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春の嵐の夜の手品師タウン・ガール・ブルー(2017年2月)6th.アルバム収録曲浜田真理子さんの曲はアナログ盤で聴くといい・・・春の嵐の夜の手品師(cover)作詞:あがた森魚作曲:あがた森魚唄:浜田真理子春の風がふく春の風はふくいつもとかわらないかぜは僕たちのことをきにもせずに風はいう私は私君は君君たちはどう生きるかは君たちがきめることだけど私たちもつらいんだこのままこの季節を届けてゆけるのかとて
こういう「見出し」を見ると元気がでます!(2023/11/29しんぶん赤旗)こどもの教育に関してはお金をいっぱい使っていただきたい税金…を、ね。!そして教育に関する個人負担はゼロに!貧富の差なく、すべてのこどもが等しく文化的教育を受けられるように!(2023/11/29道新)私の望みはまず「世界平和」戦争のない世界であって欲しい!次に「貧困をなくすこと」その上で自由・平等・人権今日は日本共産党支部の総会でしたみんなが納得するまで討議が重ねられ
ずっと前の捨てられなかった道新の切り抜き<卓上四季>悪口の末路:北海道新聞どうしん電子版(headtopics.com)言論の自由を守る為には「自主的規律」が大事公権力で守ってもらおうと法律だの条令だのを増やしていくといつか言論の自由が奪われていくことになるのです自由は奪われてしまったら取り返すのは大変ですついでに云っておきますが戦争も始まってしまったら誰も止められないだからゼッタイ戦争を始めてはいけないのです!トルストイ短
福屋デパート靖子たちは1950年の8月6日もお参りに出かけた。でも、この年は広島も日本も大変だった。第二次世界大戦後にアメリカとソ連の対立が激しくなり、朝鮮が南北に分断された。中国では1949年に社会主義の中華人民共和国が成立した。この状況を見てアメリカは日本の占領政策を大きく転換し、「極東の工場」「全体主義の防壁」にすると言い出した。経済政策では為替レートを1ドル360円に固定。アメリカは日本からいくらでも買いますよということだろう。1950年の朝鮮戦争では日本で物資を大量に調達し
『絵で読む広島の原爆』の中で那須正幹さんはこう書いている。「広島の町がすこしずつ『復興』しているころ、マーシャル諸島では、戦後初の核実験が行われていたのです」「米ソ冷戦下の核兵器開発と実験が、あらたなヒバクシャを生み出していることを、広島の人たちは知りませんでした」と。1946年7月、太平洋に浮かぶマーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカは2発の原爆をさく裂させた。「クロスロード作戦」と呼ばれている。中国新聞にも記事が載った。中国新聞のデータベースを見ると、「B29から戦艦ネバダ、長門など7
数多ある中からご覧いただきましてありがとうございますAuraDrop(オーラ・ドロップ)のかずみんと申しますセラピストデビューに向けてレイキヒーリングを主軸としながら霊視、四柱推命等を習得中ですあまりにも悲惨で生々しい原爆投下ならびに被爆という事実リアルな描写だが“ひらがな”で綴られている間延びしている文言は一瞥したところ弱々しいしかしながら僅か八行で詠まれた内容は歴然とした反戦や反核の訴えであり作者の本能の赴くままに表現し強烈に読み手の機微に触れる単なる反核メッ
🌸一切の煩悩を滅尽した阿羅漢であり、正しく独りで覚った仏陀であり、福徳に満ちた、かの世尊を礼拝いたします🌸ヒマラヤの風~慈悲の瞑想無料ワークショップ~主催/世話人の凪/Nagiです。今回は、毎月慈悲の瞑想のワークショップを開催させていただいている、<いやしの森amin>さんのブログ記事をリブログで紹介します。詩以外にも、おすすめしたいのは、おおえひで著『八月がくるたびに』という、児童文学です。小学生の時に読んで以来、心に深く衝撃が刻まれた作品です
