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こんばんは!何時もは9時就寝さすがに11時過ぎに就寝したら起きるのは遅いだろうと思いきや…何時も通り4時前に目が覚めました睡眠時間じゃなく何時も目が覚める時間に起きるんですねでは週末だし行ってみますか川中島合戦会場の下見を兼ねておっ散歩♪毎年20万人位の観光客が訪れる上杉祭りそのメインとも言われる川中島合戦の会場は粛々と整備されてました観光地でのお馴染みのパネルあの人混みで撮る???ちょっと寒かったですが朝は気持ち良いですねきのうの余韻
こんばんは!早い所は先週の土曜日からの12連休の所もありますが実質のGWきょうからの所が多いでしょうね米沢も1年で一番観光客が訪れる上杉祭りが行われるので朝からお店の前も市役所方面に向かう道の渋滞の酷い事…さと言うと中央のファミマまで繋がってますからねwww市内どこに行くにも混んでると思いますので皆さんも車の運転にはくれぐれも注意してくださいねそんな上杉祭りの予定はこのようになっていますさて地元では上杉祭りで盛り上がっていますが当店はGW中も通常営業しておりま
京都から帰ってきたばかりですが…米沢に行ってきました😅本当は昨日…4/19に行きたかったんですが…お休み取れず💦今日お邪魔しました😌かなり気温が上がっています…それでも道中の国道脇にまだ雪が残っている状態なので…桜🌸間に合うかな…と期待大ッ🙌まだ一部たわわに咲いていました😍🌸🌸上杉神社近く🌸昨日4月19日は上杉家の命日になります😖上杉景勝死没元和9年3月20日(1623年4月19日)上杉謙信死没天正6年3月13日(1578年4月19日)上杉景虎死没天正7年3月24
2021年9月17日(金)、長野駅でランチの後、今回はバスで松代城跡を目指します。日本百名城の一つですが、ここには2003年に一度来たことがあり、その時は整備工事が行われていて外から眺めることしかできませんでした。今回はじっくり見学させてもらおうと思ったのが長野回りで帰ろうと決めた主な理由でしたが、予想以上にたくさんの勉強ができた散歩になりました。松代城跡最寄りのバス停を降りてすぐのところでこれが目に入りました。これを見て一瞬で駅舎だと思い、吸い寄せられました。反対側に廻るとプラット
はてなブログを更新した。ニ占要略川中島古戦場史跡公園『ニ占要略』が取り上げている第4次川中島合戦の舞台であった川中島古戦場史跡公園に寄り道した、という話。
今日は、万博記念公園の「国立民族学博物館」で、27年ぶりに…弘前ねぷたの張り替えの実演が見れると言う事で、ちょっと早起きをして、万博記念公園へ…「国立民族学博物館」…いわゆる「みんぱく」まで、必死に歩きました😆😆😆時間に間に合うようにと…必死で歩いて来たので、着いた時は、まだ、オープン前で、汗びっしょりでした💦😆万博記念公園には、何回も来ているけど、こちらの「民族学博物館」には、なかなか来る機会がありませんでした。以前、朝から夕方まで、この「民族学博物館」にいたけど、全部ま
⚔川中島の戦い―信玄vs謙信、戦国最大のライバル対決!戦国時代、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信。この2人が信濃(今の長野県)の支配をめぐって戦ったのが「川中島の戦い」です。なんと12年間に5回も戦いが繰り広げられ、知略・武勇・信念がぶつかり合った、日本史上屈指の名勝負となりました。🥷第一次川中島の戦い(1553年)―布施・更科八幡の戦いきっかけは、信濃の豪族村上義清。武田に攻められ敗走し、越後の若き長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼ります。謙信は義清を支援して
2025年9月13日【甲山八幡宮】(八幡宮)<==神社庁登録名新潟県上越市岩木1339境内社?何が祀られているか不明階段は最初だけ。あとは不安になるほど急斜面の山道が続く何度も引き返そうと思ったほど参道はクモの巣との戦いであった!謎の大きなキノコが大発生していた
雑誌「歴史街道」の今月号。特集は「川中島合戦の謎」ということで、早速、読了。歴史街道2025年10月号(特集1「川中島合戦の謎」)Amazon(アマゾン)以下、この本の内容に、私見を交えながら、「川中島の戦い」について、考察してみたいと思います。川中島の戦いは、なぜ、起こったのでしょう。そもそも、なぜ、上杉謙信と武田信玄は、戦い続けなければならなかったのか。武田信玄は、父、信虎を追放し、武田家の当主となると、信濃国に侵攻を開始。次第に、勢力を拡大して行く訳です
本日もお土産で頂いた交通安全ステッカーをご紹介します。山梨県甲府市の甲斐善光寺の交通安全ステッカーです。その節はありがとうございました!2枚頂きました!(*´▽`*)甲斐善光寺は川中島の戦いの激化で信濃善光寺の焼失を恐れた武田信玄公が御本尊等を奉遷したことに始まりました。御本尊の善光寺如来像は織田・徳川・豊臣氏を転々した後、慶長三年(1598)信濃に帰座しました。長野市の善光寺は大好きで何度も行っていますが甲府の善光寺にもいつか行ってみたいです!
