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いい本を読んだ。『肥後の石工』今西祐行岩波少年文庫江戸時代後期、肥後の国(今の熊本県)に石積みを生業とする職人の村があった。彼らは近隣の国から呼ばれて石橋を架けたり、城の石垣を築いて生計を立てていた。石工頭の岩永三五郎は職人仲間とともに鹿児島の城から呼ばれて橋をかけた。工事が終わると、急に仲間の姿が見えなくなった。先に国へ帰ったと聞かされたが、とても信じられない。三五郎がひとりで国へ向かっていると、あとから侍がつけてくる。三五郎が宿に入ると、その侍が知人のふりをして三五郎
艦内橋周辺を歩く!熊本県八代市鏡町鏡-内田10年近く、錦町の岩永三五郎氏のお墓にその年の報告に来ています。いつも言っていますが、お墓参りではなく、その年に出会った石橋の報告です。岩永氏や東陽町の橋本勘五郎氏の手掛けた素晴らしい石橋に出会って、石橋巡りがライフワークになってしまいました。一応、2025年は長崎市の眼鏡橋に石橋巡りとして行く事が出来たので、報告も今回で一区切りかなと思っています。という事で、久々に艦内橋周辺をぶらぶらしてきました。訪問日:2025年12月28
2025年石橋巡り報告2025年12月28日(日)〜29日(月)10年前くらいから年末にはその年の新しい石橋との出会いの報告と感謝に東陽町の橋本勘五郎氏と錦町の岩永三五郎氏のお墓に報告に来ていましたが、今年は、長崎の眼鏡橋に石橋巡りとして行けたので、今回で一区切りしたいと言う旨を報告しました。お墓参りではなく、その年に出会った石橋等々の報告です。今こうやって石橋巡りがライフワークの一つになったのもこの2人の素晴らしいアーチ石橋に出会ったのが始まりでした。12月28日
◇お盆前の3連休はずっと自宅で過ごしていました。天候も崩れていましたが、やはり足裏のイボ治療後の痛みで歩くことがままならなかったからです。8月8日(金)が液体窒素治療で、その後3日間は、以下のドラッグストアのアプリにあるように「一日一万歩」は無理でした‼️12日(火)からは足裏の痛みも和らぎ、お盆の間は「一日一万歩」は達成です。孫を連れての墓参りにも行くことができました。当分、この繰り返しが続きそうです。万博へはまだまだ無理みたいです。次回の液体窒素による治療はクリニ
◇「万博通信」です。今回は、8月31日(日)までの夏休み期間中の毎日、万博会場で打ち上げられる「ミニ花火大会」と7月21日(月)と23日(水)の「JapanfireworksExpo」の紹介です。当方は足裏のイボ治療のため、会場へは行けずにいます。そこで、我が家から望む花火のワンシーンをアップします。鮮明ではありませんが…。昨夜の7月23日(水)に打ち上げられた「JapanfireworksExpo」の一幕ですUSJの向こうに位置する夢洲が万博会場となりますこのブログを
0163再訪熊本県指定重要文化財雄亀滝橋(おけだきばし)[桶滝橋]熊本県下益城郡美里町石野字桶岳緑川支流柏川に架かる石橋橋長:15.50m橋幅:3.60m径間:11.80m拱矢:5.40m水路構想:不破敬次郎氏(郡代)総指揮:惣庄屋三隅丈八氏実作業、惣庄屋篠原善兵衛氏(横目)石工:岩永三五郎氏大工:尉助氏(甲佐手永大町村出身)架橋:1817年(文化14年)頃と推測柏川井手:1814年(文化11年)着手~1819年(文政2年)竣
0492再訪市指定文化財鑑内橋(かんないばし)熊本県八代市鏡町鏡-内田鏡川に架かる石橋橋長:7.20m橋幅:2.80m径間:5.50m拱矢:2.00m竣工:1830年(文政13年)頃修復:1994年(平成6年)石工:岩永三五郎氏型式:単眼アーチ橋壁石:布積み2016年から訪れている岩永三五郎氏のお墓に2024年の出かけた石橋報告をした帰り、鑑内橋に今年も行って来ました。橋の架橋当時、周辺は往還の主要所だった関係で今でも商店街の中にありますが、周