🌸一切の煩悩を滅尽した阿羅漢であり、正しく独りで覚った仏陀であり、福徳に満ちた、かの世尊を礼拝いたします🌸ヒマラヤの風~慈悲の瞑想無料ワークショップ~主催/世話人の凪/Nagiです。今回は、峠三吉氏の詩集『にんげんをかえせ』(新日本出版社)の中からの一篇の詩を引用して紹介いたします。微笑あのときあなたは微笑したあの朝以来敵も味方も空襲も火もかかわりを失いあれほど欲した砂糖も米ももう用がなく人々のひしめく郡の
今日は、広島に原爆が投下されて78年。広島原爆の日です。毎年この日はNHKで平和祈念式典を観てます。8時15分黙祷。あの日も今日のように青空が広がっていたという。何の前触れもなく、日常が壊され爆風と街の破壊と戦禍原子爆弾が落とされたのでした。吉永小百合さんは、夢千代日記で体内被曝する夢千代を演じられました。私も大好きなドラマでした。被爆者からの応援や体験記などの多くの励ましが届いたそうで、それがきっかけとなり長きに渡り原爆詩の朗読を行って来ました。中に
ちちをかえせははをかえせとしよりをかえせこどもをかえせわたしをかえせわたしにつながるにんげんをかえせにんげんのにんげんのよのあるかぎりくずれぬへいわをへいわをかえせ8月6日あの閃光が忘れえようか瞬時に街頭の三万は消え圧しつぶされた暗闇の底で五万の悲鳴は絶え渦巻くきいろい煙がうすれるとビルディングは裂け、橋は崩れ満員電車はそのまま焦げ涯しない瓦礫(がれき)と燃えさしの堆積(たいせき)があった広島やが
過去ブログ峠三吉「百足競争」|=歌えば元気=(ameblo.jp)峠三吉、晩年の原稿発見原爆詩人、創作過程か:北海道新聞デジタル(hokkaido-np.co.jp)ヒロシマ原爆・平和パネル展|イベント一覧|チ・カ・ホ[札幌駅前通地下広場](sapporo-chikamichi.jp)札幌チカホ「平和パネル展」私、12時~13時半くらいまで会場におりますのでみつけたら声をかけてください♪
「広島・原爆と戦争展」「被爆と戦争の真実を伝える」「8/1〜7・広島県民文化センターで開催」「沢山の写真や本の紹介がありました」「峠三吉さんの事や、遙かなるサダコ先輩の事も展示してました!!」<羽ばたけ折り鶴>
この短いお話にはいつも感動します云いたいのはいつもこのことハンデを持った人と一緒に生きたい一緒に笑いたいそのために知恵を出し合い力を出し合う政治の原点はここにある私はそう思っていますいつもいつも弱者切り捨ての現政権峠三吉「百足競争」が頭をよぎった
「ちきゅう座」より転載。原爆文学の「世界記憶遺産」登録を目指し三度申請へ広島の市民団体が賛同署名運動を開始<岩垂弘:ジャーナリスト>78年前に広島で被爆した文学者の作品を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録しようと活動している広島市の市民団体「広島文学資料保全の会」(土屋時子代表)が、この活動への賛同を求める署名運動を始めた。ユネスコの「世界遺産」は、遺跡、景観、自然など人類が共有すべき普遍的価値をもつ物件で、移動が不可能なものが対象。こ
峠三吉没後70年受け付けをしておりましたらあのNHKアナウンサーの杉浦圭子さんが来られました「もしかしてあのアナウンサーの杉浦さんですか?」目が・・になった上懇親会では偶然すぐそばの席になりました今秋でNHKをお辞めになる杉浦さんに中央図書館移転や文学館建設についてなど個人的にいろいろお話を伺うことができました真摯に広島の継承について取り組んで来られた杉浦さん広島の歴史的建造物である被服廠の活用についても深いお考えをお持ちでしたそして3月もうひとりの被爆作家原民
