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ちょうど、五年前の記事です。あまりにもお花畑過ぎる日本は核を持っちゃいけないんじゃないか。こんなこと言ってますね。新幹線はシナに盗まれるし、ブドウもイチゴも韓国に盗まれるし、核兵器持ったら、盗まれるよね。ということです。ボクは、絶対に許可されない核保有を本気で、それを一番に考えるという発想これは危険だと思っています。実際のところ、日本は数カ月で核がつくれる国。こういう認識を世界からされてます
6月7日が命日・忌日の有名人・著名人1358年(延文3年/正平13年4月30日)54歳没(矢傷による背中の腫れ物)足利尊氏さん室町幕府初代将軍1826年39歳没(肺結核?重金属中毒?)ヨゼフ・フォン・フラウンホーファーさん光学技術者フラウンホーファー線1937年満26歳没(腎不全)ジーン・ハーロウさん女優1945年満74歳没(尿毒症)西田幾多郎さん哲学者『善の研究』哲学の道1951年没(絞首刑)オットー・オーレンドルフさんナチス・ドイツの親衛隊中
1978年にA級戦犯を合祀した靖国神社の宮司は松平永芳であった。宮内庁の侍従次長は「そんなことをしたら陛下は靖国に参拝されなくなりますよ」と警告したが、東京裁判に強い不満を持つ永芳は「天皇にお参りしてもらう必要はない」と合祀を強行した結果、昭和天皇と今上天皇は以来、靖国神社に参拝しておられない。私の理解では、靖国神社に合祀された東京裁判のA級戦犯は主に反長州閥が主体の陸軍の将軍達であるが、例えば東條英機や板垣征四郎は明治維新時の賊軍に属した旧盛岡藩出身であり、合祀を強行した宮司の松平永芳は名前
『独白録』は、外務省出身で当時宮内庁御用掛として昭和天皇の通訳を務めていた寺崎英成により書かれた本だ。『独白録』の存在は1990年11月7日の新聞各紙で初めて報道された。1990年12月号の『文藝春秋』に全文が掲載されると大反響をよび発行部数は100万部を超えた。寺崎の日記を付した単行本が『昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』として1991年3月に刊行された。1995年に寺崎日記を除いて『昭和天皇独白録』として文庫化されている。ノモンハン事件のページが・・・、こ
海軍大将・嶋田繁太郎の備忘録戦後の沈黙破る内容軍部の内情生々しく証言毎日新聞第二次世界大戦中、海軍の要職を務めた人物の日記などをまとめた『海軍大将嶋田繁太郎備忘録・日記』(軍事史学会編、黒沢文貴・相澤淳監修、錦正社)の...医学者・今村荒男と陶芸家・富本憲吉郷土の偉人を紹介安堵町歴史民俗資料館/奈良毎日新聞偉人展では、富本の作品や、今村の書簡、写真など資料約40点を展示。今村が「日新」と筆を入れた後、富本がバランスを取りながら絵を描いた額「『日新』字...高尾
1943年6月5日、日比谷公園で山本五十六の国葬が行われた日。奇しくも日本海軍の元帥東郷元帥と山本元帥は同じ6月5日に国葬が行われたことになる。1943年(昭和18年)い号作戦終了後、山本は、ブーゲンビル島、ショートランド島の前線航空基地の将兵の労をねぎらうため、ラバウルからブーゲンビル島のブイン基地を経て、ショートランド島の近くにあるバラレ島基地に赴く予定を立てた。その前線視察計画は、艦隊司令部から関係方面に打電された。小沢治三郎は、山本機と宇垣機の
2014(平成26)年4月2日(水)から5日(土)まで公開されている田戸台分庁舎一般公開に4日(金)に行ってきました。場所は、JR横須賀駅からバスで10分程の聖徳寺坂上のバス停で下車して、聖徳寺の脇の坂を登ると5分程で目的地に到着します。聖徳寺脇の坂を登ると高台の一等地に旧大日本帝國海軍横須賀鎮守府長官官舎はあります。桜がちょうど見頃でした。ユニオンジャック(英国の国旗)の翻る所、太陽は沈まないと云わしめ、7つの海を支配した大英帝国海軍と並ぶ、当時、世界最強の海軍だっ