ブログ記事612件
大垣城を離れて次に向かったのは関ケ原古戦場跡でした。滋賀県に住んでいたころに訪問した記憶がありますが40年近く時間が立っているので記憶にほとんど残っていません。今回は時間の許す限りいろいろ見て回る覚悟で訪問しました。まずは西軍の大将石田三成の陣を目指しました。ここは関ケ原の戦場を一望できる場所になっていてここに陣を置いた理由がよく分かる場所でした。実際の建物などはないのですが石碑や説明版がその当時を思いおこさせてくれます。西軍側だった島津義弘の陣も近くにあ
南光坊天海⑫天海にとって順慶とは、武士とは思えぬ優柔不断な男で、明智家滅亡を決定づけた男である。「光秀は、順慶にとって、ただの寄親ではなく、織田家中では恩人であり、親代わりともいえる存在であった。無論、筒井家存続のための決断であれば、細川家のように、早々に旗幟を鮮明にすればよかったのだ。結局、その優柔不断な態度が、明智家の戦略を狂わせ、自らの立場も損ねた。細川家は秀吉政権下でも生き残り、陰に日向に明智一族に救いの手を差し伸べた。それに比べ、順慶は秀吉から辛く当たられ
南光坊天海⑪天王寺砦にいた佐久間信盛、明智光秀らは雑賀衆ら本願寺勢の急襲を受け、1万5千の大軍に包囲されて窮地に追い込まれた。信長は直ちに救援に訪れ、僅か3千で本願寺勢を駆逐し、光秀らを助け出したのである。これ以降、順慶は、光秀の与力となり、「大和国一円筒井順慶存知」として大和国支配を許されることになる。順慶は大和守護となり、直轄領18万石と与力衆26万石、都合44万石を支配することになったのであった。こうして順慶は光秀の与力大名として各地を転戦することになる。
慶長5年(1600年)9月15日、前日から降った雨が止み早朝は深い霧に包まれた。東西両軍合わせ16万人の軍勢が、美濃國関ヶ原に集結。東西両軍は、それぞれの想いがあるなか着陣を済ませ戦の開始を今か今かと待っている。東軍桃配山に3万の軍勢で布陣した徳川家康。『関ヶ原の戦い東軍徳川家康最初陣地』関ヶ原に来たら外せない場所の一つ。徳川家康が東山道沿いにある桃配山に、最初に陣を構えた所。慶長5年(1600年)9月14日、徳川家康は赤坂に着陣。9月15日の…ameblo.jp徳川家康の陣から
戦国に咲きし一輪戦(いくさ)花龍興(たつおき)落し織田渡河させし※竹中半兵衛は「その容貌、婦人の如し」と言われたが、難攻不落の稲葉山城を僅かな手勢で占拠し、斎藤龍興を逃亡させるなど、まさに軍師であり、これが織田信長の美濃攻めにつながる。しかし若くして病に死す。黒田武士後藤又兵衛アッパレよ夏に散りても春また咲きし※黒田武士きっての武将、後藤又兵衛は主君黒田長政との確執から出奔。大阪夏の陣で討死するか
色々とバタバタしてまして、ようやく落ち着いてきたので2023年秋の旅行記と行きましょうか。2023年10月20日。この時からリアルタイムで書いてましたので『実刻旅記・美濃国~越前国』そういや今回は出立報告してなかったなと。折角ノートPC持って行ってるんだからリアルタイムでアップすれば良いんじゃないの?…という事に気付く。何故に今まで気付…ameblo.jpこれですね。セントレア空港着。すげー雨だわー…止むといいんだけど…ブヒー一階のフロアが八つ木瓜鍔風の壁紙なっ
期間:2024/09/06〜10/04天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額覇)石田三成:主従三世の縁覇)大谷吉継:金蘭の契り戦)島左近:第一の勇将戦)浅野長政:五奉行筆頭戦)佐竹義久:月丸の旗幟星3武)佐多忠増:猪武者・弐星2射)太田一吉:機特効・弐©コーエーテクモゲームス
