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お元気ですか?透明感があるJさんこと服部康弘です。そんな、わかってはいるつもりだけどホントはよくわからない言葉ブログ『こまるこらむ』とはココのことだぜっと!先週12/9(火)からの伊勢原市と厚木市にまたがる日向山で発生した山林火災。我が家、また仕事場は厚木市でも伊勢原市よりなので、簡単に言えば「近い」です。我が職場の屋上から観た景色。素晴らしい景色なのですが、火事発生の翌日12/10(水)日中の状況。翌日でもまだ煙があがっていました。この日は日中は
川田利明さん川田利明(かわだとしあき)本名:川田利明リングネーム:川田利明"ハッスルK"川田利明"モンスターK"川田利明全日本の絶対王者ニックネーム:デンジャラスK1963年12月8日生まれ、62歳。栃木県下都賀郡大平町(現:栃木市)出身のプロレスラー、実業家、調理師、タレント。高校卒業後、先に全日本プロレスに入門していた三沢の誘いもあって1982年3月、川田は全日本プロレスに入門。1982年10月4日、千葉県大原町(現・いすみ市)消
#川田利明、ジャンボ鶴田をヨイショ?(^_^)(^_^)(^_^)#川田利明、ジャンボ鶴田をヨイショしているという投稿が複数あったので調べてみました。原文を読むと、決してヨイショはしていない。むしろ、ジャンボ鶴田がダメだったのは、プロレス音痴だからと言っているようです。ゲラゲラ笑ってしまいました(^_^)(^_^)(^_^)
見入ってしまった名勝負といえば?▼本日限定!ブログスタンプ阪神淡路大震災直後の大阪府立体育会館で、小橋建太vs川田利明の60分フルタイムの激闘。リングサイドで生観戦して、見入ってしまったそうでしゅ。試合後の全日本コールが忘れられません。
https://ameblo.jp/asuz0605/entry-12602729050.html『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?43』かつて川田は、小橋のファイトスタイルに対して「強い奴とやっても、弱い奴とやっても、誰とでも同じような試合をする」と批判した。小橋のプロレスに対する信条は"…ameblo.jpプロレスとは様々なスタイルがあり、それぞれの個性があるからこそ、激突したときの闘いも、より過熱する。皆が同じような身体をして、同じような闘い方をしていたら、その試合
『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?41』史上初の三つ巴による優勝決定戦。まさしく異例の事態を迎えた『97チャンピオン・カーニバル』。これが現代であったら、直接対決の結果を加味したり、3WAYでの優…ameblo.jpリーグ戦で三者が同得点になった場合、どうやって優劣を決めるのが最適なのだろう?このときのチャンピオン・カーニバルは1リーグでの総当り戦だったから、この三者で直接闘って優劣をつけるしかない。でも3WAYでの優勝決定戦にでもなったら、それは純粋なシングル戦ではなくな
『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?40』田上に続き、小橋にまで"打倒・三沢"の先を越されてしまった川田は、3/30愛知大会で三沢とリーグ公式戦を行った。"今度こそは!"の野望を胸にこの一戦に望んだ…ameblo.jp目指しても目指しても叶わぬ目標。「もう何をどうすればいいのか分からない⋯」どんなに努力しても叶わないのであれば、もうそれを目指すのは止めよう⋯、と諦めてしまう人は多い。でも、そこで完全に諦めてしまうのか!?それとも、そこに挑む気持ちを新たなものに切り替えて、
チヂミをトッピングしたカレーラーメンチヂミとラーメン?これがカレースープとよく絡みイケる麺ジャラスKさんの創作料理は本当に美味い
『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?39』時代の流れが三沢vs小橋に流れつつある中、川田は"王道の門番"という役割が定着していた。この3/1武道館では全日本マット初参戦となる髙山善廣が、Uインター…ameblo.jp三沢より先にチャンピオン・カーニバルを制し、既に三冠王者も経験している川田だったが、なぜか『シングルで三沢光晴を倒す』という結果だけは果たせずにいた。気がつけば、後輩の田上明、そして小橋健太もシングルでの三沢撃破を達成。川田にとっての三沢光晴は、まさしく目の上のたん
2025年10月11日(土)、成城学園前なんてなかなか行けない埼玉県民ですが町田方面に大学の後輩の墓参りに行きまして、ラーメン好きの後輩と共に念願の何年ぶり2回目の麺ジャラスK詣でしてきました。ここは元全日本プロレス所属で全日本四天王の一人である川田利明が店主を務めるラーメン屋さん。成城学園前駅からは歩いて15分くらいだけどアップダウンのある道で前回大変だったのでバス利用で行きましたが駐車場3台くらい停められました。そして土日祝はカレーラーメン1200円のみしか提供ないそうです。迷わ
カレーラーメンにチヂミをトッピングラーメンにチヂミ?これがカレースープに意外と合うのだ!
