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※2024年3月29日訪問※本丸の南側には【腰曲輪】が広がっていました【腰曲輪】の石碑が建てられていますね✨【腰曲輪の建物】と書かれた案内板が設置されていたので確認していきましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼腰曲輪とは、城の守りを堅くするために主要な曲輪の周囲に配された細長い曲輪のことで、盛岡城では本丸の東・南・西の三方を囲む一段低い区画となっています。曲輪の東辺には二ヶ所の折邪があり、それぞれ櫓が備えられていました。そのうち、北側の櫓は単層で、南側の櫓は二層となってお
※2024年3月29日訪問※吹上馬場の西側には【宝蔵】が建てられていたようです現在、宝蔵跡と思われる石列を見る事が出来ますが、これが当時からの遺構なのか、公園整備の際の平面表示としての整備なのかはわかりませんでした◆陸奥国・盛岡城(不来方城)腰曲輪跡/国指定史跡◆に続く
小岩井農場の一本桜が満開になりました…でもね、花が2、3割しか咲いてないらしいです…野鳥のウソが花芽を食べちゃったんだって…残念っ…。今月中頃、お花見に行った時のこと…岩手公園の桜を楽しんで…MくんとPちゃんと三人で、満開の桜にかんぱーい…屋台がいっぱい出てたので、たこやきを買ってつまみました…今年の桜は、一気に咲き始め、一気に満開になって、あっという間に終わっちゃいましたが…いつもの年より、気温が高くて、お花見には最高でしたわ…桜を見た後は、大通りの『萬』でかんぱーい…お
※2024年3月29日訪問※本丸跡から南側に石段を降りて来ました藩政時代にはこの石段は無かったようで、明治期の公園整備の際に、本丸へ登り易くする為に整備されたものだと思われます本丸の南側、一段低くなった場所には【吹上馬場】【御馬場】と呼ばれる馬場が有ったようです✨近くには【史跡盛岡城跡】と書かれた縄張り図が設置されているので、こちらも散策の際の参考にさせて頂きました✨◆陸奥国・盛岡城(不来方城)宝蔵跡/国指定史跡◆に続く
※2024年3月29日訪問※盛岡城の中心部であった【本丸跡】です【本丸跡】の石碑が建てられていますね▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼本丸は城の南側に位置し、東西70m、南北55m。北側には【中奥】、南側には【大奥】が建てられていました。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲本丸跡を散策してみて思った事は、『意外と狭い本丸だな』という事かつては本丸をぐるりと囲むように、三層櫓や二層櫓、多聞櫓などが建てられていたはずなので、さらにその中に御殿が建てられていたとすると、かなり手狭
※2024年3月29日訪問※盛岡城のシンボルでもあった本丸【三層櫓(三階櫓)】の跡ですこの三層櫓(三階櫓)については、明治初期に撮影された古写真が1枚だけ残されており、手前の二層櫓と共に盛岡城の様子を伝える貴重な資料となっています✨【盛岡城古写真】※清養院所蔵※▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼1633年(寛永10年)に築かれたとされる最初の天守(1842年までは「御三階櫓」と呼称)は1636年(寛永13年)に落雷を受けて炎上した。その後しばらく天守は再建されなかったが、1676
21日、日曜日盛岡城跡公園(岩手公園)の散歩に妻とマルプーのほ・た・て君と行って来ました。桜はほぼ散ってました。エドヒガン枝垂れ桜&ほ・た・て君烏帽子岩(兜岩)車は岩手公園地下駐車場に入れました。
今日は本当にいい天気だったぜ。風が強めだから、桜は残念な感じだけど、まだ地域や場所によっては楽しめそうだ。俺と奥さんは一週間ほど前にお花見を楽しんだ訳で、岩手公園や石割桜、中津川河川敷あたりを散策したのであった。おかげでリフレッシュ出来ましたよ。さてと、今年62歳になる俺にもそれなりに洋楽の記憶があるのです⁉️基本、俺はフォーク系と昭和歌謡の人なんだが、心に残る洋楽のナンバーやアーティストはいる。懐かしんでみるとするか。今回は、アニマルズの「朝日のあたる家」だ。イングラ
はい、どうもー!!岩手県に住んでるシンタローです。2024年4月15日(月)私、お休みを利用して今が見頃の岩手内の桜を見てきました〜。1日で4箇所行ったんですが…(笑)どこもいい感じに満開でキレイでしたよ〜皆様にも岩手県の桜をお裾分け!ということで4回に分けてご紹介しています〜。本日は「その④」です!岩手県盛岡市の「盛岡城跡公園(岩手公園)」の桜でーすその①「北上展勝地」編は↓からどうぞ!『
