明治6年(1873年)10月17日早朝、大久保は三条邸を訪れて辞表を提出、位階返上の意思を告げた。それは三条と岩倉の裏切りに報いる当然の行動だったが、不意を突かれた三条は狼狽し、さらに岩倉の辞意が告げられるに及んで茫然自失、為す術を知らぬ窮地に陥ってしまう。そして彼の下に西郷を初めとする「征韓派」の参議一同が押しかけて閣議決定をただちに天皇に奏上し、裁可を仰ぐよう詰め寄ると、彼は一日だけの猶予を得てその夜岩倉邸を訪れ、これまで通りの協力を哀願したがすげなく断られ空しく帰宅した後、高熱を発して卒倒