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昨日、何処かへ行きたいがいったい何処へ行くか?迷いに迷い!結果、城跡へ。なんと言うか...「まさに遺跡に来た!!!」と感じました。岩村城跡と、城下町を散策しました。そして、岩村歴史館?かな?を見学した際に苗木城跡のポスターをみてそちらにも行くことにしました。続く
初代ファミコンゲームたけしの挑戦状11月16日は○自然薯の日静岡県熱海市の自然薯料理店が制定。6を「も」の字に見立て、「11(いい)16(いも)」の語呂合せ。自然薯・山芋、マグロ丼や刺身にかけて食べるのが大好きです。○1985年、岐阜県の国鉄明知線(恵那~明知25.1km)が第三セクター・明知鉄道に転換。明知鉄道、情緒あふれる昔ながらのローカル線で、沿線には日本大正村や岩村城跡などの名所があります。
は~い。飯羽間城跡から移動すること4.7キロぐらい。岐阜県恵那市、岩村城跡。御城印は、2019年に購入済。登城してなかったので行ってきたよ。ロッキーを岩村歴史資料館の駐車場に止めて行くよ。800mで行けるよ。あと700mだ。綺麗に整備された道です。石垣がすごい。土岐門の説明。あと300mだよ。畳橋の説明。追手門、三重槽の説明。石垣に囲まれた道。説明板。
岩村城跡を目指す🚶♀️明知鉄道沿線の中でも女城主の城下町岩村駅は観光スポットとして特に有名だが、せっかく岩村で降りるなら岩村城跡にも行ってみたかった🚶♀️山岡駅から恵那方面へ2つ目、岩村駅に到着🚃駅前は閑散としている…😑少し歩くと、風情ある岩村の街並みが見えてくる🎶この辺いったいは「重要伝統的建造物群保存地区」で、毎年3月にひなまつりが行われ、めずらしい古今雛も飾られ大変にぎわうようだ🎎取り敢えず岩村城跡を目指すが、途中にあるお店の佇まいが良すぎて、ついつい足が止まってしまう😅
9月27日水曜日。To-chanが今日明日お休みなのでツーリングへ。この日は岩村城跡。まずは、道の駅おばあちゃん市•山岡少し休憩巨大木製水車みょうが寿司さっぱりして美味しい😋みょうがも甘酢に漬けてあるみたいで、お漬物風少し休憩して出発。岩村城下町お城の近くには古い街並みがよくあります。地図をもらったのでそれに沿って散策します。丸を付けてあるところが恵那指定文化財のお屋敷美術の館旧柴田邸、勝川邸、最後が木村邸。朝ドラ「半分、青い」のロケ地です。ロケ地情報【お出
岐阜県恵那市と、岐阜県中津川市の山あいを走る明知鉄道明知鉄道は、1985(昭和60)年に国鉄明知線を引き継いだ第三セクターです。岐阜県恵那市中心部の恵那駅と、大正ロマンの明智駅を結んでいます。日本一急勾配な場所にある飯沼駅、農村景観日本一の飯羽間駅、女城主が活躍した岩村城跡のある岩村駅といった特徴があります恵那市の明知鉄道は9月1日から、秋の風物詩「きのこ列車」の運行を始めてみえます。車窓の景色が楽しめて、キノコ料理を味わう企画で28年目となります11月末までです。「きのこ
昨日は三河大草駅跡から明智鉄道の岩村駅まで走り宿としました。ここには岩村城があり、日本三大山城とも言われているようです。城主が織田信長の叔母に当たる女性で、女城主として名を馳せました。あさイチには岩村城の方に行ってみました。駐車場に車を停めて天守のあった所まで歩きます。途中の石垣は穴太積みのような感じです。何層にも石垣が増築されて6層にまで成長したそうです。天守跡で日の出を拝みました。この風景は当時も変わらなかったと思います。岩村駅です。駅舎の正面は補修されて魅力が薄いですが、