期間:2024/09/06〜10/05天井:無し倍率:2倍(☆4武将獲得するまで確率アップ)初回:半額戦)石田三成:至忠随一の奉戦)大谷吉継:至誠無息の克武)宇喜多秀家:千軍万馬の構薬)小西行長:緘黙の雄心戦)島左近:鬼左近戦)長宗我部盛親:不断の鍛錬星2射)田丸直昌:堅気の心組射)赤座吉家:技巧家©コーエーテクモゲームス
期間:2024/08/23〜08/30天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額武)碓井貞光:大石担の剛腕戦)石田三成:至忠随一の奉戦)蘆名盛氏:炬眼の俊髦戦)島左近:鬼左近星2戦)岩上朝堅:疑心暗鬼武)沼田顕泰:竹蓖返し©コーエーテクモゲームス
【幸村】PHP文芸文庫【著】嶋津義忠真田幸村を題材にした時代小説。著者は、真田十勇士の真田幸村が好きなのかなと思った作品。真田十勇士の中の忍び二人にはドラマを描いていたので、恐らく著者は大分好きなのかなと感じた。あと数人の十勇士を登場させているが、あまり効果的な使い方ではなかった気がする。恐らく著者は、戦国武将の中で島左近も好きな人物だったと思われ、わざわざ、死んだはずなのに生きていた設定にして登場させているが、あまり効果的な印象はなかった。忍びなのに人を殺さない設定もなかなか不
やあ、諸君!ご機嫌いかがかな?こちらは生憎の雨ではあるが、暑い日々が少しは和らぐと思えば悪くはなかろう。え?ダウナー?……うん、アレだ、三日坊主。それとな、今まで吟味は辛口が過ぎた。今後は良い所をどんどん見ていこう。運営の皆様も頑張っておられるからな。いやぁ、特に何かあったワケではないのよ……まだね。今回は、戦術の極シリーズが今日の14:59までなので、些か詰め込みが過ぎるが極・参と四のリンクも入れてしまう。無計画なすまんな。本日最初は星4戦術家島左近さん吟味済み
京都にある教法院で、戦国武将島左近の墓の発掘調査がありました。島左近の墓は全国に5ヶ所あるようです。武将などは戦死した場所、ゆかりの地、生まれ故郷などにあるから複数あっても不思議じゃないです。関ヶ原で戦死ではなく、落ち延びて32年後に没となっています。島左近安土桃山時代の武将。石田三成の家臣。石田三成から、三顧の礼で仕官を受け入れる。知行の半分の禄という破格の待遇。関ヶ原の戦いでは、前日の杭瀬川の戦いで勝利。本戦では、自ら陣頭に立ち指揮する。黒田長政の別働隊からの銃撃により
期間:2024/06/14〜06/21天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額戦)武田義信:若虎の義烈戦)稲姫:剛柔の妙戦)足利氏姫:確固たる矜持戦)高橋紹運:風神化身の義戦)島左近:鬼左近戦)吉岡妙林:堅忍の烈女戦)最上義光:出羽自恃の情戦)毛利勝永:愁傷礼賛の勇©コーエーテクモゲームス
--------------------------------------------2024年いい人材にはいいおもてなしをするのは当然だと思います。よくない人材は基本いないので、よくない人材と思っているのなら使い道を考えなおします。--------------------------------------------2023年島左近、、、良い武将ですもんね。半分払いますよ、私も。私にすぎたるもの、島左近。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)