2024年石橋巡り報告2024年12月24日(火)〜25日(水)10年前くらいから年末にはその年の新しい石橋との出会いの報告と感謝に東陽町の橋本勘五郎氏と錦町の岩永三五郎氏のお墓に報告に来ています。お墓参りではなく、その年に出会った石橋等々の報告です。今こうやって石橋散策がライフワークの一つになったのもこの2人の素晴らしいアーチ石橋に出会ったのが始まりでした。今年は能登地震での年明けでしたが、その後も長雨や猛暑でほとんど石橋巡りは出来ませんでした。報告するほどの情報も無かったの
0318再訪市指定有形文化財三由橋(みつよせばし)[鬼迫(おんざこ)眼鏡橋]熊本県宇城市豊野町下郷小熊野川に架かる石橋橋長:21.00m橋幅:3.00m径間:12.60m拱矢:4.10m架設:1830年(文政13年)改修:1980年(昭和55年)3月施主:小山喜十郎氏(惣庄屋)石工:岩永三五郎氏型式:単眼アーチ橋壁石・自然石と雑割石加工の乱積み指定:2010年(平成22年)2月5日市指定有形文化財指定若い頃の岩永三五郎氏が手掛けた石橋です。
0492再訪市指定文化財鑑内橋(かんないばし)熊本県八代市鏡町鏡-内田鏡川に架かる石橋橋長:7.20m橋幅:2.80m径間:5.50m拱矢:2.00m竣工:1830年(文政13年)頃修復:1994年(平成6年)石工:岩永三五郎氏型式:単眼アーチ橋壁石:布積み2016年から訪れている岩永三五郎氏のお墓に2023年の石橋報告をした帰り、今回も寄りました。年末に一泊2日で行く予定でしたが、雪予報だったので今回は1週間前倒しして石橋報告とこの橋に行って
今年も石橋報告2023年12月17日(日)〜18日(月)10年前くらいから年末にはその年の新しい石橋との出会いの報告と感謝に東陽町の橋本勘五郎氏と錦町の岩永三五郎氏のお墓に来ています。お墓参りではなく、その年に出会った石橋等々の報告です。今こうやって石橋散策がライフワークの一つになったのもこの2人の素晴らしいアーチ石橋に出会ったのが始まりでした。まさかこんなに石橋にハマるとは・・・。(苦笑)例年の予定では1週間後だったのですが、かなり冷え込むとの予報で予約していたホテルをキャン
さらに通潤橋■朝日(20230824)の「歴史を渡る石橋王国」という記事がありました。記事によると、石造のアーチ橋は九州に9割が存在するのだそうです。この事実はすごすぎますよね。記事では、石匠館の館長氏の話によると、通潤橋の前に、霊台橋こそが素晴らしいという話でした。なぜなら通潤橋より7年前の作であり、大きさも上回るということです、たしかに渡ってみるとわかるのですが、大きいですよね。氏によると、このアーチの源流は、中国は明からの僧が1634年に長崎で伝えたということです。それが、1
0492再訪市指定文化財鑑内橋(かんないばし)熊本県八代市鏡町鏡-内田鏡川に架かる石橋橋長:7.20m橋幅:2.80m径間:5.50m拱矢:2.00m竣工:1830年(文政13年)頃修復:1994年(平成6年)石工:岩永三五郎氏型式:単眼アーチ橋壁石:布積みここ数年訪れている岩永三五郎氏のお墓に2022年の石橋報告をした帰り、今回も寄りました。先週末に一泊2日で行く予定でしたが、雪で通行止めになったので今回は月曜日に日帰りの強行日程になりました
今年も石橋報告2022年12月26日(月曜日)今年も石工、岩永三五郎氏と橋本勘五郎氏のお墓に石橋散策の報告に八代市へ出かけました。土日で出かける予定でしたが、大寒波予報という事で3日前に苦渋の決断でホテルをキャンセルしました。土曜日は予報通り雪で通行止めになっていました。無理しなくて良かったです。今年は諦めようかと思いましたが、今日は暖かくなる予報です。交通情報をチェックするとチェーン規制や通行止めは無いようです。という事で、日帰りで出かけました。さかもと(※写真
熊本県八代市鏡町江戸時代の石工。アーチ型の眼鏡橋を得意とし、種山石工として肥後や薩摩で活躍した人物。昔八代市東陽町に住んでいたスゴ腕の石工の集団は種山石工と呼ばれて、県内外で多数の眼鏡橋を架ける大活躍をしていたそうな。東陽町にある「石匠館」でその歴史や技を知ることができるので、興味のある方はぜひ。訪れた私も夫も大興奮で、石橋建設の迫力とロマンにやられました。この石像があるのは三五郎のお墓です。肥後の石工(岩波少年文庫)Amazon(アマゾン)748円熊本橋紀行Amazon(