岩村城跡に登城します。「岩村城」は天然の峻険な地形を活用した要害堅固な山城で、大和の高取城、備中の松山城と並ぶ日本三大山城の一つとされる城で、日本百名城です。文治元年(1185)源頼朝の重臣・加藤景廉が、美濃遠山荘の地頭に任じられ築城。景廉の長男・景朝がこの地に移り住み、遠山姓を名乗ったのが始まりです。以来鎌倉・室町の400年間、戦国期の世まで美濃遠山氏の居城でした。(㊟遠山氏は土岐氏と並ぶ東美濃の名族として繁栄しますが、宗家の岩村遠山氏は、戦国末期織田・武田の争いに
先日、岩村城跡に行ってきました。頂上までの道のりは、石畳や石垣に遺跡っぽさがあって歩いているだけでワクワクしました。周りの木々もきれいな緑色をしていて、ここだけ別世界観がありました。頂上は城跡というだけあり、何もありませんでしたが、ここまで登ってきた達成感がありましたね。30分程で付くので、運動が得意ではない人でも気軽に行くことができると思います。ちなみに、岩村城は壊されたわけではなく、大正時代に誰かがうっかり燃やしてしまったみたいです。つまり、うっかり燃やしてなければ今も残っていたか
癒して心に火を灯すセラピスト『癒しのあーちゃん』こと松井厚住香(まついあすか)です🍀ご訪問いただきありがとうございます✨初めての方はこちらを見てくださいね💕癒して心に火を灯すセラピスト💕笑顔で進むための勇気の一歩のきっかけを前向きな言葉でお伝えします【癒しのあーちゃん】松井厚住香さんのプロフィールページはじめまして。癒して心に火を灯すセラピスト『癒しのあーちゃん』こと松井厚住香(まついあすか)です。右の手のひらに『幸運のイルカちゃん』🐬を持っています。天と繋がり降りて来るあなた必要なメ
こんにちはSTKです。連休中にサイクリング計画。向かったのは、女城主の里、「岩村城跡」です。愛知県のJR金山駅⇛恵那駅⇛岩村駅明知鉄道を使った輪行で帰りは岩村駅⇛恵那駅10kmちょいのゆるポタ。9:00過ぎに恵那駅到着。乗換時間無く、写真撮ってダッシュで明知鉄道へ。帰りに知りましたが、駅出なくても乗換出来た。昔仕事で良くこの線路近くを車で通り、いつか乗ってみたかった明知鉄道。念願かなって初乗車。春の鏡のように輝く田んぼの間を這うように走ります。昔ながらの農村を堪能、素敵な原
どうやら坐骨神経痛で〜お尻から右足になんともいえない痛みが走りまして歩くと痛いから仕事中足を引きずってまして仕事終わりに鍼に行ってきたよ〜〜普通の鍼と電気鍼とやってもらったそのあとほぐしてもらったら少し楽になったよ〜〜そうなるとほらまたまた爆睡でしておかげさまで早寝早起き状態で朝早く外を眺めてたらね・・・東の空はこんな感じでふと西のルーバル行ったらさ〜なんと〜まんまるお月様〜〜ズームおおお満月〜〜朝からいいもの見せてもらったよ〜〜おはよ
岐阜県恵那市岩村町は、八百年余年の歴史を持つ三万石の城下町として、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。歴史ある町並みや多くの旧跡を有する町である。岩村城跡を歩いた後、町をぶらりとめぐってみた。事前の知識はまったくなく、町巡りの案内図片手に歩いた。このような街並みが多かった。民家と思われるなまこ壁の家や白壁の家が普通に建っていた。路地裏のような通り。板壁が暖かな印象。メインの商店街。観光客はまばら。「塩並木」とは?女城主の里の文字はあちこちに
岩村城は城主が次々と替わったが、江戸時代の1702年(元禄15年)から明治維新までは大給松平氏が一貫して城主となっていた。1873年(明治6年)の廃城令により、城は解体されたが、遺構の保存状態は良く曲輪、石垣、井戸等が現存する。また山門や土藏などの一部は城下の寺院や商家などに使用されている(ネットから引用)。城はないが見事な石垣群が往時を偲ばせてくれる。岩村城の特徴を最も伝える六段の石垣(六段壁)。日本のマチュピチュと呼ばれる所以。六段壁の横にある本丸虎口の石段から本丸へ向
