺体の確認、収容作業を続けている。形を留めているご遺体はまだいい。と言っても黒焦げになっている遺体も多いが、中には木っ端みじんに吹き飛ばされ、辛うじて名札や持ち物から推測するしかない犠牲者も少なくなかった。
市では早急な被害状況の把握と対処の検討をしなければならない。三人ずつの三部隊で担当地域を割り振り調査に出向いた。市役所内では対策室が整えられるにつれて情報が入り始めた。それに伴って各方面への連絡調整、受け入れ態勢の構築、その他諸々の事態に臨機応変な対処が求められる。市長の判断を要する事案も増えてくる。役所に釘付けの市長の頭の中には罹災した現場が展開されている。被災民の収容先の確保。ご遺体の安置場所の確保。炊き出しの手配。この件に関しては、川西航空機の給食センターが工場とは別に日ノ出町(市川
近付く轟音とともに市長室の窓ガラスが振動した。原はバルコニーに出ると南方の空に目を向けた。広畑上空を高度を下げながらこちらに向かってくる機影が徐々に大きく圧し掛かってくる。と思う間もなく投下口が開き背筋を逆撫でするような摩擦音と共に黒点が拡散し京口駅方面に突き進んだ。轟音と地響きが公会堂を揺らす。原市長は思わずその場で腰を崩しそうになった。悪夢が襲い掛かった。「市長、何してるんですか。早く地階へ。」誰かが姿を見せない市長を探しに来ていた。川西航空機姫路では「全員工場外へ退避、緊急退避せよ
一九四五年六月二十二日、西太平洋を北上する爆撃機集団があった。第二十一爆撃集団だ。この日の目標は六か所。呉海軍工廠、三菱航空機玉島製作所、川西航空機姫路製作所、三菱航空機各務ヶ原(かがみはら)工場、川崎航空機各務ヶ原工場、川崎航空機明石工場だ。姫路を狙ったB-29五十八機は未明にテニアンを離陸した。行程中間地点にある硫黄島からは本来つく筈の護衛機はついてはいない。もう四~五日もすれば満月という洋上は月明かりが海面を照らし、朝の近い海原を感じさせた。そして、昇る朝日が本州に向かう総数三百七十
原市長は市長になってから数ヶ月後、北条口の旧市庁舎の近くに居を移している。遠くなったとはいえ今の公会堂の市役所への通勤も徒歩で十分とかからない。我が家の庭のようなものだ。六月も半ばを過ぎると夜明けも早く、やがて夏至となり昼間が一番長くなる。そして、姫路では「ゆかた祭り」の日がやってくる。六月二十一日、祭りの準備にざわめく街中を抜けて川西航空機の川西竜三社長は姫路市長を訪問した。型通りの挨拶の後、社長は続けた。「お祭りですか」「ええ、明日は『ゆかた祭り』です。このご時世ですが出来るだけ日
たまたま見かけたニュースの動画です。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.beちょっと悲しいニュースですが、紫電改の模型を作りたくなりました。タミヤからはこれ紫電なんですね。改ではないらしい。ハセガワからはこんなのが。ちょっと惹かれる。こんな漫画があったんや。これももう売ってないやろな。
商品紹介川西九四式一号水上偵察機/呉式二号射出機五型この頃忙しくてあまり模型も進まないのでプラモの紹介などをやってみる。この模型カツドンが高校の時に発売になったのではないかと思っている。発売当時すげーカタパルトが付いている。火薬筒だってよ。などと思っていた。すごい記憶が残っている。先日浜北のハードオフでこれを見つけた。1100円定価は当時1200円購入した。中身は金型がだいぶ傷んではいるが行けそうである。ハセガワのサイトで調べると限定品で出雲搭載機で発
先日の球磨・人吉の旅日記の続きです。旅の2日目、錦町立人吉海軍航空機隊資料館にやって来ました。かつて、この資料館の建物と、平行向きに熊本県初のコンクリート敷きの幅50メートル、全長1500メートルの滑走路がありました。人吉海軍航空隊は、終戦の前年、1944年に人吉市の隣の錦町に開隊した練習航空隊で、最盛期には兵員6000名を擁し、終戦時にも尚、80機以上の練習機を保有していた大部隊でした。まずは、隧道地区と呼ばれる、飛行場を見下ろす丘の地盤をくり貫いた兵舎、作戦室、無線室、魚雷調整場が