〇一度は詣でたい善光寺長野を訪れる時にはやっぱりその「シンボル」といえば、信州善光寺。一大寺院として栄え、その庇護者の地位を欲して、戦国大名間で激しい争奪戦が繰り広げられた門前町です。5度にわたる川中島合戦もその大元はここ善光寺の庇護者という地位を巡ってのものくらいでした。戦国期に、甲斐の悪魔武田信玄が「敵に奪われないようにするには甲斐に移転させてしまえばいいじゃない」という実に侵略者らしい傲慢思考全開で甲斐へ移転。その後、こちらもまた独裁者らしい傲慢思考の豊臣秀吉によって方広寺の本
「ヒルナンデス」見ました!良いですね~日光!美味しいものがいっぱい。揚げたてのおかきが食べたい!小田井さんのラテアートを飲む?食べる?白川さんが無邪気で可愛い。茶そばも良いなぁ。岩永さん、卒業ってことで豪華なお食事が頂けて良かったですね。写真は武道館の時のものです。お好み焼きは好き?皆さま、お好み焼きはお好きですか?私は、好きでーす!お祭りに行くといつも買います。今回もお土産に買ったんですけど、写真は撮りませんでした。そんな上
こんばんは!先日お渡しのIさんから「マスターは寒がりですか?電気ストーブ付けてるので」と言われ暖房も軽く付けてますがと答えた寒がりさんですwwwそんな今朝も小寒かったのですが川中島の合戦が行われる河川敷をおっ散歩♡松川橋から右折して川中島会場まで土手沿いをここが会場ですね、設営準備が整っていましたきのうは天候不順のため武帝式だけ行われたようですA先輩のSNSよりお借りしましたきょうは天気も悪くなかったので上杉行列や川中島も見応えがあったんじゃないかと
東大阪・日下太鼓台のために制作した「川中島合戦図」水引幕の制作事例と意図を紹介します。目次日下太鼓台『川中島合戦図』水引幕制作──東大阪・石切劔箭神社1.歴史絵巻を現代の祭礼に──手描きの川中島合戦幕絵2.武田信玄vs上杉謙信──名場面を描く3.制作のこだわりと意匠基本情報4.日下太鼓台幕絵として▼ご質問やご依頼など、お気軽にお寄せください。目次を開く日下太鼓台『川中島合戦図』水引幕制作──東大阪・石切劔箭神
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ということでGW山形の旅、上杉まつりのすばらしい上杉行列を見学後は、上杉まつりフィナーレを飾る一大イベントである川中島合戦を観に行ってきました。松川の橋からは飯豊連峰が。川中島合戦は戦国史上に残る上杉謙信と武田信玄による合戦として有名ですが、その合戦を再現したイベントになります。上杉軍武田軍それぞれ400名ずつ計約800名が参加して行われました。開始は14時からでしたが、その前に簡単なリハーサルも行われました。上杉謙信が武田本陣へ突っ込み武田信玄に切りつけ信玄が手持ちの軍
シダレザクラが咲き誇る典厩寺・4K川中島の戦いで戦死した武田信玄の実の弟、武田信繁と両軍の戦死者を弔った典厩寺、毎年春には見事なシダレザクラが咲くことで知られています。昨日までは肌寒い曇り空でしたが今日は一転、春の陽気になりシダレザクラも一気に8分咲きになしました。撮影日・2024年4月6日www.youtube.com
典厩寺とあんずの里に花ロケハン・4K3月27日にロケハンを行ったあんずの里、そして3月31日にロケハンを行った典厩寺のしだれ桜、どちらも花の様子が気になっていましたので本日4月2日の午前中に撮影をしてきました。典厩寺のしだれ桜につきましては住職さんと典厩寺の世話人を仰せつかっている私と一緒に確認したところ数輪の花が咲いていましたので本日開花宣言とし...www.youtube.com