さ~て、数日前、興味深い話題に接しました。それは、石田三成の重臣・島左近のものと伝わる墓から、ほぼ全身の骨が発掘されたと言うモノでした。以下、讀賣新聞(6月6日配信)の記事を転載させて頂きます。尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。大阪城天守閣が蔵する島左近の画像戦国武将・石田三成の重臣・島左近のものと伝わる墓の発掘調査が6月5日(水)、京都市上京区の教法院(きょうぼういん)で行われ、ほぼ全身の骨が見付かった。左近の骨かどうかは不明
毎日山のように迷惑メールが来る私。毎日せっせと削除している。本当は迷惑じゃないのもあるのかもしれないけど。覚えがないところからのメールは、見ないで削除している。昨日は、メールを開く間もなかった(寝てたので)案の定、山のようなメールが溜まっていた。あからさまにおかしいのも(英数字の羅列とか)お取引のないところからの請求も(なぜ西日本の会社が・・・)まとめて削除削除。しかし、ふと手が止まってしまった。覚えのないところのメルマガなのだが。見出しが「石田三成の重臣島左近のも
嶋左近の墓を調査したところ、人骨が発見されたとのニュースです。石田三成に過ぎたる男謎に包まれた関ヶ原後の生存伝承これ以上の感動はない。左近、生きていたならばとても嬉しい。https://t.co/SmE1GFrWXf—石田三成@ZIBU(@zibumitunari)June5,2024【年代など調査へ】石田三成の重臣・島左近のものと伝わる墓、ほぼ全身の骨発掘京都https://t.co/nPzPIdFk6v左近は関ヶ原の戦いで討ち死にしたとされるが、生き延びたとの
の墓がある寺院は何処か?洛中法華二十一カ寺本山は、天文5年に延暦寺の衆徒が本山を焼き討ちし、法華宗徒を武力で洛外へ追放した天文法華の乱以前に洛中に在った法華宗系の21本山。島左近は石田三成に破格の高禄で迎えられたとされる武将。関ヶ原の戦いでは徳川方も恐れる戦いをした逸話が残る。その墓は立本寺にあり、妙顕寺・妙覚寺と共に山号は「具足山」で「龍華の三具足」と呼ばれる。立本寺の名勝「龍華苑」江戸期の代表的庭として有名。
天海(187)「内府公者赤坂不暁に立せられ野加みと関か原之間に御旗本之御人数被備御馬廻魚鱗鶴翼之陣取其朝霧深く降て雨もそぼ降物之色目も見えわかず漸巳刻計に空も晴けに見え渡る時に沢井左衛門尉、祖父江法斎、森勘解由、奥平藤兵衛物見に罷出御敵も出合寄相かしらに相戦心はせ之高名有。」(「内府公軍記」太田和泉守著)太田和泉守とは「信長公記」の著者太田牛一のことである。牛一によると、霧が晴れて沢井、祖父江、森、奥平の4人が物見に出たところ、敵と遭遇し出合い頭に戦闘になった、と書
動画はフレデリック・ショパンが1841年に作曲。ポロネーズ第5番(ポロネーズだいごばん)嬰ヘ短調作品44です。同年出版された。次作の『英雄ポロネーズ』と同様に雄渾な曲想と、中間部にマズルカを取り入れた新しい形になっている。『英雄ポロネーズ』とは対照的な悲劇的な作品で、演奏時間も10分以上を要する大作。中間部にマズルカをはさむことにより、ショパンはポロネーズとマズルカというポーランドの伝統的なリズムを一つの曲で表現することに成功した。日本以外では"Tragic(悲劇的)"というタイトルで呼ばれる
天海(184)下図は有名な関ケ原の布陣図である。これを見ると東軍が魚鱗の陣(縦隊)、西軍が鶴翼の陣(横隊)であることが良く分かる。戦形を見ると高台に陣を布いた西軍が有利というのも理解できるのだ。しかし、実際の戦闘では、右翼の小早川隊は、既に東軍に内応していることが露見していて、三成らは、敵であると認識していた。そうすると戦いの経緯は自ずと異なるものになる。さて、大垣城にいた西軍は約3万人、南宮山に2万5千人といわれている。これに対して赤坂に布陣している東軍は7万