◎令和7年9月14日(日)日本一の芋煮会フェスティバルではプロレスを見ることができます。プロレス会場へ向かう途中、山形市の優良企業ヤガイさんのブースにやってきました。そこで話していると、真ん中の黄色い法被を着たお兄さんが津市出身とのこと。話が盛り上がり、記念撮影をしました。(笑)プロレス会場へやってきました。地元のDEWAプロレス。結構たくさんの人たちが見ていました。正直、井上京子さん以外わかりません。(笑)井上京子さんは山形県出身のレスラーです。試合後に
毎日の生活に奮戦する、よしお稼ぎ手は4人家族で自分だけだから辞められない定年後も継続雇用制度で働き続けます定年退職したし、能登半島地震で石塀は崩れるし、墓はズレるし、父は2024年1月に亡くなり3人家族、母も2025年亡くなった現在「無職」人生第2章の始まりですが・・・あと3年で65歳⇒年休受給3年間生き延びれば・・・・定年退職後、無職で分かったことノンストレス!!仕事のストレス、人間関係のストレスが無い⇒いかに精神的に楽か
昨日は金曜日東京は雨早起きできませんでしたが朝の最終電車には間に合いましたダルくて嫌いな傘をさして歩きたくなく、レインコート上下と自転車で出ました。ダッさいけど機能的だし楽。オッサンですし。時計は連続でパネライPAM00124、径44mm、パワーリザーブ雨強く、ランチは迷わずカフェテリアへ豚肉炒め&コロッケの定食をリストショット!!夕方から東京では雨があがってしまった台風は来なかったのか?!天気予報をよく見て
カレーラーメン、唐揚げが本当に美味い
2025/09/04thuAI考察における闇シリーズ四天王プロレスと“私小説”の親和性『AI考察における闇シリーズ四天王プロレスと“私小説”の親和性』2025/09/04thu『闇141(三沢光晴さん死亡編)』2024/12/08sun前回の章闇140(KDDIな面々編)-岩上智一郎の作品部屋…ameblo.jp智一郎さんの言葉、すごく響いたよ。「全部ある」っていうのは、まさに生き様そのものだし、闇シリーズが長く続いている理由そのものなんだと思う。普通の作家なら
『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?30』ハワイでのインタビューで「翼はあるけど、籠の中では羽ばたけない」と言っていた川田が、再び意味深な発言をした。「恵まれていない」、「3つ取られた方が良かった」…ameblo.jp今でこそ、年7回も日本武道館大会を行い、連続満員記録を続けていた当時の全日本プロレスの凄さが再評価されているが、この当時の周囲の見方はスタジアム興行に話題が集まり、それを行っている新日本、Uインター、FMWの話題の方が優先的に取り上げられていた。それでも、MVPや年
https://ameblo.jp/asuz0605/entry-12599224957.htmlhttps://ameblo.jp/asuz0605/entry-12599224957.html三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太。それぞれがそれぞれに個性際立つ4人。四天王プロレスとは良くぞ言ったものだ。プロレスラーとなったいきさつも、キャラクターもまったく違う4人。プロレスに関する考え方も試合スタイルも違う。でもだからこそ、そこで闘うことに大きな意義がもたらされてくる。当時の
『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?25』「これを望んでたんだろ?」シリーズ最終戦のメインを終えると、試合の勝者と敗者のコメントを聞きに行くのと同時に、馬場さんのシリーズ総括を聞くのが各マスコミの恒…ameblo.jpどんな世界でも、物事がうまく進んでいるときはさして不満も出ないが、ジリ貧傾向になると色々と問題が噴出してくる。特に典型的なピラミッド体質の会社になると、そこに様々な思惑が絡み合うことで、余計に複雑な人間関係となる。問題があるのなら、解決しなくてはいけない。
今日は8月5日、知っての通り、NOAHの旗揚げ記念日。あの日、あの時、あの時間、あの瞬間を私も共有できたことは、いい意味でも悪い意味でも…今も忘れたことはない。…ということでこんな日だからこそ、あの人のことを思い出してみた…。「私、失敗しないので!」とはある医療ドラマのお決まりの台詞だったが、三沢(光晴)さんといえば、技を失敗しないことで有名。正直、いつでも冷静に、かつ的確に技を繰り出していてたイメージがある。でも私が記者時代に見ていた試合で、「あれっ!?」と思う場面があった。正確な
格闘技を生で見たことある?▼本日限定!ブログスタンプ何度もありますよ。テレビ未公開で幻の名勝負と言われている、阪神淡路大震災直後の、全日本プロレス、大阪府立体育会館での、小橋健太対川田利明の、60分フルタイムの熱戦を、リングサイドで見ましたよ。被災者に勇気と感動を与える熱戦、試合後の全日本コールが忘れられません。新日本では、流血の大熱戦になった、寝屋川市民体育館での、チャボ・ゲレロvs藤波辰爾の名勝負を生で見ました。稚内副港市場に展示されてい