0163再訪熊本県指定重要文化財雄亀滝橋(おけだきばし)[桶滝橋]熊本県下益城郡美里町石野字桶岳緑川支流柏川に架かる石橋橋長:15.50m橋幅:3.60m径間:11.80m拱矢:5.40m水路構想:不破敬次郎氏(郡代)総指揮:惣庄屋三隅丈八氏実作業、惣庄屋篠原善兵衛氏(横目)石工:岩永三五郎氏大工:尉助氏(甲佐手永大町村出身)架橋:1817年(文化14年)頃と推測柏川井手:1814年(文化11年)着手~1819年(文政2年)竣工
石橋・番外石橋関連書籍シリーズ其の一肥後の石工今西祐行著著者今西祐行発行者増田義和発行所実業之日本社1973年12月1日第1版第1刷発行石造アーチ橋に出会い、肥後の名石工、岩永三五郎の事が知りたくて、いろいろ調べたのですが、情報も乏しく時だけが流れていました。ある日、少年少女小説傑作選の中にこの「肥後の石工」を見つけ即購入しました。小学校上級生から中学生向きの書籍です。脚色は有りますが、彼の生き様や石に対する真摯な姿勢に感動させられました。その
0492再訪市指定文化財鑑内橋(かんないばし)熊本県八代市鏡町鏡-内田鏡川に架かる石橋橋長:7.20m橋幅:2.80m径間:5.50m拱矢:2.00m竣工:1830年(文政13年)頃修復:1994年(平成6年)石工:岩永三五郎氏型式:単眼アーチ橋ここ数年訪れている岩永三五郎氏のお墓に2021年の石橋報告をした帰り、近くなので今回も寄りました。鑑内橋は架橋当時、周辺は往還の主要所だった関係で今でも商店街の中にあります。道路の広い場所がないので、
今年も石橋報告2日目2021年12月26日(日曜日)今日は夕方から雪予報ということで、あまりゆっくり石橋散策も出来ないようです。朝8時前にホテルをチェックアウトして、まずは錦町の岩永三五郎氏のお墓に2021年の石橋散策の報告です。岩永三五郎氏のお墓鑑内橋1830年(文政13年)頃に岩永氏によって架橋されました。お墓とこの橋はここ数年セットになりました。この後は東陽町へ向かいます。重見橋東陽町の玄関口にある東陽村石橋公園に移築された重見橋からスタ
ピカピカ日和にドコモショップへ母が生前使用していたガラケーをスマホへ変更したくて相談にきましたしかし、なかなか呼ばれず(/--)/予約して来れば良かった~この後、すぐ呼ばれましたこんにちはいかがお過ごしですか***昨日の続きになりますカジロが湯の温泉卵がどうしても食べたくて立ち寄り~夫と二個ずつ完食して二個お持ち帰り~温泉の熱い熱い蒸気で蒸したてなので触れないほどあっつい、あっつい*少し小腹を満たした後、霧島神宮へ⏫霧島神宮|霧島市観光協会鹿児
0492再訪市指定文化財鑑内橋(かんないばし)熊本県八代市鏡町鏡-内田鏡川に架かる石橋橋長:7.20m橋幅:2.80m径間:5.50m拱矢:2.00m竣工:1830年(文政13年)頃修復:1994年(平成6年)石工:岩永三五郎氏型式:単眼アーチ橋岩永三五郎氏のお墓に石橋報告の帰り、近くなので今回も寄りました。鑑内橋は架橋当時、周辺は往還の主要所だった関係で今でも商店街の中にあります。道路の広い場所がないので、ここ数年はサッと寄るだけでしたが近くの
今年も石橋報告へ〜熊本県八代市東陽町・錦町〜2020年12月26日(土曜日)5〜6年前くらいから年末にはその年の新しい石橋との出会いの報告と感謝に東陽町の橋本勘五郎氏と錦町の岩永三五郎氏のお墓に来ています。お墓参りではなく、その年に出会った石橋の報告です。今こうやって石橋散策がライフワークの一つになったのもこの2人の素晴らしいアーチ石橋に出会ったのが始まりです。今年はコロナ禍の中、思ったような散策は出来ませんでしたが、それなりに素晴らしい出会いがあったような気がしています。こ
