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ミラノコルティナオリンピックの開会式をダイジェストで見た!一口で言うと「歴史と文化の深さ」と「芸術の力」に魅せられた。「演出」と言う言葉では言い尽くせない「表現力」オリンピックのテーマはアルモニア(Harmony)「響きあう」世界が「響き合えば」戦争はなくなる!?いいテーマだ!コルティナに注目しよう!#######################################
2026年(令和8年)1月13日号:「久米宏」さん(早稲田大学OB:早稲田の先輩)に関する川端義明アナのブログの「リブログ」です。
川端義明アナのリブログです。以下のブログに登場する「井川良久NHKアナ」(早大OB)は、ボク(井川治久・塾長)の叔父さんです。
鎌倉に住んで30年近く、改めて鎌倉という街をこ紹介しよう。鎌倉市は、大きく二つに分かれる。JR鎌倉駅を中心とする、「観光地鎌倉」とJR大船駅をを中心にした「住宅地大船」(大船は大きな観音様とかつて松竹の撮影所のあった街)我が家は「大船」にあるが、住所は、「鎌倉市植木」郵便番号で見ると観光地鎌倉は「248」大船は「247」大船に住む「鎌倉市民」は、鎌倉市(市長)は248のまちづくりには熱心だが、247には冷たいと感じている。お陰で
今朝の朝日新聞「天声人語」は絵本作家佐野洋子さんの『百万回生きた猫』に触れて、なかなか興味深く、今の世界への「教え」に満ち満ちている。百万回死んで生き返った猫は、ある時『白い猫』に出会い、その白い猫への「愛」によって二度と生き返らず「死んだ』死んだのにめでたしめでたしはおかしいかもしれないが、この猫は他者への「愛」を知ることで仏教用語で言う「成仏」したことになる(?)ALLYOUNEEDISLOVE##############################
一部手直ししました。最近リタイアした(らしい)川端義明氏は元NHKのアナウンサーで現フリーアナウンサー。アメブロをやっていらっしゃる。(一般人としてではなく公式)ここ記事に川端アナの先輩の佐々木敦アナのことがでていて、大変お世話になった方だとかいてある。佐々木氏については川端氏のブログを検索すると2本の記事が出てくる。ふとおもいだしたのだが、80年代に訪問インタビューという番組があって、ゲストをおたずねしていらした方だとピンポーンとなってしまった。過去記事
今日は7月27日まもなく8月。鎌倉の我が家の庭の向こうの山からカナカナの鳴き声ヒグラシの季節になったようだ!ヒグラシ(カナカナ)(資料)懐かしい透明の羽。この鳴き声が聞こえたら、かつては『秋の入り口』小さい頃は「夏休みも終わりか!」と思った。(京都と鎌倉の違いなのか?)ところかどうだ!このところの気候変動で、8月を待たずに鳴き始めた。季語も、我々の季節感もまるで役にたたなくなった(のか?)少し前まで、日本人は「季節感」で時の流れを感知し次の季節の準備を始めたも
今日5月18日は「言葉の日」だそうです。「言葉」を生業にしてきた身としては響くものがあります。今朝は、言葉は何故大事かについて蘊蓄を!今日が「言葉の日」になっているのは、単なる語呂合わせなのだが。&多少由来あり2019年に横浜みなとみらいBUKATSUDO連続講座「言葉の企画」の企画生らが制定しました。日付は「こ(5)と(10)ば(8)」の語呂合わせで、言葉を大切にし、コミュニケーションを豊かにすることを目的としています。さてそもそも「言葉」の語源は、「言(こと)」と「端(は
今日は3月29日です。昭和50年(1975年)の(多分)今日、渋谷でハチ公像を初めて見た!1974年(昭和49年)の就職戦線で、何とかNHKをに採用された僕は、人事部から、「四月から世田谷の砧というところにある研修所で2ヶ月研修を受けなさい。東京に着いたら、付属の砧寮に入りなさいという指示を受けていた。ちょうど三月の今日(だったかな)恋人(今の妻)から借りた白い大きなスーツケースを持って渋谷駅に降り立った!新宿から小田急に乗るという知識は京都の田舎者の僕にはなかった。駅前にいる
今日は3月27日。もうすぐ4月。我が家の庭も周りも「春」いっぱいになってきました。こぶし満開庭のブラムの木も花いっぱい!花が咲いたらたくさん実をつけます。初夏には妻のプラムのジャム作りの季節を迎えます。もうすぐ庭がプラムの甘ずっぱい匂いに包まれる季節を迎えます。桜も早咲きの「玉縄桜」が終わり、ソメイヨシノもちらほらと花をつけ始めました。鎌倉でも「桜のリレー」が続きます。沖縄から帰って、鎌倉は寒いかなと構えましたがこちらも春へ春へと進んでいました。暖かいなあ!!#
