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2025年1月4日前編・・・【2025年初山登り/岩櫃山(いわびつやま)★前編】続きです。岩櫃山登山口から”沢通り”を登り、九合目の山頂ニセピークに到着。山頂は奥の岩稜でした。ちょうど一組の登山者が山頂から戻る途中でしたので、眺めていました。山頂から戻る登山者私たちも、山頂へむかいます。最初の鎖に取り付くのが怖い。慎重に下ります。ニセピークからの下り。最後にハシゴ。ふう~。その先は狭い道。クサリを持ちながら進みます。やせ尾根よろっと
小学校時代を思い出しながら当時の道草路を自転車を押しながら登り、密岩神社と岩櫃山。子供の頃は岩櫃山のごく麓に、掛け造りの神社としてありました。5月5日だったかお祭りには袴に肩衣の人たちが、お囃子を吹いていたような。その神社の老朽化と落石もあり、かなり前から立ち入り禁止になっていました。10年くらい前に現在地に遷宮しました。古谷館(潜龍院)は春~秋にかけて、岩櫃山登山者・岩櫃城見学者で結構な賑わいを見せますが、のめしこきは岩櫃城も古谷館(潜龍院)も1~3月に出かけます。
2025年1月4日2025年の初山登りは「岩櫃山」へ。_____岩櫃山(いわびつやま)_____南方より望む(ウィキぺデア)より拝借日本の北関東、群馬県吾妻郡東吾妻町にある、標高802.6m[1]の山。ぐんま百名山の一つ[1]。群馬県を代表する名勝で[1]、吾妻渓谷と共に吾妻八景を代表する景勝地である[2][3][1]。吾妻八景のひとつ、群馬県を代表する名勝。南側の正面は奇岩が組み合わさったような高さ200メートルの断崖絶壁。この岩場は脆く、ロック
きょうは初山登り。登った山は「岩櫃山」。山頂直下の鎖場がすごかった。初登頂の証拠写真です。山頂の方位盤この岩場を登ると山頂です。登山者が岩場を登っています。詳細は後日です。ランキングに参加しています。ぽちっと押して応援おねがいします!人気ブログランキング
2024年12月21日(土)先ずはルート図歩行距離6.76km獲得標高660m・・・6:00自宅出発8:30岩櫃山密岩登山口駐車場到着8:55P出発大河ドラマ「真田丸」でブームになったようでトイレも奇麗で、標識等の整備が行き届いています先ずは密岩神社方面に歩いて岩櫃山の岩峰がイイね真ん中の高い所が頂上9:02密岩神社到着フォトスタンドが有ったので記念撮影(笑9:10こ
キーーっ、山に行く前にお気に入りのハンバーガー屋さんに行ったら完売。で、気になるラーメン屋さんへ行ってみたけど、スープがしょぱい。けどその奥に甘味があるラーメン食べ終わってから半チャーハン到着。この店、再訪はない。以前訪ねた事がある日本百名水の地へこの水量が湧き出ている。毎分〇トンってやつですね。ここからドバーっと湧き出ていてペットボトルに10リッター汲んでリュックで背負って車まで運んだ車中泊の晩御飯をベルクさんで買った。
弥生再葬墓の最初の発見とされるのが岩櫃山の鷹の巣岩陰遺跡(群馬県東吾妻町)から出土した19点の土器です。岩櫃鷹の巣岩陰遺跡から発掘された骨蔵器今は鎖や梯子がかかっていますが当時の岩物山には当然そのようなものはなく、骨の入った土器を背負って登ったのでしょう。或いは人間をこの洞窟で風葬し、その骨を土器に収めたのかも知れません。険しい岩櫃山の山頂下に再葬する理由は?(※)吾妻の弥生人は亡き人は天に還るとか、ご先祖様に見守っていてもらいたいとかの考えがあったのでしょうか?※岩
弥生時代の埋葬法で九州北部では甕棺墓、東日本(東北南部から中部地方)では再葬墓というのが特徴的です。1939年(昭和14年)杉原荘介(明治大学)さんらは岩櫃山の頂上下、鷹の巣岩陰遺跡(群馬県東吾妻町)から弥生時代前半の土器19個と人骨片を発掘しました。ただし土器の中には人骨はなく、土器のすぐそばからの発見でした。その後、岩名天神前遺跡(千葉県佐倉市)で壺の中から人骨が発見された事により、これらの土器は骨蔵器として使われた事が分かりました。(泉坂下遺跡:茨城県常陸大宮市)甕棺は埋葬用と
