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戦)小早川秀秋:聖夜の提灯戦)今井宗久:布袋卿法印武)柳生石舟斎:殴込の決心覇)足利義輝:雪の恋人呪)三好長慶:聖夜の天下人射)島左近:髭左近覇)松永久秀:紳士の志呪)安国寺恵瓊:聖樹の宴会僧薬)真田昌幸:緑衣の聖者武)長野業正:赤鼻の橇曳©コーエーテクモゲームス
オーラルヒストリーこのブログでは歴史の話をするときに根拠となる史料をご紹介していますが、そのなかでよく取り上げるのが『史談会速記録』です。これは明治中期以降に幕末・維新の生き残りの人から体験談を聞いたときの記録、つまりオーラルヒストリーです。体験談ですからリアリティーがあって面白い話が多いのですが、歴史学者はたいてい軽視しています。面白いのになぜ軽視するのかを不思議に思って、あるとき知り合いの研究者にたずねたら、「あれはB級史料です」といわれました。日記は通常なら本人
Day22となる10月27日(月)は、亀岡市からどっちの方面に向かうか迷ったが、11月はじめの連休前に一旦帰宅することにし、北陸経由ではなく、あまり好きではない南ルートを行くことにした。東北に寄りたかったが、街中でもクマが出没しており、ちょっと行く気になれない。また、体力も少し落ち気味なので、連休の混雑を避けて、出直すことにした次第。亀岡市を出て、前日友人たちとの再会を楽しんだ京都市内を抜け、大津から琵琶湖の東岸を北上する。走ってみて、琵琶湖の大きさを改めて実感。Day22の宿泊
こんにちは。日中はまだ30℃越えの日もありますが、だいぶ過ごしやすくなりました。散策には持って来いの気候ですが、年末に向けては忙しくなるのも玉に瑕。10月も近場で我慢しようかと思います。さて、南宮大社のついでに関ケ原古戦場記念館へ行きました。平成27年オープンですから10年くらいにはなるのですね。道路沿いには旗が靡きます。各将の陣跡も訪れたいのですが、キリがないのでまた今度。館長は小和田先生、アンバサダーは名古屋が誇る女優、竹下景子さん。岡山烽火場、黒田長
慶長5年(1600年)9月15日、前日から降った雨が止み早朝は深い霧に包まれた。東西両軍合わせ16万人の軍勢が、美濃國関ヶ原に集結。東西両軍は、それぞれの想いがあるなか着陣を済ませ戦の開始を今か今かと待っている。東軍桃配山に3万の軍勢で布陣した徳川家康。『関ヶ原の戦い東軍徳川家康最初陣地』関ヶ原に来たら外せない場所の一つ。徳川家康が東山道沿いにある桃配山に、最初に陣を構えた所。慶長5年(1600年)9月14日、徳川家康は赤坂に着陣。9月15日の…ameblo.jp徳川家康の陣から
期間:2025/09/12〜09/16天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額戦)武田義信:若虎の義烈戦)稲姫:剛柔の妙戦)足利氏姫:確固たる矜持戦)高橋紹運:風神化身の義戦)島左近:鬼左近戦)吉岡妙林:堅忍の烈女戦)最上義光:出羽侍従の情戦)毛利勝永:愁傷礼賛の勇©コーエーテクモゲームス
星2がない代わりに通常の1.5倍のお値段。……どうなんだろうなぁ。期待値は低いと仰っていた方もいらしたが。今回は多いので分割。では、見ていこう。先ずは星5覇道者石田三成さん吟味済み。『【信長の野望20XX噺】石田三成ピックアップ』昨日も記したが、本日こちら『東京ビエンナーレ』明日、2023.09.29(金)東京ビエンナーレ東京ビエンナーレ2023|東京の地場に発する国際芸術祭東京の地場…ameblo.jp〈一言二言〉スキルは悪くないのだが、固有が本人と噛み合っていない。た