石垣島竹富島石垣島そして那覇と、八重山から沖縄本島というルートで今日、沖縄を離れます。齢74。後何回沖縄に来られるか定かではない。同時に、かつて沖縄で僕を支えていただいた人たちも、ほとんどが90歳前後。いくら長寿の沖縄とはいえ、なかなかの御歳。いつまでも、元気でいていただきたい!!そんな思いを抱きつつの沖縄の旅だった。沖縄を離れ東京に戻ってから19年!今でも沖縄に行くと「お帰りなさい!」と言ってくれる人も多い!ありがたいことだ。40年近いNHK生活の中で沖縄の3年
今年1月1日現在の地価が、公示地価として発表された。4年連続の上昇で、バブル後最大の上げ幅と各紙が報じている。2.7%の上げ幅。かつて地価『土地プロ』に所属し、NHK特集の「土地は誰のものか?」を制作取材した一人として『感慨』がある。かつて地価が『暴騰』といわれた時代。東京23区内の住宅が1億円とも2億円とも言われた時代だった!!実はその頃世田谷区の社宅住まいだった僕は自分の家が欲しいと、取り憑かれたように探し回っていた。その時不動産屋に言われたのが「あんた東京23区内なら
今朝の朝日新聞天声人語は「墓終い」がテーマ!「お墓」について考えてみる。僕には、故郷京都に、父、母、祖母など川端家先祖代々のお墓があり、現在の居住地、鎌倉にも私を戸主とする川端家のお墓がある。僕が亡くなれば、鎌倉のお墓に入ることになるが、故郷京都にもいまだに拘っていて、妻には、僕が先に逝ったら、分骨して京都の父母の眠るお墓にも入れて欲しいと頼んである。ところが最近、京都の墓を守る下の弟から「墓終い」の話を持ちかけられて、正直困っている。弟は離婚して一人暮らし。子供もいないからお墓を
昨日は2月20日どんな日かな?何回も行ったニューヨークメトロポリタン美術館が開館した日です。1872年(明治5年)の今日でした!もう一度行きたいが74歳もう無理かな??#######################################
(令和6年)2024年12月1日号:「川端アナ」のリブログです。
今から10年前は2014年。この年10月ににはノーベル物理学賞に日本から三氏が選ばれ、日銀の金融策が発表されたりした。そして10月18日は父の命日。この10年のことをかんがえてみた。僕は10年前63歳。NHK勤務も後2年。最後の職場NHKホールで静かな日々。アナ生涯を本にしたいと原稿書きに追われていた。結局、本は完成せず、第二の人生として母校の大学の客員教授になり、立命館大学東京キャンパスに『メディア塾』というマスメディアの将来へ向けたシンクタンクを設立して活動を始
(令和6年7月7日「七夕の日」)ボクの少年時代の「かすかな記憶」にも、あります。「川端アナ」のブログの「リブログ」です。以下:
さくらFMの生ワイド番組「SakuっとLa・ら・Ra西宮」(午前10時~午後1時)。月曜日の11時台は「ラグジュアリー・タイムゾーン」。特集コーナーです。4月1日(月)のゲストは元NHKアナウンサーの川端義明さんです。川端さんは1975年にNHKに入局され、「NHKモーニングワイド」「NHKニュース7」「選挙報道」「NHKスペシャル」などを担当されました。NHKのニュースの顔として報道を長く支えられ、現場リポートのご経験も豊富でいらっしゃいます。番組では川端義明さんのキャリ
天気図と聞いてアナ時代の苦い記憶&&1883(明治16)年2月16日、日本初となる天気図が作成されました。ドイツの気象学者エルウェン・クニッピング氏の指導のもと、日本全国11箇所に設置された測候所のデータを江戸城本丸跡(現:皇居東御苑辺り)に設置された東京気象台にて集計。集計したデータを同氏が英語で天気概況を下書きし、日本語表記に翻訳したかたちで天気図が作成されました。&&1985年(昭和60年)念願の東京アナ室異動が叶えられてすぐの仕事は「気象通報」ラジオ第二放送の目立たない放送
今日は9月16日。日本人初の「国連難民高等弁務官」だった緒方貞子さんの誕生日らしい!緒方貞子さんにはキャスター時代のインタビューで、強烈な思い出があります!テーマは忘れてしまったが「ニュース7」にゲストとしておいでいただき、僕がインタビュー。緒方貞子さん、あんまり機嫌良くなかったか、そもそもそういう人なのか楽しそうではなかった!最後にこう曰うた!「あなた、もう少し勉強した方がいいわ」やられた!後味の悪い仕事でしたが、僕にとってはとても大きな教訓でした以来「勉