2018年8月17日の鹿児島市内散策の続き。「月照上人遺跡の地」「五代友厚像」「豊産業ビル」「鹿児島旧港施設」と回った後は、「石橋記念公園」に向かいました。月照上人遺跡の地・五代友厚像・豊産業ビル・鹿児島旧港施設のレポ『月照上人遺跡の地と、五代友厚像と、豊産業ビルと、鹿児島旧港施設と~鹿児島市の史跡・歴史的建造物』2018年8月17日の鹿児島市内散策の続き。「いちにぃさん天文館店」で、ランチを取った後は、鹿児島港に向かいました。いちにぃさん天文館店のレポ『「い…
2020年4月6日、先日の鹿児島出張二回目の休みに訪ねたメインターゲット二か所のうち最初のほうをご紹介。この日最初に訪ねた物件でもある。JR指宿枕崎線の宮ヶ浜駅から国道226号を南下すること300mちょい。この分岐を右へ入る。おおっ、もう見えている。この瞬間の高揚はいつになっても変わらんな~。接近して正対。場所コチラ。2.0t制限標識を従えたこの橋、お名前は湊川橋。書かれている通り、指宿市の指定文化財であるよう
TVドラマシリーズが大好きなもので(特に沢村一樹版)、思わずセブンイレブンで買っちゃいました。一つは鹿児島市の甲突川にかかっていた石橋が舞台です。鹿児島市を南北に分断する甲突川。江戸時代後期、薩摩藩主・島津重豪は甲突川に石橋を架けることを命じ、五本の石橋が架けられました。そのうち、現在まで残る三本が幕末の「祇園之洲砲台跡」に石橋記念公園として移築されています。写真は中央に置かれた高麗橋で、加治屋町と高麗町を結んでいました。これらの石橋を造った肥後の名石工・岩永
0163再訪熊本県指定重要文化財雄亀滝橋(おけだきばし)熊本県下益城郡美里町石野緑川支流柏川に架かる石橋橋長:15.50m橋幅:3.60m径間:11.80m拱矢:-m石工:岩永三五郎氏大工:尉助氏(甲佐出身)架橋:1817年(文化14年)柏川井出:1814年(文化11年)着手~1819年(文政2年)竣工単眼アーチ橋2014年3月2日(日曜日)以来、数回訪れた雄亀滝橋に久々に寄りました。今回は3年くらいご無沙汰していたので、橋周辺がすっかり
0324再訪町指定文化財聖橋(ひじりばし)熊本県上益城郡山都町野尻笹原川に架かる石橋橋長:35.00m橋幅:5.00m径間:12.00m拱矢:8.20m架橋:1832年(天保3年)一部解体:1937年(昭和12年)修復:1999年(平成11年)石工:岩永三五郎氏単眼アーチ橋2014年7月12日(土曜日)以来、久々に聖橋に寄りました。前日の雨で笹原川が増水していたので無理はせず、川床へはパスしました。ここ数年の豪雨や地震等々自然災害による被害で肥後の名石
こんばんは(^^)一昨日訪問しました●江ノ口橋(えのくちばし)〈薩摩川内市指定有形文化財〉2連アーチ橋で、岩永三五郎さんが、薩摩藩で最後に架設した橋です現役の石橋です❗束石が1つおきに雨靴型で可愛いです説明板水神碑この裏に工事の詳細が書いてあるそうですふむふむ…なるほど…わからん長閑な場所の美しい眼鏡橋です【江ノ口橋】鹿児島県薩摩川内市高江町内場架設嘉栄2年(1849年)橋長17.2m幅員3.4m壁石扇積石工名岩永三五郎氏江ノ口橋から上
0276高麗橋(こうらいばし)鹿児島県鹿児島市浜町1-3石橋記念公園内橋長:54.90m幅員:5.40m架設年:1847年(弘化四年)4連アーチ橋建設費:2,800両石工:岩永三五郎氏鹿児島市に来ると必ずと言っていいほどよる公園です。今回初めて刻印を見つけました。感動ですね!2018年5月27日(日曜日)移築前の位置と移築後の高麗橋(石橋記念公園内)岩永三五郎氏の像と高麗橋、桜島高麗橋高麗橋高麗橋高麗橋高
0277移築復元玉江橋(たまえばし)鹿児島県鹿児島市浜町1-3石橋記念公園内甲突川に架かっていた石橋橋長:50.7m幅員:4.0m架設年:1849年建設費:1,560両石工:岩永三五郎氏型式:4連アーチ橋壁石:二重アーチ、扇積み石橋記念公園は年に数回訪れる場所ですが、この1基だけがまだ要石拱頂部の刻印を確認していなかったので、撮影に寄りました。川床の泥土はかなり柔らかいので、めり込まないように周り込んでの撮影になりました。場所によっては膝上まで潜り込みそうで