慶長5(1600)年に勃発した関ヶ原の戦いは、当時の暦でいうと9月15日、現在の暦なら10月21日に火ぶたが切られました。東西あわせて10万人を超える軍勢が集結した戦いはわずか半日で決着がつき、西軍をまとめていた石田三成は陣を離れて潜伏したものの捕えられ、京都で打ち首となりました。これだけの軍勢が集まる戦陣であれば通常は膠着状態となり、何らかの形で和睦が進むというのが相場かと思いますし、そう思っていたからこそ全国各地でいろんな思惑からいろんな戦いが繰り広げられていたわけですが、何しろ半日で決着が