ブログ記事713件
2023年10月25日今日は何の日か世界パスタデー1995(平成7)年のこの日、イタリアで世界パスタ会議が開催された。EUやイタリアパスタ製造業者連合会などが合同でパスタの販売促進キャンペーンを行っている。民間航空記念日1951(昭和26)年のこの日、戦後最初の国内民間航空会社として設立された日本航空が、一番機の「ど星号」で東京~大阪~福岡間の運航を開始した。産業観光の日名古屋商工会議所文化委員会が制定。2001(平成13)年のこの日、名古屋
おすすめのパスタソースはある?A予約でいっぱいの店のボロネーゼ▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう✋おいっす✋今日の記念日はなんじゃいな?🍝世界パスタデー🍝1995年10月25日にイタリアで第一回世界パスタ会議が開催されたことにちなんで、国際デーのひとつとして記念日が制定されております。※国際表記WorldPastaDay※例年10月25日には欧州圏やイタリアのパスタ製造業者連合会などが中心となり、合同でパスタの販売促進キャンペーンなどが展開されております
いつでも君を待っているQ.おすすめのパスタソースはある?A.普段ミートソースだけど時々たらこ落合務の美味パスタ(講談社+α文庫)Amazon(アマゾン)30〜6,592円ミートソースのレシピ掲載イタリア修業時のエッセイがすき▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう旅する長崎学(3)キリシタン文化326聖人殉教、島原の乱から鎖国へ[長崎文献社]楽天市場880円${EVENT_LABEL_01_TEXT}ちなみに島原の乱が
1637年(寛永14年)のこの日、過酷な年貢の取立てやキリシタン弾圧に耐えかねた島原の領民が代官・林兵左衛門を殺害し、「島原の乱」が勃発した。島原の乱の日(10月25日記念日)|今日は何の日|雑学ネタ帳zatsuneta.com一気に眠るとスッキリするけどまた眠い起きたばかりの時は「よく寝た〜」なのに30分もすると、また眠くなるいくら寝ても眠い疲れが取れないのか栄養剤だわねさっ!今日は久しぶり午前のみ勤務ランチ何しようってランチっぽいの食べないけど
1995年のきょう、イタリアで世界パスタ会議が、開かれマンボぉ!EUや、イタリアパスタ製造業者連合会さんなどなどが集まってぇ…パスタの販促キャンペーンってのを大々的にやらかしマンボぉ!ちなみにきょうは…いやーん!島原の乱の日でもあんでちゅー!なんでも1637年のきょう、過酷な年貢取立てやキリシタン弾圧に…島原の皆さん、耐えらんなくなって…代官の林兵左衛門さんを…三途の川向こうに追いやったんで、島原の乱が…勃発マンボぉ!おすすめのパスタソースはある?▼本日限定!ブログスタン
今回も小6長男による歴史考察です✨_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/島原、天草に散った少年、天草四郎!〔はじめに〕天草四郎は17歳ぐらいの少年でした。そんな天草島原は、色々な謎があります。ここでは、天草四郎のことについて考察します。〔島原藩〕島原の乱は、松倉氏は幕府に藩の石高を過大評価し、農民たちが治める税が重くなり、飢饉が起きてたこともあり、農民たちは納税するのが厳しくなりました。それでも九公一民の重税を課し、「納められない人の、妊娠している妻を水牢に
2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、途中に中断もありましたが、本日は第63回目で、RC造り模擬「島原城」(長崎県島原市城内)の「天守」をお届けします。初回は、「プロローグ」ということで「天守」についてのエピソード等をお話をし、2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載してきました。『<北から南へ「天守」シリーズ>プロローグ』本日から、『北から南へ「天守」シ