この度、我々「広島文学資料保全の会」は、ユネスコが制定した「世界の記憶」(国際登録)に、「広島の被爆作家による被災直後の資料」を広島市と共同で申請することを決定し、現在準備を進めています。1945年8月6日午前8時15分、広島に原子爆弾が投下され、人びとの暮らしは一瞬にして失われ、被爆直後は「75年間は草木も生えない」と言われてきました。それから78年経った今、広島という街は、市民の絶え間ない努力によって見事に復興を遂げました。その裏側には、「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現」のため
高速道路もスイスイ。下松サービスエリアで休憩。作ってきたお弁当を食べる😋スタンプゲット。これだけでこども喜ぶ☺️広島市内へ無事到着。駐車場は、事前に調べておいたシャレオ駐車場へ。ここは、広島市内の観光をする時に、ほんとおすすめです!満車表示でも、入れました🥹✨㊙️そこから原爆ドームへ。徒歩二分程度。今回は、子どもたちの初めての平和学習。旅行の準備として事前にはだしのゲンの映画をみた。その日は眠れないほど衝撃を受けたようだった、、、。それも、子供向けの平和学習サイトから、貞
峠三吉は、日本軍のマニラ大虐殺をラジオで聞いて日記にこうも書いている。戦争、戦争だとて兵士の一人一人に至る迄高度の文化と高貴然して曇り無く高き指導精神が滲み込んでゐたならかゝる事は起さずに済ませられぬはせぬか・・・(峠三吉「被爆日記」広島大学ひろしま平和科学コンソーシアム広島文学資料保全の会)いかに戦争中とはいえ聞くに耐えぬ残虐暴行事件が起きたのは、何よりも末端の兵士の資質の問題だという。そう考えたということは、峠三吉にはその時まだ日本の戦争責任、また自分自身の戦争責任に
先にマニラを離れた山下泰文を司令官とする第14方面軍、約30万人はフイリピン各地に分散してアメリカ軍やフイリピン人ゲリラ部隊と戦った。しかし補給が全くなく、飢えと病気に苦しめられて6月ごろには散り散りばらばらになり、生き残ったごくわずかの将兵が終戦を知ることとなる。1945年5月23日、ルソン島北部で一人の日本人兵士が前日まで書いていた日記が押収された。2月にこんなことが書かれている。毎日、ゲリラと原住民の討伐で過ごす。私はすでに100人以上を殺した。故郷を出るときに持っていた素
原爆に遭った子どもや大人の詩を集めた詩集『原子雲の下より』の序文で峠三吉はこんなことを書いている。広島全市は、炎の海に包まれ、逃げのびた夥しい人々は市の近辺町村の学校、寺院、個人の家々に充満し、水を求め苦痛を訴える叫喚のうちに何処の誰とも分からぬまま死んでいった。しかし市の周辺にある、三菱造船、同重工、旭兵器、日本製鋼、東洋工業、油谷重工、等の軍需工場は殆ど被害を受けず…(峠三吉・山城巴編『原子雲の下より』青木文庫1952)峠三吉はいぶかり、そして怒っている。原爆に遭った一般市
ひとつ前の当ブログの続きです。2019年の11月18日に亡くなった木内みどりさんの出演された映画と、ゆかりの人のトークショーを組んだ「女優・木内みどり特集」が今年のゴールデンウイークに開催されました。会場は「シネマハウス大塚」。当ブログ2020年12月9日に書きましたが、ここは2018年4月にオープンした映画館……というかイベントスペースです。毎回、主にドキュメンタリー作品や独立系の映画など「テーマ」を持ったプログラムが特徴です。木内みどりさんもたびたび映画を観に来ていたそうで、来るたびに差し
小説「夏の花」で知られる原民喜は爆心地から1.2km離れた幟町の生家で原爆に遭った。その時のことを7日に避難先で手帳に記している。8月6日8時半頃突如空襲一瞬ニシテ全市街崩壊便所ニ居テ頭上ニサクレツスル音アリテ頭ヲ打ツ次ノ瞬間暗黒騒音薄明リノ中ニ見レバ既ニ家ハ壊レ、品物ハ飛散ル(原民喜「原爆被災時のノート」)近所の家はみな倒壊したが、裕福だった原家の住宅は頑丈で倒れることはなかったし、頭からの出血もたいしたことはなかった。だからこそ、「今後生キノビテコノ有様ヲツタヘ
