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ほんとうだねえ。自分って、面従腹背できない体質なんだなあと改めて思った今日この頃。日本人の歴史や体質みたいのを書いてる本を読んでて、それに「明治維新頃の日本の欧米化は欧米への面従腹背だった」て書いてあるのを読んで思ったこと。(↑岸田秀「日本史を精神分析する」)面従腹背できるかどうか、いやそれに抵抗をあまり感じないことって、企業で生きる上で、そこでストレス少なく過ごす上でもんのすごーく大事なことだよねえ。かつて読んだ借金玉氏の発達障害ライフハック本「発達障害の僕が『食える人』に変わったす
「神戸ニニンガ日誌」(第3,520号)○2022年4月に起こった知床遊覧船沈没事故公判のニュースを受け、小縣雄介アナが「この国全体にプロフェッショナルが減っている」と言う。○2020年に入社した船長は水上バスの経験はあるが、知床での経験は浅かった。しかし翌年には船長となった。事故で船長も亡くなり、運行会社社長の責任が問われている。○人を乗せるもので言うと、ライドシェアではタクシー乗務員のように二種免許無しでドライバーになれる。航空機も格安の値段だけを見ると「本当に安全か」と思っ
もう40年以上も昔になってしまった。大学生の頃岸田秀の「ものぐさ精神分析」という本にショックを受けた。この世界には真実はなく全ては幻想で成り立っている・・・ということにものすごくショックを受けたのだ。どこかに真実はあると思って生きていたのに・・・。それから、ずっとその本は大事にしていたが本を全部断捨離した時点で手放していた。最近、あの時、何にショックを受けたのかもう一度確かめたくて図書館で、借りて読むことにした。何にしろ、私にショックを与
岸田秀●岸田秀にとっての学校●岸田秀単行本『嫉妬の時代』57ページイヴァン・イリイチが『脱学校社会』(東京創元社)という本の中で、「学校教育の基礎にあるもう一つの重要な幻想は、学習のほとんどが教えられたことの結果だとすることである。(中略)しかしたいていの人々は、知識の大部分を学校の外で身につける」といっていますが、これはぼくの場合を考えても、その通りです。今も身についていることで学校に教わったことといえば、カタカナとひらがなと基本漢字、それから算数の九九ぐらいのもんおです。昔風にい
●若くないと思われてるからこそ「若く見えますね」と言われる酒を飲むと、「なんとかなる」と思って生きていける。そこが酒のいいところだが、実際はなんとかならない。だからまた酒を飲んで、「なんとかなる」と思いたくなり、酒が習慣になる。若いうちは将来があるし、体力があって酒を消化できるからそれでもいいが、酒は耐性がつきどんどんたくさん飲めるようになっていくので、飲酒時間が長くなっていく。大量に飲み続ければいつかは体を壊す。酒を飲まないでいると、精神はしっかりとする。「なるようにしかならない」
はじめに:今なお「目からウロコ」の精神分析書1977年に発表された岸田秀の『ものぐさ精神分析』。半世紀近く前の本でありながら、その内容は今のSNS社会やグローバル化した日本を見事に言い当てています。本書の魅力は、精神分析という難解な理論を、日常生活や恋愛、歴史など身近なテーマに当てはめることで、人間の「幻想依存」の実態を暴いていく点にあります。1.岸田秀の「唯幻論」とは何か?本書の柱となる「唯幻論」は、「人間は本能が壊れており、代わりに幻想を生きる動物である」という仮説に基づ
今日のことば岸田秀さんの言葉われわれは、「天に代わりて不義を討」っているつもりのときに、いちばん悪いことをする。(心理学者・精神分析者)
1986年発行の文庫版である。当初は、単行本上下2巻として1979年に発行されている。「開成高校生殺人事件」は1977年、「祖母殺し事件」は1979年に起きた。事件から40年以上が経過しているが、今、読んでも痛々しい。淡々とは読めない。読みながら、いろんなことを考えたのだが、そのひとつは岸田秀の『心はなぜ苦しむのか』だった。岸田自身の実体験とこのふたつの事件には、共通点がある。それは、父親の不在もしくは存在の希薄さ、そして母親による「善意の強制」である。ふたつの