10月になってもなかなか好天に恵まれなかった群馬県吾妻地方ですが、10日は雲は多いものの久しぶりの快適な天候という事で、サイクリング。「やきまんじゅう」の看板が群馬らしいでしょ。右側通行ですが、ここを走る方が安全快適。道路わきには、今が収穫時期のリンゴ。津軽りんご・信州りんごのような生産量・ブランド力がありませんから一般流通はしません。地元スーパー・道の駅・直売所での販売です。岩櫃山。草刈正雄の・・・じゃなくて、真田昌幸の岩櫃城は右肩の部分にあります。小学生の頃から馴染
岩山で天然の要害となっているスポット⛩️密岩神社へ🪨
高崎城址公園、岩櫃山、岩櫃城本丸址、龍峨山不動堂、小野上温泉ハタの湯、シャンゴ問屋町本店の記録です。『高崎城址公園、岩櫃山、岩櫃城本丸址、龍峨山不動堂』高崎城址公園、岩櫃山、岩櫃城本丸址、龍峨山不動堂の記録です。『中央本線快速高尾発東京行き』青春18きっぷの2回目は、早起きして吾妻線沿線の岩櫃山と温泉…ameblo.jp『小野上温泉ハタの湯、シャンゴ問屋町本店』小野上温泉ハタの湯、シャンゴ問屋町本店の記録です。『小野上温泉ハタの湯』小野上温泉駅で降りて、次の列車まで一時間ある
【2024.2.24〜25戒めとそして欲望と】四万温泉に行く前に、サクッとどこか登っておくか。的な感じで決めた岩櫃山。やっと今年の初登りをしてきました😅雪と所々凍った岩、CTは短いけど、妙義のビビり岩みたいな所もあるんですね。きゃーきゃー言いながら(?)楽しんで来ました。からの四万温泉は、とにかく凄い凄い。バイキングが凄い。あまりの凄さにみんなの食欲全開でしたが、全種類制覇出来ずに負けた感バリバリの宿。多種多様な温泉にも浸かり放題で、なんとも贅沢な旅となりました🎶11:15駐車場
また前回の続きです。もう登りだけでヘロヘロなので、山頂に行く気はまったくありません笑。しかし、岩櫃城本丸跡はちょっと寄ってみようかと。多分、もう来ないからね~?今まで沢通りで登って来ましたが、尾根通りからも行けるそうです。じゃぁ、帰りは尾根通りで行こうか~なんて、簡単な考えで進んだらもう~。牛痛恨のミス!!!アップダウンが激しかったり、足を踏み外したら谷底に転げ落ちそうだし。尾根通りってそういう意味なんですね。直射日光を浴びることとなることも想定していませんでした笑。そしてな
前回の続きです。関越自動車道は渋川伊香保ICで降りて、17号に合流し、直ぐに中村交差点で県道35号線で吾妻方面に向かいます。途中から国道353号線の通称金井バイパスを使ってみました。2020年に開通したとのことで、8Km弱の道ですが舗装が新しく、途中信号機も無くて気持ち良く走れる道でした。ちなみに自動車専用道ですが、無料です。35号線に再度合流して暫く走った後、10時40分頃に岩櫃山登山口駐車場に到着しました。先ずは、前回も行った観光案内所に行き、ルートを確認したいと思います。既に
7月2日(火)梅雨空の様子を伺いながら、旅に出かけました。目的地は草津温泉。草津の湯でノンビリしよう!草津温泉へのドライブ旅高速道路と取り締まり朝9時過ぎに出発。通勤渋滞はあったが、高尾ICから圏央道、そして関越自動車道。高速道路の運転はハンドルやアクセル操作も少ないので、単調な高速道路の運転は好きではない。そこで高速道を走る時は、80Km程の一定スピードで走っている大型トラックやバスの後に着き、レーダークルーズコントロール(全車速追従機能付き)のスイッチ