典厩寺のしだれ桜のロケハンに・4K信州では厳しい寒の戻りから一転、一気に春の陽気になりました。先日、ロケハンしアップしたあんずの里では昨日30日に開花宣言が出され、今日は典厩寺のしだれ桜も明日には開花するのではと思うほどピンク色のツボミが大きく膨らんでいました。「春爛漫」信州の四季・写真展開催のお知らせ。写真展会場・飯綱町霊仙寺湖の近くの...www.youtube.com
長谷川一夫(はせがわ・かずお)本名長谷川一夫別芸名林長丸林長二郎明治四十一年(1908年)二月二十七日生まれ。昭和五十九年(1984年)四月六日死去。七十六歳。林長二郎こと長谷川一夫は、日本芸能史に煌めく美男花形大スタアです。無声活動大写真時代から日本芸能界の美男大スタアとして活躍しました。リブログ先の記事で感想を書きました、『雪之丞変化』は、断片総集篇のみ現存していますが、大傑作です。衣笠貞之助(きぬ
武田信玄と上杉謙信が激闘を繰り広げた川中島合戦。その合戦を歴史学者ではなく、経済学者の海上知明先生が書いたのがこの本です。内容はタイトル通り、信玄と謙信が川中島にこだわった点、背景などが書かれております。ちなみに本はあまり読みません。ですので、他の歴史学者の先生の解説本と比べますと、視点が一風変わっていて面白いと思います。表紙はシンプルで、如何にも真面目そうな内容に思えますが、とても読みやすく、合戦時の陣構えのイラストなどが入っており、丁寧な内容だと思います。
おはようございます天気は晴れ。最高24℃。最低6時台12.3℃秋らしい甲府です~今日は日曜仕事です~昨日は仕事でした。午後から甲府大好き祭りに行こうと思ったのですが、仕事をしているうちに行く気が無くなった気分屋です~ということでお昼寝したよ今日は笛吹市石和町で武田軍と上杉軍の川中島合戦絵巻が開催されます。時間が有る方は是非どうぞ~規模はそれほど大きくないかな2023年川中島合戦戦国絵巻|ふえふき観光ナビ2023年度川中島合戦戦国絵巻は11月5日日
受付で手続きを済ませ、⛑ヘルメット装着。入壕料無料。ここから入る。見学できるのは500mちょっと。重苦しい雰囲気…、中は涼しい。舞鶴山(まいづるやま)(現気象庁松代地震観測所)を中心として、皆神山(みなかみやま)、象山(ぞうざん)に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は約10キロメートル余りに及んでいます。ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠く、川中島合戦の古戦場として知られている要害の地です。第二次世界大戦の末期、軍部が本土決
トップページ都道府県別索引へ長野県の索引城内を西へ進み、五の郭手前の二重堀切を越えると、いよいよ城の中心部に入ってくる。堀切の向こう側への急斜面に設えられた階段で登ってゆく。登り切る直前は、土塁の切れ目に通される。簡素ながら虎口があったようす。虎口の左側の土塁。🌿🌿に覆われてはいるが盛り上がっているのが見える。説明板も立っている。虎口から西側に広がる削平地。細尾根の天端あたりだけを削平したような見た目だった手前の曲輪と、あまり変わらない印象。ここ