訳者の「あとがき」の話でした。サドの『閨房の哲学』(講談社学術文庫)のあと、まだ出版されていませんが、ドイツ語の著作を一冊訳しました。『閨房の哲学』にあとがきを付けなかったのを反省していたので、こちらには付けようと思って書いてみたのですが、どうにもあまりに個人的な内容で、文庫だとへたすると(そうなればありがたいですが)、何万の人が見る可能性があるので、やはりやめてしまいました(「何のための反省だったんだ」、ですね)ボツにしたあとがきには、サドがフランス語で、次はドイツ語なので、私の思
今ハマってるもの岸田秀。いや正確に言うと岸田秀氏の考え・思想を読むこと。つまり岸田本を読むこと。岸田氏は心理学者らしい。(けどなーんか哲学的って感じてる,私は)90歳。フロイトの事とか結構書いてるし精神分析学者でもあるとか。自らも母親との関係がいびつで当時でいう神経症になったと言ってて、それの分析もしてるし、自力で治したよう。で。書いてるのはどんな思想かっていうと、ざーっくりと挙げると「人間の知覚する、理解するすべてのものは幻想」(自我も幻想、人間の関係性も幻想)「人間
3月3日に「ある同級生のこと」と題して、ひとりの男について書いた。私の実家とその男Sの実家は、歩いて5.6分の距離にあった。今はSの実家はない。引っ越した先も詳しくは知らない。かつてあったSの実家の隣に住んでいるAさんという方がおられる。私の実母も含めて一方ならぬ世話になっている方で、高齢ながらかくしゃくとしている方である。最近、そのAさんとの世間話の延長で、かつてのSについてのエピソードを聴いた。Sは20才前後あたりから奇行が目立っていたらしい。誰にもあいさつはし
仮に50年で5000冊の本を読んだ人を読書家とするなら、私はどうだろうか。読書家の10分の1に遠く満たないと思えるから、「本を読むのは嫌いだ」と白状したほうが合っている。こんな私が女房に書物の断捨離を強くせがまれるのも妙な話しだが、勿体ないことに買ったが最後、読み終えていない本が随分あった。今般いよいよ最終決断というわけでわずか33冊を残して他は棄てた。残したもののうち倉前盛通4冊、隆慶一郎5冊、岸田秀6冊。この3名の作家だけで15冊を数えるのだから、特にお気に入りの作家ということにな
おつき合いありがとうございました🙇♂️
先日、第一回めが最も秀逸だったと書いた。その秀逸さは中年男が自分を救ってくれた見ず知らずの二人に放った問いかけのセリフに集約されるのだが、そこに至るまでのお互い知らない同士の二人の若い男女のやりとりもいい。それも、実は「ありふれた奇跡」のひとつだった。三人が立ち会った「現場」についての聴き取りを終えた警官は中年男をいなし、二人に対して「お帰り下さって結構です」と言う。二人は、「じゃあ、これで」という程度のやりとりだけして別れる。若い女性は改札口を出る。青年も同じように改
岸田秀唯幻論始末記私の薄ーい読書歴のなかでも印象が深いのは岸田秀の本との出会いであった。1980年頃であろうか、確か「話の特集」という雑誌かなにかで伊丹十三が「岸田秀」を絶賛していた。その岸田秀の『ものぐさ精神分析』(1977年発行)を読んで、私は頭骸骨や脳ミソがガタガタ震わせられるような衝撃を受けた。ちょっと大袈裟ですが。いまでも同じだけれどぼんやりしていた観念(自我とか心理とか社会の常識に対する)に、これ以上ない鋭い解説•回答をくれたようにおもった。いい意味でのショ
心理学における「昇華」という言葉は近代心理学の父であるジークムント・フロイトが好んで使った言葉である。わたしがこの言葉を知ったのはフロイトの著作を通してではなく心理学者の岸田秀さんの著作を通してであるが、この言葉は「社会的に許容されない欲求を多くの人に認められる欲求に変容すること」と解釈している。昨年、ISAWOBOOKSTOREが上演した拙作「あなたはわたしに死を与えた―トリカブト殺人事件―」は、化学的な分野における知識と情熱を医療の現場ではなく保険金をかけた妻の毒殺のために注いだ犯人の姿