EVEです。またまた「山形麵屋殿」の店主が面白いメニューを期間限定で出してきましたよ。今回はなんと、島原の乱をモチーフにした「鳥原の乱」とな!なになに?鶏肉とバラ肉が入った甘草汁(あまくさしるぅ)wwに蕎麦とうどんが入り乱れるだと?!(笑)蕎麦が180グラム、うどんがその半分の90グラムだそうです。まあ、今までの蕎麦とうどんの合い盛りですと、蕎麦は蕎麦、うどんはうどんという風に分かれてましたので、当然食べる時もそれぞ
だいぶ以前の稿で、吉川英治と司馬遼太郎について書いた。二人はともに日本を代表する歴史作家だが、親子ほどの年の違いがあり、吉川英治のほうが年長で先輩である。司馬の著作が直木賞候補となったときの選者であった吉川は、意外にも受賞に反対した。結局は他の選者たちがこれを推し、受賞となったといういきさつがある。歴史作家として正統な継承者と見られがちだが、必ずしもそうではない微妙な関係がうかがえる。『だから、いやなんだ~文豪・吉川英治の或るつぶやき~』歴史小説の大家は大勢いる。物故者だけを五十音順で
鹿島市の山浦地区の夏祭りで浮立ふりゅうが披露されるということで、浮立の中でも面浮立が行われる夕方に山浦天満宮へ行ってきました。浮立ふりゅうは、鉦浮立、面浮立、舞浮立などがあり、面浮立は鬼の面をつけた舞手が鉦浮立の叩く鉦の音、太鼓、笛などの囃子で力強く舞うものです。浮立は佐賀や長崎などに伝わる民俗芸能で、特に佐賀県鹿島市やその周辺には面浮立を゙多く観ることが出来ます。鉦浮立女性が華やかな衣装で二人一
はい!奈央です。天草コレジヨ館を出た後、潜伏キリシタンの郷崎津集落に向かいました。崎津天主堂天草宝島観光協会HPよりお借りしました。天草コレジヨ館HPよりお借りしました。崎津に到着した私は、さっそく崎津教会に向かいました。ところが、狭い漁村の道路に多くの観光客が車でやってきており、駐車場はもちろんの事、離合にする難儀するほどでした。警察が出動して交通整理に当たっておられました。これは無理だわ。そう思った私は、崎津教会が見える対岸に向かいました。向か
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産で世界遺産になった原城跡へ行ってきました。原城は天草四郎時貞を総大将として幕府軍と戦った島原の乱が起きた場所です。三の丸と二の丸の間くらいから。原城は、鎌倉時代に築かれた日根江城の支城として戦国時代に有馬氏が作りました。有馬氏は、あの藤原純友の末裔ともいわれてます。この原城は豊臣秀吉の朝鮮出兵の後に有馬氏に整備され、堅固な城となりましたが、徳川幕府の一国一城令によって廃城になりました。
「島原の乱」の第一報とは、■熊日(20230719)「細川キリシタン群像⑦」によると、島原の乱の第一報はこうだったという。「嘉永14(1637)年10月27日、キリシタン百姓らの『一揆』が島原城下を焼き討ちしているとの急報が、島原藩松倉家の家老たちから熊本藩の家老衆のもとに届いた。」30日に天草の庄屋から細川家に伝えられた内容は、主犯は宇土の牢人甚兵衛の子で15歳の「四郎」であると。その他、当時のことが詳細に記述されています。この記事は面白いですね。ぜひ、中学校社会科では読み取りをさ
○2023年3月19日に、南島原市南有馬町に存在する『国指定史跡:原城跡』を訪れた。その原城本丸跡付近には、前回案内した『天草四郎時貞の碑』の外、様々なものが建っている。それらの中で気になったのが、『佐分利九之丞の墓』だった。○どうして『佐分利九之丞の墓』がここに存在するのか。それが気になった。現地には、次の説明文が設置してあった。佐分利九之丞の墓佐分利九之丞(1578~1638)は、鳥取藩池田家の家臣で島原・天草一揆の時に使者として息子の成次、成興らと共に有馬の地
○2023年3月19日に、南島原市南有馬町に存在する『国指定史跡:原城跡』を訪れた。その原城跡に、『天草四郎時貞の碑』なるものを見付けた。碑の』脇にある案内板には、次のようにあった。天草四郎時貞の碑この碑は、西有家町にある民家の石垣の中にあったものをこの場所に移したものです。天草四郎小西行長の家臣、益田甚兵衛の子で、本名増田四郎時貞といい洗礼をうけてジェロニモと称し、籠城中に書いた「四郎法度書」にはフランシスコと署名して