※2024年3月29日訪問※本丸南西隅には、本丸二層櫓(南西隅櫓)が建てられていました二層櫓跡の手前側で発掘調査が行われており、立ち入り禁止のロープが貼って有ったので、櫓台には近付けませんでしたぐるりと回り込んで、腰曲環から見上げた二層櫓跡ですこの二層櫓に関しては明治初期に撮影された古写真が1枚残されており、盛岡市としても将来的に復元整備を検討しているとの事でした※画像は盛岡市のHPより引用※本丸の南西部分にも立派な石垣を見る事が出来ます✨【本丸南西部の石垣】という案内板が設置され
※2024年3月29日訪問※本丸北西隅には、本丸納戸櫓(北西隅櫓)が建てられていましたこちらも建物は残っておらず、櫓台の石垣を見る事が出来ます近くには【本丸北西部の発掘調査】という案内板が設置されていましたので、確認して行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼本丸北西部では、石垣修復のための発掘調査により、福士氏の不来方城(14世紀末~16世紀末)から、南部氏の盛岡城Ⅰ期(16世紀末)、盛岡城Ⅱ期(17世紀前葉)の4期にわたる構造の変遷が確認されています。本丸北半部の石垣
※2024年3月29日訪問※本丸北東隅には、本丸隅櫓(北東隅櫓)が建てられていました建物は残っておらず、現在では櫓台の石垣を見る事が出来ます✨近くには【本丸北東部の発掘調査】という案内板が設置されていましたので、確認して行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼本丸北東部では、石垣修復のための発掘調査により、福士氏の不来方城(14世紀末~16世紀末)から、南部氏の盛岡城Ⅰ期(16世紀末)、盛岡城Ⅱ期(17世紀前葉)の4期にわたる構造の変遷が確認されています。本丸北東部の石垣
岩手公園の桜。満開の時期は過ぎてしまってましたがまだまだ綺麗でした岩手で桜を見るのは3回目です旦那さんは4回目だそう。早いな…
※2024年3月29日訪問※本丸に入る北東部の門が【御末門】です現在スロープとなっている道を進み、曲がった所に門が建てられていたようです本丸へと至る門だけあって、しっかりと石垣が積まれていますね✨◆陸奥国・盛岡城(不来方城)本丸隅櫓(北東隅櫓)跡/国指定史跡◆に続く
見頃の石割桜・場所変えて桜の下でランチタイム🌸長い記事なので適当に眺めてね🤗今日休み💕石割桜見に行ったけど平日なので混んでない❣️国の天然記念物盛岡裁判所内の【石割り桜】🌸満開🌸品種はエドヒガンザクラ樹齢約350年〜400年周囲21mもの巨岩な花崗岩を割って咲いている桜🌸ソメイヨシノより花びらが細身かな思いっきりボロ隠し自撮り裁判所敷地内なので屋台はあるわけもなく飲食できるスペースもあるけわけないです😅場所を変えて岩手県庁向かいのお堀に咲くソメイヨシノも見
※2024年3月29日訪問※冠木御門跡の東側には、何やら櫓台のような石積を見る事が出来ますこちらは【武者溜】と呼ばれる軍事施設で、文字通り、戦の際などに武士達の待機場として使用されていたのかもしれません✨先程歩いて来た御台所跡の平場を確認する事が出来ますね✨◆陸奥国・盛岡城(不来方城)御末門跡/国指定史跡◆に続く
※2024年3月29日訪問※冠木御門跡から淡路丸を臨むと、地面に何やら丸い石組がこちらはかつての【井戸】の跡だそうです◆陸奥国・盛岡城(不来方城)武者溜跡/国指定史跡◆に続く
岩手公園石割桜中津川沿い
金曜日の岩手公園これなら今日の桜はもっともっと咲いてるわ夜のぼんぼりの明かりはキレイだろうなぁ🌸散策したら隣のホテルに来て一休みしてね~♡アメブロhttps://ameblo.jp/tonarinohotel/X(旧)Twitterhttps://twitter.com/tonarinohotel0オフィシャルサイトhttps://tonarino-hotel.com/リットリンクhttps://lit.link/tonarinohote
こんにちは(✿^‿^)4月13日の土曜日、岩手公園ヘ桜の状況を見に行ってきました。街中で用事があったので、駐車場に車を置いたまま、岩手公園まで歩いて行ってきました。ツルニチニチソウでいいのかな懐かしい、電話ボックスが。しかし中を覗くと電話器はありません。岩手公園に着きました。正式名称は盛岡城跡公園ですね。見上げると、石垣の上に桜が見えますおお~咲いてますね〜。この辺りは満開に近いようです。花見の人も沢山桜🌸石垣と桜遠くの山々と一番上にある、本丸。この辺りはほ