期間:2025/09/10〜09/17天井:200(50&100時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額※貴石150覇)石田三成:主従三世の縁射)毛利輝元:三つ星の後継者覇)宇喜多秀家:光風霽月の姿戦)長宗我部盛親:不断の鍛錬戦)島左近:鬼左近武)直江兼続:万世不易の忠戦)上杉景勝:不変の面貌呪)真田昌幸:犬伏の画策薬)小西行長:緘黙の雄心覇)大谷吉継:金蘭の契り©コーエーテクモゲームス
店主は歴史が好きな方か、小さい頃に信長の野望に熱を上げてたか、ただ単純に語呂の良さが気に入ったのかは分かりませんが、関ヶ原合戦で名を馳せた石田三成の右腕「島左近」が頭を掠める「鳥左近」さんに行ってきました。たびたびお店の目の前を通り過ぎた事があり認識はしているけど入っていなかったお店。いざ尋常に参る。◯鳥左近木製のテーブルに柔らかい照明、更にジャズの様な渋い音楽が流れる。良い意味でラーメン屋さんらしく無い雰囲気が面白い。無添加無化調を売りとしていてラーメンにも拘りがありそうです。
岐阜県不破郡関ヶ原町には、徳川家康の東軍と石田三成の西軍が戦った関ヶ原の戦いの跡地を見ることができます。ここが開戦地の跡地です。関ヶ原町は四方を山に囲まれていて、あちらこちらに陣地を張って様子を見ることができます。戦国時代最大の合戦、関ヶ原の戦いは、まさにこの場所で行われました。今は、合戦が行われたとは思えない田園風景が広がるのどかな場所です。笹尾山の麓には、島左近が陣地をはっていました。石田三成に仕えた優秀な知将だと言われています。広い陣地だったようです。笹尾山の
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前回の三成公ゆかりの地を訪ねての続きです。お昼をいただいた後は、再びバスに乗り、寿聖院に向かいました。寿聖院は、三成が父正継のために建てたお寺で、一族の供養塔があります。ふだんは、非公開ですが、今回は団体予約のため、特別公開してくださいました。供養塔には、三成さまの遺髪も収められています。また、一族9人がここに眠られていらっしゃるそうです。ご住職さまのお話を聞いたあと、ご焼香をさせていただきました。ご住職さまのお話では、朝鮮の役に従事していた三成から、寿聖院開祖の伯蒲禅師宛てにいただ
慶長五年九月十五日未明。石田三成は関ヶ原の地に立ち、東の空を見つめていた。やがて夜明けとともに、天下の帰趨を決する戦いが始まる。「殿」島左近が静かに近づいてきた。「まもなく徳川の軍勢が動き出します」三成は頷いた。胸の奥で太閤秀吉の声が響いている。「三成よ、お前だけが頼りじゃ」豊臣の恩に報いたい。その一心でここまで来た。世間は己を野心家と罵るが、構わない。太閤殿下への恩義と豊臣家への忠誠こそが、己の生きる道だった。家康の謀略は見抜いている。だが、小早川秀
学研まんがNEW日本の伝記『石田三成』豊臣秀吉の天下統一を卓越した実務能力で支えた武将・石田三成。秀吉の死後、豊臣政権をおびやかす徳川家康に立ち向かい、天下分け目の関ケ原の戦いで西軍を率いて戦った。その忠義を貫いた生涯をオールカラーで描く。豊富なビジュアルの資料ページも付属。hon.gakken.jp弱さを知る勇気と、仲間を信じる力『学研まんが石田三成』を読み、豊臣秀吉と石田三成が目指した戦のない世への強い願いに深く感銘を受けた。関ヶ原の戦いでは西軍が敗れたが、その平和への志は、勝利