「神戸ニニンガ日誌」(第3,124号)○ラジオに歌手の伊香桃子。パートナーはアーティストのKAJAで、歳の差34歳。TIKTOK「私38歳カレピ72歳」に「カネ?」などのコメントがあるという。「カネ?」は金目当てか、という意味か。○桐野夏生『とめどなく囁く』は、海難事故で夫を亡くした早樹の話。7年後の死亡認定を終え、ゲーム会社会長・克典と再婚した。早樹41歳、克典72歳。31歳差。○克典も妻を亡くしていて、2人で相模湾を望む超高級分譲地の巨大な庭付きの邸宅で悠々と日々を送る。克
二人の対談本『自分のこころをどう探るか』の中の最後の章=第四章では、町沢が「うつ病になりやすい性格」について語っている。一つはすぐ否定的にものを考える傾向、二つ目は対人過敏、三つめが完全主義であるという。この三つの条件を揃えたある人物を知っている。その人物は私よりは年上であり、既に退職の身である。その人物の近況を耳にする機会があった。それは、周囲の他者たちに対する全否定と独善的傾向が以前にも増して目立っているというものだった。少しばかり意外だったのは、彼が「症状」を悪化させているら
50部を刷った四コマ漫画自家製本『遊び盛りユルユルノビノビ60代』は、キチンと売りたい、あわよくば売上金を秋の芝居の元手にしたい(そもそも秋の芝居は赤字の可能性が極めて高いので)と思っているので、謹呈は避けている。そんな中で、数人の方には謹呈本として郵送した。そのうちの一人から感想の返信を頂いた。文中には、退職後の半年がリハビリだったのでは?という意味の労いの表現があった。うーむ。リハビリかあ。そんなに深刻だったかなあと改めて思わされた。ここで少々お断りしておきたい
昔:蓑輪金杉三河しま近景に丹頂鶴、下部には沼とその先に三河島田圃が広がっています。この地は昔、荒川氾濫原即ち湿地帯で毎年11月下旬から2月ころまで渡り鳥の鶴が飛来したと言われています。二羽の丹頂鶴の羽は「空摺り」という技法で凹凸な質感を感じとることができます。👇空摺り空摺とは:版木を用いて和紙に凹凸を付け、その立体感を味わう技法である。鳥の羽や草花などのこまやかな質感にこだわって表現したいときに用いる技法で、画面の角度を変えて鑑賞することでその変化を楽しむことができる。(絵と説明
五月に一度、台本がゼロになり、その後書き直し半ばで「まあまあなんじゃないの?」とそれまで数年間付き合ってくれていたスタッフに肯定してもらい、しかし、そのうちに、そのスタッフと連絡がつかなくなり・・・やがて台本は完成。自分でもまあまあイケるんじゃないかという判断で読みの稽古に入ったのが七月。その後、七割方、立ち稽古できる段階になって、張りぼて風カツラを作ってくれている、言ってみれば制作スタッフに見てもらってダメ出しを受け、そのまま、ほぼ直前まで独り稽古。本番数日前に、その制作スタッフに仕
2023年4月23日(日)サウジアラビアとイラン、サウジアラビアとシリア、アラブとイスラエルさえ、長年の敵対関係を改めて、友好的関係を結ぼうとしている。中国の働きかけで。イエメン戦争もシリア内戦も和平に向けて動き出したようだ。ウクライナ戦争も早く終結に向かってほしい。ウガ金の田岡さんインタビューシリーズ7回目は、中東でのアメリカ離れのドミノ倒しについての解説。何故、こうもアメリカは戦争に負け続けているのか、、という話。######元朝日新聞社編集委員・田岡俊次さんにお話を聞く7回
僕の架空音楽バー『BarAdieuRomantique』へ、ようこそ。『BarAdieuRomantique』ではお越しいただいた方に毎回、ご挨拶代わりに僕の独り言【Monologue】を書いたFreePaperをお渡ししている。RomantiqueMonologueNo.020『3年後の、世界のすべてが病んでいるので』まず初めに。この独り言はあくまでも僕個人の主観であり、心情だということをお伝えしておくね。