[太平洋戦争博物館/米テキサス]強風11型NationalMuseumofthePacificWar.Fredericksburg,TX.340EastAustinStreetFredericksburg,TexasUnitedStates*2025.7.28修正川西航空機が開発した日本海軍の水上戦闘機「強風11型」。略符号はN1K1、連合国側のコードネームはRex初飛行:昭和17年5月4日運用開始:昭和18年12月配備:日本国内→佐世保航空隊・大
Tetsu龍でございます。黒井城は、久々の山城だったので、太腿パンパン筋肉痛やΩ\ζ°)チーンそれはさておき、山城の後は帰り道、この日はもう一か所行きたい処がありました。鶉野(うずらの)飛行場跡姫路海軍航空隊基地と川西航空機姫路製作所のあった場所。局地戦闘機紫電改の組立工場のあった処です。いまは「SORAかさい」と云う資料館があります。ここに展示されているのが、実物大の木製復元機97式艦上攻撃機と紫電改ロシアのウクライナ進攻のニュースを見ると戦争は何があっ
低い爆音にカメラを抱えてベランダへ。我が家頭上にP3-Cか~、と思って見上げると!!一目見て!US-2である!!生憎のトップライトであるが、機体番号もハッキリ。9901号機である。この機体は試作1号機でありshakedownを経て正式にUS-2となった機体。試作1号機時代の9901号機かのニュースキャスター(?)辛坊治郎氏がヨットでの最初の太平洋横断途中でクジラとの衝突によりヨットが沈没、遭難した際救助した機体がこのUS-2である。(9903号機か??
暇なので近場の中古屋さん訪問・・・。オーディオ関係はONKYOのD-112Eが置いてあったけれど税込み5千円プラスとエゲツナイ値段が付いてたのでパス。半値なら買ってみても良かったな~と。はい。玩具売り場のミニカー・・・・高いね。ふと見るとセロファン袋に放り込んだ飛行機模型・・・・あらら。ゼロ戦・・・プロペラ折れとプロペラ無しの2機。飛燕は迷彩柄の塗装が気に食わないね。紫電改は翼の機銃は一本名無し・・ペラ折れ無し・・・・と。但し、飾り台座は雷電だけれど見なかった事に(>_<)オ
[第2河和海軍航空隊]河和飛行場スリップ跡、強風愛知県知多郡美浜町河和*2025.6.9訂正河和海軍航空隊は第1と第2があるが、教育系統が異なるためか両航空隊の間に交流はほとんどなかったようだ。軍港のあたりが第1航空隊と第2航空隊の境で、飛行機誘導用陸橋があった(橋を支える石垣の一部が現存)。漁港は戦時中、石炭などの陸揚港として使われた。出典:国土地理院1949/08/05(昭24)USAR29859第2河和海軍航空隊水上機基地(河和飛行場)で搭乗訓練昭和1
以前訪問した由布院・岩下コレクションの展示車の続きです。1955年式新明和工業ポインターエースPA5戦前は飛行艇や水上飛行機、戦闘機「紫電改」を開発した川西航空機は戦後、新明和工業と名を改めましたが、戦後の我が国では航空機の開発が禁止されたこともあり、オートバイの開発を行い、ポインター号を市場に送り込みました。1954年に登場したポインターエースPA5は、前作PA4型をベースにスイングアーム式リヤサスをブラジャーサスに戻したモデルだそうです。エンジンは250cc空冷
昨日は、久しぶりで一人のお出かけでした。少々遠出です。向かったのは兵庫県加西市の鶉野(うずらの)という所です。鶉野というとご存知の方もいらっしゃると思いますが、海軍航空隊の基地があったところです。Wikipediaによると、「第二次世界大戦中、川西航空機姫路製作所組立工場の専用飛行場として建設されたが、姫路海軍航空隊や筑波海軍航空隊分遣隊が駐留し訓練基地および特別攻撃隊の出撃拠点となった。」との事です。大阪の自宅から阪神高速と中国自動車道を乗り継ぎ約2時間。まず訪れたのは「
今日は2月12日なので、二式大艇一二型で貼り逃げ・・・(笑)二式大艇は「飛行艇王国」と称された川西航空機の菊原静男技師の指揮で設計されました。菊原技師は二式大艇の前にやはり4発機の九七式飛行艇を完成させ、戦後はPS-1飛行艇の開発にも携わった我国の飛行艇設計の第一人者です。また、大戦末期に米軍機と死闘を演じた海軍局地戦闘機・紫電改の設計者としても有名です。艇体の底面にスジの様に切り立って見えているのは波消し装置(かつおぶし)です。派生型の輸送飛行艇「晴空」も含めて167機生産され