岩村城の登城口を上り始めてすぐに、ここ岩村町出身の下田歌子の勉学所などがある(歌子の略歴等については後記)。そこを過ぎると本格的な石畳の上り坂となる。少し歩くと「600600」という標識がある。本丸までの距離600mでここの標高は600mということである。標高がかなり高いことが分かる。所々にこのような標識があり距離が短くなり標高が高くなるのがうれしい。道は両側に高い石垣が続き見ごたえがある。息を切らせながら上ると本丸付近に着いた。下田歌子の勉学所。父が書斎にしていたもので復元建築さ
恵那市にある岩村城跡へ行ってみた。岩村城は中世の日本の城(山城跡)で、鎌倉幕府御家人の遠山氏が鎌倉時代初期に築いたとされる。戦国時代末期には織田氏と武田氏の争奪戦に巻き込まれた。江戸時代には岩村藩の城となった。城は標高717mに位置していて日本で最も高い山城であり、奈良県の高取城、岡山県の備中松山城と並び、三大山城の一つとされている。また、「女城主おつやの方」の悲哀の物語(末尾に記載)が残る城でもある。岩村歴史資料館。かつての藩主邸のあった場所。ここに駐車して本丸まで歩くことに
日本三大山城として知られる岩村城(残りは高取城、備中松山城)岩村藩の居城でしたが、これは全国の諸藩の中で最も高いところ(標高717m)に位置していました。戦国期には武田・織田激しい勢力争いの渦中に位置し織田信長の叔母である、おつやの方が事実上の城主を務めていたことはあまりにも有名です織田と武田の間で翻弄された人生はまさに悲運の女城主です。織田信長の甲州攻めの際、ここ岩村城に留まり武田氏の滅亡の一報を聞いた地でもあります登城口から本丸までは800mなのですが高低差が15
これが上空から見た岩村城。明治時代の廃城令で建物は取り壊され石垣が残るのみですが、天守や曲輪のひとつひとつがハッキリ分かる貴重な遺構です。遠山氏宗家の城ですが改築し今の姿にしたのは織田信長家臣の河尻秀隆や森長可家臣の各務元正だそう。戦国時代は武田氏と織田氏の板挟みで何度も合戦の舞台になり、女城主おつやの方が織田方に投降して岩村遠山氏は断絶。分家筋の苗木城の苗木遠山氏が残りました。(* ̄▽ ̄)v-苗木城も立派ですが、岩村城は標高717mという高みに造られた山城でこれだけ頑丈な石垣に守られた
今日は、晴れていますが風が強いです。洗濯物が、飛ばされないように…土曜日に、岐阜県恵那市にある岩村城跡に行って来ました。日本三大山城の1つに数えられるお城で、標高717mの山頂にあります。藩主邸太鼓櫓この少し先に、登城口があります。登城口から本丸まで800mです。200m登って来ました。かなりの急な坂です(||゚Д゚)ヒィィィ!日頃の運動不足が…息が切れ…この季節、いつも失敗することが…朝寒いので、ついついヒートテックを着てしまう。そうすると…もう、この時点で汗だくです。
全国山城サミット恵那大会は2日目の10月23日、岐阜県恵那市の明智、岩村両町で登城体験などの催しがありました全日程を終えて閉幕しました芸能界随一の城愛好家で、落語家の春風亭昇太さんが特別参加されてみえました恵那市の二大山城である明知城跡と岩村城跡に相次いで登られたそうで、両町でトークショーに臨まれてみえました全国山城サミット初日の記念講演で講師を務められた、滋賀県立大名誉教授の中井均さんと訪れた明知城跡では、山の斜面に対し縦方向に設けた堀「畝状竪堀(うねじょうたてぼり)」など、「
天気も良さそうだし、どこかへツーリングに出かけよう!!ということで、妻を乗せ、名古屋からR363経由で岩村城跡(岐阜県恵那市)を目指すことになりました。SUZUKIBandit1200S油冷FinalEditionEOSRP+EF28-70mmF2.8LUSM以下同じ瀬戸品野あたりを過ぎると、その先は気持ちの良いワインディングが続きます。世界一大きい狛犬(トリミ