5月3日(金)GW後半に登った群馬県の《岩櫃山》の下山編です。いくつもの鎖場や岩場を登り、360度見渡せる絶景を堪能しました。しかし山頂直下の急な岩場・鎖場を攻略しないことには《岩櫃山》山頂には辿り着けません。ワタシの力量では、難しいと感じ《岩櫃山》山頂はパスしました。↓《岩櫃山》山頂です。次のピークは攻略しました!(^^)!山頂付近はspaceがせまいため、ランチ休憩は難しそうなので下山することにしました。沢通りを歩き、JR吾妻線《群
前回の続きです。次の岩カードをゲットするため、胎内窟、ガメラ岩の写真を撮るべく、岩櫃山平沢登山口駐車場に11時頃到着。早速駐車場入口の観光案内板に行って確認します。拡大します。でも岩カードの対象の岩がどこにあるのか、この案内板ではわかりません。平沢登山口観光案内所が近くにあるので聞いてみることに。その情報によりますと、No.4の天狗の蹴上岩は、ここから歩けば良いとのことですが、40分かかるそうです。そして、No.2の胎内窟とNo.3の象ヶ鼻岩(通称ガメラ岩)は、ここに来るまでの
5月3日(金)GW後半は、群馬県へ《吾妻線》に乗り、《郷原駅》で下車しました。《吾妻線》は無人駅が多くて、下車した《郷原駅》も無人駅でした。ここICカードが使えません。切符を買って乗車するつもりでしたが、乗り継ぎ時間がタイトだったので切符を買うことが出来ず、ICカードでここまで来ました。ICカードは、帰りに清算することにします。さてさて、駅から登山口までしばし歩きます。すぐにこれから登る《岩櫃山》の岩々の風貌がドーン!楽しみでワクワ
連休初日、仕事少なく、心の疲労が重なり、朝はノンビリ・・・ホントは単なる夜更かし体質?丁度、12時スタート💨天気悪そうだったから、🚛🔛🏍️にする予定だったけど、降らなそうなのでスカブー①号機で💨雪解け水対策と写真撮るので乗り降りが多いから📷先ずは骨波田の藤イマイチ・・・外からのみでついでに、本庄サーキットもお昼休みに、ウキウキウォッチング続いて、藤岡でこっちはまあまあ!こんなん開催中今朝のシューイチで04/28お昼は、高崎の名店?だるま大使本店🍜へ1433ラストオーダ
4か月ぶりに山に登ってきた⛰️800mくらいの高い山ではないけど岩場が多い中級レベルの岩櫃山むずむず脚や頭痛最近はウォーキングも疎かになっていたので少し不安だったけど何とか無事に登ってこれましたこの岩山が岩櫃山頂上の写真垂れ下がっているクサリとハシゴで登るんだけど登りより下るときの方が何倍も恐怖良い天気高い山じゃないから景色はあまり良くないけど今日は暑かったから風が気持ち良かった久しぶりにスマートウォッチに登山コースをダウンロードして使ってみたスマ
数年前のNHK大河ドラマ「真田丸」で知られるようになった岩櫃山へ行って来ました⛰️コースは、平沢登山口~沢コース~山頂~尾根コースです。山頂近くの岩場は鎖があるが、急なので凄いスリル満点です(((;゚Д゚)))お花は何も咲いてなかったけど、山頂からの素晴らしい景色を堪能できました🏔️😄平沢登山口の広い駐車場駐車場から50mほど歩くと登山口です沢コースと尾根コースの分岐行きは、沢コースへ進みます山頂はもうすぐ‼️山頂が見えますよ~‼️山頂へは、下ってからあの岩を登ります❗(
酒場放浪記で有名な吉田類さんお酒はもちろんのこと俳句酒場詩人そして登山NHKに日本百低山というテレビ番組があり吉田類さんが全国の低山を登り山の自然や歴史、美しい景色を紹介下山後はやはりお酒🍶🍻今日、番組の中で紹介されついた岩櫃山(群馬県)真田昌幸が築城大河ドラマ「真田丸」のオープニングで出ていたので、見えるところまで行ってきた🤳実際に登ると結構大変そうだ~酒場放浪記では、各地の居酒屋を周り地元のお客さんとも✨🍻🎶美味しい肴も登場番組最後には一句類さんは