夏草や兵どもの夢のあとこんな句を思い出さずにはいられない関ケ原古戦場決戦地あたり開戦の烽火をあげた黒田&竹中陣のあった岡山(丸山)から石田三成、東左近の陣跡のある笹尾山に向かって歩いていきましょう開戦の烽火をあげた岡山(丸山)は竹林あり、小川あり、池ありと変化があり爽やかなウォーキングを楽しむことができました。歩道も整備されているのでとても歩きやすいです山を下りるとのどかな田園風景がみえてき
期間:2024/04/26〜05/03天井:無し倍率:2倍(☆4武将獲得するまで確率アップ)戦)松永久秀:爆炎の梟雄武)鈴木重秀:猛き八咫烏武)雑賀蛍:燃ゆる蛍火射)島左近:第一の鬼星2射)佐武義昌:奇襲©コーエーテクモゲームス
期間:2024/04/26〜05/03天井:無し倍率:2倍初回:半額武)松永久秀:梟雄の志戦)島左近:第一の勇将射)鈴木重秀:雑賀鉢の守射)雑賀蛍:闇夜開眼星2射)佐武義昌:奇襲©コーエーテクモゲームス
こちら前々から目論んでた城跡なんですが、一部立入が制限されてるとのことで、後回しにしてたんです。全面解除になった情報もないまま、辛抱たまらず椿尾上城を攻めた後に突撃してしまいました。奈良県生駒郡平群町椿井大和・椿井城(つばいじょう)別名:椿井山城椿井城は、築城時期、城主に関する確実な史料が残っていないものの、当初は在地土豪の椿井氏が室町時代から戦国時代の間に居城として築いたとされる。天正期には大和国で筒井氏と松永弾正さまの抗争が続いており、弾正さまは滅亡する天正5年10月まで椿井
←クリックしてご覧ください→過去の平成16年から令和元年の一言関ケ原古戦場決戦地跡現在の決戦地跡案内板石田三成陣跡島左近陣地跡案内板案内板関ケ原古戦場開戦地跡陣地見取り図現在の合戦跡地平和の杜遠景山林案内岐阜県関ヶ原町古戦場記念館通路売店プラント6岐阜県瑞穂市犀川大きなショッピング場です今から400年前に天下分け目の合戦が行われた岐阜県関ヶ原合戦場跡地を訪れました。西暦1600年、慶長5年の出来事ですが、現代社会のように音の出る動力の
期間:2024/03/15〜03/22天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額覇)石田三成:主従三世の縁覇)大谷吉継:金蘭の契り戦)島左近:第一の有償戦)浅野長政:五奉行筆頭戦)佐竹義久:月丸の旗幟星2射)太田一吉:機特効・弐©コーエーテクモゲームス
おすすめ歴史映画ですけど〜司馬遼太郎の小説関ヶ原に登場する徳川家康、石田三成、島左近などが原田真人監督の関ヶ原に登場する役者さんがそっくりで驚きました。よく小説と映画はなにか違うと言う違和感がなかったです。三成が失脚する様はなんとも言えません。人格と運を学べる映画です。深いです。参考になります。皆さまの人生に。
※こちらの記事は、平成28年2月1日に書かれたものです。ブックレビューも久方振りですね。やり方を少しずつ思い出しながら、ブログ更新!言わずと知れた大歴史小説家、司馬遼太郎氏。彼が秀吉(ひでよし)死後~関ヶ原(せきがはら)の合戦を描いた作品。『関ヶ原』下巻のレビューを読みたい方は、下記リンクをタップしてください:司馬遼太郎『関ヶ原』下関連記事:司馬遼太郎『関ヶ原』中関連記事:関ヶ原の戦いに学ぶ―相手に納得感を与えるこの作品自体の感想に入る前に、司馬遼太郎氏の作風に関して…ど
「治部少(石田三成)に過ぎたるもの二つあり島の左近と佐和山の城」昔、それこそ中学生ころか、島左近と佐和山城は、三成贔屓の私の脳裡に強く刻まれた。三成は自らの知行4万石の内、2万石を家臣の左近に与えたという逸話も。島左近とは?だがまた、次の左近の逸話もよく記憶している…。………「島津(豊久)殿、夜討ちなどせぬとも、あすの大会戦は我が方有利、我ら久しぶりに家