と、旦那が申しまして、ひっさ久の中央道走りました。折りしも地元は3年ぶりに津まつり復活で、若者は活気づいておりましたが、歩道に香具師の姿の無い祭りなんて、祭りらしいこと何にもない。振り返ってみますれば、旦那が祭りに誘ってくれないのは長い結婚生活で初めての事、やはりよさこいメインだけでは魅力に欠ける、ぶらぶら歩きながら、人と肩すれ違う熱気と、出店の賑々しさ、喉が渇いたと言うては軽くビールをひっかけ、フランクフルトにたっぷり辛子とケチャップかけて、それが垂れやんように上手に食べきるという芸
こんばんは10月1日土曜日にずっと行きたかった日本三大山城の岩村城跡へいざ出陣まだ岩村歴史資料館の辺りですが既に迫力がありましたここから登っていきます🗻🏯写真で見ると大したことが無さそうな坂道ですが…想像以上に長かったです(*^-^*)きつかったです(;・∀・)難攻不落の山城の壮大さが肌で感じられました✨あともう少し✨
桜の満開時期に合わせて、軽バン(ホンダN-VAN)で岐阜南部の史跡巡りをしてきました。今回は妻の予定が空いていたので、二人で3/31~4/7の8日間、温泉でまったりしつつ、道の駅で車中泊しながら、城を中心に岐阜県南部の史跡・名勝を巡ってきました。1日目は、岡山県の自宅から京都府亀岡市まで一般道を移動して、道の駅「ガレリアかめおか」で車中泊2日目は、日本100名城・岐阜城見学後、道の駅「半布里の郷とみか」で車中泊3日目は、日本100名城・犬山城、日本100名城・岩村城跡、花白温泉、道の
こんばんは今日はワンコ🐶を連れて恵那へお出かけしてきました。銀の森に行くつもりで出発して高速道路で何気なくサイトを見ていたら……。水曜日全店休業なので大好きなラーメン屋あきん亭へ迷わずGo10:40分頃到着して駐車場で待っていると開店10分前くらいにはお店の方が出てきてくれて「どうぞ~」と入れてくれました。こちらのラーメンはホントに汁も飲み干したいほど美味しいです。その後岩村城跡へ。とても良いお天気で絵に描いたような青い空と白い雲気分も上がりました!カラッとした暑さでした
5月22日(日)下條村は昔からそば畑が多く蕎麦が有名なので道の駅にある『そばの城』が9時オープンなので9時まで待って入ろうとしたら10:30〜と言われ、これ以上待てないので走りながら他を探すか、ここで何か買おうかどこのサイトでも9時オープンになってます蕎麦の食べ放題とカツ丼のセットのサラリーマン定食が人気で食べる気満々でした売店を覗いてみると五平餅やおやきがありそこに面白いものがありました峰竜太さんの奥様のみどりさんにちなんだメニューでみどり、竜太、夫婦とありその日はみ
GW中に訪れた所は岐阜県・恵那市にある「岩村城跡」でした。ここへの訪問も12年ぶりです。※岩村城は、大和の高取城(奈良県)備中の松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる。現在は石垣だけが残り、日本百名城にも選ばれました。織田信長の叔母(おつや)が城主として善政を敷き、最後まで領民を守ったが、最後には力尽きてしまう悲劇があったことで「女城主」の城としても有名です。また、霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」とよばれています。今は駐車場になっている「
岩村歴史資料館から本丸まで登るのが結構辛かったやっと到着六段壁きちんと撮っておけば良かったと後悔写真右側です桜のピンクをどうしても写り込ませたくてどこから撮ろうかとよくわからない写真達本丸旗に隠れていますが駐車場はすぐそこにありですそしてまた桜とのコラボ写真を撮ろうとする私この石垣の雰囲気がかっこよく見えて撮ってみた(枡形虎口)六段壁×太陽がいい感じに見えたのですが眩しすぎてピント合わせられないという落ちですね下山中ヘビを発見した旦那