こんばんは🌆8月ももう終わりですね…ご活躍さまです少し前のお話です。(敢えて、少し経ってから書こうと決めていました)8/13(土)Clubhouse内で「迷ナレーター達が紡ぐ朗読の世界」のルームを開催しました。今回は私が発起人。テーマは「戦争と平和」とても難しいテーマだとは思いましたがどうしてもやりたかった。私は、関西でご活躍中の役者さん堀部由加里さんにご協力いただいて毎月6日頃にClubhouseで読み続けている壺井栄さんの「石うすの歌」を朗読しました。私は広
★過去の記事を加筆修正しての再投稿です。今日は8月9日。長崎は77回目の原爆忌を迎えた。今日は出勤しないので、10時35分からNHKテレビで長崎平和記念式典の中継を見ようと思う。※以下が以前の記事。2020年8月7日(金)付読売新聞の1つの記事が目に留まった。“親の被爆伝える”という大見出しで組まれていた2つの記事のうち、“「生ましめんかな」続く命”という小見出しの記事だった。体内被爆者を母に持つ小嶋大士(ふとし)さん(39)(広島市
こんにちは。こうの史代です。今日は広島原爆忌ですね。今朝は急いでTさんの籠と仕事部屋の掃除を済ませてから、テレビに向かって(部屋の西に置いているので、結果的に広島の方を向いたことにはなります)黙とうしました。もう20年も前のことになりました。当時よく通っていた中野区立中央図書館の平和資料のコーナーにふらっと寄ったら、こんな文章が手書きで貼られていました。黒板にチョークだったかもしれません。「いまからでもおそくはないあなたのほんとうの力をふるい起こすのはおそくはない
★過去の記事を加筆修正しての再投稿です。今日は8月6日。広島は77回目の原爆忌を迎えた。今日は部活動が午後からなので、午前8時から行われる平和記念式典の様子をテレビで見ていた。先月25日に別の用事で広島を訪れ平和記念公園を走ったときに既に設営されていたテントの下には多くの参列者の姿があった。(そのときの記事は『いざ広島へ!(息子2人のお迎え&?)』にて投稿済み)昨夜偶然Facebookで大学時代の友人がこの式典に参加するために広島に向かっているということを
ガルージン、広島の原爆慰霊碑に献花したってね。ヒロシマ出身者としては例え大使であっても、ちょっとやだ。「ウクライナで核兵器の使用はあり得ない」って。2月に色んなテレビ局がやっていた彼へのインタビュー。流暢な日本語で話す彼の言葉を鵜呑みにしていたけど、結局今、逆のことがウクライナで起きている。だからまるで、〝使用する〟フラグを立てたみたいに聞こえるよ。その慰霊碑に書いてある〝過ち〟ってのは【速報】ロシア・ガルージン駐日大使が原爆慰霊碑に献花「犠牲者に黙祷を捧げたい」8・6式
○『とめはねっ!鈴里高校書道部』河合克敏小学館週刊「ビッグコミックスピリッツ」は1980年の創刊以来、多くの名作を世に送り出してきた老舗漫画誌。ってなことを私が言うまでもなく、これまでにアニメ化・ドラマ化された作品も数多ありまして。その歴代の連載の中でもちょっとマニアックな世界を描いて好きだったのが、この『とめはねっ!』である。⇒『とめはねっ!』小学館とめはねっ!鈴里高校書道部1|河合克敏「とめはねっ!鈴里高校書道部1」の公式コミックス情報をチェック!脅されて書道
炭化した畳被爆遺構展示館が3月26日にオープンしました。被爆遺構を露出展示しています。「この地」にはかって多くの人が暮らす町がありました。人々の日常はたった一発の原子爆弾で一瞬にして失われてしまいました炭化した畳、板材等が見えます。写真の手前が道路に面した側溝、右側は隣家との境界。現在の地面から60~90cm掘り下げたところですこの地「この地」はかって天神町と呼ばれていた町の一角です。南北に貫く天神町筋は当時としては珍しくアスファルトで舗装されていました。住居の前には側溝が通って