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母の実家のお墓参りへ行くたびに前を通って、ここってこの地域の氏神様だよなあと、気になっていた神社へ、お参りして参りました。ViewthispostonInstagramApostsharedby律(@ritu_simo)幼少期、母の実家で祖母に育てられた時期が長い私。絶対に行ったことがある。思い出せないけど、行ってみようと思いたちました。思い出せません。こんな印象的な参道、微かにでも記憶にありそうなものです。謎に思いつつ、参拝を済ませました。拝殿向かって右手には
2022年11月28日東京都西東京市田無町の田無神社に参拝しました。由緒創立は遠く不詳なるも、鎌倉期に本宮は谷戸の宮山に鎮座。尉殿大権現と呼ばれていた。江戸幕府の開幕におよび、上保谷に分祀(保谷の氏神神社の現、尉殿神社)後、現在地へも分祀、その後に本宮を遷座、尉殿権現は明治政府の「神仏分離」政策により、明治5年(1872)に田無神社と社名を改めます。明治43年(1910)に町内の5つの小社を合祀、昭和24年(1949)に大阪市阿倍野の大鳥神社より大鳥大神が分祀され現在に至ります。鳥居
前から行きたかった田無神社へ参拝してきました。(ブログの鳩森八幡神社から神社パン屋さんから田無神社まで都内で外せない予定があり同じ日に行っています。ありがたいことに平日の寒い日で人も少なく密にはなりませんでした。)田無神社田無神社公式ページ(東京都西東京市)宇宙につながる小さな扉が田無の地にありました。さあ、五龍神のすまう田無の杜へ。tanashijinja.or.jp撫龍です。
閑話休題。で、参道沿いに社務所臘梅に品があるなぁ今にも話だしてきそうな狛犬ちゃんなんだか愛らしい顔つき🐶本殿は重厚感たっぷりなにが凄いって、木彫りが圧倒されるほど。木彫は嶋村俊表(しまむらしゅんぴょう)✳️嶋村俊表とは(田無神社HPより抜粋)左甚五郎を祖とし、江戸幕府公認の神社や仏閣の彫刻を担当した名門・嶋村家の八代。初代・嶋村俊元は浅草寺屋根上の力士、五重塔を手掛け、その息子である二代目・嶋村円鉄は成田山新勝寺光明堂(1701年、国・重要文化財)、同・三重塔(1712年
パクです、久しぶりのレポになりますすっかり秋になりましたね皆さんはお変わりありませんか?2019年の年明け一発目のチヒロ☆なうで、並木良和さんが初めて外ロケをしている回が、西東京市の「田無神社」でした。https://youtu.be/TTkHjjtjTFY初めて聞いた神社さんでしたが、五龍神を祀る神社にときめきましたその後、白石泰三さんの『パラレルワールドで待ち合わせ』の本を読んで、中に出てくる神社が田無神社と五龍神でそのシンクロニシティに鳥肌が立ち、いつか行きたいと思っていたこ
長作町の諏訪神社は、花見川右岸の小高い山の山頂に鎮座されています。社格:旧村社創建:伝・延暦年間主祭神:建御名方命(タケミナカタノミコト)下照姫命(シタテルヒメノミコト)例祭:十月十八・十九日行事:オビシャ一月十一日その他:境内に社務所等はなく普段は無人です。毎月一日と十五日の朝7:00頃に神職?が来られるようです。各地に鎮座されておられる地域の諏訪神社の一社ですが、社殿の彫物に驚きました。村の鎮守様のお社としては立派です。下総台地の端に位置するの
こんばんは今日は寒いですね〜。23区内も今夜から雪が降るかもしれないそうで❄️お氣を付け下さい。さてさて、旧暦元日&新月だった1/25は、羽黒山伏の星野先達とご一緒に恒例の聖地巡礼に行って来ました🙏✨今回は龍神様に関わりのある神社仏閣をお参りしました。キーワードは「登竜門✨」まずは、高円寺にある宿鳳山高円寺へ。こちらは高円寺の地名の由来である曹洞宗のお寺で、境内には龍が描かれた「双龍鳥居」がありました。撮影禁止だったので写真はありませんが。将軍・家光が鷹狩りの際立ち寄られたそうで
七五三の時期です。そのための家族連れも、多く。この上に立っての記念撮影。右手にあるのは、身長を計測するもので、もちろん、そこに立って、やはり、写真を撮ります。で、正面が、何よりも大事な、本殿と拝殿。これは、東京都指定文化財で、特に景観上重要な歴史的建造物等選定、とあります。この彫刻が、嶋村俊表によるもの。嶋村家は、代々、彫物大工を継承する家柄で、俊表は、その8代目。左甚五郎を祖とする、とあります。田無神社は、1858(安政5)年に、俊表を招いて、本殿を作ったと。本来なら、その
西武新宿線の田無駅で下車。この駅での乗降、はじめてです。そもそも、「田無神社」の存在も、知りませんでした。しかし、話題になっているとかで。神社の由緒記を読むと、鎌倉時代、13世紀の創建。尉殿大権現崎(じょうどのだいごんげん)と呼ばれていたとか。祭神は、雨と水と風を司る龍神様である、級津彦命(しなつひこのみこと)と、級戸辺命(しなとべのみこと)。ところが、徳川家康が、江戸幕府を開くにあたり、城や町の壁を建造するために、大量の石灰を必要とし、それを青梅に求めた。そして、青梅街道を開いた。
ウーロン今日は、ウーロンの大先輩がお祀りされている神社五龍神さまが勢揃いの「田無神社」のお参り報告だよ去年の10月だったね〜うん!たくさん龍神さまがいて、楽しかったよ~境内図参道入口七五三や酉の市、神社はいろいろな催し中だったよ狛犬さん、こんにちは狛ベビー、可愛いね〜〜一の鳥居をくぐって右側に、まず赤龍さんに会いました〜ここからだと、見えないね~赤龍神境内の南を守っている。書斎
こんにちは勉強を手段とした人づくりhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~syurenkan/「面授面受」の学習塾修練館代表のwin13です一昨日の日曜日の夕方「田無神社」へ行ってきました途中、大泉学園を通りました桜並木があることは知っていましたがあ~んなに長いとは思いませんでした春はきっと見事なのでしょうねまたさすが「学園」というだけあって学習塾が目立ちました(職業