○2023年3月19日に、南島原市南有馬町に存在する『国指定史跡:原城跡』を訪れた。その原城跡について、これまで、ブログ『国指定史跡:原城跡』、『世界遺産:原城跡』、『長崎県の原城跡』、『原城跡』と、四つものブログをものしている。・テーマ「海の民の肥国をさるく」:ブログ『国指定史跡:原城跡』国指定史跡:原城跡|古代文化研究所(ameblo.jp)・テーマ「海の民の肥国をさるく」:ブログ『世界遺産:原城跡』世界遺産:原城跡|古代文化研究所(ameblo.jp)
○これまで、ブログ『国指定史跡:原城跡』、『世界遺産:原城跡』と見て来た。同じ原城跡なのだが、見る人、時代、立場、考え方によって、随分と違う。今回は『長崎県の原城跡』と題して、原城跡に存在する長崎県の石碑を考えてみたい。○長崎県南島原市南有馬町に存在する原城跡に、立派な石碑が建っていて、『原城跡』と大書した下に、次の文が刻んであった。原城跡徳川幕府の、キリスト教徒弾圧、同時に松倉重政、勝家父子、二代にわたる悪政によって、その日の生活を脅かされた有馬地方の信徒は、天草
島原の置屋輪違屋の「主の間」は、お茶屋も兼業するようになり客にも利用される事になる。一見その襖は、桂離宮「松琴亭」の市松模様を思い起こさせるが、太夫、芸妓のご贔屓様にしたためた和歌の色紙のようだ。奥の床の間には吉野太夫の掛け軸。余りにも達筆なので文字が読めないが、ご丁寧な説明でようやく意味を理解する事に!その向かいには近藤勇書の屏風。輪違屋の内装はこの時代の建物としては、アイデアとセンスが際立っていて驚く。太夫、芸妓のしたためた色紙をこの様
○2023年3月19日に、島原半島を縦断した。多比良港から国道251号線をひたすら南下して、口之津港まで行った。途中、南島原市南有馬町に存在する『国指定史跡:原城跡』を見学した。前々から是非とも訪れたいと思っていたが、やっと念願が叶った。○もっとも、現在は、『国指定史跡:原城跡』よりも、『世界文化遺産:原城跡』の方が通りが良いのかも知れない。ただ、歴史的に原城跡を眺めるとすれば、やはり、どうしても『国指定史跡:原城跡』の方から眺めておく必要があろう。○インターネット検索で、文化庁の国指定文化
おはようございます😃本日もお読みくださりありがとうございます😊いつもいいね!コメントとても励みになっています。ありがとうございます😊公園からは対岸の熊本辺りが見えてます。これから島原半島を南下していきます。海沿いを走る。古墳(何古墳か忘れちゃった💦)あたりでは大雨wwwそして着いたのが口之津港これからフェリーに乗るんですがちょっと待て!島原に来たのに原城跡とか見ないで来たのか!島原の乱のキリスト教信者がどんな思いしたのか思いを馳せないのか!と、言う声
以前こちらに来たのは9年前になりますが、その時はさっと見ただけだったかな…2016年にリニューアルしたようなので、今は遊歩道が整備されていて、1時間くらい散策できました。雲仙地獄長崎県雲仙市小浜町雲仙入場料はありませんが、この辺りの駐車場は500円が相場のよう。※湯快リゾートの横の駐車場は300円でした。しかし雲仙の地獄は本当に地獄だったようで、キリシタンが拷問を受けた地だとか…長崎ならではの歴史がありますね。湯快リゾート雲仙温泉雲仙東洋館楽天トラベル雲仙温泉名湯の宿
今日6月21日は、二十四節気の「夏至」の日です。二十四節気とは、古くから使われてきた季節の目安です。日照時間が最も長い「夏至」と最も短い「冬至」で1年を2分割し、さらに昼夜の時間が同じ長さになる「春分」と「秋分」で4分割、それらの間に「立春」「立夏」「立秋」「立冬」を入れて8分割、その8つをさらに3等分して、1年を24の節気に分けています。二十四節気は、旧暦を元に作られており、二十四節気の行事の殆どが、現在の季節と若干ずれが生じていますので、ニュース等で二十四節気を言うときには