2023年(令和5年)5月2日(火曜日)号:人生「親父さんの兄弟」日誌:NHKの(元)アナウンサーの「川端義明」氏が、◆うちの親父さんの弟(井川良久アナウンサー)のことを、●「気の短さも、天下一品」と称してくださっているブログ記事を見つけたので、以下に、リブログしておきます。・・・・・・それは、★「気が短い」ぐらいでないと、人生においては何も仕上がらない!といった「★本能」が根底にあったのだと思います。・・・・・・ボクにも、★
子供の頃から将来アナウンサーになりたいと思っていました。今回はその頃のスターアナウンサーについて。まず筆頭は高橋圭三アナウンサー岩手県出身。1942年、NHKに入局。『のど自慢素人演芸会』『ジェスチャー』『私の秘密』『NHK紅白歌合戦』などの司会で親しまれた。翌61年、NHKを退職。日本初のフリーアナウンサーに。77年衆議院議員に。もう一人は宮田輝アナウンサー東京都足立区出身。明治大学卒業。1942年にNHKに入局。高橋圭三や青木一雄らと同じく、「芸能番組向けアナウン
2ヶ月の研修が終わりいよいよ独り立ちのアナウンサーとして全国各地の放送局へ赴任することになります。研修センターに人事の担当者が出向いてきて一人一人個室に呼び入れ、任地の内示が行われました!「一体どこへ行かされるのか?」みんな戦々恐々!北は北海道の北見から南は沖縄まで大阪名古屋など大きな局を除き、どこでも可能性があるのてす!同期のアナウンサーが次々に呼び込まれて、複雑な顔つきで出てきます!結果最北端は「北見放送局」のKA君!最南端は「大分放送局」のKO君!そして僕は
今、新入社員の研修が各社で行われている時期。多分NHKでも研修センターで日々訓練が行われているはず。昭和50年4月世田谷区砧の研修所では朝から夕刻まで、アナウンサーの訓練が行われた。僕も研修生の一人として参加。この年NHKは男性アナウンサー20女性アナウンサー2人採用。寮にて我々は研修所のすぐ近くの寮に泊まり込みで2ヶ月精励!「日本一のアナウンサー目指して」同期の鈴木圭一郎アナの口癖でした!こうしてNHKアナウンサーの道が始まりました。また続編に。##########
加山雄三さんが今日86歳の誕生日を迎えられる!ラジオセンター長時代、加山さんが番組のゲストにおいでになりセンター長としてご挨拶をさせていただいた。応えて加山さん、175センチの長身を90度に折り曲げるようにして挨拶を返していただいた!その丁寧なこと、超大物とは思えない仕草にびっくり!この方の高い徳を感じた!ほんの一瞬の出来事であったが、今でもそのお姿を忘れることができないほど強く印象に残った!加山さんいつまでもお元気で!###########################
我が家の猫たち光明寺に眠る(1975年〜2023年)みんな野良だった!上太郎と華室蘭で家族に山形にてチビミーコ(写真見つけられず)コナン下横須賀で家族に享年15歳癌でした!マロン下鎌倉の我が家に助けを求めてきた野良星雄下同上クロ下鎌倉の我が家に出入り自由で暮らしていた。鎌倉の我が家に身を寄せた野良マカ下ぶー(同上)写真が見つからない!我が家の庭で手前マカ向こう側クロ亡くなった娘の忘れ形見ジェニー下19歳10ヶ月で大往生!そ
ニュース番組一筋だったが、実はそうじゃない番組もやりました。2002年3月から4月にかけて「BSまるごと大全集永遠のヒーロー鉄腕アトム」という番組がありました。司会は不肖私川端義明。始まりはこうでした。ある時仲間のプロデューサーから変わった番組やりませんか?というお誘い!鉄腕アトムの特番とか??「なんで僕?」と聞くとプロデューサー氏曰く「川端さんアトム世代でしょ?」と。そういえば、小さい頃からアトムのテレビいつも見ていたなあ!ニュース番組ばかりやっていると、それ以外の番組か
今週は各会社で、新入社員を迎えて入社式のピーク。NHKでも「入局式ー」あったなあ!高層階の大会議室だった。1975年(昭和50年)の新入局員約130人!アナウンサー23人!男性アナウンサー21人女性アナウンサー2人(今も現役櫻井洋子さんと退職された鈴木規子さん)思い出二つ一つは元郵政官僚O会長の訓示。脈絡はわすれたが、「李下に冠を正さず」疑われるようなことをするな!という意味だと思うが、入局式に妙なことを言う人だなあ?と思ったのを鮮明に
坂本龍一の死はショックだった。坂本のファンではなかったが「71歳の」の年齢がショックだった。僕と同い年なのだそうか僕もいつお迎えが来てもおかしくない歳なんだ!」と。まだまだ生きていたいなあ!もう少し。#######################################
今日から日テレの「DAYDAYJが始まった!初日はスタジオの添え物扱いだったが負けるな武田真一!あんたがメーンMCだ!君はNHKの看板だったのを忘れるな!もっと前へ!期待してる。#######################################