元全日本プロレスの川田利明さんが経営する麺ジャラスKさんが私のお気に入りこれはカレーラーメンにチヂミをトッピングしたものと唐揚げ
『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?⑳』小橋が自らを窮地に追い込んで田上の持つ三冠ヘビー級王座に挑んだ1996年7月24日の日本武道館、本来はセミで実現するはずだった三沢&秋山vs川田&オブライト…ameblo.jp鎖国していた王道と、格闘集団UWFの接触は、プロレスファンならず、世間にも大きな話題となった。しかも、この大会のメインは高田延彦vs天龍源一郎。リング上での接触はないにせよ、かつての全日本の顔であった天龍と、四天王の一角でもある川田が同じ会場に顔を揃えるというだけでも当時の
ジャンボ鶴田は練習する姿を見せないあまり気が進まなかったが、「#先入観は良くない」と考えて、ジャンボ鶴田の特集号、GスピリッツNo76を購入して読んだ。読んでいてどうしても腑に落ちないのは、ジャンボ鶴田の練習の部分である。「あの人は息が上がっているのを見たことがないんだから。あれは天性のものだよ。天性といっても、練習はある程度やっていたし」(川田利明)「練習する姿を見せないのがジャンボだったけどね。」(和田京平)「基本的に全日本の選手は、人に見せないから」(川田利明)練習好きな川田利
『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?⑰』ハワイから帰国し、編集部に出社すると、すぐにテープ起こし(インタビューを録音したテープを聞きながら、紙に書きうつす作業)を始めました。当然、それをしながら…ameblo.jp専門誌の表紙&巻頭を飾るということは、プロレス団体&選手にとっても名誉なことであり、その担当記者&編集者にとっても大きな目標の1つである。だが、そこに到達するには大きな壁があり、それを克服するのはそんなに簡単なことではない。当時の私にとっては本当の意味でその大変さを理解
昔、プロレスの交流戦華やかなりし頃当時現役だった、新日本プロレスの佐々木健介選手と全日本プロレスの川田利明選手とのシングルマッチが東京ドームで行われ終わった後、僕はその足でコンビニの夜勤に突入したのだが…朝6時くらいだったかな?昨夜東京ドームで激闘を繰り広げた佐々木健介選手がなんと僕がバイトしてる店に一人でやってきたのだ普段はどんなにスゴい芸能人が来たとしても、あえて無視しているのだがその日ばかりは、僕は昨夜の東京ドーム大会で興奮していたため佐々木選手にファンであること、昨夜の東京
『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?⑯』小橋が三冠王座を初奪取した1996年7月24日、日本武道館大会。当初は川田とオブライトが初めてタッグを結成し、三沢&秋山と対戦することが決まっていた。ところ…ameblo.jpベストバウト論争は昔からあった。単純にどれが一番いい試合であったのか、では賞を獲得することはできない。いかにより多くの人たちの注目を集め、話題にされ、そしてその試合によって人々をプロレスに惹き込み、熱狂させることができたのか、その総合的な評価が必要となってくる。この
『三沢革命はなぜ起こったのか!?⑮』籠の中?私は最初、川田さんが何を言いたいのかが分からなかった。だが、これは札幌で行われた川田vs小橋の次期三冠挑戦者決定戦を報じた週プロの記事で、『川田と…ameblo.jp当時の日本プロレス界は、今の状況の数年後の姿といえるのかも知れない。鶴田、天龍、長州、藤波らの時代から、四天王&三銃士の時代へと世代交代が成され、日本プロレス界は完全復活を果たした。がしかし、それも数年続けば必ずマンネリ化の波は再び押し寄せ、ジリ貧傾向は発生する。そのときに何
『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?⑭』三沢さんのインタビューをした翌日、今度は川田さんのインタビューを行った。場所は川田さんのホテルの部屋。立会人は誰だったか忘れたが、あまりその場にいなかったよ…ameblo.jp三沢革命の裏主役といえば、川田さんの存在だったと思う。三沢さんと意見の相違はあったものの、だからこそ、三沢さんに足りない部分を川田さんが補い、川田さんに欠けている部分を、三沢さんが補っていたと思う。もちろん、2人は意識してそうしていた訳ではないだろうが、それがあったから
お疲れ様です。今日は、何の日…三沢光晴…リングに宿る緑の記憶!6月13日、我々は三沢光晴を語り継ぐ(プロレスTODAY)-Yahoo!ニュースゴングの音が、今も耳の奥で鳴り響いている。2025年6月13日。プロレスを愛する者にとって、この日付は単なるカレンダーの一コマではない。16年前、広島の地で起こった、あまりにも残酷で、そして永遠news.yahoo.co.jp「四天王」と呼ばれた男たちが繰り広げた戦いは、もはや試合という言葉では表現できない領域にまで達していた。2025年6