どうも、ブネです。今回は、慶長5年(1600年)5月15日に起こった関ヶ原の戦い本戦から2日後に起こった毛利輝元側の武将の一人ーー宍戸景好が大将となって、3,500の兵を引き連れて加藤嘉明の居城ーー松前城を攻めようと迫ったが、加藤嘉明の家来ーー佃十成が守り通したという出来事について、散文詩に書きたく存じます。「伊予松前城を守れ!」慶長5年(1600年)5月15日巳の初刻(午前9:00)、霧がかかっている中で、徳川家康方と大坂方による関ヶ原での戦が始まってしまった。先制
どうも、ブネです。今回は慶長5年(1600年)に起こった「関ヶ原の戦い」についての散文詩を黒田長政の視点で書きたく存じます。「黒田長政の足軽双子姉妹」慶長5年(1600年)9月14日、夜が更けた頃、小早川秀秋の軍勢11,000人が松尾山に着陣して、野営中の大谷吉継隊・平塚為広隊を見下ろす形となり、大垣城とも向かい合う形になったことで、大垣城にいた石田三成らは移動した。石田三成が直接率いる隊は笹尾山に陣を張った。この情報を聞き、徳川家康は慌てて、本隊を赤坂から桃配山へ移動させた。
期間:2025/05/02〜05/03天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額戦)武田義信:若虎の義烈戦)稲姫:剛柔の妙戦)足利氏姫:確固たる矜持戦)高橋紹運:風神の化身戦)島左近:鬼左近戦)吉岡妙林:堅忍の烈女戦)最上義光:出羽侍従の情戦)毛利勝永:愁傷礼賛の勇©コーエーテクモゲームス
関ヶ原古戦場記念館のあと、関ヶ原の戦いの最終決戦の地へこれは、島左近の陣地だった笹尾山。途中まで登ってたけど、なんか面倒になって山頂まで行くのは断念。山頂へ向かう途中から見た景色。見晴らしがいい!!そりゃあ陣地にするよねー古戦場周辺は、陣跡に旗が立っています。なので、どの辺に陣があったのかとってもわかりやすいそして、決戦の地。決戦の地、何か血なまぐさい感じなのかと勝手に思っていました。でも、ひらけていて明るい場所だし、いい意味で観光地として整備されていると思いました。血なま
しまさこにゃん。おはようございます。今日もよろしくお願い致します。何か良くわからんが、しまさこにゃん好きや(๑♡∀♡๑)しまさこにゃんしまさこにゃん-Wikipediaja.wikipedia.orgしまさこにゃんしまさこにゃんと仲間たち&しまさこにゃんプロフィール|LLP(有限責任事業組合)ひこね街の駅武櫓倶彦根城築城400年祭を盛上げる為に、的中突破?がんばる「しまさこにゃん」のかわいいスナップアラカルト...machinoeki.exblog.jp島清興→
期間:2025/04/25〜05/02天井:無し倍率:2倍(☆4武将獲得するまで確率アップ)戦)松永久秀:爆炎の梟雄武)鈴木重秀:猛き八咫烏武)雑賀蛍:燃ゆる蛍火射)島左近:第一の鬼星2射)佐武義昌:奇襲©コーエーテクモゲームス
期間:2025/04/25〜05/02天井:無し倍率:2倍初回:半額武)松永久秀:梟雄の志戦)島左近:第一の勇将射)鈴木重秀:雑賀鉢の守射)雑賀蛍:闇夜開眼星2射)佐武義昌:奇襲©コーエーテクモゲームス
昨年書いた過去記事「で、結局「鬼」は誰?『破墓パミョ』」が最近やたらと伸びてるなぁと思ったら、アマゾンプライムで会員無料公開が来てたんですね!!だったら観なきゃ!!…て事で…※当ブログの映画感想系記事は、基本的にモロネタバレは避ける方針ですが、今回は感想の都合上結構なネタバレ状態になっておりますので、くれぐれもご注意お願いします!改めてじっくりと見直し、謎だった鬼の正体まわりを中心にじっくり検証し直してみました!!で、諸々判明、再考察した内容をサクっと追記しておきますね