空爆の碑兵庫県姫路市城東町73かつて当地には日本の航空機メーカー川西航空機の姫路製作所が存在した。現在の新明和工業(兵庫県宝塚市)の前身にあたる。1942年、姫路製作所の操業を開始。1945年、米国B―29爆撃機9機の空爆により焼失。川西航空機をはじめ、周辺住民など多大な被害を受けた。また、焼夷弾による姫路大空襲により被害を受け市内が焦土と化した。
弟から誕生日プレゼントで全国鉄道地図帳と国鉄色ハンドブックが届いたことは書きましたが、当日の夕方、更に追加便が。「US-2~救難飛行艇開発物語~」二式大艇→PS-1→US-2→US-2と続く川西/新明和の飛行艇開発の系譜が楽しみです。
本日ネットを見ていたら・・・・!!海自PS1唯一の一般公開機体、老朽化で撤去へ山口・周防大島|毎日新聞(mainichi.jp)かつて、九七式飛行艇・二式飛行艇と4発飛行艇を立て続けに開発し、飛行艇王国の名を欲しいままにした川西航空機。戦後は新明和と名を改めて新たな飛行艇を開発します。二式飛行艇(大艇)を開発した菊原静男技師が中心になり、完成したのがPS1飛行艇です。海上自衛隊で主に対潜哨戒に用いられましたが、現在は全機退役し、3年前に天草パールセンターの展示
さて、いよいよブルートレインたらぎを出発です。どうしても朝風呂に入りたかったので、人吉城近くの人吉温泉元湯へ。温度もちょうど良く、嬉野温泉のようなトロミのある泉質で、肌がツルツルになりました。建物も、レトロな雰囲気でとても好いです。これまた好い雰囲気の体重計。現役です。今回の旅の主要目的地、錦町立人吉海軍航空機隊資料館にやって来ました。かつて、この資料館の建物と、平行向きに熊本県初のコンクリート敷きの幅50メートル、全長1500メートルの滑走路がありました。人吉海軍航空隊は、終戦
昨日のブログ「紫電改を見に行こう」を書いた後、「紫電改」で検査していると、製作したのは川西航空機(現新明和工業)でそれらの記事の中に川西航空機鳴尾製作所と書かれた記事がありました。私は結婚するまでは西宮市の甲子園の近くに住んでいましたので、鳴尾は地元です。しかし私が居た頃には川西航空機鳴尾製作所は無く、その存在すら知りませんでした。そこで気になったので川西航空機鳴尾製作所を検索しました。検索で見た写真を見てびっくり!!!①滑走路②滑走路延伸予定③管制塔(現存)④航
ミクロミルから1/350川西KX-03飛行艇が発売されました。とある家電量販店の通販でゲット!早速、到着しました。この機体は、海軍の要望を受けて川西航空機が研究した超大型飛行艇のようで、実現はしていません。KX-03の全幅は180m、全長は160mと言うことなので、太平洋戦争中の軽巡並みの大きさです。キットは完成時全長約46cm全幅約51cmとなるようです。パーツはですので、やはりでかい。
2020年8月16日は鶉野飛行場(姫路海軍航空隊・川西航空機鶉野工場跡)に行ってきました(*´꒳`*)(その1はコチラから)紫電改が外に出されるのも、無蓋掩体壕に練習機が置かれるのも、決まった日だけだったみたいで、私はラッキーでした。あと、鶉野飛行場資料館と巨大防空壕は毎月第1・第3日曜日のみの公開です(巨大防空壕は事前予約制)。お目当てがある人は、事前リサーチが必須です。鶉野平和祈念の碑広島被爆アオギリ3世、広島でも見ました★鶉野飛行場滑走路跡1200mのコンクリート滑走路跡
2020年8月16日は鶉野飛行場(姫路海軍航空隊・川西航空機鶉野工場跡)に行ってきました(*´꒳`*)(その2はコチラから)昭和18年、鶉野台地にパイロット養成のための姫路海軍航空隊が開設されました。19年には川西航空機鶉野工場が併設され、局地戦闘機「紫電」466機、「紫電改」44機が生産されました。そして、20年に神風特別攻撃隊「白鷺隊」(第1〜第3護皇白鷺隊、白鷺赤忠隊、白鷺揚武隊)が編成され、鹿児島の串良基地から沖縄戦のために5回にわたって出撃、63名が戦死したのだそうです。ま