岩櫃城は、現在の群馬県吾妻郡東吾妻町の岩櫃山にあった山城。続日本100名城。甲斐の岩殿城、駿河の久能城と共に、武田領内の三堅城と称された。鎌倉時代の初期の頃、吾妻太郎助亮により築城されたといわれる。1563年(永禄6年)には武田信玄の重臣真田幸隆が岩櫃城を攻略し、吾妻郡の守護を命じられる。その後、真田幸村が幼少時代を過ごしたといわれる。1590年(天正18年)、北条氏の滅亡により真田信幸が沼田城主となり、この岩櫃城は沼田城の支城として重臣出浦対馬守が城代となる。1615年(慶長20年)
関東エリア続日本100名城登城&道の駅・温泉巡りドライブその12こんにちはここ3日間は、凄く寒い朝を迎えています。関西の北部は、かなりの雪が降り積雪も多いようですが小生が住んでるところは、雪は降っていませんが。でも、非常に寒いです。家の中でも寒くて、ストーブとコタツのなかで過ごしながら、暇な時間はミニチュアハウスDIYの作成をしています。先日、アマゾンで購入した3階建てのミニチュアハウスを遂に完成させました。結構な大作で完成まで一ヶ月ぐらい100
岩櫃山-Google検索www.google.com
ぐんま百名山ブログをご覧いただきありがとうございます。ぐんま百名山「岩櫃山」802m、読み方は「いわびつやま」。前回ブログの「嵩山」と同様、低山の岩峰です。(※登ったのは2023年12月下旬)主な登山ルートは5本、登山口は3か所ある中で、登りは平沢登山口からの「沢通り」のルートを選択。沢通りは尾根の北面側なのでしばらく暗い道を進みます。植林帯を抜けて行きます。植林帯を抜けると涸れ沢へ。山頂方面に向かって涸れ沢を登って行く沢通り。涸れ沢なので水はありません。
去年4月、群馬県東吾妻町の岩櫃城のあと、真田昌幸が武田勝頼を迎えるために作ったとされる潜龍院を訪れました今回はその奥にある郷原城です郷原城は、もともと岩櫃城の出城として築城されたとも、天正十年(1582年)真田昌幸が武田勝頼を迎えるために、御殿である潜龍院と共に築城したともされています岩櫃山南側の麓にある潜龍院跡から、東側に登ります余湖くんのホームページよりさすが異様な岩山の岩櫃山、ところどころに巨岩があります山城の雰囲気がプンプンしてきます郷原城へ到着郷原城の縄張り図周りは
日本のパン屋さんにガレット・デ・ロワがあったので、食べてみましたフランスのものと同じ味でしたよでも、家族で分けるにはちょっと小さめしかも、フェーヴ(写真の右にあるやつ)が中に入っておらず、別途ついてきたおまけみたいな感じしょうがないから、4等分にしたあとに次男のカットに無理やり埋め込んだら、生地が浮いちゃってバレちゃったよで、フランス出張ネタはちょっとお休みして、山登りネタ年末に群馬県の岩櫃山に登ってきました標高802mの
皆さま、あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。自分もですが、今日から仕事初めという方は多いと思います休みボケでなまり切ってますが、今年初のブログいきます去年最後の記事は、去年4月に訪れた群馬県東吾妻町の岩櫃城(いわびつ)でしたが、そのあと岩櫃山の反対側に回りました今回は番外編で、真田昌幸が武田勝頼を招き入れるために作ったとされる潜龍院跡です潜龍院は、織田信長と徳川家康による甲州討伐で追い込まれた主君の武田勝頼を迎え入れるため、真田昌幸が1582年に岩櫃山の麓に建
今年4月頭、満を持して上州真田の城を再訪しました今回の城は群馬県東吾妻町の続100名城・岩櫃(いわびつ)城です岩櫃城の築年代は不明ですが、戦国時代には上杉謙信に従う斉藤氏と、武田信玄に従う真田氏が争い、のちに真田信之が沼田城に入るとその支城として機能しました織田信長の武田領への攻勢により武田勝頼は押され、真田昌幸は勝頼にこの城に逃れるよう勧めましたしかし勝頼は、小山田信茂の岩殿城への逃亡を選んでしまい、信茂の裏切りに遭い、武田氏は滅亡しましたその後真田氏は豊臣秀吉や徳川家康に従い、岩