トップページ都道府県別索引へ長野県の索引青柳城は筑北村と麻績村の境界、四阿山(1387m)から北西に派生する尾根の末端近くの「城山」一帯に遺構を残している。築城年代は鎌倉時代と言われるが定かでないらしい。中世を通じてこのあたりを治めていた麻績氏の城で、甲斐の武田氏が入ってくるとこれに従い、第一回の川中島合戦(天文二十二年、1553年)では上杉方の攻撃も受けている。武田氏が滅んだ後は越後上杉氏について信濃小笠原氏との争奪の舞台となっていて、幾度か合戦を経験した城でもある。長野県指定
川中島合戦で壮絶な戦死を遂げた武将の中に「武田信繫」という人物がいます。彼は、武田信玄の弟です。戦国時代にあって兄弟というのは、時に家督を争う敵になるケースが少なくありません。織田信長も信行という弟と争い殺害してますし、今川義元も腹違いの兄と家督を争ってこれを滅ぼしています。毛利元就も同様。しかし、信繁は違いました。武田の副将として、信玄の片腕として見事に補佐しました。武田の騎馬隊を強固にしたともいわれ、武田軍が諸将から大いに恐れられた要因を作ったとも。その武田信繁を祀る寺院が
謙信主従はわずか数騎で千曲川の「安田の渡し」まで逃れ来た~「渡し」の綱を切り追跡を逃れた~千曲川の飯山市安田と新町を結ぶ橋の名は「綱切橋」この綱切橋の名前の由来が橋の両側の「親柱」の橋名板には、綱を切り落とす武将の絵と橋名の由来が書かれている。その「綱切り橋の由来」には~越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄は拾年にわたる争を一挙に決しようと永禄4年9月拾日川中島に相対した。世に言う川中島の大合戦である。戦記によるとこの戦は前半は上杉方の優勢、後半は武田方のはさみうちにあって上杉方の不利と伝えられ
現在の綱切橋千曲川左岸飯山側吉川英治の時代小説「上杉謙信」の安田の渡しの場面~謙信の連れに鬼小島弥太郎の名ははない~時代小説吉川英治「上杉謙信」には~次のように書かれている孤影月一痕(こん)。主従二人。耳に聞えるものは虫の音ねばかりだった。このあたりは、家も灯影ほかげも見あたらないが、きょう一日の大戦も知らぬかのように、ただ露しげく草深い。~狼その夜は、保科(ほしな)の山路をこえて、大木の蔭に、わずかな一睡をとった。次の日は、高井野の里から山田を越え、更級(さらし)なへ下りて
上杉謙信の武将鬼小島弥太郎の墓は、飯山城の北西約700mの皿川沿いの英岩寺にあります。英岩寺英岩寺は、初代飯山城主泉重信の菩提寺で飯山市街地では最古のお寺と言われている。永仁年間天台宗の修験道場として創立され、その当時は江岸寺と呼ばれていた。戦国期に衰微し、文禄4(1595)年、高源七世通庵寿貫和尚によって栄巌寺として中興され、『英岩寺』と改名し現在に至るという。上杉謙信の直臣で「鬼」と呼ばれた槍の名人小島弥太郎は、川中島合戦で深傷を負い春日山城へ帰る途中、足手まといになるとこの地で自
今日のおやつは,米沢のお土産「上杉五沾水:うえすぎごてんすい」とコーヒーです。何を考えたのか・・・娘がいきなり米沢へ行って,米沢牛の味噌漬けと一緒に買って帰ったおみやげのお菓子です。5/2の朝,スーツケースを持って仕事に行った娘。仕事が終わって新幹線で東京行き東京泊。3日朝,米沢に行って一泊。4日の深夜に帰ってきました。話を聞くと,米沢の上杉まつりで「川中島合戦」を見るのが目的だったそうです。戦国史上最大の死闘!龍虎相打つ<川中島合戦>:山形県米沢市《米沢上杉まつり》公式ホームペー