ドイツの森林管理官ペーター・ヴォールレーベンによる本書を読み終えた。前著『樹木たちのしられざる生活』を読んで以来である。『樹木たち・・・』については書かなかった。(あー、そういうもんなのか)というマヌケな感想しか浮かばなかったからだ。共生し、助け合い支え合う樹木たちの相互関係は茫洋としながらも覗けはしたが、自分の身辺、日常生活を見直すようなキッカケにはならなかったということもあるのかも知れない。まあ、それだけ、樹木他、植物たちとは無縁な、人工的な環境、中途半端な「都市生活」を生きている
前回、「2005年に靖国問題の論議がピークに達したのはいいけれど、そのころからすでに、ジャーナリストや評論家がこの問題を論ずるときの論点の立て方そのものが〝明後日の方向〟に向いてしまうようになっていた」ということをご紹介しました。後になって振り返ってみると、その年に出された一群の〝靖国問題の書〟の中でもとりわけおかしな方向を向いていたのは、対談形式で出された岸田秀×三浦雅士著『靖国問題の精神分析』(新書館、同年9月10日刊行)という本でした。https://www.amazon.co.j
社会的付加価値、すなわち有名であるとか、権威がある、などの見方と、現実の現象を一緒くたにして考えるから、おかしな認識になると言う現象を、昨今、嫌と言う程目の当たりにしていますが、未だに気付けない人達の何と多い事か!ここで思い出されるのが、岸田秀さんの共同幻想論である!余りにも世の人々は、その共同幻想を幻想だと思っていないと言う事にも成る!例えば、優れた声、歌がそこに存在しても、権威主義者は、それだけでは認めない!栄冠を手に入れて初めて素晴らしい!と評す。その見方は、ある意味、見識眼の無
岸田秀との対談本『自分のこころをどう探るか』の再々読をして行くうちに町沢静夫の本を読んでみようと思った。ただし、町沢は『自分の・・・』の中で、いつものように正確な引用ではないが「理論化してしまうことで切り捨ててしまうことは沢山ある」とも、「精神分析医、心理療法医が理論家として優れて行けば行くほど、臨床医としてはダメ、ヘタになる」という意味のことも言っている。つまりは、「自分の書いたものがよければ臨床医として失格」と言っているようなものなのだが、専門家、専門医としてそこまで言い切っている
『ブラックジャック』が飛ばし読みにはふさわしくない重厚な漫画であると分かり・・・・というのも一読者としてかなりマヌケなのだが、途中休憩では、じゃあ、何を読もうかと迷い、手に取ったのが本書だった。まあ、再読だから、読み飛ばしたり、初読の際にラインマーカーで目立つように線を引いた部分を味読して、しばし愚考してみたりという気まぐれな読み方である。アメリカで一時期、流行したらしい「認知行動療法」を対談の二人は批判している。「認知・・・」というのは、・・・・いつものように正確な引用をしな
唯幻論始末記今年1月の半ばから、またまた……虚露名騒動が始まり、愛媛県、松山市も妖製者の数が増え出し、静かな夜が続くようになったので、マンボーが始まるのかなあ。この機に読書でもするかー。と、ゆーことで、読みたかった何冊かの本を購入していました。が、今回は、夜の飲食店に対し、時短要請もマンボーもナシ、と、ゆー方針だそーで、Koolは通常通り開けていられるのですが、お客さんは通常通り、いらっしゃらない、と、ゆー状況が続いております。時短要請
とんでもなく大雑把なことを書くのだが、なぜ、私は小説を好んで読むかと言えば、人間の、とりわけ感情に関わる濃密なありようを知りたいからで、それとは対極の、リクツにリクツをつなげたような人文・社会・自然科学系の書きものにはなかなか手が出ない。ただし、読まないわけではない。読んだうえで、そこに、典型として濃密な人間のありようが引き合いに出されていれば、多少は印象に残るし、読んで損はなかったと思う時もある。たとえば最近、手にした『対話形式でよくわかるこわくない催眠療法』という本の中で、中高年