※2024年3月29日訪問※本丸北東部分への入口でもある【冠木御門】跡ですかつてはこの道を遮るように門が建てられていたようですが、現在、門の遺構などは残されていないようです◆陸奥国・盛岡城(不来方城)淡路丸井戸跡/国指定史跡◆に続く
2024年4月13(土)2024年03月20日の記事「盛岡のソメイヨシノ標本木開花までカウントダウン」2024年04月04日の記事「春の到来!盛岡市の桜の開花はいつ?」のその後です。岩手の桜[小林隆]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}4月12日、盛岡市でようやくソメイヨシノ開花宣言がありました。”ようやく”と言うのは、もう既に市内各所で開花していたからです。下写真は盛岡城跡公園のソメイヨシノですが、開花宣言があった日の早朝に撮ったものです
※2024年3月29日訪問※二ノ丸と本丸を繋いでいた【御廊下橋(渡雲橋)】を見て行きます橋の下は空堀が巡っていたはざなのだ、当時はもっと深さが有ったと思われます✨盛岡城を紹介する際には、この御廊下橋の構図がよく使われていますよね私が訪問した際は、工事中なのか、橋の下は通行出来なくなっていました画面向かって左手が本丸で、二ノ丸よりも少し高く造られている事がわかります✨本丸側から見た御廊下橋です現在は擬宝珠の付いた朱塗りの橋が架けられていますが、江戸時代には屋根のある橋で、本丸石垣の上
令和6年4月10日盛岡の石割桜は六~七分咲きくらいでしょうか。この週末が見頃になりそうです。同じく盛岡の桜の名所である岩手公園(盛岡城跡公園)は、まだ所々で咲き始めたばかりで、一週間ほど遅れそうな感じです。早くお花見🌸🍺🌸がしたいな。
※2024年3月29日訪問※二ノ丸東側では【はばき石垣】と呼ばれる石垣を2ヶ所確認する事が出来ます2ヶ所有るうちの北側の方が少し大きく造られているようですねこれは、二の丸造成の際、盛土をして石垣を積んだものの、排水工事が不十分だった為か、元禄年間以降、石垣に孕みが生じた為、はばき石垣を布積で構築したとの事慢性的な財政危機に陥っていた南部家は、幕府の許可が得られたとしても、石垣積み直しなど全面修理を行う余裕がなかった為、はばき石垣で対応したのではないかとも言われているようです◆陸奥国・盛
※2024年3月29日訪問※不明門跡から三ノ丸には入らず、【二ノ丸の東側の石垣】をじっくりと堪能して行きます土塁のお城も素敵ですが、石垣が有る事でより堅固な印象を受けますね下の画像の左下の方に丸い形の石材を見る事が出来ますが、こちらは【笑い積み】と呼ばれる石垣の積み方だそうです✨規則的な打込接の中に不安定な丸い石を詰め込み、周囲に栗石を詰めて補強したものになっていて、口を開けて笑っているように見えるためこの名前が付いたそうです✨◆陸奥国・盛岡城(不来方城)二ノ丸東側石垣(はばき石垣)
※2024年3月29日訪問※御台所跡から【不明門跡】へと向かいます✨門の遺構は残されていませんが、この不明門の脇には巨大な【岩盤】が露出しています✨この岩盤を避けるように石垣が積まれており、盛岡城が岩盤の上に築かれた事がわかる場所ですね✨◆陸奥国・盛岡城(不来方城)二ノ丸東側石垣(笑い積み)/国指定史跡◆に続く
※2024年3月29日訪問※三ノ丸の南東部に位置する【御台所跡】へと向かいます御台所の北側には、入口である【台所御門】が建てられていましたが、現在遺構は見られず御台所跡は現在多目的広場として利用されているようですね【広場】の石碑も建てられており、その名の通り広大な曲輪であった事がわかりますね✨◆陸奥国・盛岡城(不来方城)不明門跡/国指定史跡◆に続く
※2024年3月29日訪問※盛岡城と言えば、東北では珍しく石垣を多用した城としても知られていますよね✨そんな盛岡城の代名詞とも言える石垣をじっくりと堪能して行きますまずは【三ノ丸北東部分の石垣】✨櫻山神社と鶴ヶ池の間の細い遊歩道から盛岡城公園内に向かって歩いて行くと、立派な石垣が見えて来ますお城好きにはたまらないこの石垣(笑)もっと近くで見学したいのですが、石垣前の平場には立ち入り禁止のロープが盛岡城公園の案内板を見ると、かつてはバラ園が有った場所と思われますが、現在は石垣の石材な
※2024年3月29日訪問※鳩御門跡から三ノ丸跡へと散策予定でしたが、石垣修復工事に伴う立ち入り禁止区域が有る為、櫻山神社の東側から公園の中心部へと迂回し、散策して行く事に見えてきた【水堀】は、こちらも城の内堀で、現在は庭園の池のような形で整備されていました✨噴水なども整備されているようです✨近くには盛岡城公園の案内板が建てられていたので、散策の際の参考にさせて頂きました✨水堀に面した部分には石垣が見られ、かつては城の水堀として機能していた事が伺い知れますねこちらの水堀は【鶴ヶ池】と