島左近の物語。純粋に軍略と戦に生きる島左近にはある種の魅力があった。武田信玄から教わった軍略を使い、三方ヶ原の戦いのような戦をしたくて大戦で指揮を取れる場を求めている。夢に描くのはそれ一つ。それをくれたのが石田三成だった。小田原征伐の際、蒲生氏郷の軍に陣借りし援軍として行った忍城の戦いで、石田三成を助け繋がりができた。石田三成は島左近が求めるものをくれる。関ヶ原で徳川を討ったあとは、豊臣の敵になりそうな伊達、島津、などを次々と叩くという戦絵図だった。いつか信玄公のよ
毎年恒例の「熊本城坪井川園遊会」事業の一つとなっている『城下町歴史散策』は、5月6日に開催されることになりました。今回は、加藤清正によって改修された白川右岸一帯、現在は下通など熊本市の中心市街地を形成している地区である侍町(江戸時代)を歩きます。今年も、当地名研メンバーが中心となって皆様をご案内します。4月6日にはメンバーが入念な下見を行ない、コースの再調整を進めています。また毎回コンパクトで詳しい!と好評の散歩資料(当日配布)も着々と準備中です。ご期待ください。散策コース概要や参加申込等につ
関ヶ原(下)(新潮文庫)Amazon(アマゾン)司馬遼太郎著「関ケ原(下)」を読みました。家康は小山での軍議を終えて一旦江戸へ戻ります。そこから思案に暮れ、中々出発しません。それまで首尾よく進めてきた中で、自らが現場に行くのが遅くなれば、既に現場に到着している将たちの士気も下がるのではないかと思いましたが、家康はこの期に及んで、小山での軍議に参加した者の裏切りを警戒しているのでした。家康は側近の本多正信と一計を案じ、現場に「敵を目の前にして、攻め込まぬとは何事か
季節は春なのに、秋のお話昨年9月に訪れた関ケ原陣跡を巡る旅のアルバムです。(ブログ纏める時間がなくて今頃書いてます)移動は駅前でレンタルした電動自転車徳川家康最初陣地のあった桃配山から市街地を通り、小早川秀秋の陣跡のあった松尾山を登山しました『いざ、関ケ原へ・秋の陣』関ケ原決戦地、石田三成陣跡前には地元の方有志で結成した「関ケ原盛り上隊」による地元の方が育てたコスモス畑がありました。私が訪れた時はまだ花の咲き…ameblo.jp『いざ
島左近陣跡島左近は、大軍を必死で食い止めようと奮戦笹尾山•石田三成陣跡無念だったろうね小池神明神社島津義弘陣跡敵中突破をした島津義弘は、西郷隆盛と共に、鹿児島では、人気があるそうです。開戦地開戦地小西行長陣跡床机場徳川家康が床机に腰掛けて敵将の首実験をした場所徳川家康最後陣地小高い山が、ボツボツあって、軍旗がはためいているだけで、何もないから余計、趣があります。兵どもが夢の跡っていう感じでした。来年の大河ドラマは、豊臣兄弟だから、また、関ヶ原も脚光を浴びそうです
関ヶ原(中)(新潮文庫)Amazon(アマゾン)司馬遼太郎著「関ケ原(中)」を読みました。相変わらずカッコよい島左近ですが、大阪の事情を探るために、遊郭に内偵に行きます。遊郭で遊んでいるようなそぶりですが、徳川方もさるもので、島左近が大阪にいることを察知し、刺客を放ちます。遊郭に入った島左近を、刺客が待ち伏せしますが、少々酒をたしなんだ左近は見事にこれを撃退、滅茶苦茶カッコイイです。映画観たのに覚えていない自分が情けないです。この後は権謀術数ですね。石田三成側と
関ケ原石田三成陣地(国史跡)笹尾山島左近陣跡
関ケ原(上)(新潮文庫)Amazon(アマゾン)司馬遼太郎著「関ケ原(上)」を読みました。著者の説明は不要でしょう。甥っ子が映画「関ケ原」が大好きなようなので、文庫本を私が読んでからプレゼントしようと手に取り、ようやく読み始めました。早々に島左近という大和の筒井家に仕えていた武将が登場し、左近は主人公の石田三成に三顧の礼をもって迎えられたとありました。この島左近がやたらとかっこいいのですが、かつて観た映画では印象に残っておりませんでした。いや、映画の内容をすっかり忘れ