平林寺の最後は、徳川幕府老中の松平信綱の墓参ります。松平信綱とは江戸前期の幕府老中。徳川氏の地方役人大河内久綱の長子で、6歳のとき叔父松平正綱の養子となる。9歳で徳川家光に小姓として近侍、1623年(元和9)小姓組番頭、伊豆守に叙任。27年(寛永4)1万石。32年老中並、33年六人衆、ついで老中武蔵忍3万石の城主となった。35年小姓組番頭兼務を免除。37年末、島原の乱鎮圧の命を受け、翌年2月鎮定。その功績により39年武蔵川越6万石に転じ、47年(正保4)7万5000石に加増された。家
埼玉県新座市という、いわば東京のベッドタウンにある平林寺。臨済禅の修行道場になっていて境内では静粛を求められていますけれど、奥深く広がる境内林の中を進んでいけば自ずと静寂に包まれてきますですね。この木立の懐に抱かれた感には、大騒ぎするような人たちが訪れようとも思わぬところでありまして。しっかりと踏み固められた遊歩道然とした道を奥へと進んでいけば、やがて「大河内松平家廟所」に到達するのですが、これにはいささか驚かされますな。何せ、これまでに関わりある人物として挙げた松平信綱はもとより、直
○2023年3月6日に、維和島の蔵々を訪れた。蔵々港の近くに小さな広場があって、人々の集まる場所となっているみたいだった。そこに四枚の立派な案内板が設置されていた。その一つが『天草四郎と荒神の古井戸』で、前々回、それを紹介した。前回はその続きで、二枚目の『天草・島原の乱と関戸杢右衛門』を案内した。今回は三枚目の『天草四郎時貞と殉教戦』の話になる。天草四郎時貞と殉教戦(1)キリスト教の伝来今から440年前の、元禄9年(1566)ポルトガルの生まれで、外科専門医であり、貿易商でも
歴史探偵「島原の乱」を見ました。神君・徳川家康は三河一向一揆や織田信長のvs一向宗を経て、農民と宗教勢力が結びつくことを警戒したと思われる。それで1614年禁教令でキリスト教を認めなかったと思う。神君として自らを神とするように仕向けたのも、江戸時代の神が徳川の祖ならば、歴代徳川将軍も統治しやすいと考えたのではなかろうか?で、番組見て島原の乱の首謀者は天草四郎ではなく、キリシタン大名の有馬氏や小西氏の旧臣らしい。そして、島原藩の松倉氏がめちゃくちゃな政治をして、農民に重税をかけて
島原の乱で民衆を率いた天草四郎、確かにその素性はよく知らないな、何だか天草四郎は表にはあまり出てこなかったみたいだな、だから素性が知られていないんだろうな、でも当時の島原の民衆はキリスト教の信仰で徳川幕府から睨まれて、けっこうきつく迫害されていたんだな、それで民衆は生活が苦しかったから天草四郎をリーダーに打ち立てて一揆を起こしたみたいだな、これじゃあ反乱もおこしたくもなるな、当時はキリシタンは睨まれてたからな😐
2日前日のコースを逆行九州自動車道を下り島原城へ直行!綺麗なお城でした。お天気良すぎで日陰からパチリ📷武将隊のお姉さんが何人かいらっしゃったので1枚良いですか?📷と、お願いしたら、なんとポーズ取ってくださったのですよ⚔いやぁ~慣れてらっしゃる!カッコ良きかな👍天守閣から眺める普賢岳予定が詰まってるので次の目的地へ🚙右手に雲仙岳、左側に海を見ながら走ること一時間弱原城跡に到着。下記、引用させて
前回の続きです。こちらここのオーナーは伊藤さんだと思う。なぜならそーゆーことです(笑)お隣にセブンイレブンあったら、超ウケルんですけどね~次は、恐ろしい店名島原の乱次は可愛い店名さかなくらぶおわり
2023.3.27島原を朝早く出発し、バスに揺られること50分あまり。原城前のバス停で下車。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する遺跡の一つとして世界遺産に登録され、続日本100名城にも登録されている原城を目指す。バス停脇の道は綺麗に舗装されているが、かなり長い。ずっと海に向かって登りとなっている。海に向かうに連れて高くなっているということは、お城に適した土地ということなんだろう。途中には、世界遺産を記念した碑が建てられている。その向こうが原城の本丸。まだちょっと距離が